第170話 散策 その2

 京太郎とシムは”迷宮都市”に点在する、緑豊かな庭園をゆったりと歩く。

 平和だった。少なくとも今、この瞬間は。

 視線の先では、ややこしい話題に入っていくのを諦めたステラが、数匹の子犬と戯れている。


「一つ、――今日中に一つ、対処を決めておきたい案件があるんだ」

『なんです?』

「街から逃げ出した囚人がいたらしい。そいつをどうにかしたい」


 京太郎が、あまりにもあっさりとそう言い出したものだから、シムは少しだけ目を剥く。


『囚人、というと……』

「話によると、かなり危険な存在らしいんだ」


 それだけでシムは、万事了解した、とばかりに、


『”千人殺し”のメアリ、ですね?』

「うん」


 そこでシムは、ちょっとだけ自身の左手薬指に嵌まっている指輪を見た。


『彼女に関しては、ニーズヘグさんから話を聞いています。なんでも昨日の……京太郎さまのご同僚ですら、手を出すのをためらった相手、だとか』

「マジか。……あのウェパルが」

『ええ。「メアリにだけは手出しするな」って。……今思えば、ニーズヘグさんとの決戦を”世界樹”周辺で行ったのは早計だったかもしれません。まさかあの辺りに、そんな危険な囚人が捕まっていたなんて』

「それは気にしなくて良いさ。あの状況だと、ああする他になかった」


 そして、京太郎は天を仰ぐ。


『その件ですが、――どうでしょう。”リュウ”に一任する、というのは?』

「”リュウ”……侍龍か」

『はい。名前、つけられたんですね』

「ああ」


 言いながら、京太郎はちょっと恥ずかしい気持ちになっている。

 後になってインターネットで検索したら、とある青銅聖闘士ブロンズセイントと名前が被り気味なことを発見したためだ。


『侍龍さん、実を言うと昨晩、ちょっとだけお会いしたんです』

「会った? ニーズヘグとの戦いの傷は?」

『もう良くなった、と言ってましたよ』

? へえ、――侍龍ってしゃべれるのか」

『え? 京太郎さまがそういう風にお造りになられたのでは?』

「いや……どうだかな」


 一応、『ルールブック』を参照。


【名称:龍

 番号:SK-6

 説明:管理者の味方となってくれる無敵の神獣。

 私の故郷、日本で語られる”龍”と同じ形を取る。

 空中を自在に浮遊し、竜巻を引き起こし、その手の宝玉に照らされたモノの邪心を一瞬にして消し飛ばす。

 この神獣は管理者が望んだ場所、望んだ空間にいつでもどこでも出現する。

 補遺:彼の者の名は、侍のごとき勇ましさと忠誠心でもって”侍龍しりゅう”とする。】


 ”龍”は、京太郎にとっての最終兵器だ。

 万が一、本を奪われ、仲間から孤立するようなことになったとしても、このルールさえあれば危機を脱することができる。

 彼という最大の戦力が常に手元にあるからこそ、徒に戦力の増強を考えずに済んでいるのだ。


「……うーん、やはり、しゃべれる、とは書いてないな。自律的に指示を守ってくれるよう、そこそこ知性がある感じで書いたつもりだけど」


 思えば、この『ルールブック』という道具について京太郎は、まだほとんど何も知らないと言って良いのかもしれない。


『です、か。――まあ何にせよ侍龍さん、とっても暇そうにしてたので。何か指示を与えるのが正解ではないでしょうか』

「しかしそうなると、”亜人”の村の守りがなくなるが」

『それはどちらにせよ、しばらく必要ない、かと。いまの”人族”に”亜人”を襲う余力があるとは思えませんし。むしろ彼が睨みをきかせることで、”人族”との信用にヒビが入る恐れも』

「武力を示して、抑止力とする手もなくはない」

『もし、そういうことが必要になった場合は、”魔女”さまを通じて我々に連絡がくる、かと』

「ふむ」


 京太郎は一瞬、もう一匹”龍”を出すべきか迷う。どうせ大した手間じゃない。

 だが結局、すぐに思い直した。無敵の軍団を作って”人族”を恫喝するような真似をなるべくしないと決めたのは、わりと初期の頃だ。


「ただ、人殺しを命じておいて、現場に立ち会わないというのもなあ」

『そのお考えは立派ですが、――さすがに少し、真面目すぎるのでは』

「そうかねえ」


 京太郎は空に浮かぶ発光体を見上げ、目を細めて……、


「でもまだ、私は一応、――メアリ側の言い分も聞いた方がいい気がしているんだ」

『それは……危険です。あの女は、京太郎さまの”無敵”ルールに護られた人間を殺していますから』

「私も同じ目に遭わされる可能性がある、と」

『はい……』


 眉間を少し揉む。

 あとは一言、「じゃ、よろしく頼む」という段階に来て初めて、迷いが生まれていた。

 引っかかっているのは、ただ一点。

 アル・アームズマンの言っていた、


――、周囲に死病をまき散らす。


 ここである。

 今求めているのは、例のメアリとかいう女が、命を奪うに値する外道であるという絶対的な保障であった。


――やれやれ。物語のようにはいかないな。


 これが漫画や小説の世界ならわかりやすい。

 例えば、ここで展開をメアリの視点に変えるか何かして、――彼女が、血も涙もない悪党であることを証明すれば良いのだ。さすれば、多少主人公のやっていることが独断と偏見に満ちた私刑行為であっても許されるだろう。

 

 だが、現実として起こる悪事の大半は、不慮の事故、という可能性が常にある。

 そして、悲劇の末に起こった事件を裁く権利は、――少なくとも自分にはない、というのが、坂本京太郎の正直な考えだった。


「なあ、シム」

『なんです?』

「正直、君はどう思う? メアリを殺してしまうべきだと思うかい?」

『それは……』


 シムは、少し煮え切らない口調で、


『キィさんには、ぼくもお世話になりましたし、彼女の仇を取るべきだという気持ちはあります』

「そうか」

『ただ正直に申し上げますと、……あんまり、ぼくたちの目的外の事件には関わり合いにならないほうが賢明かと思われます』

「そうかな」

『ええ。……そうでなくったってぼくらには敵が多いんですから。……わざわざ、危険な魔法使いと敵対する暇は……。ぼくたちってほら、いちおう世界の命運握ってる立場ですし』

「ふーむ」

『そもそも、彼女が人間と敵対しているのは、人間側に問題があったためだと聞きます。であれば、彼らの問題は、彼らの手で解決すべきかと』

「むむむ……」


 厄介な。

 京太郎は、倫理と道徳の間で揺れている。

 

『京太郎さま?』

「…………うん。とはいえやはり、メアリを放置しておく訳にはいかん。だが、彼女のことはもう少し情報を集めてから対処するようにしよう。……侍龍には、そのための新たな力を与えることにする」


 するとシムは、長年連れ添った老執事のように微笑んで、


『それは、賢明な判断です』

 

 と、頷いた。

 そして京太郎は、わんこ数匹に対して武力マウントを取るステラを呼び戻す。

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