第173話 強姦

 かつて”勇者”が利用したこともあるとされる石砦の地下。

 座っているだけで寒々しく感じられる、とある牢の一室にて。


「あっ…………あっ、あっ、嫌……ダメ、痛いっ……離してぇ……っ!」


 鉄格子の向こう側で行われている狼藉を、サイモンはぼんやりと眺めていた。

 ちょっと欠伸などしたりしながら。


「あっ、………………アカンって、そんなん入らんってホンマ……やめ……・・ッ」

「い、い、いっ、いいから……大人しくしろって、なあ!」


 ここまで漂ってくる、鼻につく不快な臭い。青臭い性の臭い。

 ルーネ・アーキテクトを組み伏せている男はどうやら、しばらく風呂とは無縁の生活を送っているらしい。


「痛い痛い痛い! ちょ、痛いって言ってるでしょーがオマエーっ! もっとシンセツにせぇー!」


 今にも仲間の貞操が穢されようとしている、この状況。

 サイモンはわりかし客観的に、思考を巡らせている。

 なぜ、仲間が傷つけられているのに、あまり心動かされていないのか。


――……たぶんきっと、心の底でこの女を信用していないのかもなぁ。


 どうにもこの、ルーネ・アーキテクトは信用できない。

 港町へ向かう道中、二人が盗賊に囲まれた時だってそうだ。

 彼女が本気を出せば、悪党どもを一掃することだって難しくなかったはずなのに。


――それでもこいつは、


 それどころか、わざと人質に取られたようなフシもある。

 お陰でこちらは手出しができず、牢の中。

 今の状況、半分はルーネ・アーキテクトの自業自得なのである。


――だが、なんでだ? なんでそんな、わざと足を引っ張るような真似をする?


 この世には、自ら不幸になることに破滅的な悦びを見いだすタイプの人間がいるという。

 この女がもし、なら。


――場合によっちゃあ、俺が汚れ役を引き受ける必要があるかもなぁ。


 不要な人材の排斥。

 きっとあの坂本京太郎という人は、そういうことが苦手だろう。


「はぁ…………はあっ…………はぁ………て、手こずらせやがって」

「ひえええええ。おたすけー!」


 それに、――まあ。

 サイモンはよく知っている。なら、最後までコトを済ませるのは難しいだろう、と。

 女が強姦こまされるところを見るのは初めてではない。何もかもが灰色に染められたあの沼地では、もっともっと悲惨な出来事が、日常的に繰り広げられている。


「う、う、ウチほんま、初めてやから……! マジで!! マジでマジで!」

「す、すぐ、すぐ済むからよぉ!? 大人しくしろ!」


――まず何度か顔を殴って、女の動きを止めればいいのに。紳士的な強姦だな。


 まあ、慣れていないということだろう。

 ルーネ・アーキテクトを組み伏せるその男は、さっきから「大人しくしろ」と叫ぶばかりで、それ以上の危害を加えようとすらしない。


「お、お、俺だって本当は、こ、こんなことしたくねえんだからよぉ!」

「だったらもう、やめーや! ヘンタイ! 親御さんが泣いとるで!」

「お、親の話はするなよ……うう……」


 そこでサイモンは口を挟む。


「なあ、兄ちゃん」

「な、なんだよ!?」


 振り向いた顔は、二十代前半、といったところだろうか。言っては悪いが、いかにもモテなさそうな顔面偏差値である。

 大方この混乱に乗じて、うまいこと筆おろしをキメようって腹だろう、が。


「悪いことは言わん。最初くらい、合意とれた相手とした方がよっぽどいいぜ」

「余計なお世話だッ!」

「だいたい、そんな全力疾走した後みてーに興奮してちゃあ、まともに勃ちゃあしないよ。リラックス、リラックス」

「うう…………」


 ルーネが「なんで強姦魔にアドバイスしとんねんコイツ」という顔を向けているが、無視。


「それに、さっきから見てりゃあ、お前の股間にぶら下がってるそれ、ずいぶん不機嫌そうじゃないか。――俺にゃあ息子さんの叫び声が聞こえるようだよ。『もっとふさわしい相手がいる』って」

「ううう…………」

「まあ、もう一度自分の良心と相談した方が良いと思うがねぇ」


 そこで、世にも奇怪な現象が起こった。


「うっ、うっ、うっ、うっ……」


 男がその場で、大粒の涙をこぼしはじめたのである。


「うぇえええええええええん」

「オイオイオイ兄ちゃん……いい年して……」

「ふえ……うぇ、うぇ……うええええええええええええええええええん」


 さすがにこれは、サイモンですら始めて見る光景だった。

 犯そうした女の前で赤ん坊のように泣くなどと、後々思い返したら一生モノのトラウマになる気がする。


「で、で、で、でもよぉ……もう何もかもオシマイなんだよぉ……! ”竜族”が攻めてきたっていうんだろ? ……頼りの”勇者”サマも行方不明だっていうし……」

「いやだから、何度も言ってるけど、その一件は解決したって……」

「い、一度退けたからってなんだってんだよ!? ”竜族”どもは、百度世界を焦土にできるっていうぜ!?」


 まあ、……あのニーズヘグみたいなのが大挙して押し寄せてきたらと思うと、その空想もあながち間違っていないと思われる、が。


「だから、そうはならねぇって」

「なんであんたが……それを保障できるっていうんだッ!」

「そりゃあ……うーんと」


 言葉に詰まる。

 「」と言ったところで、誇大妄想の一種と思われるだけだろう。

 サイモンにはどうも、彼らの置かれている立場が他人事には思えない。

 自分だって、ほんの少しボタンが掛け違えば、と、思う。

 もし、ある日突然、世界が終わると知らされたら。

 果たして自分は、まともでいられるだろうか?


「でもなぁ。どっちにしろこのままじゃあ、お先真っ暗だぜ? 竜にやられるか、”探索者”どもにやられるか。たぶん後者の方が確率はたけーと思うんだけどなぁ」


 言いながら、ずいぶんあの東洋人に毒されているな、と思う。

 というのは、あの男がよくする考え方だ。実を言うとそれは、サイモンのような者にとっては割と、目から鱗の発想であったりする。


「ンなことわかってるけどよぅ。……」


 と、その時だった。

 ずしん、と地上が音を立て、ぱらぱらと剥がれた天井が落ちてきたのは。


「お、……もう来たか」

「ひっ……!」

「どこぞの”探索者”か……運が悪けりゃ、”国民保護隊”だぜ。さっさと考え改めて、俺たちを逃がした方がいいと思うんだがなあ」


 なお、これは半分、ブラフである。

 ただ単純に、ちょっと地震が起こっただけの可能性もあった。そもそも、現在救護活動に傾注している”国民保護隊”の連中が駆けつけてくる可能性は限りなく低い。

 だがそれでも、この若者の心を動かすには十分だった。


「……お、お前等を逃がしたら……保護隊の連中に口をきいてくれるか?」

「構わんぜ? アル・アームズマンとは一緒に昼寝したことだってある関係だ」

「そ、そうか……!」


 どうやら、――なんとか自力で助かることができそうだ。

 駆けつけた者が誰であれ、借りを作るのはうまくない。


 ……と、そう思った次の瞬間である。


 懐から鍵を探っていた青年の身体が塩化を始め、


「――え?」


 あっという間に、一本の塩の柱と変異してしまった。


「おいっ!」


 思わず、声を荒げる。

 やはりルーネのやつ、――何か、奥の手を隠し持っていたか。


「あー、ツマラン。……とんだフニャチン野郎やったのぉ」


 さっきまで元気にベッドの上で暴れていた女と同一人物とは思えない、押し殺したような声だ。


「……今のタイミングで殺す必要、あったか?」

「ま、えーやん。どーせ連中、死罪やろ」

「ううむ……」


 サイモンは苦い顔を作る。


「まあ……やってしまったことをあーだこーだ言うのもな。さっさとここを抜けだそう」

「せやね」


 言いながら、ルーネ・アーキテクトは男のポケットから鍵を取りだして、……。


「――あっ」


 さっと顔色を蒼くした。


「どうした?」

「鍵ごと……塩化させてもーた」


 鍵は砂糖菓子のようにもろく、彼女の手の中でボロボロに崩れ落ちる。


「アホかっ! おまえアホなのか!? さてはおまえ、アホだな!?」

「うっさいなぁ……」

「……オマエのその力で、牢を壊すことは?」

「むりむりー。ウチの術の効果範囲外~♪」

「くそっ」


 ルーネは乳の間に手を突っ込んで、蒸れたところを掻きむしり、


「まあ、ええやん。きっと”探索者”がみんなやっつけてくれるって♪」

「まったく……っ」


 牢の中のベッドに座り直し、頭を抱える。


――まだだ。今じゃない。


 この女の真意を測るのは、まだ早い。

 だがもし、――こいつが、友人の足を引っ張るようなことをするならば。


 その時はきっと、自分の出番になるだろう。

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