旭真祭①

 ■


 暗い部屋だ。


 広さも部屋の様子も分からない。


 天井の隅に設置してある何かが緑色のランプを点灯させている。


 エアコンだ。


 エアコンからは冷たい風が流れ込んでいるが、それでもこの部屋にだれかが入室したならば室内がやけに暑い事に気付くだろう。


 エアコンはついている、しかしそれでも暑い。


 熱源は部屋の中央、豪華な拵えのソファにあった。


 男だ。男が一人、ソファに腰を沈めていたのだ。


 男の周囲だけ空気が揺らいでいる様にみえる。それはさながら、闇でさえも男に触れる事をためらっているかの様だった。


 男がいる場所からコツンと硬い音がする。すると部屋の明かりが点灯した。


 明かりによって男の姿が露わとなる。男はまさに容貌魁偉という言葉がふさわしい巨漢であった。


 大きいだけではない。力に満ちている。男の獅子のたてがみの様な髪には毛の先まで力が充満している様だ。瞳は荒々しく輝き、黒い空手着に身を包んでいた。


 ──旭真大館、段外.凶津 蛮マガツ バン


 そんな彼は先程まで、思索の海に沈んでいた。

 いくつかの疑問があったのだ。


 "奴"はなぜ自身に向かってきたのか。自分が旭真大館でも厄介者扱いされている事は蛮にもよく分かっている。だが蛮にはそんな事はどうでもよかった。誰もかれもが蛮に逆らう事は出来ないのだ。なぜならば、強いから。旭真大館が擁する最大戦力、それが蛮である。


 ──とはいえ、最近はおとなしくしていた筈なんだがな。まさか殺したい程に俺を恨んでいるとは


 蛮は内心ごちる。

 今の蛮はかつての様に力を恃みに暴虐に身を任せる事はしていない。


 数年前、蛮は一人の男と立ち会った。

 探索者協会の甲級探索者、野獣と呼ばれる男と立ち会い、そして敗北した。善戦はしたが、善戦しようがするまいが敗けは敗けである。


 武人同士の立ち合いでは命のやり取りも当然の事という常識が蛮のみならず、武に生きる者達の中にはある。ゆえに敗北した蛮は命を獲られても文句はなかったが、その男は蛮を助命した。


 それから蛮は世界を舞台に武者修行に明け暮れたのだ。当然ダンジョンにも足を運び、モンスターとも立ち会ってきた。


 遠くアイルランドではデュラハンと呼ばれる恐るべき首無し剣士と。

 ロシアではバーバ・ヤーガと呼ばれる妖術使いの老婆と。


 インドネシア、タイ、フィリピンといった東アジアの各国でもダンジョンに赴き業を磨いてきた。


 そんな修行の日々から帰国した蛮の精神は一変した。それまで心の全面に纏っていた無駄な棘がそぎ落とされ、今ではただ一本の強靭な剛槍があるのみだ。これは野心が失われた事を意味しない。名に於いて、そして実に於いても最強たらんという野心を彼はまだ捨ててはいない。


 蛮の目的、それは世界最大の武を有する(とされる)旭真大館の頂点に立ち、そしてかつて敗北した男を打倒する事である。そのためには"雑魚"を小突いたりしている暇はない……彼はそう考えている。


 色々穴がある野心ではある。


 旭真大館は確かに大規模な格闘団体だ。世界120ヵ国に2000万人の門下生を有する。が、世界最大の武を有するとまで言えるのだろうか? 世界には旭真大館と同じように力を信奉する集団は山ほどあるのだ。


 そして、かつて彼が敗れた甲級探索者が世界最強だといえるのだろうか? その探索者と同じ階梯に在る探索者は十数人は居るというのに。


 ──あの男が最強でなければ、それより強い奴を見つけ、挑む。それだけの事……


 蛮はそんな事を考えている。そして、それが井の中の蛙の妄言と言われないだけの実力が彼にはあった。


「……ああ、もうこんな時間か。爺が来るといっていたな」


 蛮はもう少し思索に耽っていたかったが、あいにくこれから来客がある。電気をつけたのはその客を迎えるためであった。


 ■


「蛮よう、久しぶりじゃなあ。帰国してからしばらく経つというのに、お主ときたらダンジョン、ダンジョンじゃ。儂に顔を見せようともせん」


 開口一番、そんな事を蛮に向けて言った者。それは顔には深い皺が刻まれた禿頭の老人であった。


 矮躯に細い手足がいかにも脆弱といった風情だが、落ちくぼんだ眼窩の奥からは妖眼ともいうような眼光がのぞき、一種異様な迫力を醸し出している。


 旭真大館館長、旭 道元あさひ どうげん。齢100をこえる妖怪爺だ。


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「扇(日常52参照)の件じゃがな。彼奴には紐がついておったよ。本人は死んでしもうたがの。彼奴には家族はおらんかったが女がおったじゃろう。どこぞの盛り場で知り合ったとか……。その女が日本を出国する前に捕えての。ま、体に聞いたというわけじゃな」


 道元は言う。扇 信也7段は旭真大館の本部門下生で、今回の旭真祭にも出場する実力者であった。当然ダンジョンにも適応しており、その身体能力は超人的だ。しかし、死んだ。


 蛮が殺害したのだ。


 ■


 凶津 蛮は旭真大館に所属しているが、忠実な門下生ではない。彼の実力はすでに門下生というものからは超越している為に、彼に何かを命じる事ができる者はいない。


 例外があるとすれば館長の道元だ。なぜなら蛮は老いた道元が自身とはまた別のベクトルで並々ならぬ存在だと看破しており、少しでも道元の思考や行動、可能ならば弱みなどを握りたいと考えている。


 相手の本質を知るには相手の望みを知る事が近道であることを蛮は理解しており、そういう意味で蛮は道元の頼みなら可能な範囲で聞く様にしている。


 そして今回、道元の蛮への頼みというのは旭真祭への参加であった。


 これには穏やかならぬ関係である探索者協会を招待しており、蛮に対してはそこで見事勝利をしてみよ、というわけであった。


 道元には探索者協会に遺恨がある。とはいえどうしても潰したいというわけではない。そのような精神状態はすでに通り過ぎていた。


 だが、"あの男"が遺した探索者協会が腐って果ててはいないか、また、現協会長である望月への興味から、協会にとっては迷惑千万な事ではあるがちょっかいをかけ続けているのである。門下生が協会の探索者として登録する事を許可したり、旭真祭りにおいて従来のように勝敗のバランスをある程度調整してきた事実は、"旭真大館と探索者協会は穏やかならぬ関係ではあるが険悪とも言えない"という証明であろう。


 少なくとも、これまではそうであった。


 ともあれそんな事情から参加を打診された蛮はこれを快諾。彼としても"真剣勝負"の年に、協会の実力者と立ち会うというのは食指が動く。


 そんなわけで旭真大館旭真祭に出場するために事前に京都入りしたた蛮だが、その日の夜に挨拶とい名目で扇 信也の訪問を受けたのだ。そして、襲われた。結果はいうまでもないが。


 ・

 ・

 ・


 陳腐な手だ、と蛮は思う。そして事情も理解する。


「ここ最近、中国との関係が急速に悪化しているそうですな。祭りにまで茶々をいれてこようとは。しかし、どうにもねえ。やる事がこすっからくはありませんかな」


 蛮はせせら笑う。国と国との暗闘だというのに、やる事といえば人死にが出ているとはいえ嫌がらせ程度だ。旭真祭の妨害などした所で、確かに旭真大館の看板に瑕はつくだろうがそれで日本という国力が弱まるものだろうか? 答えは否である。


「確かにの」


 道元は気がなさそうに言った。


「ところで蛮や、話は変わるがの。儂ももう年じゃて。今回の祭での、お主が探索者連中の大将を無事倒したのならば、館長の座、くれてやっても良いぞ。おお、そんな目をするでない。本当じゃよ」


 下からねめあげるように蛮を見る老人の眼の奥に、蛮は不快なモノがチラつくのを感じていた。


 ■


 夜空を肴にビールを呑んで、ハァ、と大きくため息をつく男。歳三である。彼今、20日パイを待つ被疑者の様な心地であった。ちなみに20日パイとは、逮捕拘留されて20日後、起訴される事なく釈放される事を意味するイリーガルなスラングである。


 今彼は静岡県某所の警察署に隣接しているビジネスホテルの一室に滞在している。


 歳三だけではなく、陽キャこと剣 雄馬つるぎ ゆうま、陰キャこと毛利もうり 真珠郎しんじゅろう、スポーツ女こと音斑 響おとむら ひびきらも別室に泊まっている。ジャージおじさんこと李 宋文 リー・ソンウェンは緊急搬送された。


 なお、襲撃者で唯一生き残った黑 百蓮は留置所である。探索者用の特殊な材質で出来た独房で、力づくで破るというのは厳しい。ただ、黑 百蓮は抵抗する事なく警察からの拘束を受け入れていた。


 彼らは警察から事情聴取を受けつつ、協会からの迎えを待っているのだ。


 都内から静岡までそう時間がかかるものではないが、協会本部サイドでも意志統一の時間が必要との事で、それが為に彼らは今ホテル滞在を余儀なくされているという次第だ。とはいえ既に暫定的な先行きは聞かされていた。


 旭真祭の参加はもはや絶望的というのが探索者協会の見解である。


 ただそれはあくまで本部の見解で、旭真祭へ参加する探索者達が京都入りしてからの実質的な管理を任されている探索者協会京都支部長、西方月 仁よもつき じん(日常51参照)の見解はまた異なるのだが。


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近況ノートにデュラハン、バーバヤーガ、凶津蛮、旭道元、西方月 仁らの画像をあげておきます。怖かったりきもかったりするのばっかりです。

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