旭真祭②

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 ホテルのラウンジで中年男が二人、親し気に話している。中年男の一方は歳三である。その様子をやや遠巻きに若い男女が眺めていた。


 めちゃくちゃやりましたねぇ、と妙に軽い口調で中年男は歳三に笑いかけた。彼は探索者協会静岡支部の職員である。本部の意向を受けて歳三達の出迎えに来たのだ。


 鋸 イサオのこ いさおは今年50となる協会職員だ。へたれたスーツを着こみ、髪の毛が薄い中肉中背のどこにでもいそうな凡庸な中年に見える。妙に印象に残らない男であった。だが彼の裏の身分、外部調査室職員という事を考えればこの印象の薄さは納得ができる。


 組織というものはある程度大きくなると、内外のインシデント要因に対応する専門の部署があるものだが、協会の外部調査室、通称外調は外部のインシデント要因へのあらゆる対応が主な業務であった。


 ともあれ、中国の紐付きと見られる刺客が関わっているということで外調が出てくるのは適切だ。今回の鋸の役目は歳三らの迎えと黑 百蓮への尋問である。


 生き残った黑 百蓮ではあるが、鋸は、というより協会としては勿論無罪放免で済ませる気はない。あらゆる意味での尋問と拷問が行われ、情報を抜かれるであろうことは明白だった。少なくとも、彼女が『黑 百蓮』として日の目を見る事は二度とないだろう。


 更に、黑 百蓮に限った話ではないが現在は国内でとある技術が研究中である。果たしてそれは、中国の国家プロジェクト『大覚』とも非人道的な意味で伍するものであった。


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「……というわけで、ですね。皆さんは旭真祭へ参加する必要がァ…なくなったンですねぇ。皆さんにはこのまま直帰という形で…ああ、ご要望があるなら車を出す事もできますよォ。なんでしたら観光していくのもいいかもしれませんねェ。静岡は良い所ですよォ。口さがない人らはお茶しか能がないとか言いますけどね…伊豆半島のダンジョンは絶景ですよ。乙級指定なので…油断すると死んじゃうかもしれませんケド」


 鋸はねっとりした余韻を残しながら一同へ事情を説明した。事情というのは、不意の襲撃、それにより出た怪我人を理由にして祭への不参加を決め込むという事である。


「ええ~!?マジかよおっさん!そんな事したら協会がナメられるじゃねーかよ」


 陽キャこと剣 雄馬つるぎ ゆうまはボヤいた。表情には不満がありありと浮かんでいる。歳三は例によって何も考えてない間抜け面を晒しており(実際に何も考えていない)、陰キャは何やら思案顔で、スポーツ女は口をへの字に曲げていた。


 協会が舐められる、それはその通りであった。


 旭真大館は全世界2千万人の門下生を有する世界最大規模の格闘団体であり、旭真祭は世界最大の格闘イベントでもある。


 京都市内の一画に建設された『旭ドウム』で開催され、観客動員数は脅威の22万人である。これは五大ドームのキャパシティを大きく上回る事は言うまでもない。


 当然世界各国の目が集中するわけで、だからこそ敵前逃亡ということにでもなれば陽キャの言う通りに舐められる。


 そうなれば探索者協会というより、日本という国への悪性な干渉が増加するだろう。


 ダンジョンが世界に顕れてからこのかた、地球規模で価値観が徐々に弱肉強食のそれへと傾いてきている。各国は過去の如何なる時代よりも強く"力"を誇示しなければならないのだ。


 誇示…それはどれだけ兵器を有しているかという軍事力的な強さではない。近代兵器の応酬により、結果として中東という地域は消滅している。兵器はもはやこの時代には無用の長物であった。現在の国際情勢において、力の誇示とはもっとシンプルなものとなる。


 つまりは"どれだけ強力な人財を有しているか"という事に落ち着く。


 だから探索者協会の戦力が少也、という事にでもなればその親方である日本という国にとって甚だ都合が悪いのだ。


 しかし…


 ■


「…参加それ自体に不都合があった、という事ですか」


 活力と生気に欠ける声が響いた。声の主は陰キャこと毛利もうり真珠郎しんじゅろうである。その言に、我が意を得たりと言いたげに鋸 イサオは頷く。


「詳しくは言えませんが、概ねその様なものです」


 鋸は協会の意図を知っている。今年は"真剣勝負"の年なのだ。結果がどうあれ、無傷では済まない。あるいは死人が出る可能性もある。協会としては力の誇示の為に探索者を失うというのはまっぴら御免であった。


 だが、大義名分無しには辞退は出来ない。


 だからこそ嫌々ながらも参加者を選定し、協会からの依頼という形で割り振ったのだ。勿論依頼であるからには当然報酬もある。勿論適当に選定したわけではなく、勝利を見込んで選定をしている。やりたくはない、だがやるからには勝つ、それが協会本部の概ねの意向である。


 しかしどういうわけか、協会不関知の襲撃があった。各国が日本国内に工作員を入れているように、日本も各国に工作員を入れている。だからある程度の作戦行動は察知できるのだが、今回の歳三達への襲撃は協会は完全に不意を撃たれた形となった。


 それも当然で、黑 百蓮による襲撃は本国からの指令によるものではなく、あくまで私怨による独自の行動だった。もっとも、現時点では協会はその事実を知らない。


 だが、協会はそれを"大義名分"として利用する事に決めた。不関知の襲撃は遺憾極まりないが、実の所丁度良かったのだ。しかし流石にこれをそのまま伝えるわけにもいかない。『詳しくは言えませんが』とはこういった理由による。


 ──随分とまァ妙な事になったものだ


 鋸は内心でごちた。


 その通りである。各人、各陣営の思惑が入り乱れ、状況は妙なものとなっている。


 協会本部の意向を聞いた一行だが、歳三はどこかほっとし、他の者達は気落ちした。報酬がフイになったからだ。ちなみに報酬は個々人で異なる。


 歳三の場合は単純に金銭だが、例えば陰キャこと毛利もうり真珠郎しんじゅろうあたりは自身が修める流派の推進、その広報活動を協会が一部担うというものになっている。


 しかし、一行が"妙な事"に巻き込まれるのは実にこれからの事であった。彼らは京都に赴く事になる。ただし、本来参加する筈だった旭真祭よりも遥かに過酷な目的の為に。


 ■


 ──なぜ、人は朽ちるのか


 ──なぜ、儂は老いるのか


 ──かつては丸太の様だった腕も…


 旭真大館館長、旭 道元は枯れ木のような自身の腕を眺めた。勿論それは見た目通りの脆弱な腕ではなく、100年以上もの長きに渡って積み重ねてきた業が宿っている。


 ──凶津の小僧が何するものかよ


 そんな思いが道元にはある。


 凶津 蛮という男が自身の地位を狙っている事は道元は百も承知だ。それを跳ね除けるだけの業もある。今の所は、恐らく。


 ──だが


 と、道元は表情を歪める。


 そんな業もいずれは時という抗いがたい大河に押し流されてしまうだろう。旭道元は老いに抗い、永遠の若さを求めていた。


 ──あの様な小僧に儂の地位も財もくれてやるものか。だが奴は手強い。扇を差し向けたが、いたずらに駒を喪ってしもうた。ならば、儂が。完全なる存在となった儂がてずから彼奴を葬る。その為にはダンジョンじゃ。ダンジョンを…


 道元はダンジョンという不可解な空間が、その生成の際に生物に強制的な進化をもたらすことに目をつけた。ダンジョンが形作られた時、生物はその想念に応じて強大なモンスターへと変貌する。道元はこの現象を利用して老いの束縛から逃れたいと考えていた。


 つまり、ダンジョン生成に巻き込まれれば……というわけだ。モンスターとなってしまっては自己の意識を保ち得ないのではないか、という危険がないわけではない。


 だが、極々少数ながらダンジョンのモンスターの中に自己の意識を明敏に保ったままの存在がいる、という事実がある。その事実を探る為に彼は鍛錬の為と称して門下生達をダンジョンに送り込み、情報を得てきたのだ。


 結局、強靭な精神がモンスター化による変質の圧に耐えるのだ、と道元は結論づけた。


 まあその辺りは論理的に結論を導き出したというよりは、願望にひかれた部分があるのかもしれないが。いずれにしても道元には時間がない。延命措置も限界だ。しかしこのまま朽ち果てるよりは、という思いが道元にはある。


 しかし、ダンジョンがいつどのように形成されるのかは不明であった。研究によれば、ダンジョンの出現は場所や人々の想念に影響を受けるらしい。だが問題は時と場所である。道元にそれを知る術はない。


 そんなある日、彼の前に一人の男が現れた。


 その男はダンジョンを人為的に生成する方法について道元に説明した。これは例えになるが、簡単に言えば想念を火薬に見立て、それを爆発させることでダンジョン生成に必要なエネルギーをまかなうというのだ。


 通常、ダンジョンは集まった想念のエネルギーが一定量を超えたときに自然発生するとされている。各国は政治的中枢や重要地域がダンジョンと化すような事態を防ぐためにプロパガンダや思考誘導を行い、『この場所はダンジョンにならない』という想念で上書きし、重要拠点がダンジョン化しない様に工夫を凝らしている。これは一朝一夕にはできない事だ。国家による日々の地道な思考誘導が積み重なって初めて成る事である。


 ならば逆に、思考誘導によってダンジョンの発生をある程度人為的に操作出来るのではないかという向きもあるのだが、それは出来ない。思考誘導程度の想念ではダンジョンを生成する為には足りないのだ。だから道元も自分の手でダンジョンを作りだすという事は諦めていた所で"この話"である。


 勿論道元もただただ馬鹿みたいに胡散臭い男の言を信じたわけではない。裏を取り、男が携えてきた研究結果を精査した。男の"紐"を辿ればその素性がどういうものかも想像がついたし、目的も察する事ができる。


 いくつかの裏取り調査は男の言に一定の信憑性がある事を示していたが、道元が男を信じた決め手は男が抱く"意"であった。


 男には害意があった。

 大きな大きな害意が。

 この日本という国へ向けられた危害の念があった。


 道元はその害意の確固たるを信じたのだ。


 想念の爆発に生じるエネルギー。人がもっとも想念を絞り出す瞬間は決まっている。


 その死の瞬間だ。


 旭ドウムの動員数は22万人。これだけ "捧げ" れば、どうなるか。


 ■


 一通り話が済んだにも関わらず歳三は鋸の傍から離れなかった。静岡の名産だとかそんなことを聞いている。だが実際、歳三にはそんなことは余り興味がない。


 興味がないのになぜ鋸と会話しようとするのか。


 それは…


 ──くっ、なんだって俺はあの輪にはいっていけねえんだ


 歳三がひそかに注いだ視線の先で、陽キャら三人の若者が談笑していた。そこにはいっていけないのだ。おっさんが若い連中の間に入っていくというのは勇気を要する。


 恐るべきモンスターに立ち向かうのとはまた別種の勇気が必要となり、歳三にはその種の勇気はないのだった。

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