戌級規定、教導実践講義①

 ◆


 武者が刀を正眼に構えると、大気にびりりとしたものが奔った。


 静電気だろうか?いや違う。


 殺気だ。


 痺れるような極上の殺気である。


 殺しの魔香にあてられたモンスターの群れは、まるで吸い寄せられる様に武者の元へと押し寄せた。


 だが、どの個体も様子がおかしい。


 目を血走らせ、涎を垂らし、悲鳴だか怒声だかも分からない狂乱の叫びをあげながら一目散に突っ込んでくる。


 それを見た武者がゆるりと刀を振り下ろした。


 すると、あろうことかモンスター達は武者の刃圏へ自ら飛び込み、まるで自殺でもするかのように次々斬り殺されていくではないか!


 ──魔剣、死招き


 練り上げられた殺気──…これを極限まで磨き上げる。その様な殺気を浴びた生物はどうなるのか。


 死にたくないという本能的恐怖を、早く死んで楽になりたいという渇望が上回り、自ら斬られにやってくるのだ。


 魔技であった。


 数十体もの肉食モンスターを軒並み自殺志願モンスターへと変じさせ、皆殺しにしてしまった武者。


 その武者がゆっくりと背後を振り返る。


 それを見た戌級のひよっこ達は……


 ──なんで、こんな事になっちゃったんだろう


 ジェシカはぽろりぽろりと涙を流しながら考えた。


 なぜ泣いているのか?


 決まってる、おっかないからだ。

 

 教導役の探索者が自分たちを救ってくれた事は分かる。


 突然大量のモンスターが現れ、襲い掛かってきた。


 とても三人だけじゃ対応できないような数だった。


 武者がいなければ自分たちは間違いなくここで死んでいた。


 それは分かる。


 分かるが、怖いものは怖いのだ。


 ジェシカは涙をとめることができない。


 見ればみみも、そして民子も涙を浮かべている。


 そう、彼女らは今、戌級ダンジョンにいる。


 教導役となった一人の乙級探索者と共に。


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 遡る事、数時間前。


 佐藤ジェシカ、みみ、民子らの三人は朝から都内某所の戌級ダンジョン前で待機していた。


 時刻は午前8時を回った頃だろうか。


 この日、三人は5時過ぎには起床し、探索の準備をしていた。


 普段はこんな朝早くから活動しないのだが、今日は特別だった。


 合同探索があるのだ。


 教導役となる丙級以上の探索者と共にダンジョンへ赴き、戦闘を含む基本的な探索を実施する。


 多くのひよっこはここで初めてモンスターとまともに殺し合う事になる。


 得物は自前で用意できない者に関しては協会が貸し出しており、三人の場合は皆銃を選択した。


 ちなみに様々な事情から合同探索実施前にダンジョンを探索する者がいないでもないが、その多くが未帰還となっている為、大抵のひよっこはちゃんと講義を最後まで受講している。


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「なんだか今になって緊張してきちゃったなぁ」


 三人の中で一番快活なジェシカがぽつりとつぶやいた。


 ホルスターのハンドガンがやけに心細く感じられる。


 ダンジョンに潜るのは実の所初めてではないが、これまで協会からの強制依頼で潜ったダンジョンはどれも低難易度で、依頼内容も植物の採集だったり、昆虫採集だったりと戦闘行為は行っていない。


 自身を殺傷し得る生物と相対するのはこれが初めてなのだ。


 そんなジェシカの肩に、民子が安心させる様に手をあてる。


「慣れだよ慣れ。私も最初は怖かったし。戌級ダンジョンも油断できないけど、基本的に銃がきくモンスターばかりだからさ。バンバン撃てばいいだけ。あ、片手撃ちはだめだよ」


 民子は元DETVのダイバーなので戦闘経験があるのだ。


 当時のレベルは30程度で現在もさほど実力は変わってはないが、これでいて一般人のボクシング世界ヘビー級チャンピオンを10分もあれば捻り殺せる程度にはダンジョンの干渉を受けている為、態度には余裕がある。


「たみちゃん、私たちの事守ってくださいねっ」


 そんな頼れる民子にみみがしがみつく。


 それを見たジェシカは「じゃあ私もっ」と民子にしがみつく。


 これが男三人が抱き合ったりする光景だと死んだ蛙の腐った内臓を見るほうがまだマシというものだが、女三人ならば話が変わる。


 とある通行人などは、そんな光景を見て三色の百合が咲き誇る光景を幻視した。


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「あ、車がこっちに来る。協会の車かな?」


 ジェシカが言うなり、車がダンジョンの入場口に横付けされ、そこから誰かが降車してくる。


 教導の探索者だろう、と三人が車に近寄ると──…


 がしゃり、と音がした。


 え、とみみが思わず声を漏らす。


 降りてきたのは一人の武者であった。


 文字通りの武者鎧を身に着けており、顔は威嚇する様な形状の面頬で隠されている。


 纏う雰囲気も恐ろしい。荒々しく、そして禍々しいバトル・オーラが三人にも視える様だ。


 鳥が一斉に飛び立ち、どこかで犬が発狂した様に吠えている。


 三人は周囲の音が死に絶え、気温が急降下していく様な感覚を覚え、呼吸が浅く、荒くなっていくのを感得していた。


 それでも民子はジェシカとみみを守る様に前へ一歩進みだすが、膝が笑ってまともに立っていることさえも困難に見える。


 沈黙がその場を支配し、ややあって武者のものと思しき声が響いた。


 重く、ザラついた声だ。


 ミチミチになるまで過充電された真っ黒い雷雲を思わせる様な声だ。

 

 ──『運命は信じるに値せず。ただ己の力を磨くべし。これより戌級規定、教導実践講義を開始する。さあ、往け』


 武者がダンジョンの入場口を指さした。







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近況ノートにしょうもな歳三、武者、三人娘の画像をあげています。

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