日常61(歳三、海野 千鶴、鉄騎、鉄衛、ハル)


 3時間程度を見込んでいた千鶴は、歳三達の予想以上に早い帰還に面食らった。何か想定外のトラブルが発生したのではないかと思ったからだ。


「そうだったんですか、でも素早く目的達成できたのは良かったですね。二機の慣らしもできたようですし。ともかく、トラブルなどがなくて安心しました」


 千鶴の髪先が風もないのにふわりと揺れる。歳三がちらとそれを見ると、鉄衛がモノアイを暫時明滅させて言った。


『チヅ、本心かラ安心シテルネ。粒子乱れヲ確認。PKサイコキネシス漏れテルケド。トラブル、ソンナに心配カ?』


 鉄衛の声はまるで無垢な少年を思わせるものだったが、ややぎこちない。しかしこれでもアップデートの為に以前よりはスムーズに会話できる様になっている。どこか棒読み調なのは否めないが…。


 鉄衛の言葉を受けて千鶴が自身の髪に意識を向ける。すると髪のふわつきはたちまち収まった。


 海野千鶴の長く美しい髪は人工のものである。


  ダンジョン素材から開発された "カプララミド" という新素材を桜花征機の技術力によって頭皮に移植したのだ。


 天然の髪の毛と同程度の細さでありながら、極めて強靭。彼女の髪の毛を切断するためには特殊な工具が必要となるだろう。


 彼女はそれをPSI能力によって操り、自身の戦闘手段として活用もしている。


 PSI能力は意識を波へ、波を粒へ、粒を物質へと伝播させていく技術だが、起動のトリガーが意識である以上その時々の精神状態によって誤作動を起こす事が多々あるのだ。千鶴の場合もこれにあたる。


「あら、これは失礼しました。勿論本心から心配していますよ」


 千鶴は澄まして答え、胸中で自身がなぜそこまで安心しているのかを自問してみるが、答えは出なかった。


 そして念の為に錠剤を一錠追加で服用する。


「具合でも悪いんですかい?」


 歳三が問うと千鶴は「ビタミン剤です」と答えた。


 ふわりと毛先が揺れる。


 ◆


 今回はダンジョン探索というより戦闘だったが、本来の探索はもう少しフィールドワークめいた事もする。


 その辺の石を拾ったり、自然を破壊して植物なりを採取したり、あるいは単純に一切の戦闘を避けてダンジョンのマッピングにいそしんだり。そのあたりは本人の目的にもよる。


「協会品川支部はあのダンジョンを乙級や丙級の探索者達、あるいは丁級の上位の探索者達の呼び水にしたいようですが、人気のあるダンジョンというのはビジュアル的にも控えめだったりするのですよね。話を聞く限り、桜の広場のダンジョンはどうも人気が出るタイプではないように思われます」


 千鶴の言葉に歳三も頷いた。


 ダンジョンがどれほど不気味だろうと歳三は気にも留めないが、歳三から見てもちょっとホラー味が強いダンジョンであったように思える。


「桜の樹の下には死体がある、って言うでしょう?」


「ええ、梶井基次郎センセがそんな話を書いていますが、そこから広まったって聞いた事があります」


「あら、そうなんですね。大変異前の作家さんでしたよね、読んだ事はないのですが……。そう、広まった言葉というのは力を持つ、のだそうです。その力がダンジョンの形状を決定づけているのだとか。簡単にいえば、桜の樹の下には死体が埋まっているという念が桜の広場のダンジョンを作り出したといえる、のだそうです。正直その辺は私にも良く分かりませんが」


 この辺のダンジョン周りの最低限の知識については、協会でも新米探索者へ最低限の教をが施しているが(日常45参照)、実の所は諸説あるために真実は定かではない。


「じゃあ皆が変な事を考えず、楽しい思いを抱いてれば平和なダンジョン?なんてのもできるんですかねぇ」


 歳三がそう言うと、千鶴はやや思案してから答えた。


「高尾山ダンジョンとかはそういう "平和なダンジョン" にあたるかもしれません。獣除けのスプレーとかで事足りるそうですし、山菜を摘みにくる一般人の方々も多いそうですよ」


 そういったダンジョンは各地に存在し、地域の経済に大きく貢献していたりする。


 ◆


 歳三達が公園の出口に向かって歩いていると、前方から探索者の一団が歩いてきた。


 赤いボディスーツを纏った若い女性を先頭に、数名の男女が後に従っており、何人かは撮影機材らしきものを担いでいる。


「DETV所属の探索者だと思います。彼女、動画で観たことありますよ。確か、ハルさんっていったかしら」


 歳三がふぅんと視線を向けると、件のハルも歳三を見ている。しかし様子がおかしい。


 目は大きく見開かれ、口はオーの形に。


 そして挙動不審気に歳三の後ろに付き従う二機を見て──……


 ・

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 国内には探索者協会が一大探索者勢力として幅を利かせているが、他にも大小様々な探索者組織が存在する。


 東京都港区青山に本社を置くDETV社(ダンジョンエクスペディションTV)は、その一つで組織の規模としては大きい方だ。


 DETVでは探索者は "ダイバー" と呼ばれており、独自の階級制によって区分されている。


 なにより特徴的なのは、彼等の目的が協会のそれとは異なり、"配信" にある事だ。


 DETVの主な収益源は動画配信サイト "ミューチューブ" にダンジョン探索の動画配信で、ダイバー達は一回でも多くの再生回数が得られる様に日々活動に励んでいる。


 そしてハルはDETVのベテランダイバーで、そのレベルは何と79!これは協会基準でいう所の乙級相当なのだが……実際の所は大分格が下がると言わざるを得ない。


 そのあたりを勘違いすると代価を自身の命で贖う事にもなりかねないのだが、ハルは実際にそうなりかけた(新宿歌舞伎町Mダンジョン⑫参照)。


 ハルは運よくその命をながらえさせることが出来た。しかしその代償といってはなんだが、鉄騎からは半ば脅迫されるようにしてDETVの内情を探るという約束を取り交わす事にもなった。


 これは桜花征機の意向ではなく鉄衛の意向である。


 二機の中での優先順位は新宿の頃にはすでに歳三が一位で、それから桜花征機と順位が逆転している。


 ゆえに今後の事を考えて、いざという時の避難所の構築、および(歳三にとって)有害な組織であるならその早期排除の為に手駒を潜ませておこう……という鉄衛の考えに鉄騎も同意し、そしてかなり強引だがハルを取り込む事にしたのだ。


 この約束は現在までしっかりと履行されている。ただハルとしては歳三達は命の恩人でもあるが、非常に強い苦手意識を持ってもいる。


 ◆


 ひぇ、とハルは胸中でか細い悲鳴をあげた。


 ──新宿のバケモンおじさんだッ!!


 ハルは歳三の暴虐を間近で見ており、彼女が歳三に対して抱く恐怖は甚だしい。


 ただ、その恐怖には嫌悪感はない。


 感謝の念はあり、DETVの内情を探るというのも別段抵抗はなかった。そもそも高難易度ダンジョンでの配信を推したのは社長である尾白 皇華であり、ハルとしてはその判断を今でも恨んでいるのだ。


 頭部が刃物で出来ているブレイドヘッド・ヤクザモンスターに仲間がバラバラにされてしまった光景は今でもハルの夢に出てくる。


 乙級指定 新宿歌舞伎町Mダンジョンは彼女にとってのトラウマで、ハルはいまでも新宿を避けている程だ。


 だから地獄から彼女を救い出してくれた歳三にはとても感謝をしている。


 しているが、それはそれとし歳三がバケモン過ぎてビビっている。


 ただそれだけの話であった。


 ちなみに鉄騎と鉄衛にも彼女は気付いている。


 穴も開いていない真っ黒なお面をかぶり、上から下まで黒にキメた二機は、彼等を知る者からしたらカモフラージュにもなっていない。


 そもそも変装を脱いだところで、その姿は大して変わらないのだから。


 ならばそもそも変装などしなくてもいいのではという話にもなるのだが、何処の企業のボディアーマーか、もしくはどこの企業でサイバネ手術を受けたのかという疑念を招く可能性もわずかながら存在するため、念のためにという事で二機は変装をしている。


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 そんなバケモンおじさんであるところの歳三だが、ハルの事はすっかり忘れていた。


 鉄騎にせよ鉄衛にせよ、ハルが約束を履行しているかぎりは特に何をするつもりもなかったし、ハルの一団と歳三達は特に何かイベントが発生する事もなくスレ違った。


 ◆


 帰りの車内。


 歳三は駅まで、そして二機は桜花征機への帰還になる。


「今後はまたこの様にしてデータを取るために鉄騎と鉄衛を同行させていただければ幸いです。また、二機の所有権は佐古様にあるため、こちらの都合は特に考える事なく探索への同行を要請してくださって構いません。エネルギーのチャージング、メンテナンスにつきましては桜花征機の方で承りますのでご安心くださいね」


 千鶴の言葉に歳三はハイと頷いた。


 車は走り、やがて駅へと到着する。


 降り際、妙にぎこちない様子で千鶴がいった。


「本社に連絡をするのがおっくうな時は……そうですね、私の方までご連絡をいただければ……」


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 その日、歳三の端末の連絡帳に連絡先が一つ増えた。

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