第45話 吶喊

「ぬう、お、お、お、お、お、お、お、お、お、おッ!」


 それはどこか、デタラメに金管楽器を吹いたような野太い吶喊とっかんであった。

 突然のこともあってか、闖入者の全体像ははっきりしない。ただ、ケセラの倍以上はある体躯と、ただ一つのギラついた目、これまで観たこともないような灰色の肌だけが視界を掠める。


「おおっ、思ったより喰い気味できたな」


 キョータローは道ばたで知り合いに出くわしたみたいに片手を挙げ、


「やあ、どうも。私は坂本京太……」


 言い終える前に、彼の頭に極めて原始的な作りの石斧が叩き付けられた。


――死んだ。死んだ、死んだ!


 ケセラは恐怖のあまり、頭を抱えこむ。

 だが悲鳴は上がらなかった。

 ただ、ふう、ふう、と、”サイクロプス”と思しき鼻息が聞こえている。


「改めて言うけど、私は坂本京太郎だ。よろしく」


――え?


 顔を上げる。あれほどの一撃をもろに食らってなお、キョータローは平然と立っている。なぜか”サイクロプス”の石斧は見当たらない。この世から完全に消え失せてしまった。


「なぁ……に……?」


 ケセラが驚いていると、”サイクロプス”がキョータローに組み付いた。どうやら羽交い締めにしようとしているらしい。


「おいおい、やめろって……はははっ。くすぐったいぞ」


 だが聞こえてくるのは、子猫にじゃれつかれているかのような声だけ。


「どうなって……?」


 ケセラが知る限り、このような芸当ができる生き物は二種類しかいない。

 一つは、”勇者”。

 あるいは、”魔族”。

 とはいえ”魔族”が“空中浮遊”のような高度な”マジック・アイテム”を扱えるわけがない。


――つまりこの人は……いえ、このお方は……。


 なんて。

 ありえるわけないか。

 一瞬だけ夢心地になった自分の頭を叱責し、現実を受け入れる。

 恐らくはあの奇抜な服に魔術的な守護効果を付与しているのだろう。そうとしか考えられなかった。


 キョータローは今、”サイクロプス”に組み付かれた状態で、それでもまだ薄気味悪い笑みを浮かべている。

 ”サイクロプス”の方はというと、便秘二週間目の人みたいに顔を真っ赤にしてウンウン唸っているだけ。


「どうする? なんならわたーしがもろともやっちゃうケド?」

「いや……少し待ってくれ。やっぱり彼と話がしたい」


 恐ろしい暴力に晒されてなお、キョータローとステラはありえないほど冷静だった。


「どらああああああああああああああッ!」


 ”サイクロプス”は雄叫びを上げ、今度はキョータローを抱きかかえる。

 そして、


「あっ」「えっ」


 そのまま押し込むような格好で、再び草むらへと飛び込んだ。

 力尽くで仕留められないなら、別の手段で……ということだろうか。


「たぶん自力でなんとかするからステラは依頼人を守っといてやってくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……………」


 森の中へと、遠ざかっていく声。

 数秒もせず、キョータローは見えなくなってしまった。

 残されたのは、ステラとケセラの二人だけ。

 ステラは天を仰ぎ見て、


「……ここ臭いし。いったん小屋に帰って、お昼にしましょーか」


 ありえない提案をする。


「でも、た、助けにいかなくちゃ」

「その必要はないでーす。本人がなんとかするって言ったので」

「う、嘘でしょ!? それでも仲間なの?」

「いーえ? 彼とは一緒に行動してるだけで、……別に仲間というわけでは」


 わけがわからない。ケセラは内心思う。やっぱり”探索者”みたいな連中とは、関わり合うべきでなかった、と。


「それに、わたーし、聞きたいことがあるんでーす」

「え?」

「今わたーしたちを襲ったやつ。……”サイクロプス”でもなんでもない、普通の”人族”でしたよ? どうして嘘のクエストを? そのへん、詳しく話が聞きたいでーすねー?」

「…………………え?」


 ケセラはくしゃりと眉間にしわを寄せる。

 この人の言葉の意味がよくわからない。


「だって……あんなに身体が大きいし」

「あなーた基準ではね。あれ単なる、ちょっと背が高いだけの”人族”よ?」

「単眼だったし」

「ただ片目が潰れてるだけ」

「それに……肌の色がちがうわ。あんな色の”人族”、いるわけない!」

「ここより南方の”人族”は、ああいう色なんでーすよ。しらなかった?」


 ケセラは”ハーフリング”特有の絹糸のような頭をくしゃくしゃして、


「嘘、嘘、嘘。私、そんなの聞いたことも見たことも……」

「そりゃー、こんな山奥に籠もってちゃね。大方あいつ、脱走奴隷ってところかしら」

「だ、だっそうどれい……ですって?」


 さっと血の気が引く。


 グラブダブドリップにおいて、こと”奴隷”に関する諸問題はよほどのことでもない限り国の保護を受けられず、基本的に奴隷商たちの自力救済に頼っている。

 そのため、一度奴隷商の追っ手から逃れた”奴隷”は、法的にはほとんどこの島の国民と同等の権利を持つと言って良かった。


 そもそもこの島国において、”奴隷”という言葉はほとんど”外国人労働者”と同義に使われている。この街では、奴隷とその主人の関係はかなり対等な雇用関係を築いていた。

 奴隷はその待遇が気に入らなければいつでも脱走という形で仕事を辞められるし、奴隷を不当に拘束するような術を使うのは禁じられている。

 これは、リカ・アームズマン本人が打ち出した政策の一つだ。これにより奴隷取引は必ずしも割の良い商売ではなくなり、生活の必要を埋めるため、グラブダブドリップを機能的な魔術都市に仕立て上げるのに一役買っている(とはいえこのやり方に何の問題もなかったわけでなく、奴隷という名の移民が大量に国内へと流れ込み、五十年ほど前にひどい食糧難が国を襲っているが)。


 この場合、ケセラの前に立ちはだかっている大きな問題が一つ。

 彼女は”探索者”に、退ためだ。これはグラブダブドリップにおいては重罪であった。

 もちろん、”探索者”は時と場合によっては人を殺すこともある。だがそれはほとんど、国民保護隊に依頼された場合に限られた。

 ”探索者”は、時として数千人の命を一瞬にして奪う兵器にもなる。彼らの扱いは常に慎重でなければならない。


 ……と、いうようなことを一瞬にして察したケセラは、


「わ、…………わた、私、その、……ど、どうすれば……」


 震えた声でうつむく。

 ケセラは、牢屋に閉じ込められるのも、裁判所に出向いて何ごとかを証言するのもごめんだった。

 そもそも彼女たちは、まだ父がいない状態での生活の見通しが立っていない。自分一人なら、まだギリギリ糊口をしのぐことくらいならできるかもしれないが、――ケセラには妹がいた。

 もし何かの間違いで一週間……あるいは一ヶ月も小屋を空ける羽目になれば、場合によっては妹が餓死してしまうことだって十分に考えられた。

 懊悩するケセラを前に、褐色の美女は気楽に笑ってみせる。


「さあ? なんとかなるんじゃない? ――京太郎がなんとかするって言ってるんだから、さ」


 残念ながらその言葉は、ケセラにとってなんの慰めにもならなかった。

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