旭真祭③

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 探索者協会会長 望月 柳丞りゅうすけが"虫の知らせ"を受け取ったのは、鋸 イサオが歳三達と対面したまさにその時の事であった。


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 蟲である。


 大小無数の奇怪な蟲が地を覆い、空を埋め尽くしている。


 奇怪な、というのは、蟲の頭部が蟲のそれではないからだ。


 人である。


 本来蟲としての頭部があるべき箇所に、人の頭がついているのだ。


 人頭蟲とでもいうべきだろうか、それらは皆泣き、叫び、苦悶しているように視える。


 人頭蟲の群れはある一点を目指しているようだ。

 

 黒く燃える炎の柱の様な禍々しいモノへ向けて。


 だが、空の彼方。


 澱んだ魔雲を切り裂きながら、轟と迫る何かがあった。


 星だ。


 星がやって来る。


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 本部会長室。


 望月は目を見開いた。彼にはある特殊なPSI能力があり、それがゆえに現在の地位にいるのだが、実の所その力は彼にも制御しきれないものだった。


 だが、不意に"幻視"という形で力を発現する時がある。


 そういう時はたいてい現状がのっぴきならない状況、その手前にあると思ってよい。


「どうされましたか、会長」


 秘書の男が望月に尋ねる。望月はその問いに答えず、いくつかの指示を出した。


 犠牲が出るか、出ずに済むのか。望月にはそこまでは分からない。それは"事象の内"での出来事だからだ。事象が有無しか彼にはわからない。しかし、確実にそれは起こるのだ。


 どう考えても凶兆だが、希望もある。


 星である。


 望月の意識は暫時過去へ飛び、揺籃のみぎりを想うのであった。


 ■


 望月 柳丞りゅうすけは奇妙な少年であった。自分でもそう思っていたし、周りもそう思っていた。


 というのも、彼は時折妙な事を言い出すのである。


 彼が小学生の頃、友達と遊んでいる最中に突然『明日、大きな地震があるから学校休みになるよ』と言い出したことがある。


 当然その言葉は誰も信じなかったが、翌日は確かに地震が起きて学校が休みになった。


 また、彼はクラスメートの心の中を読んだかのように、その人が考えていることを言い当てることがあった。


 例えば、ある日クラスで盗難が起きた。とある生徒の財布が盗まれたのだ。

 当然犯人捜しが始まったが見つからない。


 しかし望月はある生徒の事を黙って見つめていた。


 ずっとずっと見つめていた。


 他の者達も望月の行動を奇妙に思い、意図を尋ねてみたが望月は何も答えない。


 そしてその翌日、生徒の親が学校へ謝罪をしにきた。


 その生徒が盗んだ事を詫びにきたのだ。生徒は魔が差して盗んでしまったが、後から怖くなって親へと相談をしたとのことだった。


 ある生徒が望月に言う。


「望月くん、もしかして犯人が分かってたの?」


 望月は黙ってうなずいた。それを見た生徒は、憤慨したように言う。


「だったらなんで黙ってたの?」


 望月は答えた。


「彼は自分の悪に気づいていた。その悪を追い出したいとも思っていた。悪心っていうのはね、御園さん。他人がおひさまの下に無理やり引っ張り出す事で"変わって"しまう事がある。良くない変わり方をしてしまう事がある。だから極力、自分の手で追い出さなければいけないんだ」


 生徒は望月の言っている意味がよくわからなかったが、望月の瞳の奥に何か妖しいものを見た気がして怖くなり、それ以上の追求を避けた。


 このような出来事が続くうちに、望月は周囲から気味悪がられるようになっていった。


 子供たちは望月が近くにいるだけで不安に思い、避けるようになった。


 それは教師たちも同様である。


 望月は奇妙にも色々な事を言い当てるというのは、大人たちにとっても周知の事実であった。


「柳丞くん、君はどうしてそんなことがわかるの?」


 ある日、担任の教師がそう尋ねたことがある。


 望月は答えた。


「教えてくれるんです」


「誰が?」


「この、世界が」


 望月は素直に答えたが、教師は望月を一層不気味に思うだけだった。


 彼を避けたのはクラスメイトや教師だけではない。彼の両親もだ。


 時折、彼が口にする言葉の数々が両親の心を傷つけた。


「僕にはお父さんが二人いるの?」


「僕にはお母さんが何人もいるの?」


 このような言葉を両親に言い、両親は自分のことを棚にあげて互いに憎悪を向けた。


 しかしなによりも憎いのは、自分達の薄暗いモノを引っ張り出した息子である。


 だが憎いからといって安易なストレスのはけ口を望月に求めるという事はしなかった。その程度の理性はあったのだ。


 だが離婚も簡単には出来ない。彼等には彼等の立場があり、愛はなかったとはいえ簡単に別れるという事は出来ない。


 だが彼の父親も母親も、各々が自分を悲劇のヒーロー、あるいはヒロインだと思い込んだ。色々と正当化の理由をつけて、仕方なく不義を働いたのだと自分を納得させていた。


 それが望月には耐えられない事だった。


 何がどう気持ち悪いのか、嫌悪に値するのか、それを明文化する事はできなかったが、何か根源的な部分で望月は両親の自己正当化を受け入れられなかった。


 少しずつ、望月は自分が腐っていく様に思えてならなかった。


 腐った環境に身を置く事で、自身の体と心が少しずつむしばまれていくような気がしてならなかったのだ。


 そんなある日、一人の転校生がやってきた。


 佐古 歳三というその少年は良い意味でも悪い意味でも特殊であった。


 教師は歳三のことを軽度の知的障害があると生徒たちへ説明をした。


 これは歳三自身が最初に言ってくれるよう頼んだ事である。


 歳三は自分が劣っている事を理解していた。具体的に何がどう劣っているのかはわからない。だが他の者達と悪い意味で違う事だけは分かっていたのだ。


 足し算がわからない、引き算がわからない。


 1+1は2になる。その計算自体はわかる。だが1とは何か、1という"モノ"は何なのか。+…足す、とは何か。足すは足すだよと言われても、1は1なんだといわれても、歳三には納得ができなかった。


 "それはそういうものだ"という類の理解が彼にはできなかったのだ。


 そんな歳三だが、望月とは不思議とウマが合った。


 望月が奇妙な能力を持つと知っても態度を変えたりはしなかった。


 ──『全ての物事には理由がある。理由があるから1+1は2となるし、地球の下部に住む人々は地球から落ちていかないのだ。しかし自分にはそれらを理解するだけの能力がない。なぜなら知恵遅れだから。皆が自分を知恵遅れだというから、多分知恵遅れなんだろう。望月君の不思議な力っていうのも、僕に理解できないだけの事なんだろう……そう、君は思っている。僕は君のことを知恵遅れなんて思ったりはしないよ。むしろ、凄い人だと思っている』


 それが望月が歳三へ話しかけた最初の言葉であった。


 ■


 望月はふ、と薄い笑みを浮かべた。


 ──星か。佐古君…僕はあの時、確かに君に救われた部分があったと思う。それはあの日々の中で、夜空に輝く星の様な。僅かな星明りがあったからこそ、歩める道というものもある。僕はそう思う


 思うが、と望月は首を傾げた。僅かに金属と金属が掠れる音がした。


 ──痴漢は、まあ駄目だね…

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