日常62(歳三、金城 権太)

 ◆


 あれから歳三はまっすぐに帰宅した。


 鉄騎、鉄衛らと話したいという気持ちはあるが、じゃあ何を話すんだということを考えるとまっすぐ帰宅がベターだと思ったのだ。


 二機の精神構造が人間のそれと同一であるかどうかは定かではないが、少なくとも人間関係では "一緒にいるための目的" よりも "一緒に居たいという欲求" が優先されるシーンがままある事を、歳三は知らない。


『久しぶりだし、少し話していこうぜ。海野さん、俺も本社へ寄ってもいいですかい』


 これが歳三には言えない。


 もう少し話したい…そう思ってはいても、どうしてもダンジョン探索の為だとかそういう理由をつけようとしてしまう。理由があれば相手は断りづらいだろうという計算が働いているからだ。


 そしてその探索は終わったのだから、もはやまっすぐ帰る以外にはない。


 断られ、心が傷つく事を恐れる惰弱な精神が歳三を受けに回らせている。


 ダンジョン領域内に於いてはドラゴンより強い歳三だ。実際に10m近いドラゴンモドキを鎧袖一触でぶち殺した事がある。しかし一歩ダンジョンを出てしまうと、歳三はたちまち弱者男性になり下がってしまう。


 経済力はある。歳三の年収は1月から8月まで5億を下回った月はない。今月などは旭真大館関係の依頼の報酬でン百億が振り込まれている。


 フィジカルもある。今の歳三ならば重機や兵器に頼る事なく、拳のみで高さ634m/総重量36,000tの東京スカイツリーを、極めて短時間の内に地上から消滅させる事ができるだろう。


 しかし心が弱い。


 弱者男性の "弱" とは、心の弱さを意味する単語なのだ。


 ◆


 翌日の朝、やはりいつものルーチン──…喫煙、喫煙、喫煙などをこなし、平穏な朝のひとときを過ごしていた歳三だが、端末に届いている電子メールの送信名を見てやや心が弾んだ。


 相手は金城 権太だ。


 恐らくは飲みの誘いだろうと思って内容を読むが、どうやらそうではない。


 金城 権太からのメッセージは自身の近況やらここ最近のゴシップやら、後は京都の依頼について礼を述べたりと取り留めがなかったが、詰まるところは歳三に話があるとの事だった。そして、その話は悪いものではないらしい。


 時間は何時でも良いから今日会えないかという権太のメールに、歳三は "すぐ行きます" とだけ返した。


 パジャマを脱ぎ捨て、グレーのチノパンと黒のシャツを着る。チノパンは未洗濯だが、シャツはちゃんと洗濯機にかけてある。下着は毎日洗う、シャツなども同様。しかしパンツについては数日に一回でいいだろうというのが歳三の持論だ。


 そして、着替えるなりすぐに家を出る。


 時刻は午前8時をまわった所だ。


 時間が早いせいか気温もそこまであがっておらず、気持ちの良い朝だった。


 天気も良い。


 雲は少し多めだが、これぞ夏の空という塩梅で歳三は心が浮きたつのを覚える。


 ここ最近、歳三はちょっとグロテスクなものやホラーなものばかりを見てきており、それらは歳三の心に見えないきずを与えていたのかもしれない。


 歳三は脳裏に幻想のパレットと画用紙を用意し、現実では到底描けない技巧で空を写し取った。特に理由はないが『この空を覚えておこう』そう思ったのだ。


 そして無意識的に空を肴に一本吸いたくなったが、路上喫煙は条例違反なのでそこは自制する。


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 買い取りセンターは朝から盛況だ。広いスペースに多種多様な恰好をした探索者達がごった返している。サイバーパンク風の近未来的全身バトルスーツに身を包んだ者や、全身タイツを着ている者もいるし、迷彩服を着た者、着物を纏った者など枚挙に暇がない。


 探索に着物というのは酷くアンマッチに思えるが、こういった服装の探索者は採集にせよ戦闘にせよ、その探索行為の大半をPSI能力に依存している。


 そしてPSIの能力の出力の大小は、言ってしまえばやる気次第みたな所があるのだ。だから出力をあげるために好きな恰好をしてテンションを↑↑↑ぶち上げるというのは一応の合理性がある。


 ちなみにこの場にいる者の多くは夜勤組である。


 夜間働いて日中は休むという探索者も少なくない。


 買い取りカウンターはどこも人が並んでいるがしかし、一か所だけ妙に人が少ないカウンターがあった。


 金城 権太が担当するカウンターである。


 権太は単なる買い取りおじさんではないのだが、この買い取りスペースがより多くの探索者を見る事ができるということで長年居座っているのだ。


 そんな権太を苦手とする者は多々おり、まあ単純に見た目が暑苦しいのとちょっとした傷もお目こぼししてくれない厳しさが主な原因であった。それと彼が風俗大好きおじさんであることは既に知られており、それが為に女性探索者などは何となく権太を敬遠してしまうというのもある。


 なによりも、権太の外見は控えめにいっても不細工に類するものであるという点が挙げられる。


 その気になれば幾らでも美形になれるし、性別だって変更できてしまう世の中だ。そんな世の中でなお "デブハゲ油おぢ" というのは、これは一種の新機軸の変態かなにかという事で、世間からは変わってる者扱いされてしまう。


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「やあ、やあ、やあ、佐古さん。お久しぶりですねぇ。ええと、それじゃあ早速ですが、まま、奥の部屋でお話しましょうか」


 歳三がカウンターまで行くと権太はにこやかに出迎えてくれた。


 奥の部屋──…まあ面談室なのだが、そこには既にお茶とお茶請けが用意してある。


「まあお茶でもどうぞ。煙草は吸われますよね?ご自由にどうぞ。最近ダンジョン素材をつかった空気清浄機を採用しましてね。如月工業が一般家庭向けに開発したものなんですが。私は反対したんですよ、あの如月工業ですからね。空気清浄機なんてうそぶきつつ、実の所はもっと不気味でおぞましくてひどいモンじゃないのかって思いまして。佐古さんもそう思いませんか?なんたって如月工業ですからねえ。まあこんな事は会長の前では言えませんけれど。一応会長の親戚筋が経営している企業ですから……」



 如月工業とはとある遺伝子工学の権威が起業した国内企業であり、生体兵器開発に特化した企業である。規模としては研究所レベルの極小さいものだ。


 主力製品である "KSG-JORO-Style" は遺伝子操作された巨大な蜘蛛で知能が高く、その糸はモンスターを絡め取り、ユーザーを大いに支援する。また最近ではモンスターに向かってノロノロ這いより自爆をする芋虫型生体兵器も開発している。


 生体兵器にこだわる理由はダンジョン攻略を見据えての事なのだが、この特殊性を苦手とする者は少なくない。権太もその一人であった。


「それでね、お話っていうのはまあ率直に言ってしまえば甲級昇格についての打診なわけです」


 そんな権太の言葉に、歳三は意外にも感激したりといった様子は見せない。「そうなんですか」と散文的に応じたのみである。この時、彼の心は凪いでいた。


 というのも、歳三の目的は別に探索者としての位階を極める所にはないからだ。戌級だろうと丁級だろうと、乙だろうが甲だろうが歳三には知った事ではない。


 彼の目的は社会復帰をする事である。


 ちゃんと生きる、やりなおす……歳三はそんな思いで25年以上探索者稼業を勤めてきた。


 だが問題は、歳三自身がゴール地点を見いだせていないという点である。


 彼には足元しか見えていない。


 周囲は真っ暗でしかし足元だけは見えている。先に何があるのか分からないし、後ろを振り返ってもどんな道を歩んできたのかも確認できない。だがいつかは光に辿り着けると信じて、ひたすら歩を進める。


 この様な精神状況は、現状を脱したいと切望する者特有のものだ。


 歳三の精神世界には常に霧がかかっている。


 虚無感の冷たい夜気が歳三の心を冷やしている。


「……まぁ、それはそれとしてね。ところで佐古さん、最近のダンジョン探索はどうです?調子なんてのは」


 権太は話題を変えた。協会が甲級に求めている役割を考えると、あるいはこの話は見送った方がいいのかもしれないと思ったからだ。


 甲級とは "行きついてしまった者" の最後の一線のような場所だと権太は考えている。そこから一歩踏み出させない為に協会が設けた防波堤だ。


 肉体と精神が多少変わっても、在り方さえ変わらなければ人は人で居られるというのは協会会長・望月の言葉であった。


 ──推定甲級の、恐らくはイレギュラーと類推される個体を撃破。これはもう人間を辞めたかと思っていたが


 権太は胸中でそんな事を思い、続く歳三の言葉で甲級昇格を見送る事に決めた。


「楽しんでやらせてもらってます。最近は一緒に行ってくれる奴らがいるんですがね、一人の時とは具合も違いますけど……」


「ほうほう、ご友人ですかな?ではこれからもその友達と探索を楽しんでいきたいと」


「ええ、まあそう思っています。まあ友達って感じじゃァないとおもうんですがね…この年で友達なんてのも変な感じですし」


「いやいやいや、それは酷い事を言いますなぁ!私は違うので?」


「そういう訳じゃあないですぜ、金城の旦那も意地が悪いなァ。新しく友達を作るなんて、って事ですよ」


 と、まあその様な具合で会話が弾む。


「ええ?また病気貰ったんですかい?春先もそんな事を言ってたじゃないですか」


 歳三が驚いた様子で言うと、権太はゲェッゲッゲッゲとフロッグ・モンスターの様に不気味に笑う。


「まあ性病なんてのはね、男の勲章ですから。それでね、甲級の話なんですがまだ検討段階でしてね。人数が決まっているんですよ。それで今のメンバーが誰か退職するなりしたらね、まあ打診にお伺いしたいとおもいまして。ままま、いまは心に置き留めておいてくれるだけで良いですから」


 そんな男の勲章は要らないなァと思いつつも、歳三はウンウンと頷いた。


 それでね、と権太が続ける。


「例えばの話ですが、とぉ~っても難易度の高いダンジョンがあったとして、それを放っておくと大変な事になるとします。中に"何か"がいるのかもしれませんな。でも私らはダンジョンの管理も仕事ですからね、どれだけ難易度が高くても怖いから捨て置くってわけにもいかないんですわな。おっかないダンジョンですからねえ、命の保証もない。佐古さんは強いですが、もしかしたら佐古さんでも危ないかもしれない。なにせ中の事は何もわかっておらんのです。佐古さんはそんなダンジョンに行きたいとおもいますか?」


 歳三は首を振って言った。


「いやあ流石に行きたくはないですぜ。俺だって死ぬのは嫌だ。せめて中の情報が少しでもあればいいんですがね、そりゃあ仕事だっていうなら行くでしょうが……京都の時みたいにね」


「進んで行くっていうのは嫌だと?」


「まあ、そうなりますねぇ」


 歳三が言うと権太はふと何かを考え、ややあって続けた。これは本来聞くべき事ではないと権太自身も理解しているのだが、なぜか聞いてみたくなったのだ。


「そのダンジョンを放置してしまうと、協会が、いや、例えば私が凄く困るかもしれない。もしかしたら死ぬなんてことがあるかもしれませんな。私もその辺の探索者程度には動けますからダンジョン攻略に、なんて事もあるかもしれませんしね。まあ腹の肉をもう少し落とさないといけませんが。だから仕事とかではなく、私が助かりたいから佐古さんの力を借りたいといったらどうします」


「その……"何か"ってのが悪さして、金城さんをどうこうするって言う事ですかい?」


 歳三の問いに権太は是と答えた。


 すると歳三は "まあその時は" と言ってから残っているお茶を一息に飲み乾す。


 そして権太の目を見ながら言う。


 この時、権太は歳三の目の奥に熱雷が走るのを見た。





 ──その時は、俺がそいつを殺りますよ


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 この日、佐古 歳三の甲級昇格は保留された。

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