雑司ヶ谷ダンジョン⑥(終)

 ──真の男の生き方


 歳三の両腕が上下に開かれた。

 掌は広げられ、指の一本一本、爪の先まで力が満ち満ちてゆく。


「あ、あの構えは!?」


 背後からそれをみていた飯島比呂は、既存の如何なる武術にも見られない歳三の構えに動揺した。

 なぜなら天才飯島には当然の様に古今東西の武術の知識があり、それを実践するだけの力量もあるのだが、その彼の目から見て歳三の構えはどう見てもド素人であり、隙だらけにしか見えなかったからだ。


 しかし先ほどから見ている歳三の技の数々からして、ド素人のイキりで終わるはずがない。数分前に自身を縛り付けた恐怖の鎖は、好奇心と言う名のハンマーによって崩壊しかけていた。


「しゃあッ」


 ──鰐々ガクガク


 "それ" は自身を大槍と成し突撃してきたが、その先端が歳三の胸に触れるや否や、歳三の両手の指がまるで鰐の牙の様に槍の穂先へと食いつき、そしてそのまま腰の捻りを利用し宙空で回転する。


 1回、2回、3回…そして回。

 これはまさしくデスロールである。

 鰐が捕えた獲物を食い千切るためにとる動きだ。


 この技を受けたものはがっちりと食いついた歳三の指にズタズタにされ、最後は地面へと叩きつけられる。全身の肉を引き千切られ、あまつさえ地面にぐしゃりと叩きつけられれば、仮に生きていたとしても、膝はガクガクと震えまともに立ち上がる事すらも出来ないだろう。歳三のネーミングセンスはともかくとして、威力に関しては申し分の無い技である。


 "それ" もまた例外ではなかった。

 超硬質を誇る毛髪はズタズタに引き千切られ、露出した眼球も地面に叩きつけられた事で半ば潰れている。

 完全に勝負はあったと見ていいだろう。


 だが歳三も無傷ではいられなかった。

 ボディアーマーの左胸部分が少しだけ抉られている。

 技を繰り出すのがやや遅かったのだ。

 来る事が完全に分かっていて、なお手傷?を負わせてくる魔物の技の切れに歳三は瞠目する。


 まあ、あの程度の技ならば生身で受ければ無傷で済んだかもしれない。しかし、アーマーを脱ぐという選択肢は歳三には無かった。


 なぜなら依頼だからだ。歳三は"桜花征機" という日本を拠点とした先進的な武器防具製造企業からの依頼で、新製品のテスターをやっている。


 "桜花征機" の製品コンセプトとしては、桜の花に見る刹那性とでもいうべきか、防具は軽量で動きやすさを重視し、武器は瞬間の火力を重視している。


 歳三のボディアーマー、SKK-AB1902"影桜" は "桜花征機" の新製品で、攻撃を受けて耐えるのではなく、逸らして耐えるというコンセプトで開発された。急所部分の各所には衝撃が分散するように絶妙に凸部が形成されている。そして、とにかく軽いのだ。重量にして約8キログラム。探索者専用のボディアーマーはどれも15キロ前後であることを考えると、信じがたい程の軽量化に成功している。


 実戦の場で自社の新製品がどのようにスペックを発揮するか、その戦闘データを歳三は成果品として提出せねばならない。


 歳三は企業からのそういった依頼が好きであった。

 理由は二点。


 一点は罪悪感をごまかせるため。

 彼は先述した通り、魔物との戦闘により自身の心を慰撫するという性癖を持つが、それは果たして "まとも" なのかどうか。

 歳三の倫理観は否を告げていた。

 どういう理由があったとしても、自身の欲求で魔物達をグチャグチャにするというのは、これはもう精神異常者の所業にしか見えない。しかし、企業からの依頼ならば…つまり "仕事" であるなら話は別だ。


 もう一点は企業という存在の無機質な目線。

 企業にとっては歳三がどれほど残念な見た目であっても、そんなものはどうでも良い事だ。歳三の人格も知った事ではない。

 大事なのは自社からの依頼を確実に遂行できるかどうかという一点のみ。そんな人を人とも思わぬ視線は、察しの悪い歳三とて流石に気づいていた。だからこそ良いのだ。関心が良いもので無関心が悪いものなどと言う道理はない。時には無関心こそが人を心を救う事もある。


 ■


 爆砕した地面、そこら中に散らばった引きちぎられた毛髪、潰れた巨大な眼球。


 そして、巌の様な背。


 飯島比呂の脳は一気にインプットされた情報群によって熱暴走を起こしかけていた。

 だがとにもかくにも言っておかねばならない言葉がある。


「あの、ありがとうございました…」


 歳三は振り返らない。

 しかし声自体は届いている様で、その肩がぴくりと動いた。

 一瞬の沈黙がその場を支配するが、やがて歳三は飯島比呂に背を向けたまま一点を指さした。

 それは中央の池…枯れた桜の木だ。


 飯島比呂ははっとする。


(そうだ…翔子!)


 慌ててバックパックを持って駆けだそうとした飯島比呂だが、その前に歳三の背を見て一礼した。


 それまで飯島比呂には背を見せつけていた歳三だが、今度は歳三が飯島比呂の背を見る事になった。

 駆け去っていく飯島比呂…要救助者を見つめつつ、歳三はやや思案する。


 とある深刻な問題に気づいたからだ。

 危機から助けたはいいが、そもそもあの少女だか少年だか分からない者は要救助者だったのだろうか?…そんなしょうもない問題である。


 救助対象なのかどうかという事は確かに重大で深刻な問題なのだが、そんなものは尋ねればわかる事だ。

 しかし歳三にはそれが出来ない。

 背を向けていたのも、自分のツラを見せたくなかったからだ。

 歳三の目から見ても、先ほどの探索者の見目が麗しいというのは分かる。だからこそ見せたくない。外見コンプレックスの根は深い。


 47歳にもなった中年男性がそんな事で悩むというのは滑稽を通り越して哀れですらある。より悲しいのは、歳三もまたそのしょうもなさに気付いているという点であった。いい年をして、何をつまらない、くだらない、しょうもないプライドらしき何かを持っているのだ、と。


 自身の内に存在する見栄、劣等感、その全てがうんざりするほど鬱陶しく、しかし拭い難い事に歳三は深い深いため息をつかざるを得なかった。


 更に問題がある。問題だらけだ。

 あの探索者が要救助者だとして、出口まで無事にたどり着けるかという問題だ。撤退中に襲撃されたら?ダンジョン内では何が起こるか分からないのだ。

 だからここで救助完了として去るわけにもいかない。


 結句、歳三は気づかれないようにストーキングする事を決めた。

 危険な状況に陥れば助ければ良い。

 そうして、出口までたどり着くのを見守れば良い。

 歳三なりに頭を使ってひねり出した答えである。

 これもまた直接話しかけて、出口まで護衛すると言えば済む話ではあるのだが…。


 ・

 ・

 ・


 だが、幸いにも歳三が懸念していたような事態は一つも起こらなかった。先程助けた探索者はちゃんと要救助者の一人だった。

 根拠はある。歳三がその身体能力を全開にして、聴覚を拡張した所、きちんと "マイ" という単語が聞き取れたからだ。

 マイというのは四宮真衣の事で間違いはあるまいと歳三は安堵を覚えた。


 まあマイという名前の別の探索者である可能性もあるのだが、そういった事には考えが及ばないあたり歳三らしいとは言える。


 撤退の道中についても襲撃はなかった。

 これはダンジョンではよくある事なのだが、その領域内で特に強力な魔物を斃すと、しばらくダンジョン内が静かになる…つまり、魔物の出現頻度が激減するという現象が挙げられる。この "しばらく" というのはまちまちだが、最低でも一か月、長くて三か月といった所だ。


 歳三は敵手の生命活動を停止させる事は得意だが、自身の気配を殺すといった器用な真似は出来ない。

 だから相当に遠間から三人のダンジョン脱出を見守っていた。

 視力と聴覚については努力で拡張できるので問題ない。


 そして、三人が無事にダンジョンを脱出したのを見届けて、ふと自身の胸を見やった。

 視線の先にあるものは、ボディアーマーの…少し破損した箇所だ。全盛期なら触れさせるなんて事は無かったはずだ、と歳三は項垂れる。この落胆、失望は決して考えすぎではない。さきだっての相手は10年ほど前の歳三ならば、技の数々を使うまでもなく3秒で完全殺害出来ただろう。


 老いというものを痛烈に意識した歳三の心は昏い。

 今はまだいい、だがこの先。

 この先、老いさらばえて探索者が続けられなくなった時。

 果たして自分は "まとも" な社会人として社会に認知されているのだろうか?


 そんな不安が歳三の心をギシギシと軋ませた。



※※※

雑司ヶ谷ダンジョン編は終わりです。

キリもいいのでクレクレします。

クレークレー!


本作は実は昨今のローファンダンジョン配信モノに触発されて書きました。

ただ、少し失敗したと思います。

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