日常90(歳三、今井 友香、飯島 比呂)

 ◆


「ええと……俺は3ヶ月前に引っ越してきたばっかりだけど。多分家賃を払い忘れてたんじゃないのか? 探索者はすぐ死ぬから1ヶ月支払いを忘れるだけでも強制退去だったよな確か」


 そうだった、と歳三は愕然とした。


 基本的に探索者は探索に行く前は数ヶ月分の家賃を支払っておくのが常なのだが、歳三の場合は毎月毎月支払っている。


 "前もって" という言葉は歳三にはいまいちしっくりこないのだ。


 歳三としては、まだ利用していないサービスに対して事前に金銭を支払う事に酷い抵抗を感じてしまう。


 ちなみに口座振替もしていない。


『口座に金がなかったらどうするんだ? 直接自分の手で支払ったほうが確実だろ』というのが歳三の言である。


「お、おい大丈夫か? そんなツラして……このマンションで自殺したりしないでくれよな……じゃあそういうことで……あ! そうだ! あんたが前の住人だっていうなら、この刀もっていってくれよ!!」


 男は歳三に白鞘の刀を押し付けて、焦った様に言う。


「これ、夜中とかカタカタ震えるんだよ。業者もどこも引き取ってくれないし、捨てようと思うと頭が痛くなるんだ。迷惑だから引き取ってくれ!」


 そうして何か返事をするいとまもなく、男はバンと音をたててドアを閉めてしまった。


 目の前でドアが閉まってからも、歳三はその場を一歩も動けない。


 視界が狭窄し、足元がぐらりと揺れていた。


 揺れる、崩れる……ッ! 


 底の知れない暗い穴の底へ真っ逆さまに落ちていく感覚に、歳三は陰嚢の裏にじっとり湿る嫌な汗をかく。


 家がなくなるというのは人権がなくなるのと大して変わりがない。


 どれだけ汚くみすぼらしい家だろうが、あるとないとでは天と地ほどに差があるのだ。


 しかし、これまでの歳三ならば気が狂って死んでいたかもしれないが、今の歳三は様々な経験を積んできて多少なり精神的に成長をしている。


 ゆえに段々と精神は復調の兆しを見せてきており、呆然と立ちすくむ事20分後にはおおよそ平時の精神状態を取り戻すに至った。


「金城の旦那に相談するのもいいが──」


 最後に会った時、なにやら忙しそうにしていた事を思い出す。


「とりあえず、協会に相談か……」


 探索者協会は探索者の住居探しにも力を貸してくれる健全組織なのだ。


「ここで悩んでいても埒があかねえやな」


 歳三はその場を立ち去る事にした。


 困っている事など一つもないと言う様な堂々とした歩みは、これまでの歳三には見られなかったものだ。


 ・

 ・


 ◆


 歩く事暫し。


 池袋西口公園は人で賑わっている。


 仕事をサボっている営業、待ち合わせ中のPJ(パパ活女子)、ナイフをちらつかせてイキがっている未成年男子、探索者。


 ちなみに現在の日本では銃刀法は存在しないに等しいので、平気で凶器を持ち歩く者も多いが、なんだかんだいって凶刃が振るわれる事はない。


 街中で凶器を振り回して暴れる者は、近場の探索者に虫けらのごとく殺害されてしまうからだ。


 この場合、手を下した探索者にお咎めはない。


 歳三は公園中央部の噴水を眺めながら、一つの決断を迫られていた。


 それは端末の確認だ。


 歳三は考えが浅い男だが、それでも死ぬほどメッセージなりなんなりが溜まっているであろうことは容易に予想できたからだ。


 という事を格別苦手とする人種がいる。


 例えば税金の支払い、例えば健康診断、例えばリアルで他者に対して何等かの意思表示を示す事、枚挙にいとまがない。


 ──協会のお医者さんが言うには、俺はいっぺんに色々やっちまおうとするとダメになっちまうらしい


 歳三は冷静に過去のカウンセリング経験を思い出す。


 ──まずは一つ、そしてもう一つだ。とりあえずメールの確認をしねぇとな


 そうして受信ボックスを見てみると──


 ・

 ・


「うおッ」


 歳三は思わず声をあげた。


 そこには100を超えるメッセージが溜まりにたまっていたからだ。


 差出人、飯島 比呂

 差出人、飯島 比呂

 差出人、飯島 比呂

 差出人、飯島 比呂

 差出人、飯島 比呂

 差出人、飯島 比呂

 差出人、金城 権太

 差出人、鉄騎

 差出人、飯島 比呂

 差出人、飯島 比呂

 差出人、飯島 比呂

 差出人、飯島 比呂

 差出人、飯島 比呂

 差出人、金城 権太

 差出人、飯島 比呂

 差出人、鉄騎

 差出人、『桜花征機』今月のお勧めアイテム

 差出人、飯島 比呂


 ・

 ・


 はて、どうしたものかと悩んでいると今度は──


「お」


 Sterm端末からの通話要求だ。


 果たして、通話要求者はといえば今井 友香であった。


 ◆


 今井 友香は当初こそ歳三の事を気にしてはいたものの、日数が経過するうちにそんな余裕がなくなっていった。


 理由は富士樹海の絡みである。


 "富士樹海はほんの少しずつダンジョン領域を拡大しつつある。しかしその挙動を注視してさえいれば拡大は中断される" というのが事情を知る者たちの共通認識であったのだが、昨今はその前提が覆されてしまった。


 ダンジョン外周部に配置していた協会の監視部隊との連絡が取れなくなった事を契機に、各企業がデータ収集のために派遣していた各隊とも通信途絶。


 更には協会、企業に不審な動きをする者たちが現れ、高野グループとも連携し原因究明に努めた結果、なにがしかの精神干渉を受けている事が判明。


 協会は情報を独占せずに政府へ伝達。


 政府の動きは迅速だった。


 まず緊急対策本部が設置され、内閣府、防衛省、警察庁、科学技術関連省庁、異領管制省などの関係各省庁が一堂に会して状況の把握と対応策の協議を開始した。


 協会や各企業、高野グループとの連携を強化するため、専用の連絡体制の確立──情報共有プラットフォームを導入し、リアルタイムでの情報共有を出来る様にし、精神干渉に対する対策が講じられると、様々な対策が次々と打ち出されていく。


 富士樹海周辺およびダンジョン領域へのアクセスも制限され、現在では樹海近辺は立ち入り禁止区域に設定されている。


 まあトラブルもないではなかった。


 迷惑系ミューチューバーが立ち入り禁止区域に潜入して配信をしようとし、射殺されるといったが数件あったのだ。


 この事故は当然隠ぺいされた。


 現在、協会は厳戒態勢に入っている……が、大部分の探索者にはこの情報は共有されていない。


 ・

 ・

 ・


 その日の朝、今井 友香はいつものように業務に励んでいた。


『……では城戸さんとしてはもう少し斡旋される依頼の難易度を落として欲しい、と』


 ──『だから何度もそう言ってるだろうが! 大体お前、俺たちがくたばるギリギリの難易度の依頼なんてもってくるんじゃねえよ!』


『なるほど、では八王子城跡なんてどうでしょうか?』


 ──『100%死ぬだろうが!! 大体そこは甲級指定だよなあ!? くたばるぎりぎりじゃなくて、絶対くたばる難易度の依頼ならいいでしょってか!?』


 友香はハァと溜息をつき、甚だ不本意ながらもの依頼を斡旋する。


 ──結構見込みあると思うんですけどね。まあ本人が安定志向だっていうなら無理強いはできませんか。その点佐古さんはよかったなあ。もう帰ってこないでしょうけど……ああ、それにしても忙しい……


 友香はぐりぐりと首を回しセルフで肩揉みをしはじめるが、その間PC型デバイスのディスプレイは目まぐるしく変わっていた。


 ディスプレイの数も1台ではなく、トータルで7台だ。


 これらは全て友香が脳波によって操作している。


 これはマインドデスクトップ機能と呼ばれるもので(日常14参照)、ダンジョン時代以前から存在する技術だが、この時代は一般化されており、キーボードやマウスが無くとも感覚的に操作ができる。


 そうは言っても、友香の様に複数台同時に操作するというのは中々難しい事ではあるが。


 友香が何をしているのかと言えば、富士樹海侵攻防衛作戦のメンバー選定である。


 友香一人が決めるわけではなく、専属オペレーターたち全員が同じ様にメンバーを選定していた。


 富士樹海侵攻防衛作戦の要諦は酷く単純で脳筋だ。


 探索者個々の能力をはじめとする個人情報を把握し、再度樹海の外周部に配置して樹海の意識を逸らす。そして、攻勢防御に努めさせている間に、望月が組織した甲級含む攻撃部隊で樹海の一斉攻略を図るというものだ。


 当初はそんなまどろっこしい事をせずに、総力でダンジョンを破壊してしまえばいいではないかという意見もあったが、それは『をやった未来が視えた』と言う望月の一言で却下された。


 望月の未来視のPSI能力は自在に行使出来る類のものではなく、多くの案が検討されたが、唯一この囮作戦が「まだ何も視えない」ということで採用されたのだ。


 ──でも、望月前会長は何人かのキーマンの扱いについては情報共有してくれたけれど、佐古さんの名前は出なかったな


 それが友香にはひっかかる。


 性犯罪歴があってもあの戦闘力ならば、という思いが拭えない。


 もしも事前に歳三の扱いについてなにがしかの指示があれば、友香はそれにしたがうつもりではあった。


 しかしその指示がないので友香は遠慮なく歳三を巣鴨プリズンに送り込んだのだが……。


「え? 佐古さんの端末反応がアクティブに?」


 それが意味する所はつまり、巣鴨プリズンダンジョンから釈放されたという事だ。


 友香の知る限り釈放された探索者はこれまでに存在しないので、これには流石の彼女も驚いた。


「れ、連絡しないと!」


 そして。


 ・

 ・

 ・


 ──『佐古さん!? 釈放されたんですか!?』


「あ、ああ。紙ペラもちゃんと貰ってきましたぜ」


 ──『じゃあ……もう佐古さんはこれまでの佐古さんじゃないって事なんですね』


「ん? ああ、そう、かもしれないです。それより今困ってるんですが、助言を頂きてぇんですが……』


 そうして歳三は家を失ってしまった事を告げると、友香の対応はまさに電光石火であった。


 都内の協会が押さえている物件をリストにし、ディスプレイに並べ、近隣ダンジョンも調べる。




 ──『……OKです! 今池袋なんですよね? だったら電車で30分くらいかな。祖師谷に丁度空いてる一軒家があるんですが、そちらに即日で引っ越しできますよ!』


「本当助かりますぜ、じゃあ……」


 そこに決めます、と言おうとした所で、真後ろに誰かが立っている事に気付いた。


 振り向けばそこには──


「歳三さん……」


 飯島 比呂の姿があった。






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「しょうもなおじさん、ダンジョンに行く」が第五回HJ大賞前期の二次選考に通過してました。一次選考から数えて3000作品以上の中、30数作中に選ばれるというのは凄いですね。埴輪庭先生おめでとうございます。


【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】※ネオページで先行連載中(ローファン)もよろしくお願いします。しょうもなおじさんのパクリみたいな感じですが、しょうもなは主要味方キャラクターは基本死なないカジュアル展開ですが、屍の塔のほうは塔が作れるくらいガンガン殺すので、違いがあるとしたらその辺です。

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