第38話 終末因子
遙か太古に一度だけ行われたという”勇者”同士の戦争以来、この世界では基本的に大規模な軍隊を編成することがない。
理由は二つある。
一つは、強力な”マジック・アイテム”の存在がそれだけ希少なものであるということ。
そして、そうした”マジック・アイテム”の使い手は文字通り一騎当千、常人の千倍以上の戦闘力を持つためだ。
その絵面は、――例えるならば、蟻同士の諍いに番犬をけしかけるのに近い。
故に、有事の際であっても派遣される兵の数は最大で6名。最小で3名。
この”6”という数字は、かつて”勇者”が”魔王”討伐に必要とした兵力でもある。このテーブル状の世界において、それ以上の戦力は基本的に過剰とされていた。
兵士たちの役目は可能な限り簡略化されており、大きく分けて三種。
兵站を担う”獣使い”あるいは”奇跡使い”。
斥候を行う”暗殺者”あるいは”射手”。
そして、決戦用の”戦士”あるいは”格闘家”。
”勇者”とその国に忠誠を誓った兵士たちの装備はある程度統一されており、皆、北の高山地帯に棲むという竜族の鱗を加工して作られた鎧を身にまとっている。これは東方の野蛮人どもが使うライフル銃の弾丸すら通さず、なおかつ羽根のように軽いため機動力を損なわない代物だ。実戦ではそれに”奇跡使い”の術による守護効果が上乗せされるため、万が一の事故ということすらなくなる。
この世界における戦闘の展開は極めてシンプルだ。
兵站を担う者が陣地を作り、斥候が敵を発見、決戦用の兵科がこれを撃滅する。それだけである。
訓練学校ではこれを”潜んで、見つけて、倒す”と習う。幼年生でも覚えられる内容だ。だが、たったそれだけでちゃんとこの国の秩序が保たれているのだから馬鹿にはできない。
――この世界では、持たざる者は服従するしかない。
両者の戦闘力は神と人間に等しく、そしてたいてい”神”の側に立つ人間は”不死”であり、それ故に時として、極悪とすら思えるほどに勇猛だ。
アル・アームズマンは、フルフェイスの兜を取り外し、汗に濡れた顔を露出させた。外気が冷たく、心地よい。
――なのになぜ、いつの世もそれを受けいれられぬ者が顕れるのか。
偉丈夫、と呼べないこともないがっしりとした体躯に、平均よりやや低めの背。油でギラついたような目。絵に描いたような怒り眉。への字に結ばれた唇。短く刈り込んだ、芝生のような髪。
島を統べる”鬼”の一族としてはふさわしい容貌である、――が、彼はリカ・アームズマンと直接の血縁はない。いわゆる
対する者を震え上がらせる三白眼で、アルは倒れ伏した男を見下ろしている。
アルの周囲には、ほぼ同じ装備の仲間たちがおり、順番に逆賊を処刑して回っていた。
断末魔の悲鳴が、百年以上も前に利用された“魔王城”攻略のための石砦に反響している。
彼らに同情の余地はない。一人前に独立宣言などして新国家がどうのこうの言っていたところまでなら笑えたが、やっていることは女を攫い、キャラバンを襲って金品の強奪を繰り返し、無用な殺人を行う。――ただの山賊と変わらなかったためだ。
石砦の中は不快な臭気で満ち満ちている。堕落と暴虐に満ちた、かつて神によって世界が洗い流される原因ともなった匂いだ。
「一つ聞きたい」
名も知れぬ、山賊団の頭目と思しき男の前で、アルは訊ねた。
「きみたちは……その、なんだね。想像力というものがないのか? いずれこうなることすら考えつかなかったのか?」
頭目の男は顔を上げ、学のなさそうな呆けた顔で、
「……それは、あんたら金持ちの理屈だ。……おれたち金のないものは、こうしてやっていくしかないこともある」
「ふーん」
ゴム袋から空気が抜けていくように、ふーっと鼻から息を吐く。
「あんただって、本当はわかってるはずだ……この世界はおかしいんだよ。不平等がまかりとおっていて、ねっこから歪んでしまってるんだ」
「それは否定せんよ」
実際、戦闘力・人格において他の”勇者”に決して引けを取らないはずのリカ・アームズマンに与えられた領地が、このちっぽけな島国であることに不満を抱かない国民はいない。
もっともっと土地があれば、――他国のおこぼれに預かって暮らすこともなく、生活を豊かにできたのに。
リカ・アームズマンを代表とする我が国では、五十年前における大飢饉からずっと、人口の増減を国が管理する方向で施政が動いていた。
産まれたばかりの赤子に特殊な術を施し、まず、子を産めなくするのである。
その後、成人し、長い長い順番待ちの末に初めて、術を解かれ、必要な数だけ子作りが許される。
それが結局のところ、もっとも
――だが、な。
歴史をひもといて、このやり方が常に正しかったかと問われれば悩ましい。
人口制限の末、たしかに国は安定している。仮にまたあの大飢饉が起こったとしても、国民から一人も餓死者を出さない程度には国庫に蓄えはある。
しかし、長い長い”順番待ち”の間に起こった様々な事情によって子を産めなくなった家庭も少なくなかった。
アル・アームズマンもその一人である。
彼は、そのことに対して冷徹なほどに感情を動かされてはいなかった。
ほんのひとかけらの劣等感も抱いてはいなかった。
ただ、学者のような知的好奇心を抱いてはいた。
「お、お、お、おれだって、家族はいるんだ! どうしても、家族を喰わしてやらにゃあならなかったんだよ。あんただって、それくらいわかるだろ?」
「しかしきみ、それ、違法に作られた、未認可の子ではないかね」
「なんで! なんでっ、子を産むのに国の許可がいるってんだ! そんなの自然の道理に反するっ、ぜったいおかしいっ」
「自然の道理と立ち向かい、共同体のために尽くしてこそ、真に理性的な人間といえるんじゃないかな?」
「しらん、しらん! 他人のことなんて……! 結局人間は自分だ、自分のことだけが大切なんだ、それをごまかしちゃあいけない、それが真理だ!」
「うーん。わからんでもない。実を言うとぼくも、似たようなことを思うときがある」
「だ……だろ?」
アルは愛用のマジック・アイテム、”雷鳴の剣”を鞘に仕舞って、合図した。
仲間の”射手”が事前に用意していた麻袋を受け取って、
「これ、やる。餞別だ」
「えっ……どうも」
頭目はそれを受け取る。どうやら弁当か何かだと思ったらしい。
「ここにいる者で、君だけを生かすことにする。ぼくたち国民保護隊がいかに凶悪で極悪で、鬼のように強かったかを知る生き証人になってもらいたい。いいね」
「あ、あっ、あ……」
頭目は、地に額をこすりつけた。埃っぽい床が涙で濡れている。
「ありがてえ…………ありがてえ……………」
「感謝されるいわれはないよ」
言って、彼に背を向けた。
渡した麻袋の中には、彼の母と、妻と、息子の首が入っている。
戦闘が始まる前、事前に逃げだそうとしていた逆徒の家族である。
ちなみにアルの隊の斥候は、たった一人で一万人分の働きをする男であった。
「達者でな」
アルは一言も嘘は言わなかった。
ただ、男が走り去っていくところを、ぼんやりと眺めている。
――他人の家族を殺す者は、自分の家族を失っても前向きに生きられるのだろうか?
そんな風に。
水槽の中の魚を眺めるような気分で。
「それにしても、――逃がしても良かったのですか?」
部下の一人が声をかける。
「良い」
「しかし、禍根は完全に断つべきでは。もしまた奴が仲間を集めて、徒党を組むことがあっては……」
「むしろ都合が良いじゃないか。向こうではぐれ者をあぶり出してくれるんだから。……そういうのがたくさん死ねば、この島には良い遺伝子を持ったものだけが遺っていくだろう?」
「なるほど……」
とはいえ、アル・アームズマンの考えた通りにはいかなかった。
それから間もなくして、山賊団の頭目の死体が発見されたためだ。
彼の死体は、自らの手で両目を潰した悲惨な様相で、首を括っていた。
▼
「……お久しぶりです、アルバート先輩」
鎧のまま屋敷に戻ると、早々に声が掛かった。
見ると、懐かしい顔だ。
「ソフィア・ミラーか」
「私、とうの昔に家名は捨てましたワ。いまはただのソフィアです」
「では、私もアルバートという名は捨てた。今はアルだ」
アームズマン家の者の名は、基本的に二文字で構成されている。
偉大なるリカ曰く、「その方が戦闘時、呼びやすいから」とのこと。
「あれからたった二年とは思えんな。元気にやってるそうじゃないか」
「ええ。お陰様で仲間にも恵まれまして。”
昔と変わらないお嬢様しゃべりに、思わずアルは顔をほころばせる。
ソフィアは、いくつかの希少な”マジック・アイテム”を所有する名家の生まれでありながら、自ら望んで”探索者”となった変わり者だ。
国民保護隊と探索者は時に連携して任務に当たることもあるため、同じ学校で技術を学ぶ時期がある。彼女と知り合ったのはその折であった。
「どうした? みたところ”迷宮”帰りといったところだが」
「本日は、少しばかりお話したいことがありまして」
「何かね」
「……できれば、リカに直接お会いしたいのですが」
「義父に? それは難しいな。……あの人はほら、……我々にも居場所が定かでないから」
「でも、非常用の連絡先くらいあるのでは?」
アルは表情を変えないまま、ぽりぽりと頭皮を掻く。
訓練学校時代から、彼女は愚かな発言を好むたちではない。
「どうやら、穏やかな話じゃないようだな。何ごとか?」
「それが……」
そこでソフィアは、少し考え込んで。
「あるいは、”終末因子”になり得る相手と、接触した可能性が……」
「ほう?」
”終末因子”というのは、ここ数年で熱病のように流行っている言い回しだ。
どうにも、この世界の終わりを望むけしからん連中がいるらしい。そうした連中を、”終末因子”と呼ぶそうだ。
この世界から不幸がなくならないのも、そもそも”魔族”を生み出したのも、その”終末因子”とやらが関係している、とかどうとか。
てっきり、夜寝ない子供に言って聞かせる脅し文句の一種だと思っていた、が……。
「何かの冗談ではないよな?」
「はい」
「では、義父に知らせる前に、ぼくにも教えてもらいたい」
「それは……その、にわかには信じがたい話なので」
「おいおい」
アルは笑う。
「同じ釜で飯を食った仲だろ。そこいらの頭の固い役人と一緒にされては困る。……まあ、君にぞっこんの義弟殿ほどではないが」
「……いいでしょう。お教えします。前回、”迷宮”に向かった時のことなのですが……」
その時、奇妙なことが起こった。
ソフィアの顔が、一瞬呆けたかのようにぼんやりしたかと思うと、――。
「……えっ。あれ? ……おかしい、です、ワ」
と、困惑したように頭を抱えた。
「私、何のためにここに……あれ? あれ?」
「しっかりしろ。”終末因子”がどうした?」
「しゅうまつ……? なんです、それ」
――これは……。
アルには、その様子に見覚えがあった。
記憶を改ざんする術。”時空系”に属するとされる、ほとんど幻の魔法だ。
周囲を見回す。怪しいところはない。だが、
――何者かに、……攻撃を受けている!?
アルは素早くソフィアの肩を抱き、
「しっかりするんだ、ソフィー。落ち着いて思い出せ。なんでもいい」
「あれ? あれ? あれ? ……わ、わたくし……」
どこかソフィアは、夢を見ているよう。
明らかに異常な何かが起こっていることは間違いない。
彼女は、ウスボンヤリとしていく夢の中で何かをつかみ取ろうとするかのように眉をひそめた。
そしてようやく、言葉を絞り出す。
「せ、せ、せいぎ……の……?」
「せいぎ? 正義の?」
「せいぎのまほうつかい……」
ソフィアから聞き取れたのは、そこまでだった。
かつての同胞は、
「ごめんなさい。私、ちょっと疲れてるみたい。今日のところはお暇します……」
それだけ言って、蒼い顔のまま足早に部屋を去ってしまう。
――正義の魔法使い、だと?
一人残されたアルは、もう一度その言葉を反芻し、苦い顔を作った。
何者かはわからない。
だが、危険な異分子がこの国の影に潜んでいることは間違いなかった。
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