戌級規定、教導実践講義⑤

 ◆


 協会は結構黒い事をやっている。


 ろくに探索にもいかずに、他の探索者と問題ばかり起こしていた者がある日突然失踪する。


 もしくはそういった探索者がダンジョンへ入場すると、少ししてから協会職員と思しき者達が現れて、まるでその者を追う様にしてダンジョンへ入場していく。


 この手の噂は協会所属の探索者なら大体知っている。


 また協会もその噂を訂正したり拡散を止めようとはしない事が、このうすら寒い事実の信憑性を補強していた。


 でも、とジェシカは思う。


 ──殺される様な事した!?確かにこの探索だとちょっとスムーズにいかない部分があったけど、でもっ…!


 "処理" の理由が余りに理不尽だとジェシカは憤るが、それを口に出す事ができなかった。単純におっかなかったからだ。


 民子ももう一杯一杯だった。状況を少しでも改善したいとは思ってはいたものの、何をどうすればどう良くなるのかさっぱりわからない。


 THE・武者の後背からはヒトゴミ・モンスターが数十体、鈍重ではあるが確実にこちらへ迫ってきており、それらに掴まれば強い力で全身をバラバラに引き千切られてしまうだろうという事は民子も理解していた。


 逃げなければいけないと理屈では分かっているのだ。


 ──で、でも


 民子の表情が奇妙にゆがみ、ひくついた。体も頭も痺れてしまったかのように思う様に動かない。


 みみも似たようなものだ。


 皆が一様にTHE・武者の気にあてられてしまっており、三人が三人とも、その場から動く事ができないでいた。


 THE・武者は迫りくるモンスター達を気にも留めていない様子だったが、彼我の距離が縮まるとくるりと反転し……


「まずはこちらからか」


 などと言った。


 だがこれが余り良くなかった。なぜなら、THE・武者の「まずはこちらから」という言がどうにも殺しの順番を定めているかのように聞こえてしまっていたからだ。


 ◆


 武者が刀を正眼に構えると、大気にびりりとしたものが奔った。


 静電気だろうか?いや違う。


 殺気だ。


 痺れるような極上の殺気である。


 殺しの魔香にあてられたモンスターの群れは、まるで吸い寄せられる様に武者の元へと押し寄せた。


 だが、どの個体も様子がおかしい。


 目を血走らせ、涎を垂らし、悲鳴だか怒声だかも分からない狂乱の叫びをあげながら一目散に突っ込んでくる。


 それを見た武者がゆるりと刀を振り下ろした。


 すると、あろうことかモンスター達は武者の刃圏へ自ら飛び込み、まるで自殺でもするかのように次々斬り殺されていくではないか!


 ──魔剣、死招き


 練り上げられた殺気──…これを極限まで磨き上げる。その様な殺気を浴びた生物はどうなるのか。


 死にたくないという本能的恐怖を、早く死んで楽になりたいという渇望が上回り、自ら斬られにやってくるのだ。


 魔技であった。


 数十体もの肉食モンスターを軒並み自殺志願モンスターへと変じさせ、皆殺しにしてしまった武者。


 その武者がゆっくりと背後を振り返る。


 それを見た三人娘は……


 ──なんで、こんな事になっちゃったんだろう


 ジェシカはぽろりぽろりと涙を流しながら考えた。


 なぜ泣いているのか?


 決まってる、おっかないからだ。


 教導役の探索者が自分たちを救ってくれた事は分かる。


 突然大量のモンスターが現れ、襲い掛かってきた。


 とても三人だけじゃ対応できないような数だった。


 武者がいなければ自分たちは間違いなくここで死んでいた。


 それは分かる。


 分かるが、怖いものは怖いのだ。


 ジェシカは涙をとめることができない。


 見ればみみも、そして民子も涙を浮かべている。


 救ってくれただけなら泣きやしない。


 次に殺されるのが自分達だと分かったからこそ、涙が零れるのだ。


 THE・武者がゆっくりと振り向いた。


 そして──…


 ◆


 10秒経ち、30秒が経ち、1分が経った。


 THE・武者は微動だにしない。


 ジェシカもみみも民子も、精神を嬲られている様な感を覚える。


 十分に恐怖を与えて殺すつもりなんだと絶望した。


 しかし、3分が経ち、5分が経つとどうも様子がおかしい事に気付く。


 切っ先が向けられてはいるものの、そこから何かを感じる事もない。


 ややあって、THE・武者が軽くため息をついたのが分かった。


 三人はびくりと肩を震わせるが、続く言葉で困惑の表情を浮かべる。


「端末だ」


 THE・武者は続けた。


「……Sterm端末から救援依頼を出す事が出来る、そう教本には書いてあるはずだ」


 THE・武者がいう通りだった。探索は自己責任で、探索中の死亡や負傷について協会は責任を負わない。


 しかし、救援依頼を出す事はできる。


 それを他の探索者が受領するかしないかは別問題だが、危急の際には救けを求める事が出来るのだ。近隣地域一帯のSterm端末の依頼リストへ追加され、手が空いている探索者がこれを受けて救出する。


 飯島 比呂らが雑司ヶ谷ダンジョンで全滅市内で済んだのも、この救援依頼システムのおかげであった。もっとも、歳三が比呂達を助けた時は依頼外というていだったが。


 三人はちんと押し黙った。


 ややあって民子がぺろぺろちろちろと唇を舐めながら、おずおずと言う。


「えっと、その。もしピンチになったら端末で救けを呼べ、ってことです……か?」


 その問いに対してTHE・武者は頷く。


 THE・武者は誰か一人が端末を取り出した時点で偽りの殺気を収め、「正しく対応できた」と三人を評価するつもりだったのだが、やや難易度が高かったらしい。


「じゃ、じゃあ殺されずに済むんですか~っ!?」


 みみがそんな事を叫ぶとTHE・武者は頷いてよくわからない事を言った。


「ああ、酒井美々子。お前たちの事は殺さない。死ぬのは──…おれだ」


 いうなりTHE・武者はその場に片膝を突き、桜花征機製のナイフを取り出して力一杯腹部を突いた。切腹をしたことがある者ならば分かる事だが、大刀や脇差では長すぎて取り回しが悪い。


 だから切腹の際は短刀で行うのだ。


「は?」


 みみはブリブリするのを忘れて、素を出してしまう。

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