日常63(歳三、城戸我意亞)
◆
「よう、おっさん。また金城の親父と密談かい?」
帰ろうとする歳三を背後から呼び止める声があった。
振り返ればそこには男が立っている。
艶のある長くて赤い髪をたなびかせ、ローンウルフを思わせる笑みを口元に浮かべる姿はやけに
服装はと言えば、9月でまだまだ暑いというのに赤いロングコートを着ている。屋内は強い冷房が効いているが、外ではこの服装では辛いだろう。
異常な男であった。もしかしたら馬鹿なのかもしれない。
だが歳三はこの男に見覚えがある。
何かと話しかけてきては勝手にべしゃって、そして去っていく謎の男として強く印象に残っていた。
他人にいきなり話しかけられることにたいして大きなストレスを感じる歳三だが、この男の場合はもう何度も話しかけてくるのだ。いつしか歳三は無意識的にこの男を人間ではなく、"そういう現象"として非人間化して捉える様になっていた。
──ああ、あの兄ちゃんか
そんな事を思った歳三は黙って振り向いた。
「最近派手にやってるそうじゃねえか。方々で噂を聞いているぜ」
歳三は頷く。
──最近こういうのが分かる様になったけど、この兄ちゃんは飯島くんより厚みがあるよな
厚みだとか存在感だとか、歳三自身もその感覚がどういうものかよくわかっていないが、ともかくも何か感じるものがあるというのは事実だった。飯島比呂が切れ味鋭い剃刀のイメージであるなら、この男には分厚く折れにくく、そして切れ味も鋭いバトルナイフのイメージが重なる。
歳三の見立てでは「多分乙級の人かな」といった印象である。
歳三は黙って男を見つめた。これまでの邂逅の内、歳三は何度か男と意思疎通を図った事があったが、そのいずれも失敗している。男が勝手に話して勝手に納得して勝手に去っていく"現象"である事は歳三も既に理解していた。だから見るだけ。
「……厳しい感じか?」
男の問いかけに歳三は短く「いや」と答えた。
何が厳しいのかどうかは分からなかったが……。
すると男は「そうか。いつでも力になるぜ」などと言って去っていく。
結局歳三は今回も男とまともなコミュニケーションを取る事ができなかった。
◆◆◆
丙級探索者
一口に丙級といっても格があるのだ。
野球で例えるならば、戦力外通告目前の選手と三冠王が共に "プロ野球選手" と呼ばれるように、同じ括りであっても上下の差はある。丙級という階級はそれが特に著しかった。故に非公式ではあるが、丙級上位、中位、下位などと細分化する者もいる。
そして我意亞はといえば、当時はまごうことなき丙級下位だった。
それでも堅実に探索者稼業に努めるならまだ救い様がある。
しかし我意亞は不真面目であった。
彼は自身の能力を過大評価し、リスクを無視する傾向があった。自分が丙級探索者としての限界を超えた任務に挑むことができると信じて疑わない。当時の我意亞は、自分がどんな困難な状況でも乗り越えられるという根拠のない自信を持っていた。一般的にそういう有害な自信は "過信" と呼ばれる。
それでも実際に結果を出せていたならまだ救い様がある。
しかし我意亞はしばしば失敗をした。
といっても深刻なものではない。例えばいい加減な知識で後輩へアドバイスをして、結果としてその後輩探索者が無惨な死を遂げたとかそういう失敗はしていないし、勿論彼自身がモンスターやダンジョンの環境に殺されたという事もない。
最低限、丙級なりの実力自体はあるのだ。深刻な失敗を繰り返す様なら我意亞はそもそも丙級になれていないし、もしくは既にこの世にいない。
ただ「俺ならやれる」「こんな依頼は楽勝だ」──…そんな大言壮語の末に「やっぱりだめでした」という様なパターンが他人より多かった。
そんな我意亞が周囲から軽んじられるのは当然の帰結であり、生来見栄坊である彼がそんな空気に反発するのもまた当然であった。舐められている、そんな思いは彼の態度をより硬化させた。
更に言えば、そんな我意亞が周囲との摩擦によってトラブルを起こすというのも当然の結末であった。
最終的に我意亞は池袋本部へ所属を移した。
渋谷支部に彼の居場所はもう存在しなかったのだ。
一人と孤独は似てはいるが明確に異なる。
一人は時に薬となるが、孤独は毒にしかならない。
この毒におかされれば心が軋み、痛み、それが続けば人は狂うのだ。
我意亞は狂う前に逃げたが、それは今後の事を考えれば良い決断だったといえるだろう。
◆
我意亞が歳三という男をはっきり認識したのは、本部に所属を移して暫くの事だった。当初は歳三の事を随分としょぼくれたおっさんだななどと小馬鹿にしていたものだが、それは長くは続かなかった。
彼には一般人の恋人もおり、渋谷支部でのていたらくを知った我意亞の恋人からの説教も効いたのだろう。我意亞は再び探索者として成長し、生物としての階梯を昇っていく内に、それまで見ていた歳三の姿が仮初のものではないかという疑問を抱いたのだ。
──もしかしたら、だが。まあ話せばわかるか
ある日、我意亞は思い切って歳三へ話しかけてみたことがある。
歳三の纏うしょうもなオーラが真にしょうもないアレなのか、それとも周囲に対する一種の偽装なのかが気になって仕方がなかった。
──『よう、おっさん。調子はどうだい?』
しかし応えは無い。
それどころ僅かに顔が紅潮し、なにか只ならぬ気配を感じさえもした。
周囲の探索者達がざわりとどよめく。
この時すでに歳三はアンタッチャブルな存在と化していたのだ。
──馬鹿野郎、あの赤毛、タダじゃすまねえぞ
誰かがそんな事を言った。
高難易度ダンジョンの非常に危険なモンスターの素材をドカドカと持ってくる歳三は、その冴えない風貌とのギャップで非常に不気味でヤバい存在だと思われていた。幾名かの勇者は歳三とコミュニケーションを取ろうと試みたが、その悉くが失敗に終わっている。
顔を紅潮させギラリと睨みつけてくる歳三の全身から、怒炎が立ち昇るのを我意亞は
勿論勘違いである。
歳三がしょうもなコミュ障を発症させただけなのだが、我意亞はそんな歳三に対して盛大にビビり散らし、ほんのわずかながら失禁までしてしまう。
しかしそこは根が調子コキかつハッタリ依存症である所の我意亞だ、衆目が集まる所でみっともない姿を晒すくらいなら死んだ方がマシだった。
だからと言ってはなんだが、我意亞は歳三を見てフンと鼻で笑い、その場をゆるりと立ち去ったのである。
要するにイモを引いて逃げ出したのだ。
最低限の面目を維持したまま。
だが後日、我意亞はちょっとした高評価を受けていた。
アンタッチャブルに対して堂々と対峙した態度がウケたのだ。
それからだ、我意亞が歳三に絡みだしたのは。承認欲求の甘い毒に脳みそがすっかりやられて、知能が一時的に低下してしまったのだ。
さらには生来の調子コキマインドが騒ぎ出したか、なにやら意味もなく意味深な事を言ったり、自分を大物に見せようとしたりしだしたのもこの頃からであった。
しかし渋谷支部の頃とは明確に違う点があった。
実力を客観視し、達成確率が高いと思われる依頼を堅実にこなし、成功体験を積んで着実に成長していったのだ。
この工程は過信を自信へと転換させる作用がある。
そして自信という翼を背に、我意亞は成長していった。
仲間もできた。
そんな彼を「おもしれー奴」と思った者たちが居たのだ。
そんな者らとチームを組んだりして孤独という毒も抜けた。
結句、現在の我意亞は妙な立ち位置の探索者として池袋本部の面々に知られる事となる。
丙級上位の腕利きでありながらも、口を開けば薬にも毒にもならないスカスカで思わせぶりな事だけをぶっこく何だかちょっと変な奴──…として。
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