日常14(飯島比呂)

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 飯島比呂は午前8時に起きた。

 平時の彼からすれば寝坊と言える時間だ。

 普段の彼は午前5時に起床し、庭で槍を振るい型の確認をし、その後は禅を組む。


 身体的トレーニングなどはしていなかった。

 というのも、その手のトレーニングはダンジョン探索で代用できるうえに、探索が齎す身体的干渉の方が自主トレーニングなどより余程効率が良いためだ。


 しかしこの日、比呂達は探索を休みにしており、休日は比呂も朝のトレーニングはせず知識のインプットや心身のリラックスに努めている。それは四宮真衣や鶴見翔子らも似た様なものだ。要するに探索の日は身体的トレーニングを積み、休日は精神的トレーニングを積んでいるという事である。


 口さがない者は比呂達の事をハーレム・パーティなどと呼んだりするが、比呂達は大抵の探索者などよりストイックな日々を送っているのだ。


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 世田谷区は成城の一画に建てられている一軒家が比呂の家だ。

 両親が居なくなってからは親戚筋からの干渉もあったものの、両親達の友人であった探索者達や、両親と親しかった協会職員らの "大人の知恵" で干渉を跳ね除け、今は静かに生活が出来ている。なお、大人の知恵とはややダーティな事も含む。


 維持費などはあるが、丙級でも稼いでいる方である比呂らからすればものの数ではない。


 比呂はリビングのソファに腰かけて、デバイスを開いた。

 デバイスとは要するにパソコンの事なのだが、ガラケーがスマホと呼称を変えた様に、性能の格段な向上と共にパソコンもデバイスと呼称を改められている。といってもいまだにパソコンと呼ぶ者は少なくはないが。


 そして片耳にワイヤレスイヤホンの様なものをはめこむ。

 この端末で脳波を読み取るのだ。


 そう、デバイス界隈では既にマインドデスクトップが標準仕様で扱えるようになっていた。マインドデスクトップとは要するに脳波で端末を操作するという技術だ。脳制御インターフェイスの黎明期には1分で1文字を打つようなポンコツが、いまや正確に脳波を読み取り、ノイズの類も排除した上でノンストレスで扱える様になっている。


 比呂はインターネットでとある人物についての情報を集めていた。

 といっても微に入り細を穿ちという程ではないが。

 言うまでもなくそれは歳三で、しかしネット上にはとにかく歳三に関しての情報が無かった。乙級探索者の総数は全国で500名前後だが、これは非常に少ない。ちなみに日本の芸能人の全数が15000人、プロ野球選手が900人ほどである。


 乙級探索者の数の少なさは存在の特別性に直結し、詳しい戦闘能力などは分からないにしても人となりくらいは調べればわかるものだ。例えば会う機会のない一流芸能人の事でも、ネットで調べれば上っ面くらいは分かるだろう。例えば探索者になる前は何をしていたかというような話などだ。しかし歳三にはそれがない。


 一応種はあって、協会が可能な限り歳三の過去についての言及を抹消してきたからだ。とはいえSNSで激しく炎上してしまった事実などは消せはしないが、歳三について言及したアカウントは削除、あるいは停止させている。


 たかが一探索者に、と思う者もいるかもしれないが、超人的な能力をもつ乙級以上の探索者達について、協会は…ひいては日本という国が彼等から目を逸らす事はない。


 人間という種がどこまで "昇る" 事ができるのか。あるいは、進む事ができるのか。甲級探索者と乙級探索者は一種のモデルケースでもある。それを考えればある程度の特別扱いはされて当然ともいえた。


 特に歳三などはメンタルがダンゴムシより弱いくせに純戦闘能力はちょっとおかしいという厄介物件だ。日本パパと協会ママの心労は推して知るべしと言った所だろう。


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「これは…歳三さん?」


 比呂はぽつりと呟いた。

 それはSNSにあげられていた短い動画だ。


 動画内はややバイオレンスな光景が広がっていた。

 銃らしきものを構え、狂った様な叫び声をあげている男。

 斃れ伏す中年男性と怯える中年男性、そして歳三。


「あ、危ない!」


 それが過去の映像であるにもかかわらず、比呂は叫んでしまう。

 男が歳三に向けて銃を撃ったからだ。


 銃撃というのは恐ろしいものだ。

 生物を殺傷する事に特化したその行為は、身体能力に優れる探索者でさえも容易に殺傷せしめる。

 探索者には銃は効かない、などと嘯く者は枚挙に暇がないが、比呂から言わせればふざけるなといった所であった。

 探索者だって人間だし、撃たれれば怪我する上に、当たり所が悪ければ死んでしまうのだ。


 しかし歳三の左掌が流れる様に動き、あろうことか銃弾を掴み取ってしまったではないか。


 ──ま、廻し受け…見事な…


 飯島比呂という青年は根が努力する天才体質に出来ているため、古今東西のあらゆる格闘技術の一通りの知識、そしてそれを実践するだけの身体能力がある。

 そんな彼だからこそ分かる事がある。


「い、一体どれ程の修錬を積めば…。でも俺にだって分かる事もある…武の極致、その果てを踏み越えた修錬の結晶の輝きがッ!見た目には現れなくても、その業が雄弁に語っているじゃあないかッ!」


 比呂はまるで格闘漫画の説明役の様な事を叫んでいた。

 目は潤み、頬は赤く染まっている。

 その様は比呂が情欲に囚われているようにも見えるが、しかし少なくともこの時点での彼は、歳三に対して不埒な想いなどは抱いていなかった。


 比呂は高揚した精神のままにパジャマ&裸足のまま庭へ飛び出し、庭に立っている木に正拳突きを叩き込んだ。腹の底にグツグツと煮え滾る、比呂自身にも形容の出来ないなにがしかの希求めいたモノを発散しないではいられなかったのである。


 ズゥンという重い音が響き、青い夏葉がひらひらと舞い落ちる。


 次瞬、ギャリと音でも聞こえてきそうな程に強烈な腰の捻り。

 右下から左上へ。逆袈裟に斬りあげられる様に繰り出された蹴撃は、葉の数枚をその爪先で以て切断した。

 爪で斬ったわけではない、蹴りの鋭さで斬ったのだ。


 比呂は少し息をついて暫時空を見上げる。


 ──月までは遠そうだ


 軽く息を荒げ、汗を滲ませる比呂の姿は、性別を超えた妖艶さが醸し出されていた。

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