第102話 鉄の手袋

「開始の合図は?」

「ご自由に」


 ……などとリカ・アームズマンの手前、いちおう根性を見せてはいるものの、その時の京太郎には明確な勝算などはなかった。

 ただ、自分の直感と機転を信じるしかない。そう思っている。


「じゃあじゃあ! わたしがハジメっていうよ!」


 恐らくはこの街でもっとも危機的状況下にある両者の間に、ヘイレーンがとことことこっと歩み出た。


「ハジメ!」


 そして、再びとことことこっと歩いて、近くにあるお花畑に囲まれた子供用ベンチに、ぽすんと座る。

 シムとリカは、彼女がちゃんと安全なところまで離れたことを見届けてから、身構えた。


 作戦会議は必要ない。互いの役目は明白だ。


――シムが時間を稼ぐ。私は状況を打開するルールを書き込む。


 問題は、シムがどれくらい保つか。

 前回のカーク・ヴィクトリアとの戦いを受けて、京太郎は追加でルールを書き込んでいた。


【管理情報:その17

 管理者が『新規ルール作成』と唱えた時、『ルールブック』は管理者の前まで移動し、ページが開かれた状態で固定される。開かれるページは管理者が思い描いているルールによって最も適した項目が自動的に検出される。】


 これである。

 少し地味だが、急いで文字を書き込まなければならない時など、このルールはとてつもなく有用だ。一秒を争う状況で、本を膝の上に載っけて指定のページを探して……みたいなワチャワチャを演ずる訳にはいかない。


「ハジメっていったよ~。いつでもどうぞ~」


 お互い、見合った状態のままでいるせいか、ヘイレーンが焦れたように言った。

 先に動いたのは、彼女を退屈させる訳にはいかないリカ・アームズマンである。


 当然、――狙うのは後衛に立つ京太郎だった。

 だが、


「お、お、っとぉ!?」


 前に出かけた彼の足下を、燃えさかる火焔が焼き払う。

 見ると、シムの”魂運びの指輪”から、一匹の火竜が顕現していた。


「ま、……まさか、フェルニゲシュか!?」

『――いかにも』


 火竜は元のスケールから考えると子供向け番組に登場するマスコットのような姿で、シムの周囲を漂っている。


「オ主、なんでそんな可愛い姿になっとるの……?」

『――義理あって、この”管理者”に手を貸している』

「……ふむ。本物の”管理者”である可能性に、……またプラス加点じゃの」

『――己れの顔を見ても、まだ確信に至らぬか』

「ぶっちゃけ竜の顔ってみんな一緒に見えるしのぉー」


 彼が疑心に囚われるのも無理はなかった。

 ここ数十年、リカをうまいこと操って王権復古の足がかりとしようとした”王族”の某、といった連中が、山ほどの自称”管理者”だの異世界転移者だのを差し向けているためだ。


『――頑迷な奴め…………。いくぞ、シム!』

『は、はい!』


 また、リカの様子から、この時点でほぼほぼ確定した事実がある。


――火竜フェルニゲシュを殺傷したのは、やはりリカ・アームズマンではなかった。


「がんばれー! おじーちゃん!」


 ヘイレーンの言葉に後押しされたこともあってか、リカはかなり大胆な手を使った。

 特になんの策もなく、普通に突撃してきたのである。

 しかし、ただの特攻とはいえ”勇者”が相手だ。京太郎レベルの常人の目にはもはや、その姿を追いかけることすらできない。

 とはいえ、京太郎にはそれで良かった。彼の仕事は、華麗な剣術や無敵の力で相手を叩きのめすことではない。

 そういうのは、――


『京太郎さまに手を出すのは。ぼ、……ぼくを倒してからでお願いします、”勇者”さま』


 信頼できる友人がしてくれる。

 槍を構えたシムは、今度こそ老人の手刀を受け止めていた。


「ふ、む……こしゃくな、《念動力》か!」


 火竜の目が金色に輝き、リカの動きを遮っているらしい。

 シムは、槍の柄を当ててリカの横っ面を引っぱたき、


『今、です!』


 槍先から幾百もの光の矢を放った。

 【敵を追尾して気絶させる雷撃】と『ルールブック』に書かれたはずのそれは、すべてリカに着弾した、が……。


「…………………なかなか、やる。面白いぞ」


 リカはびくともしていないらしい。

 彼の周囲には今、白色のオーラが生み出されており、それが雷撃の効果を打ち消しているようだ。


「ライカ、様々じゃのォ……こんど、上等の葡萄酒でも贈ってやるか」


 老人がそう言っている間に、シムは”そらとぶマント”で大空に飛び立っている。


「ん? あやつ、どこに……」


 リカが左右を見ている間に、彼の頭頂部にオレンジ色の軌跡が突き刺さった。

 ごう、と焔が閃き、”槍”が輝く。

 ”シムの槍”そのものに殺傷力がないが、どうやらフェルニゲシュが《火系魔法》で強化しているようだ。


「お、ご…………!」


 さしもの”勇者”も、今のは多少、堪えたらしい。

 だが、


『――しまッ!』


 戦闘者としての本能がそうしたのだろうか。

 完全なる死角からの一撃だったにもかかわらず、リカはほとんど脊髄による反射だけで”シムの槍”を掴みとっていた。

 火焔をまとった”槍”が、強烈に白い煙を発する。ものすごい音を立てて肉が焼けているのがわかった。だが、リカはこれっぽっちも気にした風もない。


『は、離せ!』

『馬鹿者! ――シムッ! 離すのはお前だ……!』


 シムの悲鳴に、フェルニゲシュの怒号が飛ぶ。


 勝負を分けたのは、――哀しいかな、その瞬間にした若き”人狼”の判断であった。

 彼は槍を手放して距離を取るべきだったのだ。

 だが、京太郎に授けられた”槍”への未練からか、すぐそれを手放すことができなかったのである。


 気付けば、”鉄腕の勇者”の右手に、鈍い鉄色が生み出されていた。

 火竜が叫ぶ。


『何をッ? 殺すつもりか! ――リカッ!』


 そこに生み出されていたのは、――遙か大昔に与えられた”勇者の装備”。

 ”鉄腕の勇者”の由来ともなった、ガントレットである。

 殴ったものに破壊をもたらすというその籠手の名は、


――鉄の手袋ヤールングレイブル


 京太郎があとあとWIKIで調べたところによると、元ネタは雷神トールが使っていた最強のハンマー、ミョルニルとワンセットに使われるべき神具の一種らしい。

 不思議なことにこの世界では、全てを破壊することで有名なハンマーの方は存在せず、その籠手のみが”勇者”の武器として扱われているようだ。

 それを最初に生み出した、未だ名も知らぬ”GG”番号の”管理者”の意図はともかくとして、――。


 あらゆる生命の死を予感させる衝撃音が、当たりに響いた。


 風を裂く音とともにシムは、弾丸の如く斜め上の方角に吹き飛んでいって、――近場にあった尖塔を派手にぶち壊しながら、退場していく。


 当たりの小鳥が悲鳴とともに羽ばたき、庭園が騒々しくなる。

 やがてその場から、リカ、京太郎、そして傍観者のヘイレーンを除く一切の生き物の気配が消えて、――


「さて、暫定”管理者”よ。勝負は決まったか?」


 リカは呟いた。


「ああ。……決まりました」


 京太郎はそう言って、パタンと『ルールブック』を閉じる。


「いや、――どうも。むずかしい漢字をスマホで調べている余裕もありましたよ」

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