第84話 祝福されたもの

「ん。何か、まずいか?」


 京太郎の顔色を読んだのか、アルが尋ねる。


「その時間は用事が発生している可能性が……いや、いい。わかった。どこに集まれば良い?」

「迎えの馬車を宿の前に出す。太陽が見えたら、君らは部屋を出ていればいい」

「わかった」


――早朝出勤か。ウェパルに許可をもらわないとな。あと、最近の日の出時刻をシムに確認して……三十分前には出るようにするか。


 前の仕事では日常茶飯事だったが、この仕事ではこれが初めてだ。

 仕事と考えると胃が重たくなるが、今の京太郎はそれを肯定的に受け取ることができている。いつもと違う時間帯に友だちの家に遊びに行くような、そういう軽い気持ちだった。


「では、また明日に」

「うむ」


 それに。

 時間外労働なら、ちょっとくらい『ルールブック』をお楽しみに使っても許されるような。

 そんな気がしていた。



 帰り道、ケセラ、バサラと挨拶しようと通りがかりのメイド服の女性に尋ねたところ、


「二人は、――大切な仕事を仰せつかっていますので」


 とのことで、残念ながら顔を合わせることはできなかった。

 あるいは事情聴取を受けているのかも知れない。酷い目に遭わされていなければいいが。


 屋敷を出ると、手回し良く馬車が待機していた。

 行きに利用した辻馬車とは比べるべくもなく座席は柔らかく、広い。

 京太郎たちはゆったり座席に座り込むと、行き先を告げる必要もなく馬車は帰路についた。


「……ところで、……どうやったんだ?」

『ん?』


 ステラが唇を真一文字にして応える。


「さっきの”雷鳴の剣”の時だよ。最悪私、あの場で転げ回るような演技してでも『ルールブック』片手に便所へ駆け込まないと、……とか思っていたのだが。どう切り抜けた?」

『別に』

「”別に”はないだろう。秘密なのかい?」

『ごめん。ちょっとうるさい』

「――何?」


 ステラがこんな風な態度を取ったことなど、これまで一度もなかった。

 正直ちょっとだけムッとする。彼女の術が秘密なのは知っているが、だとしてもそんな風に言う必要ないじゃないか。


「なあ、シム……」


 声をかけると、彼も落ち込んだようにうなだれている。

 京太郎は少し眉をひそめて、


「おいおい二人とも、まさか車酔いか?」


 これは半分冗談のようなものだ。”人族”と違って”魔族”は体幹がしっかりしているらしく、その手の肉体的不調とは無縁なのである。

 だが、その他には考えられないくらい、……二人の顔色は悪く、陰鬱だった。


「なんなら、馬車を急がせるか?」

『だ、ダメですっ。まだここは敵地です。当たり前みたいな顔して、どっかり座っていてください』


 シムがぴしゃりと言う。京太郎は一人だけ置いていかれたような気持ちで座席に座っていることしかできない。


「しかし一応、さっきの件の種明かしが聞きたいのだが……」


 シムは、少し深呼吸して、……ようやく、といったふうに応えた。


『……ぼくの《擬態》を使ったんです』

「え?」

『京太郎さまのお陰で、”雷鳴の剣”を使うとどういうことが起こるか、見ることができました。だからぼくの《擬態》で、その状況を再現した。それだけです』


 なるほど、以前調べたシムのスキルでは、


 《擬態Ⅴ》……姿を自由に変化させる。自分以外の人・ものに使うことも可能。


 という表記だったか。 


「リムと戦った時、岩に化けていたところは見たけど……そんなこともできるのかい」

『はい。こっちに来てからずっと《擬態》しっぱなしなので、かなり腕は上がりましたよ』

「へえ……」

『ごめんなさい。もういいですよね。そろそろ……黙りますね』

「あ、ああ……」


 京太郎は困った顔をして、


「しかし、できれば今後の予定について話し合いたいのだが」

『今日はもう無理。動けない。わかったわね?』


 噛みつくようなステラの口調に、二の句を告げなくなる。


 だが、鈍い京太郎もそこでようやくわかった。

 どうやらこの二人、――何かされたらしい。

 恐らくはあの、アル・アームズマンに。


 車内の設備は行きの辻馬車よりよほど充実していたが、……たぶん、あの時の方がずっと快適だったように思う。



 ”冒険者の宿”に到着後も、三人は悠々たる歩調……を装いつつ、部屋への階段を急ぐ。

 宿の主人とのちょっとした挨拶と、しばらく警備を手伝ってくれるという保護隊員から「万事アル様から話を聞いています」ということで軽く敬礼を受けたことを除いて、道中の会話はほとんどなかった。

 部屋に戻ると、今朝のことなど何もなかったかのように修復が済んでいる。

 ”アマノジャクなシロアリ”が頑張ってくれたらしい。


「ようやく一息つけるな、――」


 京太郎が安堵するやいなや、シムとステラは弾けるように洗面所へ走り出し、


『う、うぇえええええええええええええええええええええッえ、げええええっ!』

『ごほ………ごほッ! うううう!』


 と、同時に胃の中のものを全てぶちまけた。

 京太郎は驚いて、


「ど、……どうしたんだ? 大丈夫か?」

『うっ、うっ、うっうっ…………』


 シムは早くも《擬態》を解いていて、風邪を引いた犬みたいに鼻水を垂らしながら、涙をぽろぽろとこぼしている。

 ステラなどはすぐに外套を脱ぎ捨て、それどころか半分下着姿みたいになって、可能なかぎり楽な姿勢をとった。


 二人が、何度かの吐き気の波を乗り越え、口をゆすいでよろよろとベッドルームに現れたのは、それから五、六分ごろだろうか。

 まず、ステラが無言のまま、そっと京太郎の胸に抱きついてきた。

 続いてシムも。


 そして、突然だった。


『ふ、ふええ、ふぇえええええええええええええええええええええええええッ』


 ステラが、普通の女の子のように泣きじゃくり始めたのは。

 シムは男の子だからか我慢しているようだったが、それでも眼に涙が溜まっている。


「お、……おおーっ。……よしよし」


 慣れない手つきで二人の背中を撫でながら、


「何か……食事に入っていたのか?」


 その頃には京太郎も、おおよその事情を察している。


『あの肉、――”祝福”されていました』

「祝福?」


 その言葉には聞き覚えがある。

 確か火竜フェルニゲシュの巣から”魔女”の住処に向かう、第二階層あたりのことだったか。

 シムが突然毛を逆立てて、遠回りを進言してきたことがある。

 そこが、”祝福”を受けた場所らしい。


『そ……それだけじゃないわ。あの肉、たぶん、”魔族”のものだとおもう』

「なんだと?」


 驚きながらも、心のどこかでは「やはりか」という気持ちがある。

 今思えば、アルがオーク肉の話をしたとき、どこか含みがあるような気がしていたのだ。


「しかし……あいつ、鹿の肉だって。……味だって、私の故郷の鹿肉と相違なかった」


 この愚問を口にした瞬間、京太郎の心にかつてない自己嫌悪が生まれた。もし自分でなければ、思い切り殴り倒していたところだ。

 問われたシムは、自らの唇で、こう応える必要があった。


『たぶんあれ、……”ペリュトン”の肉、ではないか、と……』

「ペリュトン?」

『別の大陸に棲む、鹿に近い……”魔族”の一種です』


 ぞっと背筋が寒くなる。

 つまりそれは、――ほとんど共食いを強要されたようなものではなかろうか。


「そうか。……そうだったのか」


 シムとステラをぎゅっと抱きしめたまま、ベッドの上で三人、ぼんやりと転がっている。

 二人が平静を取り戻し始めたのは、それから三十分後だろうか?

 いつの間にか、ステラはすうすうと寝息を立てていた。


「すまん。気付いてやれなかった」


 ぽつりと言うと、まだ起きていたシムは、


「いいんです。今回の一件できっと、ぼくたちは”保護隊”の信用を勝ち得ることができましたから」


 と、囁くように応える。


「だが……もっと良い方法が……あった気がする……」


 不思議と、アル・アームズマンを憎む気にはなれなかった。仲間がこんな風な眼に合わされたのだから、もう少し怒ってもおかしくないというのに。

 だが京太郎にはわかるのだ。

 彼もまた、大切な人を守るため、最善の策を用いただけ。

 そこを見抜けなかったのは、他ならぬ京太郎は未熟だったから。

 あの場を切り抜けられたのはただ、京太郎の腕の中にいる二人が飛び抜けて優秀だったからに他ならない。


――私も成長しなくては。もっと、もっと……。


 天井を眺めながら、京太郎はただ、自分の無能を呪っていた。

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