第143話 生命の樹と金のリンゴ
サイモンに導かれ、”魔導施設”内部を進む。
後ろに続くルーネは、この施設の責任者であるにも関わらず、道案内にはまったく不適格だった。
「せやかてウチ、ふだんあちこち歩き回らんしぃ。めんどーなことは全部英霊任せにしとったからにゃあ」
とのこと。
――まあ、そんだけ重そうなスイカ二つも抱えてりゃあ、歩くのも億劫になるかね。
「あーっ。きょーちゃん、いまエッチな目で見てきたぁーっ」
いつの間にかすっかり懐いているその娘は、年の離れた妹のように京太郎の袖を離さない。
この娘、――どうやら、人の親切につけ込むのが得意なタイプらしい。
あるいは厄介な拾いものをしたかもしれなかった。
「旦那、――その女、拾うんですかい?」
「拾うって?」
「面倒を見てやるってことですよ。いいんですかい。いったん拾ったからにゃあ、ちゃんと最期まで面倒見ないことには……」
まるで捨て犬を飼うみたいな言い方だな。
「ここだけの話、――こーいうの一匹手元に置くより、行きつけの娼館みっけたほうがよっぽどリーズナブルですぜ」
「やめてくれ。そういうんじゃない」
潔癖を気取るわけではない。
とはいえ、京太郎なりに理想とする人付き合いというものがある。
そこにただれた性生活のようなものはあまり含まれていなかった。
「仕事を見つけてやるだけだ」
「いちんち、十六時間寝れる仕事、やで?」
「寝る時間、増えてないか?」
ルーネは応えず、くすくすと笑うだけだ。
どうやら断固としてそこを譲るつもりはないらしい。
「そんな仕事、あるもんかねぇ。――なんなら”夢小説家”にでもなったらどうだい?」
「んむ。まあ、それも一時は考えたことあるんやけども」
「……マジか。あるのかよ」
「でも、ウチの個人的で楽しい夢を、わざわざ人に見せるっちゅぅのがどうも好かんくてなぁ」
そこで一行は、施設内部、恐らくはあの大樹のちょうど真下あたりにあると思われる空間に出た。
同時に、これまでずっとBGM的に聞こえていた牛の鳴き声がいっそう大きくなる。
予想通りというか、例のブゥウウウウンと『モーモーモーモー』は、ここから聞こえていたらしい。
そこは、ちょうどバスケットコート二面分ほどの天井の高い空間だ。
イメージとしては、観光用に手を加えられた鍾乳洞、といった具合だろうか。
天井から針山のように露出している木の根が特にそういう雰囲気を強くしている。
あたりにはちょうど繭のような形になっている木の根がいくつかあって、その内部には透明な身体をもつ奇妙な牛、――六匹の”水牛”が接続されていた。
”水牛”たちはどれも、半分眠っているような状態で、ぼんやりとした目でこちらを見ている。
木の根はところどころ淡い光を放っていて、素人目にも街に何らかのエネルギーを放出しているのがわかった。
「普段はこの……たった六匹で街全体の水を供給しているのかい」
「うん。――だからこいつら、ここでは王様扱い。週休五日。仕事終わりにはマッサージつき」
「……へぇー……」
牛になりたい。
京太郎はおもむろに”異世界用”ではない自分のスマホを取りだし、パシャリと数枚撮る。
するとルーネは、初めてテレビを見た原始人のように驚いて、
「な、ななな、なにそれっ?」
「写真だ。――ええと、こっちではあまり知られてないのかな」
”夢小説”のような高度な娯楽が存在するのなら、それくらい知っていてもおかしくない、と思ったのだが、
「知らへんけど。なにそれこわい」
「ちょっと触ってみる?」
「うんっ」
京太郎は何故だかちょっとだけ得意になって、昔取った写真をいくつか見せてやる。
「ほら、――これ、前に”迷宮都市”に行ったとき撮ったやつ」
「ほえぇええええええええええ」
ルーネが、不思議そうにスマホの表面をたぷたぷしている間、京太郎は目の前の、一枚の壮大な壁画を思わせるものを見上げた。
「これ、自然とこういう形になったのか?」
「いーや? ちゃんとこちらで調整してこの形になったんやて。――たしか、どっかの偉い魔術師様が組んだ術式だ、とか」
ルーネにとっては、それよりも何より、スマホをいじくるのが面白くて仕方ないらしい。あっちこっちにスマホを向けて、ぱしゃぱしゃやっていた。
「術式、……ねえ」
入り組みながらも、ある種の法則があるその木の根の形は、どこかで見覚えがある。
しばらく考え込んで、――その記憶の在処を探って、――
――ああ、エヴァのオープニングのやつだこれ。
放送当時、狂ったように考察サイトを巡っていた日々を思い出す。
たしかその名前は、セフィロトの樹。
京太郎は、”異世界用”の方のスマホを取りだし、樹の由来を調べてみる。
――神は言われた。「ヒトは我々の如く善悪を知るものとなった。今は命の樹から実を取りて永遠に生きる者となるおそれがある」。……か。
たしか、この樹の実を食べたものは不死の存在になる、というが……。
「とりあえず自撮りするから、スマホ返して」
「あっ、はい……」
余談だがそれは、京太郎が生まれて初めてした自撮りである。
思ったより格好良く撮れたので、その写真を待ち受けに設定したり。
……と、そのタイミングで、一行に声が掛かった。
「京太郎」
「ん?」
「そろそろ始めます」
振り向くと、素っ裸のソフィアがいる。
「やあ……」
と、一瞬スルーしかけて、ぎょっとした。
「――ど、どうした!? なんだその格好っ!?」
一糸まとわぬ姿となった彼女は、まるでそうしているのが当然のような顔をしている。
「もともと裸みたいな格好だったが……いくらなんでも本当に脱ぐ必要ないだろ」
「あら、”裸みたい”とは。ずっとそんな風に思ってたんですか?」
「あー……いや……」
「私が脱いだのはこれから”マジック・アイテム”を使うのに必要なためですよ」
「そう、……なのか」
必要ならしょうがない。
ん? しょうがなくはないか?
いや、まったくしょうがなくないぞ。
「……せめて適当な布を羽織るとか、仲間から上着だけでも借りるとか、いろいろやりようがあるだろう」
「アッハッハ。そうしても良かったのですが」
彼女はなんだか嬉しそうに、
「実を言うと私、この鍛え抜かれた身体を衆目に晒すこと、嫌いではないのです」
「……さいですか」
時間をかけて描き上げた絵を人に見せたくなるのと同様に、――彼女も自分の身体を、ある種の創作物と捉えているのかもしれない。
不思議なのは、裸の女性を目の前にしているというのに、少しも劣情を刺激されない点だろうか。なんだか、美術館で裸婦の絵を見ているかのようだ。
――なるほど。今思えば、確かにあの”ユニコーンの鎧”は、「ソフィアに最もふさわしい」装備だったな。
頬を掻き掻き、やりにくい気持ちで一杯になりながら、訊ねる。
「それで? 君の話す、街の”ワイバーン”を一掃できる”マジック・アイテム”ってのはどういうやつなんだ」
「これです」
そして彼女は、――後ろ手に隠し持っていた黄金の果実を見せた。
京太郎にはそれが、そういう形の模造品に見える。クリスマスツリーとかに飾るやつ。
「何それ」
「私たちのパ-ティが所有する中でも、とっておきの”マジック・アイテム”。――”黄金のリンゴ”です」
「おうご……ん?」
「知りませんか?」
京太郎は横目に、隣にいるサイモンとルーネの顔を伺う。
サイモンは「何が何やら」といった感じ。
だが、ルーネの方は心当たりがあるようだった。
「何か知ってるのか? テリーマン」
「テリー? ……誰?」
「ああごめん。……妄言の一種だ」
妙な悪癖がついてきている。
ときどき異世界人らしいことを言わないと、元の世界との絆が離れていく気がするのだ。
「”黄金のリンゴ”ちゅうのは、――不老不死を与えてくれるとされる実です。なんでも、ラグナグっちゅう王国でしか採れない貴重なもので、……これを食べた人間は、”人族”やなくなってしまうんや、とか」
「”人族”でなくなるって、――”魔族”になるってことかい?」
「いや、”魔族”とも違うみたい。ラグナグ王国では、そうなっちゃった人間を、こう呼ぶって」
言葉を切り、ルーネは大きく息を吸って、吐く。
「不死人間。――ストラルドブラグって。でも……」
続く言葉を言わせず、ソフィアは柔らかい笑みを浮かべたまま、こう言った。
「では、失礼」
そして躊躇なく、彼女はその金色のリンゴを囓る。
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