第19話 二人旅の始まり
「――治れ」
”彼の者”、――坂本京太郎が、上等な着物が汚れるのも構わず片膝つき、姉の傷を癒やしている。
その様を、シムはほとんど他人事のように眺めていた。
――勝った。ねえさんに。ぼくは勝ったんだ……。
怪我は一瞬にして跡形もなく消え去ったが、彼女はしばらく身動きをとらず、ただ洞窟の天井を眺めて、ぼんやりしている。
シムは小刀を、彼女の傍らへぞんざいに投げた。
――これで今日から、この村ともお別れか。
本当はこうなってほしくなかった。保険をかけておきたかった。
何もかもダメだった時に、戻ってこれる場所がほしかった。
実の姉は、そういう甘えた考えを許さなかった、の、かも。
――いや、無いか。……姉さんはいつも、群れのことしか考えなかった。
父が死んでしばらくして、母も寝たきりになった時も。
シムの吃音癖が、みんなに馬鹿にされていた時も。
今回もきっとそうに違いない。
本人がそうじゃないと言い張っても、いまさら信じるものか。
『き、き、京太郎さまっ。もう、行きましょう』
”彼の者”に声をかける。
さっぱりとした不思議な匂いを放つその男は、少し哀しげにシムを見上げた。
「しかし……いいのかい」
『い、いいんです。ぼくはこの人に勝った。だから、好きにして良い権利があるんです』
「ふぅむ……」
京太郎は少し考え込んで、
「しかし、こんな風に喧嘩別れみたいなのは感心しないな。君はこれから正式に私の仲間になるのだから、故郷に泥を被せたまま、というのも気分が悪いし」
ふいに彼の口から”仲間”という言葉が出たことで、シムの心は躍り上がった。
この人に惹かれたのは何も、無敵の力を持っているから、だけではない。
『では、少し姉と話してみます』
シムは事務的に実姉の傍らに立ち、彼女を助け起こした。
『ん。……ありがと』
そして、気まずい沈黙。
無理もない。二人はそもそも、しょっちゅうおしゃべりするような間柄でもなかったのだ。
それでも、何かしゃべらなければならないと思い、
『なんで、――し、しきたりなんか持ち出したの?』
率直に訊ねた。
『む、む、村のしきたりなんて、父さんが酔った勢いで作ったようなもので、あってないようなものだったじゃない』
実を言うと、その理由はうすうすわかっている。
この人は……自分をダシに使おうとしたのだ。
案内役の自分を引き留めれば、”彼の者”の足も止められるであろう、と。
だが、残念。
”彼の者”はきっと、自分の案内などなくとも、自力で魔女の住処を見つけただろうし、火竜の巣に向かうことだってできただろう。
この戦いは元々、無意味な行為だったのだ。
もちろん、――シム個人にとっては重大な意味を持ってはいた、が。
答えを期待したわけではなかった。
『さあてね』
リムも、肩をすくめて真実は語らなかった。
『でもアンタ、いつの間にか火が平気になってたのには驚いたよ』
『……ひ、ひ、火が怖かったのなんて、……もっともっと子供のころだよ』
『今だってガキじゃないか』
失礼な。
シムはアーモンド型の眼を細くして、
『も、も、もう、十四だ。大人だよ』
『そうだね。……そろそろアンタには、嫁の世話してやんなきゃって思ってたところだ』
『へ、へえ? ……ふうん。……ち、……ちなみに、誰?』
『フリンとこの次女』
『アーリ?』
『そう』
ぐぬぬ、と、ちょっとだけ後悔が生まれた。
アーリは知的で読書家で、”ウェアウルフ”の中ではもっとも話の合う娘であったためだ。
このまま村に残れば、――アーリと子供を作ることになるわけで。
脳裏に、幼なじみのあられもない姿を思い浮かべて、首を激しく左右に振る。
『後悔してる?』
京太郎の手前、シムは慌てて言った。
『で、で、で、でも、いいんだ。ぼ、ぼくはいま、子供を作るより他に、やりたいことがある。ぼ、ぼ、ぼくにしかできない……誰かの助けになる、……そんなことを、したい』
『そうかね』
ふーっ、と、リムは長いため息を吐く。
シムは、誇りを持って男の決意を口にしたつもりだった。
それを口にした以上は、何らかの結果を残すつもりである、と。
だが姉は、弟の望むようなことは何一つ口にせず、
『じゃあ、行きな。しょんべんたれ。もう二度と帰ってくるんじゃないよ』
そう言った。
シムが内心、落胆しなかったわけではない。
だが彼女が、いちいち相手の望むようなことを口にするような人狼ではないこともわかりきっていた。
背を向ける。
もうこれで十分。“彼の者”だって完璧な仲直りなど望んでいないはずだ。そもそも二人は、そういう仲でもなかったわけだし。
京太郎は、そんな二人をしばらく眺めた後、少しだけ首の後ろ辺りを掻いて、村の出入り口に向かう。シムもそんな彼に付き従った。
途中、少しだけ村の方を見る。
それまで気付かなかったが、村人たちが野次馬として集まっている。
物心ついた頃からずっと住んできた村だ。知らない顔はない。
仲の良い奴も、悪い奴もいる。
万感の思いがないわけではない。
『き、京太郎様、ひとつ、お願いしてもいいでしょうか』
姉に聞こえないよう、彼の耳元でそっと囁く。
「なんだい」
『ぼ、ぼ、ぼく、この村のこと、ずっと好きじゃなかったんです。弱い者イジメがまかり通ってるし、恋愛する自由だってない。……び、病気の人だって、時と場合によっては見捨てられるような、そんな村でした』
「そうか」
『でも、今ちょっとだけ、げ、元気がなくなってるんです。そ、そ、それが不思議で』
「わかるよ。私も前の仕事辞めるとき似たような感じだった」
『あ、あ、あのぅ……京太郎様の故郷ではなじみがないかも知れませんが……我々はこういう時、”魂を賭ける”と言うんですけど……』
「ん」
『ええと、魂を差し上げる分、こちらの言い分を聞いて下さいっていう……そういうやつなんですけど……』
「……”一生のお願い”の別の言い回しってことかな」
『あ、そうです。たぶんそれです。……その……いま、”魂を賭け”てもいいでしょうか』
「内容に寄るなあ」
『き、恐縮なの、ですが。……少しだけでいいんです。京太郎様、ぼ、ぼ、ぼくを、少しだけ、元気づけてもらっても、いいですか?』
少し子供じみているだろうか? シムは自問する。
でも、いいんだ。この人は自分のことを”仲間”と言ったのだから。
仲間であれば、こういう時くらい弱いところを見せてもいいはずだ。
そういう時に支え合うのが、仲間というもののはずだ。
それは、シムの不安のあらわれだった。
半ば無意識的に、坂本京太郎という男を秤にかけたのだろう。
「ふむ。……元気づける、か」
京太郎はしばらく考えた後、
「それじゃ、一つ、良いものを出して上げよう」
『え?』
そして彼は、例の革張りの本を取りだす。
シムは慌てた。
耳の付け根の気持ちいいところをこしこし撫でてくれるとか、首回りをふかふかするとか、その程度で良かったのに。
『ぼぼぼ、ぼくのワガママで、そこまでしていただかなくても』
「安心しろ、大したことじゃない」
そして京太郎は、シムがそれまで見たこともない、不思議な形の文字を本に書き込んでいく。
「これで、――よしっと」
その、次の瞬間だった。
京太郎たちの周囲が、眼にも目映い光に包まれたかと思うと、
『GIEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!』
天に轟く、巨大な生き物の鳴き声が辺りに響き渡った。
今ここで、何か新しい生き物が産み出されたらしい。
それは、一匹の巨大な蛇のように見えるものだった。
だが、断じて蛇ではない。まず、蛇に四本の足は生えていないはずだし、髭を蓄えているはずもない。空を飛ぶはずもないし、何より、その理知的な眼は、明らかに知性あるものの――。
シムは息を呑む。
自分のちょっとしたワガママで、想像を絶する事態になった、と思った。
『GUUUUUUUUURRRRR…………』
『う、わあ……すごい……』
だが、口から漏れ出るのは感嘆のため息のみ。
何よりシムは、――このように美しい生き物を見たことがない。
鱗はきらきらと蒼白く輝き、頭部からは雷鳴の閃きにも似た角が二本。手足は四つでそれぞれ鷹を思わせる鋭い爪があり、そのうち左手に当たる部位に金色に輝く宝玉を握っている。
宝玉は周囲を照らす役割を果たすらしく、薄暗かった村の周辺が、やにわに明るく照らされた。
その奇妙な生き物は、まるで虚空の中に足場を見いだしているかのように、洞窟の上空を自由に這い回っている。
「私の故郷で、――”龍”と呼ばれる生き物だ」
『リュウ?』
「ああ。今後は、彼をこの階層の守護者とするようにしよう。これで”火竜”とやらがマズい状態だったとしても、しばらく村が”人族”に襲われることもないと思う」
『…………な、なるほど』
「心配だったんだろう?」
京太郎は、明るくそういった。
『え』
「ここに残していく仲間たちが、さ。これで後顧に憂いなしってとこだな」
『で、でもその……』
その先は何も思いつかなかった。
この人の行動が的を射ているのか、それともまったく見当外れなのか。
自分の中でも答えを見つけられていない。
実を言うと、もうちょっと個人的なプレゼントを期待していた、というのが正直なところで……。
それでも、――不思議と、シムの気持ちは軽くなっていた。
ひょっとすると少年は、”彼の者”が自分のために何かしてくれる人だということを確認したかっただけなのかもしれなかった。
振り返って村を見ると、皆、驚愕の表情で龍を眺めている。
仲の良かったやつも。
仲の悪かったやつも。
そして、――リムも。
『――あ、ありがとうございます。京太郎さま』
「さまはいいって」
『そういう訳には』
坂本京太郎は、首に巻いている不思議なヒモをきゅっと締め、金色の留め金の位置を直し、不思議な匂いのする丸薬を口に含んだ。
シムは彼を見習い、子供の頃から着慣れている革のチョッキについた血と埃を少し払う。
そうして、二人旅が始まった。
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