メンヘラ(飯島 比呂、四宮 真衣、鶴見 翔子)
◆
東京都青梅市、吹上峠──
颶風の速さで放たれた拳が空を切った。
「チッ……」
飯島 比呂は舌打ちをして
──『ヒィッヒヒヒ』
老婆の笑い声が闇夜に響く。
同時に、比呂は大きく横へ回避行動を取った。
するとそれまで比呂が立っていた場所を何かが文字通り、目にも見えない速度で通り過ぎる。
「だいじょぶそ?」
四宮 真衣が
「翔子の力で少しでも止められないの?」
真衣の言葉に鶴見 翔子は首を振る。
「視界に収められないから無理かな」
・
・
三人は今、丙級指定 "吹上峠ダンジョン " のヌシと戦闘をしていた。
◆
都道53号線といえば首都圏のバイク乗りには有名だが、吹上峠にはその53号線が通っている。
そして件の吹上峠だが3つのトンネルが存在しており、そのうちの一つがダンジョンと化した。
そこは、
難易度乙級相当、超音速のスピードスター『マッハババア』が。
・
・
「でも相手は直線的にしか動けないっぽいから、落ち着いて攻撃すれば──いや、やっぱり訂正」
真衣が苦笑する。
マッハババアは空気を蹴り、不規則な凄まじい三次元機動を見せながら三人へ迫ってくる。
真っすぐこられるより接敵の時間的余裕はあるが、捕捉のしづらさは倍ではきかない。
三人は先ほどからマッハババアの機動戦闘についていけてない。
有効打を受ける頻度も増えており、一言で言えばじり貧であった。
「どうしよっか」
真衣が形の良い眉をひそめて、困惑気味に言う。
すると比呂が
「私が止める。治療キット用意しておいてね。一番良いやつを。あいつの動きが止まったらすぐに殺して」
「はあ? ちょっと、比呂、あんたまた……」
言うなり比呂は飛び出して、仁王立ちとなって両腕を大きく広げた。
そして自身の内に燃え滾る怒り、憎悪、絶望を強く意識し──……
◆
この時、マッハババアの意識は比呂のみに集中した。
マッハババアは感じた。
比呂の全身から放射される害意の奔流を。
害意は毒液に浸された不可視の網となって、マッハババアの行く手を塞いでいる。
もはや呪いと言っても過言ではない
放っておけば必ず
そして狙いは過たず。
爪が比呂へと突き刺さり、次いでマッハの体当たりが直撃する。
瞬間──真衣が翔子の念動の助力を得て爆発的な推進力で飛び出し、勢いそのままにマッハババアを一刀両断。
真衣としてはすぐに比呂の手当をしたい所だが、視線はそのままマッハババアから切る事はない。
残心である。
「翔子!」
真衣が鋭く叫ぶが、叫ぶまでもなく翔子は倒れる比呂の傍にかがみ込んで手当をしはじめた。
比呂の身体は見るも無惨な状態だった。
右腕は肩から先が完全に千切れ飛び、残された袖口からは血が滝のように流れ出ている。
左腕も骨が皮膚を突き破って露出し、奇妙な角度に曲がっていた。
全身にはソニックブームによる無数の切り傷と擦り傷が走り、血と泥まみれだ。
足もまた、膝から下が逆方向に折れ曲がり、足首は不自然にねじれている。
肋骨は何本も折れ、胸部は内出血によって紫色に腫れ上がっていた。
呼吸は浅く、口元からは息を吸うたびに喉から血の泡が漏れ出す。
顔面も酷く損傷しており、左の頬骨は陥没して片目は腫れ上がって開いていない。
額からは深い裂傷が走り、血が顔全体を覆っている。
唇も切り裂かれ、歯が何本も欠けていた。
いつ死んでもおかしくない重傷──しかし、真衣も翔子もこの状況に
「ああ、これで5000万円が……」
翔子が嘆きながら黒い金属製のケースから取り出したのは、探索者協会で販売されている回復キットの中で上から二番目に高額な『ナノメディック・エクストラ』だった。
開けると、中には銀色に輝く液体が収められたアンプルが収められている。
その液体は微細なナノマシンの集合体であり、損傷した細胞や組織を高速で修復する能力を持っている。
「前回使ったのは2ヶ月前だから、耐性も消えた頃かな。細胞促進で消耗する寿命は半年くらい? まあここで死ぬよりはマシだよね」
翔子はアンプルを慎重に取り出し、比呂の胸をはだけて注射した。
ナノマシンたちは即座に活動を開始する。
体内の損傷部位をスキャンし、骨折や内出血、断裂した血管や筋繊維の場所を正確に特定──次に骨折箇所に集まり、微細な構造体を形成して骨を一時的に固定する。
それと同時に破れた血管を内側から縫合し、出血を止める。
千切れた右腕についてはナノマシンが断面を保護し、組織の再生を促進していた。
こんな調子で比呂は内部から高速で修復されていく。
「脈拍が戻ってきたよ」
翔子は比呂の肌の色が徐々に血色を取り戻していくのを確認し、ほっと胸を撫で下ろした。
「これで一安心だね。でも、すぐに病院いかなきゃ。腕が生えるまでまた入院生活だよ、おめでとう比呂」
翔子はそう言って比呂の額に付いた血を優しく拭き取り、ついでに皮肉も忘れない。
遠くで見守っていた真衣も、マッハババアが完全に消滅したことを確認し、二人の元へ駆け寄ってきた。
「比呂、大丈夫そう?」
「うん、それにしてもまたこれ」
これ、と翔子は瀕死の比呂を指さした。
「はあ。これだね。女ってほんとこれだよ。恋すると頭が馬鹿になるんだよね~」
「でも比呂が無茶しなかったらちょっときつかったかもね」
翔子が言うと、真衣も「まあそれは」と認めざるを得ない。
「佐古さんに未帰還判断がでてから半年。あれから比呂も荒れまくっちゃってねえ」
真衣がうんざりした様子でいう。
「でもおかしくない? どこのダンジョンで未帰還なのかも発表されないなんて」
翔子の言葉に真衣も頷く。
「もしかしたら、ほら、前会長の立ち上げた組織へ行ったのかも。こっちとしては面子が潰れるわけじゃん、乙級が足抜けしたなんて」
「ああなるほど。でも、それだったらStermじゃなくて個人の連作先まで軒並み音信不通になったりする? 私たちも命を助けてもらったからこんな事言いたくはないけど、やっぱり……」
二人がガールズトークをしている中、比呂は──
§
どうしてですか。
歳三さん、どうして──
どうして僕を置いていったんですか。
今どこで何をしているんですか。
§
比呂は闇の中、返ってはこない問いかけを何度も何度も繰り返していた。
渦巻くは歳三への想いである。
歳三が突然姿を消してからというもの、比呂の世界は色を失ってしまった。
何を見ても、何をしても、心にぽっかりと空いた穴は埋まらない。
「私を置いて行ったあなたが嫌いです、歳三さん」
嫌いどころか真逆なのだが、それでも言わずにはいられなかった。
歳三への想いは日に日に募るばかりだった。
しかし、その想いをどこに向ければいいのか比呂には分からない。
仇を討つにせよなんにせよ、拳の振り下ろしどころがわからなければどうにもならない。
探索者協会に情報開示を求めたが、それも蹴られてしまった。
比呂は自分の無力さを痛感し、苛立ちを覚えるようになった。
その苛立ちは次第に自分自身への怒りへと変わり、比呂を自棄的な行動へと駆り立てる。
危険なダンジョンへの単独突入、無謀な戦闘、仲間たちの制止も聞かず、命を顧みない行為を繰り返す。
だがこれは比呂の中では自暴自棄のヤケクソ行為ではなく、それなりに筋が通っている事でもあるのだ。
なぜなら──
──ダンジョンは願いを叶える。だから私は歳三さんにもう一度逢うか、私が死ぬまでダンジョンに行き続ける
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