日常5(佐古歳三、飯島比呂他)


ある日。


飯島比呂が思う所の理想、彼の月とやらである歳三は、入院早々に暇を持て余していた。権太が持ってきた雑誌は面白かったが、そんなものは読むのに数時間もかからない。文庫本でも頼んでおけば良かったなどと思いつつ、歳三は漫然と指毛を抜いていた。


案外にもエチケット尊重主義者である所の歳三は、何かの雑誌の身だしなみコラムを読んで、指毛というものは不潔である事を学んだのだ。ただし、学んでいない事についてはノータッチだ。生来の察しの悪さが影響しているのだろう。とはいえ、幾ら抜こうと数日で元通りモジャモジャしてしまうのが哀しい所ではあるが。


しかし、そもそも何故指毛などというけったいなモノが生えているのか。プラズマ・ボルテクスの高温に炙られ、全身の毛どころか皮膚までも焼け爛れさせた筈なのに。如何に乙級指定の探索者といっても少し度が過ぎた治癒能力である。


医療センターに運び込まれた歳三は、当初こそ瀕死であったものの、それなりに高度な医療措置を受けてからは治癒力が爆発的に加速した。それこそ1時間ごとに皮膚が再生していく様子に医者は目を見開いて、歳三がモンスターではないかどうかを確認したほどだ。


そんな歳三は、一週間もすれば既に人差し指と中指…要するにカニさんの真似をしながら鉄板を潰し斬る事が出来るくらいには元気になっていた。とはいえ経過をみる必要もあり、即時の退院はできない。だから歳三は余暇時間を活用して、指毛の除去を試みる次第であった。


歳三は指毛をプチプチと抜いている。

しっかり抜けているかどうかを確認する為に手を軽く握り、抜毛部を頬にこすりつけて確認しようとするが、髭のせいでよくわからない。そう、髭が生えてるのだ。しかも伸ばしっぱなしである。エチケットというものに向ける意識、指毛に向ける配慮はありながらも、頬と顎…さらには喉のほうまでボウボウと広がる針金の様な髭に気付かない自身のしょうもなさに、歳三は思わず呻いてしまう。


「ぐおっ…!ぐおっ…!!」


野太い慙愧の呻き声が病室に広がり、哀切の余韻を残して霧散した。


──こんなもの、まるっきりただの馬鹿ではないか!


内心の絶叫を歳三は否定できない。

"俺のアタマは本当に大丈夫なのか" と表情を歪めてしまう。


この時歳三はダチョウを思い出した。

以前、歳三はとある動画を視聴したのだが、その動画内で一羽のダチョウの頭部がパイプと壁の間に挟まっていた。ダチョウは藻掻くが頭部は配管…パイプと壁の間から外れる事はない。

しかしダチョウは力任せに頭を引っこ抜こうとし、ついには頭部が千切れてしまった。それなのに身体は元気に藻掻いている。

ダチョウという生物は余りに馬鹿なので、自分が死んだ事にすら気付いていないのだろうというコメントがあった事を歳三は思い出す。


──俺とダチョウ、どちらが賢いのだろうか


そんなことを思うと歳三の気持ちは沈んでしまう。

だがそんな馬鹿であるところの歳三も、なんとかしたいとは思っているのだ、オツムを。故にダンジョンの干渉能力を利用して賢くなろうと試みた事もある。彼の思う "真の男" とは、身体能力のみならず、オツムも強いものであるからして。


しかしそれは悉くうまく行かなかった。

なぜなら歳三は頭が良いとか、賢いとか、そういうものがよくわからないからだ。


強く、そしてタフな身体というものは容易に想像ができる。

しかし賢いオツムとはどんなものか、歳三にはよくわからなかった。それなりに確固たるイメージがなければダンジョンの干渉力も及ばないのだ。


逆に、確固たるイメージさえあるならば、そのイメージの強度に従ってダンジョンからの干渉力も強まっていく。

例えば身長、例えば体重、例えば性別ですらも。


このダンジョン時代に於いて、探索者という仕事が非常に危険なものであるにも関わらず人気を博しているのは、ダンジョンからの干渉力によって "理想の自分" へ変身できるチャンスがあるからだ。



午後のひと時。


病室にノックの音が響き、歳三が応じると看護師の女性が顔をのぞかせ、見舞いの者が来た事を告げる。見舞客の名前は飯島といい、歳三もその名前は覚えていた。


そして…



「佐古さん!重傷を負ったと伺いましたが、大丈夫ですか!?」


病室のドアを破壊するような勢いで入ってきたのは、一人の華奢にすら見える青年だ。やや癖のある薄茶色の髪に、猫を思わせるくりりと大きい目。服装はブラックのデニムに白いTシャツの上に薄紫色のカーディガンを羽織っている。見える部分の肌は白く、とても荒事が得意そうには見えない。しかしその内に秘める暴の恐るべきは、本気で殴りつければハーレーの様な重量級のバイクでも一撃粉砕出来る程である。仮に一般人の顔でも殴り飛ばした日には、頭部が首から引き千切られて吹っ飛んでいくだろう。


そんな危険人物である所の飯島比呂の薄いハシバミ色の瞳が、歳三を気づかわし気に見遣っていた。


だが当の歳三はちょっとこれは誰なのかがいまいちわからない。見覚えがないのだ。だが、歳三の洞察もたまには働くようで、すぐに見覚えがない理由に気付いた。


まともに見ていないのだ。

あの時、雑司ヶ谷ダンジョンで歳三は飯島比呂の事をロクに見ていない。会話は殆ど背を向けた状態で行われており、更によくよく考えてみれば、救出に向かう際に、要救助者である所の三人の顔写真すらも確認していない事に今更気付いた。

救助活動という人命が関わる重大事を、なんとなくで進めてきてなんかたまたま上手くいったという案配であった。

もし人違いだったらどうするのだという危機感が、本当に今更だが歳三の心の奥底から湧き上がってくる。


歳三はうっと俯き、目元を掌で覆う。

どうしようもない無能っぷりというか、成人男性としてしょうもなさすぎる自身の振る舞いに悲しみがこみあげてきてしまったのだ。これでいて見栄っ張りな所もある歳三は、自身のオツムの無様さを憐れまずにはいられない。


「き、傷が痛むんですか…?」


傷は傷でも、肉体の傷ではなく心の傷に呻く歳三だが、そんな彼に飯島比呂は恐る恐るといった様子で尋ねるばかりではなく、自身にすら分からない謎の衝動に突き動かされる形で、歳三の肩へ手をかけてしまう。


今度は飯島比呂が呻く番だった。

もっとも彼の場合は口に出したりはしなかったが。

掌から伝わってくる凄まじい熱量に驚愕したのだ。

そして近寄って初めて分かる歳三の匂いにも。


熱量とはすなわち命の奔流。


歳三が内包する膨大な生命力…エネルギーは彼の体温をも上昇させている。歳三が多汗症なのは、これは歳三が自身の余りある生命エネルギーを御しきれぬ故の仕儀に他ならない。ましてや一度死にかけた事で、歳三の肉体は以前より更に生命力を滾らせていた。焼け爛れた皮膚、筋肉はより強靭に。今後、もし仮に同じだけの熱で以て焼却されたならば、歳三の肉体は先日より遥かに強い抵抗を見せるだろう。


では匂いとは?

それは外見や内面などにはよらぬ生物としての強度、その圧…強い雄のフェロモン放射である。


飯島比呂は自身の才気の鋭さを自覚している。

自身が周囲の有象無象と比べてどれ程一個の生命体として優れているかを理解しているのだ。外見こそどうにも軟だが、内面には自身の雄(オス)としての実力に裏付けされた誇りが満ち満ちている。


その彼をして、歳三の強雄(ツヨオス)フェロモンに触れた途端に、自身は本当は雄ではなく雌なのではないか?という疑念を覚える程に圧されてしまった。己より遥かに強大なモンスターと相対し、殺されかけてもなお挫けなかった飯島比呂の反骨精神はしかし、歳三との生物格差を感じ取るやいなやたちまちの内に白旗を上げてしまったのだ。



根が案外にも見栄っ張りで、更には理想の男性像がややステレオタイプでもある歳三は、自身の年齢の半分にも満たないのではないかと思われる若者に慰められる事を良しとはせず、肩にかけられた飯島比呂の手を優しく掴んで外した。


優しく掴んだのはジェントルな精神の発露というよりは、赤ん坊やダイナマイトに触れる時のような慎重な精神の発露である。

相手が丙級探索者程度であるなら、油断をすれば歳三の握力は容易く相手の手の肉も骨も握りつぶしてしまうだろう。


あっ、という飯島比呂の小さな声に歳三は気付かない。


当の歳三はといえば相手が同性であると言う事もあってか、比較的平静を装って話を聞く姿勢…つまり、背筋を伸ばし、顎を引き、相手の目を見つめた。本来であるなら若者と目を合わせるくらいなら銃撃されたほうがマシだとまで思っている歳三だが、この時の彼の脳裏には金城権太の言葉がしっかりと根付いている。


「君は」


「は、はい…」


歳三の短く、そして何を言いたいのか判然としない呼びかけに、飯島比呂は1時間後に殺される事が分かっている小娘の様なか細い声で答えた。


歳三の視線は鋭く、表情もキリリと引き締まっていて厳めしいにも程がある。そんな歳三のツラを飯島比呂としては男らしいとは思ったものの、いかんせん圧が強すぎて思った様に言葉を紡げない。


ちなみに、飯島比呂は歳三の事を不細工だと思っていない。

整っているとも思っていないが、なんとなく職人っぽい感じの人だなくらいの印象をうけていた。これはまあ当然で、男なんてものは47才ともなれば顔の造作が整っているかどうかなど周囲のものは気にしなくなるものだ。47才中年男性は外見ではなく、それ以外の事で評価される様になる。だがその辺の事は勿論歳三にはわからない。社会というモノに対する歳三の感性は、ちょっとベビベビしすぎている。


はて、と歳三は思った。


相手は礼を言いに来た、そして自分にはその礼の言葉を受け取る心の準備は整っている。だから "さあ礼の言葉をいってくれ" というような事を言おうとしたのだが、何かが違う様な気がしてならない。例えるならば、目的地は分かっていても、そこに至る経路がめちゃくちゃな気がしてならないのだ。


例えば壁をぶち抜き、湖を泳ぎ渡り、谷をジャンプして飛び越えるような。何かが違う様な気がしてならなかった。例えば、そういう難所越えの様な真似をせずとも、ちゃんと舗装されている道路なりなんなりがあるのではないか?

そんな事を思う歳三ではあったが、しかし考えてもよくわからない。


このよくわからないかみ合わなさの原因は、歳三の社会経験の未熟さにある。"適当" に話をするという事が歳三には思い至らない。


『わざわざお見舞いにきてくれてありがとう。金城さんから聞いたのだけど、お礼がしたいんだって?余り大げさに考えないでくれよ、こうしてお見舞いに来てくれただけでも十分なんだから。それで、怪我をしていたっていう子は大丈夫だったかな?』


と、このような感じで適当に雰囲気を合わせて会話すればいいだけの話なのだが、歳三には少し難しい。

だからか、妙に重々しく不器用な感じの問いかけを発してしまう。


「話があると聞いた」


結局、歳三は相手にバトンを投げる事に決めた。



飯島比呂は歳三の存在感に圧されながらも、自分達を助けてくれた事にしきりに感謝の言を述べたてまつり、最終的には謝礼金を渡したいというような事を歳三に伝えた。


歳三は固辞しようとしたが、金城権太の言が脳裏に蘇る。

礼を受け取るのも…というやつだ。

見れば飯島比呂は妙に熱心で、自身と仲間の命を救われたという事実を鑑みても、それでも歳三が圧されてしまうほどの勢いで感謝感激の意をまくし立てている。

そんな様子をみれば流石に察しの悪い歳三と言えども、無下にしてしまえば何かがこじれてしまう事は容易に想像がついた。


それに、金城権太はもう一つ印象深い事を歳三に伝えていた。


──仕事は仕事ですからね


いつかの居酒屋の、金城権太の言葉だ。

歳三としては金には困っていないのだから謝礼金などは不要だと思ったのだが、三人の救助を四宮由衣と歳三自身の個人間依頼だと考えれば、これもまた仕事の一つである。


仕事をきっちりやるというのは、きっちり報酬を受け取る事まで含まれる。その "きっちりとした報酬" とやらを決めるならば、金城権太は大いに力となってくれるだろう。 自分には出来ない事ならば他者に頼れというのは、権太の助言にもあったはずだ。


結局歳三は金城権太と相談して額を決めてくれと更にバトンを放り投げる事に決める。


考えてみれば救助の話を持ってきたのは金城権太であるからだ。

面倒事を押し付けている自覚はあるものの、歳三も権太に風俗代を貸してやったこともあるし、この辺は持ちつ持たれつであろうと都合よく思考をまとめる。それに報酬の話などは、協会職員である権太のほうがうまく纏めてくれるに違いない。


佐古歳三(47)には二人の師がいる。


一人は男とはどうあるべきかを教えてくれた中学生時代の同級生、望月。


そして今一人は、社会人とはどうあるべきかを教えてくれる協会職員、金城権太である。

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