幕間

第51話 休日

 次の日の朝。

 京太郎は、いつだったか安いからといって段ボール買いしたマズいカップ麺で雑な朝食を摂りながら、この一週間のできごとをアニメの総集編的に思い返している。


――まあ、休みとはいえ少しは動くか。……シムたちは働いてるんだろうし。


 愛用のPCを起動し、お気に入りの毒舌系YouTuberが自身の年収(二千万)で視聴者にマウントを取っているところを横目に、近所にあるスポーツジムを検索する。

 ジムは、思ったよりも近場にあった。何度か通りがかったことすらある。自転車で行けば十分もかからないだろう。

 しかも都合の良いことに、今入会すれば最初の三ヶ月間無料になる、とのこと。


――これだな。


 京太郎は決心して、学生時代に買ってから未だに使い続けているジャージと室内用の運動靴、そして帰りのための着替えを引っ張り出し、鞄に詰める。

 頭には、昨日知り合った”ハーフリング”の美少女の、絶対零度を思わせる見下した表情が浮かんでいた。


――昨日の失態は忘れん。……せめて山道くらい楽々歩けるようにならねば。


 目標を決め、愛用のママチャリに乗っかり、一路スポーツジムへと向かう。



 男女共にぎゅっと引き締まった腹筋の従業員たちに案内されて、京太郎はいくつかの機材の使い方を習う。

 案内してくれたのは板垣恵介先生が描く格闘家みたいな体つきの女性で、


「あらあら、坂本様の身体、ちょーっと元気がないですねえ!」

「そうですか」


 エアロバイク前面に取り付けられているモニターには、『あなたは……47歳相当の体力』と表示されている。もうお爺ちゃん一歩手前じゃんこれ。


「でも大丈夫ですよ! ウチでちゃーんとトレーニングすれば、二十代の体力を取り戻すことだって不可能じゃないんですから!」

「はあ。不可能じゃない……」

「はい!」

「ちなみにそれって、どれくらいの期間で……」

「それはもう! 個人差がありますので!」

「個人差……」

「でも! 坂本さまはわりと良い身体してますので! きっとすぐですよ!」


 それがこの手のジムの手管だとわかりつつも、いつの間にかその気にさせられている。


「じゃあこの、土日祝日のみのコースで」

「ご入会、ありがとうございますぅ~」


 その時だった。

 気安く京太郎の肩がちょんちょんと叩かれ、何かと思って振り向くと、懐かしい顔を見つける。


「……わっ。コウちゃんか」

「おう」


 そして、学生時分と変わらぬ、わんぱく小僧のような笑顔で、


「奇遇じゃん。ここ入会すんの?」

「ああ」

「じゃ、ときどき会えるな。――ちょい、一緒に走ろうや」


 素早くその後の手続きを済ませて、京太郎は久しぶりに会う友人と手を握る。

 友人の名前は廻谷浩介。大学時代、映像系サークルで主に役者を担当してくれていた男だ。

 とはいえ自主制作映画というのは特定の役回りだけでなくなんでもやるのが当たり前なので、”主に役者”を担当してくれていた、という言い回しが正しいが。


「ここ、長いのか?」

「ああ。……どーも身体動かさないと落ち着かない性分でな」

「変わらないなあ」


 苦笑しつつ、いかにも女性受けが良さそうな細マッチョな肉体を見る。とてもではないが同い年とは思えなかった。

 ルームランナーに乗り、京太郎は初心者向け、浩介は上級者向けの設定を選ぶ。

 地獄のような速度で走り出す浩介を横に、京太郎はお爺さんが散歩するような速度で歩き始めた。


「最近どうしてる?」

「月曜から新しい仕事、始めたよ」

「そうなの? ――ってかお前、それまで無職だったの?」

「あれ、言ってなかったっけ」

「聞いてねえよ。前の仕事の愚痴はちょっと聞いたけど」

「じゃ、あのあとすぐ辞めちゃったんだよ。それで、しばらくは無職生活。今週たまたま、人員に空きがある仕事が見つかって、今はそこで働いてる」

「へえー。……どういう仕事?」


 京太郎は少し考え込んで、


「まず、異世界があってな」

「ふむ」

「そこでは魔法の力が生活に浸透していて、人々が幸せに暮らしているが……実は彼らの幸せは表向きだけ。滅びを待っている状態なんだ」

「へえ」

「私はチートパワーを授けられた状態でそこに派遣されてる。……で、その世界が滅びる原因を特定し、世界に終末を訪れるのを防ぐべく日々頑張ってる、というわけ」

「なるほどぉ。給料いいの?」

「まあまあ」


 浩介は納得したようにうなずき、慣れた調子でペットボトルのキャップを外し、ゴクリと水を飲む。


「そういや、コウちゃんはどういう仕事してるんだっけ?」

「宇宙警備隊の隊長してる。歳は25000歳で、バードンと戦ったときは滅多刺しにされて死ぬかと思ったよ。ってか実際死んだ」

「それ、ゾフィーじゃないか」

「そっちの元ネタなに? なろう系ってやつ?」


 京太郎は答えない。

 ルームランナーが稼働する音と、トレーニングルームで流れる元気の良いポップミュージックを背景に、二人は押し黙った。


「……まあ、あのLINEグループが解散しちゃったのがなぁ」


 二人が少し気まずいのには、ちょっとした訳がある。

 京太郎が所属していた映像系サークルは、大学卒業後もOB同士で関係が続いていたのだが……ある日、とあるOBの言い合いを機に、ほとんど空中分解するような形で関係が消滅してしまったのである。

 時々思う。まだあのグループが存続していれば、無職期間であってももうちょっと愉しく過ごせたのではないか。


「お前も大変だったんだな」


 ぽつりと、浩介が言う。


「ん。なんでそう思う?」

「実家にも戻らず、貯金切り崩しながらずっとこの辺で住んでるんだろ。――その様子じゃ、結婚もしてないんじゃないか」


 こういう風にずけずけ物を言うのは、浩介の良いところでもあり、悪いところでもあった。


「結婚、か――」


 親元を離れているため、そのへんあまりうるさく言われることがないから忘れかけているが、普通はもっと焦らなきゃいけない時期だということはわかっている。


「気になる相手とか、いるのか?」

「うーん」


 瞬間、京太郎の頭に浮かんだのは、同僚のウェパルの顔だった。

 得体も知れないし、そもそも人間かどうかすらはっきりしない相手だが、一生懸命アプローチすればものになる可能性はあるかもしれない。

 とはいえ、ここで彼女のことを持ち出すほど、二人の仲が進展しているわけでもないし。


「……いないなあ」


 そう答えるしかない。


「そーか。辛いな」

「まあ、結婚だけが人間の幸せじゃないさ」

「それ、同期の未婚女に言える?」

「ぐむ」


 昔と変わらぬやり合いに、二人揃って、にやりと笑う。ようやく調子が戻ってきた、という感じがしていた。

 京太郎は、やられっぱなしも性に合わぬと思い、浩介の左薬指になにもハマってないことを確認してから、言った。


「そういうお前はどうなんだよ? 学生時代は結構モテてたけど」

「三十過ぎてから勃ちが悪くてなあ。三回連続して失敗してから、ごぶさただわ」

「……そ、そうかい」


 赤裸々な発言に、何故だか京太郎の方が赤くなる。


「まあ、お前の言うとおり、人生色々だよな」

「うむ」


 浩介はそこでルームランナーのスイッチを操作し、クールダウンに入る。

 呼吸を整えて、汗を軽くタオルでふきふき、


「ちょいと先の話になるけど、来月の一日。……三週間後の土曜、かな。ここで、同じ時間に会えるかい」

「……なんで?」

「会わせたい人がいるんだ」

「誰?」

「それは、その時のお楽しみってことで」

「ふうん」


 京太郎は、話半分に頷く。恐らく旧い友人を連れてくるつもりだろう。

 その時、一瞬だけ、「実はさっきの異世界話、マジだって言ったら信じるかい」と言いかけたが、


「休日出勤のない会社だからさ。寝坊でもしないかぎり、必ずくるよ」

「オッケ」


 そして聞かれてもいないのに、こう答えていた。


「いま、すごく充実してるんだ」


 と。

 それが本心から出た言葉だったかどうかは、京太郎自身、よくわからない。

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