第118話 泣き虫の娼婦
――今朝からずっと、繁華街を行ったり来たりしている気がするな。
そう思いながら、いまやそれほど淫靡とは思えなくなっている街並みを進む。
こんな時だが、……正直、ちょっとだけエロいことしたいような気持ちになっていた。
死を覚悟するような出来事が続いた所為だろうか? それを心がヘンテコに解釈したのかもしれない。
あたりに寝転がっている娼婦たちを見かけて、かぶりを振る。とある”マジック・アイテム”により自分の容姿を自在に操るという彼らは皆、美男美女ばかり。なんだかこの辺だけ、アニメの中の世界みたいだった。
――なんなら、この中から特におっぱいの大きい娘を選んで、助けてやってみるというのはどうか。
そして何もかも投げ出して、彼女だけのヒーローになって、どこか遠くの山奥で慎ましくも幸せな隠居生活を楽しんでみたりする、とか。
――実際、そういう人生もありかもしれない。
嘆息する。
だが、きっと自分はそうしないだろう。
ふと、思った。
もし自分が、護るべきたった一人の大切な人を見つけたとして、それ以外の百万の命を優先できるだろうか。
――私ならきっと、できるだろう。
不思議とそういう自信があった。
自分のそういうところが、――かつて付き合っていた彼女と別れた理由。
自分は無情な人間なのだろうか?
だがそれこそが、この世界を救うのに必要な素養なのかもしれない。
未だに探し続けている疑問。
何故自分なのか。
何故自分がソロモンに選ばれたのか。
答えは見当も付かない。
▼
……などと益体もないことをぼんやり考え込んでいるうちに、”ジテンシャ”は例の娼館に辿り着く。
館の前には、アンドレイさんのところの娼婦……の中でも一番容姿の整った、テレビ番組にアイドルとして出演していてもおかしくないレベルの娘が座っていた。
その他の例に漏れず、彼女は哀しげな顔で、目からは大粒の涙が零れ……それを両の手でぐしぐし拭いながら、自身の足で立っている。
――ん?
彼女の様子が、他のグラブダブドリップの住人と一線を画している事実にはすぐに気付いた。
立っている。歩いている。
それだけでちょっとした異常事態であった。何せウェパルは、この街の住人に、まともではいられなくなるよう『ルールブック』に書き込んだのだから。
つまり彼女はいま、この世界の
「ううっ……うっ、うっうっうっ。お、お疲れ様ですぅ、京太郎さん……」
長い髪を簡単に縛っただけのその東洋系の娘は、酔っ払いのようにろれつの回らない口調で話しかけてきた。
これもまた、尋常の出来事ではない。いまの京太郎は”ジテンシャ”による”気配を消す”ルールの加護を受けているはずだからだ。
京太郎は何も言わずに”ジテンシャ”を降りる。
すると娘は、雨の中、放置された捨て犬のように甘えてきた。さすがプロ、というか。パーソナルスペースへの侵入がさりげない。
「ふぇぇ……よかったです……アンドレイさんの言うとおりだった」
「……アンドレイさん?」
「はいぃ~……えぐっ、ひくっ……」
「……キツいようなら、無理に話さなくていいよ」
「い、いいんですぅ~。私のこれは……生まれつきだから……」
「生まれつき?」
「わ、わたし、昔から泣き虫なんです。……いま、みんなが酷い目に遭ってるから、哀しくって……」
京太郎は眉を段違いにする。
「つまり君、……そんなふうに泣いてるのは元からの性格ってこと?」
「はいぃ~」
「ってことは、この街を襲っている影響とは……」
「もう、とっくに回復してますぅ」
「……。どうやって?」
「それは、……アンドレイさんが、不思議なおくすりをくれて。――なんでも昔、”勇者”さまから受け取ったものだって」
京太郎は眉間を押させて、ここにも”A級”以上の”マジック・アイテム”持ちがいたという事実だけを認識しておく。
もちろん、それだけで納得できないことはある。
だが今は後回しにすべきだった。
「――それより、ステラは?」
「いま、アンドレイさんが診てるとこですぅ。……あんまり騒ぐと良くないって言われたから、……ここで待ってもらうように、って」
「いや、いい。ステラは私が救う」
京太郎は彼女を押しのけて、娼館の扉を開く。
すると、
「あ、あのぉ! ちょっと!」
娘が、小さな手でぎゅっと京太郎の手を取った。
「……なんだ。私は急いでいるんだが」
「ちょ、ちょっと待って、いただけませんかぁ? ほんとに一分だけ……」
眉をしかめる。
「すごく個人的なことなんですけどその……、全部終わったらでいいので、……二人っきりで話せませんか?」
「なに?」
「あなたって、ニホン人、です、よね?」
「……まあ」
「やっぱり! そうだと思ってた! ……私もそうなんです。それでその、どうしてもお話したくて」
「ああ……」
ようやく理解する。この時間が果てしなく無意味だと言うことに。
「わ、私、
「へえ」
「……あとその……これ、連絡先……」
無理矢理手に握らされたカードには、郵便局にある私書箱の番号らしきものが書かれている。
「ああ、――わかった。状況が落ち着いたら、また」
言いながら、きっと彼女と再び話すのは難しいだろうな、と思っていた。
恐らくこの街はこの後、――跡形もなく破壊されてしまうだろうから。
「じゃ、さよなら」
「ちょっとまって!」
悲鳴のような声で、泣き顔の美人に呼び止められる。
そして、唇と頬の境界の辺りに、甘い、ミルクの匂いが香る口づけがあった。
「……は?」
「好きっ!」
そういうと彼女は、自分の言葉に驚いたようにぱっと頬を染め、背を向けて去って行ってしまう。
京太郎は、三秒間ほど眉をひそめて、彼女が去った後を見ていた。
――え? なんかどっかでフラグ立った描写あった?
アニメの重要な回を一話飛ばした気分である。
とはいえ、今の出来事について、あれこれ考えている暇はなかった。
――まあ、こんな状況だ。こういう混沌としたことも起こる、か。
そして彼は、足早にステラが待っているはずの場所へ急ぐ。
『うっがあああああああああああああああああああああああああああああああッ!』
”魔族”の言葉で、熊が吠えるような声が聞こえたのはその時である。
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