廃病院エンカウンターズ(終)
◆
──くそぅ、深雪と、深雪と…ヤりてぇなぁッ!!ドセックス、してぇなあ!
それなりに付き合いのある相手が困っていそうだから、と手を貸したのはいいものの、思わず口走ってしまった名の相手を思うと、我意亞はどうにも居てもたってもいられなくなってしまった。
ただでさえ戦闘は血を滾らせるというのあるが、如何にも気品あるお嬢様といった風貌の深雪の高級女陰に、
深雪とは我意亞の恋人である。
白い肌、腰まで伸びる長い黒髪の艶は如何にも妖艶で、その髪がはらりと白いシーツの上に広がる様は我意亞の劣情と恋情と慕情を捉えて離さない。
スキー場でナンパというエロ本に良くあるシチュエーションで二人は結ばれたのだが、恋人関係は良好である。ただし、深雪の両親が特殊な立場にある相手のようで、結婚となるといくつか乗り越えねばならない障害がある。深雪が言うには彼女の両親は中々に難しい性格らしく、我意亞としては準備…つまり、経済力と社会的地位を可能なかぎり積み上げての挨拶を、と考えていた。
これでいて丙級の上澄みである城戸 我意亞は、年収にすれば数億円という御大尽ぶりなのだが、入ってくる金は多くとも出ていく金もまた多い。特に機械腕まわりのメンテナンス費用は相応に大きい。
更に言えば深雪と同棲している我意亞なのだが、白金高輪に糞馬鹿高い家を購入し、糞馬鹿高い生活費を突っ込んでいるのだ。深雪は当初は酷く恐縮していたものの、我意亞が平気の平左であるというツラでいるので今はその生活がごく普通なものと思っている。ちなみに我意亞と深雪の暮らしで一番金が掛かっているのは、小型の人工降雪機を備えた氷温室である。深雪という女はどういうわけか寒所を好むタチに出来ているらしく、氷温室の維持費だけでも目が飛び出るような金が掛かっている。
──40前には引退か?いや、深雪に不自由はさせたくない。もう少し金と、それと各所へコネを…
我意亞はそんな事を思いながら銃弾をバラまいてた。
引退の事を考えているのは、娘の恋人がいつくたばるか分からない仕事をやっている親などどこの世界にいるのか、という至極当然の理由による。我意亞としては探索者として稼いだ金と名誉などを利用して、金が金を生むようなファイア生活を考えている。
というわけで、そんな事ばかりかんがえている我意亞は明らかに集中力を欠いていた。だがガトリング・レールガン "剱岳" のスマートターゲッティングシステムは集中力があろうとなかろうと関係なく正確に標的を射抜いていく。
当然その間にも異常心霊現象は次々発生しているのだが、それらはもはや侵入者達を恐怖させ、 "干渉条件" を満たし、遂には抹殺せしめる為というにはどうも恐慌に過ぎる。
それよりも、どうにも手の出しようもない悪性の存在に対してやぶれかぶれの突撃を仕掛ける様といった方が似つかわしかった。
「こんなに簡単に内部のモノが壊せるっていう事は、ここはちょっと作りが妙でもダンジョンではないって言う事よね」
丈一郎が言う。ちらりと目線を前方にむければ、我意亞が壁に向けて不快気な視線を向けていた。
本来そこにはあり得ない壁が出現しているのだ。
我意亞、小次郎、丈一郎らは既に一階ロビーで、 "音響波形地形探査"(Acoustic Waveform Topography)を実施している。これは音波や超音波を用いて地形や物体の内部構造を探査する技術で、非破壊で地質調査や建物の構造解析、医療画像診断が可能である事から民間でも採用されている。
その探査によれば、本来はここに壁はない。
ないが、現実としてある。
つまり…
「マインクラフトじゃああるまいし、こうぽんぽん壁を生成するっていうのはダンジョンに近しい性質だな」
だがよ、と続けた我意亞は壁に銃口を向けて引き金を引く。
銃弾はたちまち壁を破砕し、崩れた瓦礫の向こうには通路が続いていた。
「こうして簡単にぶっ壊せるならダンジョンじゃない。少し安心したぜ、ダンジョンでは不測の事態がつきものだからな。起こって欲しくない時に起こって欲しくない事が起きるってのはどうにも悪意を感じるぜ…まあそれはともかく…」
我意亞はそこまでいって、耳を澄ませた。
小次郎や丈一郎も同様だった。それをみた恋と剛は何かが聞こえるのかと思い、自分達も集中してみるが何も聞こえない。
「何か上の階でガチャついてるな。階段はまだ少し先だし、またぞろ壁なりで邪魔されてもつまらねえな。よし、天井を崩落させるぞ。ショートカットだ」
我意亞が言うと、小次郎は黙ったままポーチから粘土のような物を取り出し、高々と飛び上がり天井に貼り付ける。
「いいぜ」
小次郎が短く言うと、我意亞が機械腕を天井に掲げて軽く放電した。我意亞の機械腕は電力を生み出し、その電力で様々なアクションを取る事ができる。
例えば以前池袋のダンジョンで使用した電力そのものを攻撃の手段として使用する事は勿論、機械腕に捉えた相手に電撃を食らわせたり、防御面でも電磁場による金属結晶構造を制御する事で強度を高め、腕を盾として使用する事もできるのだ。また、余技ではあるが通電させることで自由にカラーリングをすることも可能だ。
兎も角も我意亞の腕から放たれた電気は天井に貼り付けられた粘土型の爆薬に通電し、爆発…ではなく爆縮した。
ダンジョン素材を使用した局所破壊用の爆弾である。
外へ向かう筈のエネルギーが内へ向かう事により、周辺に余計な被害を齎す事がない。基本的に硬い甲殻を持つモンスター等に対して使用する事を想定して開発されたのだが、その使い勝手の良さから民間でもよく使われている。
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「よし、穴が空いたな。いくぜ」
我意亞は言うなり、その場から飛び上がった。
一般的な丙級探索者の身体能力からすれば、その場での垂直飛びの高さは5~7mと言ったところだ。この高さはピューマのそれとほぼ等しい。ちなみに一般人のギネス記録は122cmである。
オジサン達がぴょんぴょん飛び上がるのを恋と剛は呆然として見つめてたが、やがてその表情に焦りを浮かべた。ここに置いて行かれるとおもったからだ。
「置いていきやしないわよ。ほら、つかまりなさい」
天井の穴からぷらぷらと黒いロープのようなものが降りてきていた。丈一郎の多条鞭だ。それぞれの副鞭をユーザーとの同期により各個自在にうねらせる事が出来、強靭かつ伸縮性にも長ける。
二人が恐るおそる鞭の先を握ると、丈一郎は手首に軽く力を込めた。
「お、うおっ!」
「きゃっ」
剛と恋の声が響き、二人はいとも容易く二本釣りされ、上階へ引き上げられた。
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「さて、この上かな。探査では三階部分に反応があったからな。…サス」
小次郎は頷き、先程と同じ光景が再度繰り返される。
「ダンジョンの壁だとこうはいかないから楽でいいわよね~」
──私一人だともっと手間取っていたでしょうね
丈一郎はそんな事をいい、同時に、二人を連れてきてよかったと思った。丈一郎はどちらかといえば味方の支援や敵の阻害を得意とする。丈一郎は自分がソツがないだけで特別優秀なわけでもないことを理解していた。だからソロ探索なんて絶対にしないし、常により多くの安全マージンを取る事を心がけている。
◆
「さて、三階。この階層のどこに…なんて悩む必要はなかったな」
我意亞がにやりと笑った。
視線の先にはいくつかの人影があったからだ。
わき目も振らずに逃走している三つの人影。
「み、みんなっ!」
恋は思わず叫んだ。あの不気味な怪物から皆で逃げだして、体力のなさから恋だけがはぐれてしまい、そして小次郎に助け出された。それからずっとまほろ達は逃げ続けていたのだろう。
「うげっ」
恋は後を追おうとして潰れた蛙の様な呻き声をあげた。小次郎が彼女の襟首を掴んだのだ。
「待て、ガキ。あの方向は…おい、城戸、あっちは屋上だったか?」
小次郎が尋ねると我意亞は頷いて言った。
「この病院は三階建てだからな。飛び降りても滅多な事じゃ死なないだろう。だが…」
「逆ご都合主義よね。運悪く屋上へ続く階段の先には脱出への扉じゃなくて無情な壁がそびえているのでした、と。ホラー映画のテンプレね」
丈一郎が機嫌良さそうに言う。まほろが無事だと分かったので安心したのだろう。まほろの身に何かがあると丈一郎としては困ってしまう。有用なPSI能力を持つ彼女が協会から一定の価値を見出されている事は丈一郎も良く知っており、だからこそ保護に失敗した場合、丈一郎の評価も下がってしまう可能性がある。それが第一だが、まあ丈一郎としてもまほろに対して損得以外の感情を抱いていないわけでもなかった。彼…彼女は彼女なりにまほろを可愛がってはいるのだ。
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がちゃり、と我意亞が "剱岳" を構えた。
悠長に眺めている場合でもなかった。
場合によっては犠牲者が出る場面であったからだ。
どこの国の悪性霊体も "罠" を好む。例えば出口が塞がれたり、安全だと思っていた場所が実は危険地帯だったり、こういうのは全て罠である。
罠の目的は獲物を恐怖させたり、霊を認知させることで干渉条件を満たすというものが主だが、獲物が複数名いる場合は一人二人死ぬというのが定石であった。
"思い立ったが殺日" 。
日常的に闘争に身を置く探索者の心構えに従って、我意亞は三人を追跡する不届き者の背に向けて引き金を引いた。
鋭い金属光が細長い銀糸となって闇を引き裂く。
◆
壊れる、壊れる、壊れてしまう
身体が壊れる、檻が壊れる
抜ける抜ける、抜けていってしまう
もっと沢山の人間が必要なのだ
なぜなら実験しないといけないから
実験を沢山して正しい人間だけの国にしないといけないから
頭がおかしいなら頭を治せばなおるはずだ
死人はもう実験できない
生きている人間がほしい
生きている人間をおかしくさせて、おかしくなったらなおすのだ
おかしくさせる方法はよくしっている
おかしくさせてなおす
人間を沢山よばないといけない
せっかくきた人間人間人間人間人間
沢山沢山人間人間人間がきたのに、壊されてしまう
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"昨今の日本では精神病患者が増加している。だが、精神病とはつまるところ脳の欠陥なのだから、脳を修理すれば精神病もなおる。日本は美しい国だ、美しい国に精神病者は似つかわしくない"
脳が何をどう感じるか、それが人間の精神の在り様を示すとするならば、院長の言は非常に偏ってはいるが、全てが全て妄言とは言えない話ではあった。だが取った手段に問題があった。
"脳を修理する"ために、数多くの非人道的な実験を繰り返したのだ。それらの実験のほぼ全てに深刻な人権侵害が生じていた事は敢えて言うまでもないが、人を人を思わぬ、命を命と思わぬ悍ましい所業が連日行われた。治療の名目の元に。
重度精神病者であろうと家族はいるわけで、であるならばこんなものは早晩発覚するに決まっているのだが、ここで社会の闇ともいうべきモノが発覚を遅らせる。
また、日本政府も
『狂人をダンジョンに入り込ませるような事があってはならない』
そう言ってのけたのは当時の厚生相、
だが結局、ある日を境にこの手の精神病院は全て取りつぶされる事となる。とある企業が非常に画期的、かつ非人道的な救済法を提案したからだ。ゐ号計画と名付けられたその救済法は、一生を精神病棟に身体拘束されて過ごさねばならない人間に新たな人生を与えるものであった。とはいえ、国内では画期的であるものの、海外では既に似たようなことは実施されてはいるが。
ともあれ、
国はそれを良しとしなかった。人道的な理由からではない。前時代とは違い、ダンジョン時代の日本政府のスタンスは極めて冷徹で目的主義である。つまり、非人道的実験そのものを問題視はしなかった。非人道的実験ならば某国営企業もやっている事である。
では何を問題視したのかといえば、それだけ多くの実験を繰り返しておいて、ただの一例も成功させる事ができなかったその無能ぶりを問題視したのだ。
『人材は人財です。発狂人が健常人となるならば、その者はダンジョンの干渉により日本に益を齎す存在となり得ます。しかし件の輩は数多の発狂人で実験をしながらも、これまでただの一度も成功例を見る事ができなかったとの事。それだけならばただの無能で済ませる所ですが、件の輩は必ずや健常人をも実験に使おうとするでしょうねぇ。そういう目をしています』
これもまた当時の厚生相、
有能な虐殺者なら浮かぶ瀬もあっただろうが、無能な虐殺者に用はない。病院の院長は速やかに消された。世間には自殺だと発表されたが、真相は他殺である。
国側に手落ちがあるとすれば、その処理だろう。
死後、院長が怨霊と化すというケースに対しての備えが甘かったのだ。ダンジョン時代において生物を殺める場合は、死後霊となるケースも考えておかねばならないというのは今となっては常識である。しかし当時はその辺の意識がやや緩かった。
院長の霊が悪性を強め、様々な想念を宿す廃病院を媒介に自身が虐殺した患者たちの霊の精神を束縛したのは、それからしばらく経っての事である。
この病院なくしては、院長はこの異常心霊領域の主で居る事ができない。もしこの廃病院が崩壊かなにかをしてしまった場合、束縛支配下にあった霊たちは解き放たれ、院長に牙を剝くであろう。
◆
少女の患者霊は我意亞の放った無慈悲の超硬タングステンβ弾によりズタズタに引き裂かれ、意識を霧散させた。患者の霊のそれぞれに悲しい過去があろうと、我意亞がそれを知る事は出来ないのだ。なお、射線はしっかり取っており、前方にいるであろうまほろ達に被害がないように配慮している。
通路の病室のドアが一斉に開き、ボロボロとなった患者衣を着た怨霊体が現れた。手を前につきだし、我意亞たちへ迫る。ここでガトリング・レールガンの弾が尽きるが、危機というのは全くなまっちょろい状況であった。
小次郎が粘土の塊をぺいっと前方に放る。
丈一郎が床に鞭を走らせ、正方形に床を削り飛ばす。
我意亞はそこに放電を撃って…
10か、20か。押し寄せてきた怨霊体の群れは抜けた床に飲み込まれ、階下へと落ちていった。そればかりではない。怨霊体達の重量と抜けた床…すなわち崩落した2階天井の重みのせいで、2階部分の床も抜けて1階まで貫通する大きい穴が空いてしまったのだ。通常の建築物ではここまで一気に破壊が進行する事はないが、廃病院はただでさえ崩壊が進んでいる。
うわぁ、と恋と剛は絶句していた。
いっそ、お化けたちが哀れですらあった。
化けて出るくらいなのだからきっと悲しい過去なりあるのだろう、なのにこんな風にまとめて "処理" されてしまうというのは…
──ちょっと、可哀そうだな
恋はそんな事を思う。
だが、実際は可哀そうどころではない。
・
・
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さて、盛大にぶち抜かれた床だが、破壊というものは連鎖する。一か所が大きく崩壊すれば、他の箇所にも塁が及ぶというのは想像に難くない。
ただでさえオンボロであった廃病院なのだが、我意亞達の破壊工作によって各所へ破壊が伝播していった。
「ねぇ、剛…なんだか揺れてない?」
「う、うん…揺れてる。それに…」
剛は上を見上げた。
恋もつられて見てみると、天井には長い
◆
まほろはあんぐりと口をあけた。
怪物に追われて、逃げて。
屋上に向かおうとしたら、屋上に繋がっている筈の階段には中途半端に壁がそびえていて。
絶望的な気分でいたら轟音が鳴り響き。
師匠が助けにきてくれたとおもったら床が抜け。
「た、大変っ…」
まほろは思わず口走る。
何がどう大変なのか。
彼女にもそんな事は分からなかった。
だが大変なのだ。
「み、みんな!いこう!とにかく、合流しないと…助けがきたみたいだし!」
まほろが語気を強めて言うと、機能停止状態だった水川 冬馬と火村 シュウは何度もうなずき、まほろの背を追う。
・
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・
「恋!無事だったんだね!剛も!」
穴の向こうに見える恋と剛に、まほろが声をかける。
オカルト・シャッターズの面々は奇跡的にも一人も欠けることなく合流する事が出来た。
──でも、穴が。飛び越える…のは多分ぎりぎりできそうだけど、冬馬とシュウは大丈夫かなぁ
穴をのぞき込むと随分と下まで空いており、もし転落してしまえばただでは済みそうもない。
だがそんなまほろの心配は無用な心配であった。
まほろと冬馬、シュウの胴体に黒いものが巻き付いたかと思えば宙を舞い、宙を舞ったかと思えば三人は穴向こうの床上に放り出されていた。
「し、師匠…」
まほろがおずおずといった様子で丈一郎を見上げる。
で、丈一郎は
「迎えにきたわよ。あんたねぇ…まぁいいわ。お説教は帰ってからね。とりあえずここをでなきゃ。あ、この赤い頭と金髪は…うーん…知り合い、知人…友人…仲間…?」
などと言う。
我意亞や小次郎、そして自分。どういう関係なのかが一瞬よくわからなくなってしまったのだ。丈一郎はひょいと我意亞や小次郎を見ると、二人もその瞳にややとした困惑の色を宿していた。
確かに命を預けあう事もあるが、プライベートで会う事などはないし、個人的な事…例えば探索者になる前はどんな事をしていたかなども知らない事に今更気付いたといった風情である。
互いに利用し合っているだけ…そう割り切るには10年以上の付き合いは長すぎるように丈一郎には思える。利用しあうだけの関係ではない事は自信を持って言えた。それは金にならない "困り事" に我意亞と小次郎が付き合った事から見ても明らかだ。では、三人の関係は友人関係なのだろうか?それとも親友なのだろうか?丈一郎にはその辺りがいまいちわからない。どの言葉も正確に自分達の関係を表しているようには思えなかったのだ。
我意亞は何かを考えるように黙り込み、ややあって首を振った。考えても分からなかったらしい。
「まあ、よ。色々思う所はあるが、とにかくここを出ないとな。俺たちだけなら飛び降りてもいいが、一般人にはきついだろう。階段から降りよう。やばそうなら抱えて走るから心構えだけはしておけよ」
我意亞の言葉にまほろ達は頷いた。
◆
転倒を防ぐ為にたたらを踏み、あちらこちらへ衝突をして被害を拡大させていく。そして肝心の転倒阻止は成らず、盛大に転け散らす。
廃病院の倒壊は例えるならばそのような所であった。
主な原因はガトリング・レールガンである。一階ロビーから出る時もそうだが、レールガンの弾丸は対象を撃砕するだけに留まらず、各所を貫通し、破砕し、そこら中をぶち壊しまくったのだ。倒壊は天の理、地の自明であった。
更に言えば、崩壊しつつあるのは廃病院だけではない。
・
・
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「あ、あれ…」
冬馬が震える指先を向けた。
倒壊した廃病院、その瓦礫。
それらの表面に覆いかぶさるように、巨大な血肉の人面が浮かんでいた。見るからに悍ましい、ホラーで不気味なツラである。エルム市の超悪夢という有名ホラーシリーズがあるが、キラーであるプレディという怪物の顔の様に肉々しい。
まほろ達オカルト・シャッターズは、撮影も忘れてただただ見入っていた。
一行は無事に外へ逃れる事が出来ていた。
そして屋外から廃病院の倒壊を見守っていたのだ。倒壊が進むにつれ、廃病院周辺の地面の色が赤黒く変色し、血の匂いが濃くなっていく。
魔界か何かが人間界に顕現しつつあるかのような、そんな恐ろしい光景であった。
ちなみにその恐ろしい光景だが、探索者たちにとってはやや刺激に欠けるようだった。
小次郎はいわゆるウンコ座りをしながら喫煙。
丈一郎は手鏡を取り出してメイク直し。
そして我意亞は端末を取り出して恋人にメッセージを送っていた。我意亞の恋人である深雪はメッセージを既読無視されると怒るし、未読無視をされると悲しむタチに出来ているのだ。
三人の丙級探索者にとっては瓦礫に血塗れ肉まるだしの人面が浮かぶというのは、よくある光景とまではいかないが然程驚くような光景でもない。しかしまほろの経験の為に、という丈一郎の言を受けて付き合ってやっている次第である。
外は午前3時半といった所だが、我意亞たちが乗ってきた車の大型照明で周辺は明るい。廃病院にも照明があてられ、夜間でもその様子が明瞭に見えるのだが、夜の暗闇が良い塩梅でホラー要素を高めているようで、怖がりの木崎 剛などは可哀そうに俯いてしまっていた。
◆
血肉で出来た巨大な人面に何かが纏わりついている。まほろが意識を集中すると、その何かとは人や…人の一部の様であった。口が、手が、あるいは生首が、もしくは下半身が千切れた人間が、巨大な人面の肉に食いつき、千切り、引っ掻き回している。人面は呻き、苦悶していた。
崩壊したのは廃病院だけではない。
院長による患者たちの束縛もまた崩壊したのだ。
院長は確かに一端の悪霊であったが、規格外の悪霊ではない。
院長単体で多数の患者の怨念を掌握・支配する事は出来ない。
出来ないからこそ、院長は想念が込められた廃病院を媒介にして支配力を高めたのだが、その廃病院は我意亞たちにより破壊されてしまった。
結句、何が起こるかといえば当然ながら反逆である。
患者たちの霊の怨み辛み、悲しみ、憤怒、憎悪。
あらゆる負の感情が院長の霊…巨大な人面へと向けられた。
その瞬間、巨大な人面の表情がさらに歪んだ。
口からは絶望と恐怖に満ちた叫びが漏れる。溺死した事のある者ならば分かるだろうが、人面…院長の叫びは水の中であげる断末魔の叫びに似ていた。
院長の口が開かれると、肉に食いついていた無数の霊たちがその内部へと侵入し始めた。それはまるで蟻が砂糖に群がるような光景だった。
院長の顔は膨張し、収縮し、遂には無数の霊たちによって内側から引き裂かれる。その最中にも院長は叫びをあげ続けたが、やがて叫びは小さくなり、最期の囁きのようなものは夜気に溶けて、混ざり──やがて何も聞こえなくなった。
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後日談となるが、結局この廃病院の怪については事後報告という形で協会へ報告された。報告したのは丈一郎だ。規模的に大きくなりすぎてしまったし、高野グループも関わってくる話になるだろうし、そうであるなら黙ったままというのはいささか心証が悪い。
驚いたのは協会である。
事情は分かったが、当該地点…廃病院はダンジョンではない。更に、それほどの怪異が起こるという事なら高野グループから情報提供があがっていて当然なのに、それもあがってきていない。
当該地域一帯のダンジョンを管轄する吉良康介ダンジョン探索協会山梨市及び諸地域統括支部長は、高野グループに対して大いに遺憾の意を示した。高野グループも事ここに至ってはすっとぼける事などは出来ない。なぜ情報をあげる事ができなかったのかを説明させられる羽目になった。
結局それから色々とあり、高野グループの重鎮が協会へ頭を下げる事で収まったという次第である。
協会は高野グループの明らかな失点に対し、大仰に騒ぎ立てる事はしなかった。
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報告から数日後、顛末を聞かされた丈一郎はまほろにも教えてやろうとカフェに呼び出した。そして協会、高野グループらの立ち位置などを教える。
まほろは今回被害者である。事情くらいは知っておきたいだろうと丈一郎が配慮したのは勿論だが、他にも "そういう事情" もあるのだから、データをむやみに過信してはならない、という事も理解してほしかったという理由も大きい。
「それはやっぱり持ちつ持たれつっていうか、癒着っていうか…」
まほろの言葉を聞いた丈一郎は苦笑を浮かべた。
「まあそうね、政治ってやつなのかもね。納得いかない所もあるけど、協会も一本どっこでやっていく事はできないから仕方ないのかもね」
とにかく、と丈一郎は続ける。
「今後は妙な所へ行くときは一言相談してからにしなさい。うっかり踏み入れた場所がダンジョン化していた、なんて事になったら今のあんたじゃ普通に死ぬからね。あと、Stermを常に持ち歩く事。例えそこがダンジョンだろうと心霊領域だろうと、Sterm同士なら通信ができるんだから」
まほろはハイと頷いて、アイスコーヒーをかき回した。
どうにも元気がなさそうだ。彼女が普段いく戌級ダンジョンは、あの廃病院に比べればまるでレジャーランドのようなものだった。戌級ダンジョンにだってモンスターはいるにはいるが、野生動物の域をでないようなものばかりだ。
今後、ダンジョンの等級をあげていけばあの廃病院の幽霊より恐ろしいモンスターと出遭う事もあるのだろうか?などとおもうと、まほろは自信が無くなってしまう。
そもそも配信の活動自体も実は酷くリスクがある行動なんじゃないか、と思えるようになってきた。まほろは本当に危険なもの、危険な事を察知するだけの基礎的な能力が今の自分に欠ける事に今更ながら気付いたのだ。優れた眼をもっていても、根本的な知識がなければ宝の持ち腐れである。
だがそんなまほろに丈一郎は言った。
「まあアンタは切った張った撃ったなんてのは向いてないし、自分に出来る範囲の事をすればいいワケ。探索だって別にしたくなければしなくたっていいのよ、元々アンタが探索者になったのって配信?だかなんだかであちらこちら行くからでしょう?そこで危険に出くわすかもしれない。そんな時、自分が仲間を守ってあげたかったでしょう?その為に少しでも強くなっておきたかったのよね」
丈一郎の言葉にまほろは頷く。
「まあそういう強い想いがあれば、ダンジョンのキノコだのタケノコだの山菜だのをとってるだけである程度は身体能力もあがっていくものだから。ある程度だけどね。効率は悪いと思うけど」
向き不向きってあるんだしと丈一郎は締めくくり、それから先はやれ彼氏がどうだの、最近気になる相手はいないのかだの、愚にもつかない会話を続ける。そんな二人は、傍からだとまるで姉妹のようにも見えた。
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