第40話 不良品の世界
「ただいま」
「おっかー」
京太郎が帰社すると、ウェパルがぷらぷらと手を振った。事務机の上のエロ本はさすがに片付いている。
まず『ルールブック』をデスクにおいて、ふうと一息。
「つ、疲れた……」
「おつかれさーん」
少し眉間を揉んで、オフィスの天井を眺める。何の変哲もない白色蛍光灯が目にまぶしかった。
カレンダーを見ると、今日は木曜日。
明日一日頑張れば、土日は休みだ。
――休み、か。
むしろ、その間シムたちがちゃんとしていけるかどうか、心配な気持ちが大きい。
とはいえ、休みはちゃんと取らなければなるまい。
異世界において、京太郎は圧倒的強者の立場にいる。
故に、ヒーローになることも、極悪非道を尽くすこともできる。京太郎は前者を選んだ。別に博愛主義に目覚めたわけではない。その方が単純に、気分が良いためだ。
とはいえ、自分の選択が常に紙一重だということはわかっている。
誰かのためにした行動が、うっかり他の誰かの不幸に繋がったり。
ちょうど、”お菓子の家”がそうであったように。
だからこそ、常に最善の選択ができるよう、万全な状態で思考力を保つようにせねば。
強いということは案外、不便なことも多い、と思えた。
「今日も、……ソロモンさんは?」
「いないよー」
「そうか」
落胆して、鞄の中の麦茶の残りを飲み干す。
ひょっとするとソロモンから、何もかも解決してくれる魔法の一手を授かれるかもしれない、と思ったのに。
「ひとつ、聞いて良いかい。答えられなかったら『答えられない』でいいから」
「ん?」
「その、……我々の仕事についてなんだけど。……どれくらい慎重にことを進めるのが一般的なのかな?」
「へ」
「私が担当している世界なんだが、どうにも物騒でな。場合によっては、かなり危険な目にあうかも知れない。……それで、もし異世界で怪我とかした場合、労災とかちゃんとおりるのかと思って」
ウェパルは、ぽかんとした表情で京太郎の顔を見た後、
「……えっ、きょーたろーくん、異世界で怪我しそうなの?」
「うん」
「向こうでは無敵になる、絶対傷つかない、みたいなルールは?」
「もちろん書き込んだよ」
「だったら……」
「だが、どうにもあの世界、『ルールブック』を無視できる連中がいるらしい」
「はあ?」
ウェパルは首を傾げる。
「そんな馬鹿な。くだらねー異世界人ごときに?」
「……くだらない、って。そこまで言うかね」
「だってあいつら、馬鹿の集まりじゃん。まともに二足歩行してるのが不思議なくらいだよ?」
「そりゃ、君の担当している世界だけでは? 私の担当には、『ルールブック』の力を上回る手合いがいるみたいだから」
「えっ?」
実際、火竜フェルニゲシュが辞世の句を詠んでいる間も、何度か試している。
確かに彼の言ったとおり、『ルールブック』の力では彼の傷を癒やすことはできなかった。
これは”勇者”に『ルールブック』の力が通用しない証明でもある。
「それは……そんな…………」
ウェパルは言葉を失った。
おや、と京太郎は思う。やはり、いま自分が置かれている状況は普通じゃないのだろうか。
「いや、――でも、そっか。そーいうことか」
だが、同僚は一人納得して、
「ソロモンは君のこと、すごく
「どういうこと?」
「……悔しいな」
その時ウェパルが見せた表情は、――あるいは、”嫉妬”と呼ぶべきか。
「……教えてくれ、ウェパル。君は何を知ってる?」
ぷう、と、その年下にしか見えない娘は頬を膨らまし、顔を背ける。
「しらにゃい」
「にゃいって、君ねえ」
「きょーたろーくんってさ、……何者? なんか、特別な人だったりする?」
「え」
京太郎は首を傾げる。質問しているつもりが、いつの間にか質問される立場になってしまった。
「何者、と言われてもな……ごくごく一般的な成人男性だと思うけど」
「ほんとにぃ? 実は隠れたスーパージーニアスマンだったり、ない?」
「ないない」
「今までの人生で一番の偉業。……何か思いつく?」
少し考え込んで、
「マニアックなジャンルのネット小説を書いてる人に応援メッセージを送ったことがある。その人、私のメッセージに感心してプロデビューしたって聞いたな」
「なにそれ。……それが一番なの?」
「あと、親の還暦祝いに食事を奢ったこともあるぞ」
「べつにそれ、ふつーのことじゃない?」
「結構いいとこだったんだぞ。オシャレな鉄板焼き屋でな。神戸牛が食える」
「ふーん」
京太郎は笑った。
「だから言っただろう、普通だって。ソロモンさんが私を雇ったのだって、ただの気まぐれだと思うんだが」
「でも……その割には……」
ウェパルは、なんだか煮え切らない様子だ。
「ところで、一つの世界を安定させるのに、どれくらい時間をかけるのが一般的なんだい」
「それは……」
同僚は、どこか加虐心を刺激するような困り顔を見せて、
「人による、かな。その世界の情勢にもよるし」
「担当替えの期間は?」
「それも、時と場合によるなあ」
「あんまりのんびりやっていくと、無理矢理担当を変えさせられることはある?」
「よっぽど不適格な真似をしたらそうなるかもだけど、基本的には本人の希望がない限り、あまり変わらない、と、思う」
ウェパルが昨日までならきっと答えてくれなかったであろうことまで話してくれているので、少し驚く。何かの理由で動揺しているのかもしれない。
京太郎はこの機を逃さず、思いつく限り質問する。
「ひょっとすると、事態を完全に解決するのに、これから数年以上かかるかもしれない。それって遅い方なのかな」
「数年? ……数年で世界が安定するわけない」
「そうなの?」
「そう」
京太郎は内心、ほっとする。やはり慎重にことを進めたのは間違いではなかったらしい。
「“終末因子”が芽生えた世界っていうのは、専門の職員が数名がかりで何十年も掛けて……それでも、どうにもならない。そういうレベルなんだ」
「終末……?」
「あとは滅びを待つだけっていう不良品の世界がたくさんあるの。その、世界の不良箇所を、“終末因子”って言うんだ」
「私のいる世界には、その”終末因子”が存在する?」
「たぶん。わかんないけど。私たち”管理者”クラスの現実改変が日常的に起こってるようなとこなら、……間違いなくそれは、避けようのない”世界の終わり”が近づいてる状態だと思うな」
「よくわからんが、――救えるのか? そうなってしまった世界を」
「知らない。私は聞いたことない」
ウェパルは眉をひそめた。
「しょーじき私、ソロモンが何を考えてるのかさっぱり、……あいつの考えだから、きっと間違いはないと思うんだけど」
そして、顔を上げる。そこで初めて気付いたのだが、ウェパルの表情は”嫉妬”から”羨望”に変わっていた。
何かの演技……あるいは、悪ふざけにはみえない。
「ひょっとすると……いえ、ひょっとしなくてもあなたの仕事、新人に任せるようなものじゃないのかも」
「なんだと?」
「絶対に死なないでね。きょーたろー」
「……し、死ッ……死ぬって?」
――やはりこの、不思議の国みたいな仕事でも、死ぬことはあるのか。
京太郎の脳裏に、『退職届』の三文字が浮かぶ。
だがそれは、シムや、ステラたちの顔でかき消された。
――今更引き下がれるか。
もし、人生を賭けるに足る善行を働くときがあるならば。
今、このときだ。
そう思えた。
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