日常8(佐古歳三、海野千鶴)

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 何かノスタルジィを感じさせる降車メロディが鳴り響き、到着した電車からは多種多様な人々が吐き出された。


 品川駅の京浜東北線のホームは、今日も混沌としている。

 探索者や一般人が行き交い、スーツ姿の男性を全身型のボディスーツを着こんだ女性が追い抜いていく。女性は槍の様なものを背負っているが、周囲の人々はそんなものは見飽きたのか目も遣らない。


 人の流れはまるで一個の生物であるかのように流れ、うねっていた。かつての歳三はそんな人々を見るたびにどこか劣等感の様なものを感じていたが、少なくとも今日この日に限っては何やら使命感めいたモノが胸の内にあり、劣等感など入り込む隙間はない。


 だがそれはそれとして、これでいて歳三は根が小動物気質に出来ているため、人が多い事それ自体がストレスとなる。

 またぞろヤニを補給したくなった歳三だが、これでいて健康希求主義者にもできている彼は、連続してヤニを吸う事を良しとしない。

 健康を希求するならば禁煙をすればいいのかもしれないが、歳三の中ではそれはそれ、これはこれなのだ。


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 国営企業である桜花征機は、東京都港区港南1丁目に本社ビルを構えている。地上35階、地下1階、地上高165mの超高層ビルだ。

 これは大変異前には品川シーズンパレスという商業複合施設だった。


 駅からは近く、サニーシティへ向かう人々に何となくついていけばすぐに辿り着けるだろう。ちなみにサニーシティとは、日本を代表する大企業であるSANYの本社ビルの事を指す。


 だが、流石にというべきか当然というべきか、駅前には既に桜花征機からの出迎えが着ていた。


「佐古様でしょうか?わたくしは海野と申します。この度はご足労頂きありがとう御座います。ここから先はわたくしがご案内させていただきますね」


 妙齢の女性である。

 パンツスーツ姿で、印象的なのは腰まで流れる黒い髪だ。

 大企業からの迎えにしてはどうにも奇妙な様子に、歳三は内心で小首を傾げる。


 歳三親父の感性では腰までの長髪…つまりロン毛は不良の象徴だ。


 ──要するにこの海野という女性はスケ番ということか。不良でも就職できるのだろうか


 そんな時代錯誤かつ失礼な事を思いつつ、歳三はじっと海野の髪の毛を凝視した。それには海野も当然気付き、歳三は内心で焦る。

 不躾な視線を向けてしまった事を責められるとおもったのだ。

 しかし海野からは思いもよらない言葉が飛び出してきた。


「…気付かれましたか。流石ですね。はい、お察しの通りです。わたくしの髪は普通のモノではありません。」


 海野の言葉に歳三は何も答えなかった。

 何も察していなかったからだ。

 状況も理解できていない。

 歳三には、海野が何を言いたいのかがさっぱり分からない。


 歳三の虚無めいた視線に、海野はごくりと生唾を飲み込んだ。

 話すべき事はそれだけではないだろう?という無言の圧力を海野は感じていた。


「…仰る通りです。確かに私の髪は武器とも言えますね。事前に説明しなかったのは紛れもなくわたくしの落ち度です、申し訳ありませんでした。ただ、わたくしは決して佐古様を、害そう…など、と…は…」


 歳三は目を見開いた。

 何も仰っていないのに仰った事にされたからだ。

 いや、と歳三は思う。

 最悪の、災厄の可能性に思い至ったのだ。

 妄想が勝手に口をついて出る、独り言…

 認知症という言葉が頭をよぎる。


 ──まさか、俺は無意識のうちに何か仰ったっていうのか!そんな馬鹿な!


 歳三の絶望めいた驚愕が不可視の衝撃となって海野へ叩きつけられた。例えば激怒していたり悲嘆に暮れたりしている人の近くに居るとなんだか落ち着かないし、気分も良くない。要するにそれのもっとドギツいモノが海野を襲い、結句、海野は物凄く気分が悪くなったのである。


 海野の言葉が途切れ途切れのものへとなっていき、ついにはヒュー、ヒューという呼吸困難じみた音を口元から漏れさせた。


 歳三からの圧が更に強まったからだ。

 海野は全身に掛かる圧の中で、自身の選択を後悔した。

 佐々波の忠告があれほど忠告してくれたというのに、自分はそれでも現実を甘く見ていた…そんな思いで涙すら滲んでくる。


『いいか、佐古歳三って男は根っからの戦闘者だ。無体無法な男じゃないが、舐められる事を何よりも嫌う。考えてもみろ。ダンジョンに武器も持たずに素手で挑む様な男だぞ。それで乙級探索者にまで至っている。いや、戦闘力だけなら既に甲級って話だ。乙級なのは戦う事しかアタマにないからって事なんだろうな、探索者っていうのは強ければよいわけじゃない…。そういう男はプライドが高いんだ。武士だとかそんな感じだよ。だから迎え一つ行かせるにしても、それなりの人材を向かわせないといけないんだ。木っ端じゃあ相手にもされない。だからお前を向かわせる。強者は強者を知るっていうからな、お前は協会基準で丙級相当だ。アドバイスを求める様な自然な形で会話を重ね、可能なら篭絡してしまえ。佐古歳三を抱え込めれば儲けものってもんだ』


  "桜花征機" 警備部所属の海野は、その毛髪の全てをダンジョン産の素材から製造された『CApillArAmid(カプララミド)』に挿げ替えている。カプララミドは毛髪(cApillAr)とアラミド繊維(ArAmid)の造語で、耐久力に優れ、防刃、防弾、耐火性なども兼ね備えており、海野はPSI能力によって自身の毛髪を操作する事が出来る。これは下手な刃物などより余程凶悪で、人間を輪切りにする程度はわけもなく出来る。


 これは全くの勘違いなのだが、海野は歳三が怒ったと考えたのだ。

 海野が殺傷力の高い武器(カプララミド)の事を話さずに接近したことで、歳三が海野の行動を敵対行為だと見做したと考えた。


 誰も彼もが何もかもを勘違いしており、こういった時は多く場合で歳三が悪い。ただし、今回は海野の方がやや悪いかもしれない。いかんせん勘違いが過ぎる。


「まだ、大丈夫です」


 歳三は透き通った声で言った。

 自分は認知症ではない、そして認知症であっても治す手立てはあるという希望と決意に満ちた声色であった。


 認知症は自分が自分でなくなっていく恐るべきバッドステータスだが、大変異前ならばいざ知らず、このダンジョン時代に於いては治療可能である。


 確固たる意志で探索を続ければいいのだ。

 ダンジョンの精神に対しての干渉は、肉体に対しての干渉よりも控えめなのだが、認知症の場合は肉体への良性干渉が発生すれば駆逐できる。


 というのも、認知症は脳神経細胞やら脳血管やらが様々な要因で傷つく事が原因なのだが、健全な肉体を希求して探索を繰り返す事により、それらの損傷がプリッと治るからだ。


 とはいえ自身の脳に忘我の宿痾がある事を認め、それに向き合うというのは勇気がいる事で、それが出来る歳三はガッツに満ちていると言えるだろう。勿論歳三は認知症などではないが。


 ともかくも、そんな歳三の前向きで希望満ち満ちオーラは、海野に纏わりついていた恐怖の縛鎖を粉砕した。


 ──今回の無礼、一度は見逃す


 歳三からそんなことを言われたように感じた海野。


「あ、ありがとうございますっ…!」


 感謝の言葉と共に、海野は見逃してもらった事を歳三と神に感謝する。そして、佐古歳三という男はなんと寛大なのだろうと崇敬ににも似た感情を抱いてしまう。


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 ところでダンジョンの干渉力は歳三の肉体を "真の男に相応しい強くタフなもの" へと徐々に変容させていっているが、精神の方はどうなのだろうか。


 精神への干渉が肉体のそれに比べて影響力が小さい。

 では肉体はなぜ干渉を大きく受けるのか。


 それは、身体は生物学的な構造として外部からの干渉を受けやすいものだからだ。筋肉は鍛えれば成長し、身体は傷を癒やすために修復する能力を持つ。


 これに対して精神は抽象的で、物理的な形状を持たない。従って、外部からの影響に対する反応の形成が肉体ほど直接的ではないのだ。


 だから歳三が "薄みっともないゴキブリ染みたこれまでの自分じゃなく、もっと堂々と男らしく、胸を張れるような自分になりたい" と心から思った所で、真の意味で歳三の精神が変革されることはないだろう。歳三が男らしい男になる為には、自分でコツコツと地道に "気付き" を重ねるしかない。


 だが直接的な干渉とは、なにも肉体を強靭なものへと変容させることだけではない。例えば、男性フェロモンの様なものの分泌を異常促進するような干渉が行われたなら?




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 海野は本社ビルへ運転しながら、自身の動悸を抑える事ができなかった。佐古歳三の見た目は好みではない。好みではないが、魅力を感じるというのはどういう訳か?


 海野はその理由をすぐに思いついた。

 強いからだ。

 生物として、雄として。


 男なら、雄なら強くなくてはならない

 弱い雄は、ただ弱いというだけで罪深い

 なぜなら弱い雄は自身の弱さをごまかす為に、強さ以外の部分で自分を取り繕おうとするからだ

 それに騙される女は必ずいる

 雄が弱ければ女が不幸になるのだ

 あの男は弱かったからこそ私を捨てた、私を置いて逃げ出した

 弱い雄は雄ではない、男ではない

 この世界の弱い雄は全て殺してしまった方がいい…


 心の奥に封じていたドロドロとした怨みの念が海野から漏れ出る。奥歯がぎりりと嚙み締められるが、しかし車内に充満する妙な熱気と匂いで怨みは雲散霧消した。


 ちなみに、熱気というのは歳三の体温である。

 全然冷房をつけてくれない…というより、つけ忘れている海野のせいで、歳三は汗をだらだらと垂れ流していた。


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 海野千鶴(ウミノ チヅ)、32才、バツイチ独身、京都出身。

 元探索者だが、協会ではなく民間の探索者組織に所属していた過去がある。


 本人は探索者協会に所属したかったが、当時付き合い婚約もしていた恋人Aが件の探索者組織の幹部であり、更に海野にも自身が所属する組織への参加を要望した事から、Aの為に安定を捨てた形だ。この時、海野は25才。母譲りの艶めいた黒髪は彼女の誇りだった。


 海野とAは良く二人で組んで探索をしていたが、荷物の類は全て海野が持っていた。更に、モンスターの気を引いて攻撃を誘発したり、危ない時は身を呈してAを庇ったりと、海野はかなり献身的に尽くしていた。


 海野自身はそれを苦だと思わず、むしろ自身のAに対しての愛情表現だとすら思っていたのである。


 ただ、Aは屑であった。

 モンスターとの戦いで昂ったりすると、ダンジョン内の物陰で海野に口で処理をさせたりというのが屑エピソードでもナンバー2の酷さだろう。勿論3から下のエピソードも中々酷い。


 だが一番は何かと言えば、とあるダンジョンで海野とAは燃え盛る車輪のイレギュラーと対峙した時の事だ。


 "火車" と名付けられたそのモンスターは、文字通り燃える車輪を胴体として、車軸部分に人の顔がついている。

 車輪を生かした高速機動が持ち味なのだが、恐るべきはその炎の性質と場所を選ばぬ縦横無尽ぶりだ。


 炎は付着すれば中々消えず、消火剤の様なものを使って初めて消えるという代物で、機動もまた尋常ではない。何もない宙に炎の軌跡を残しつつ、立体的な襲撃を繰り返してくる。


 結果から言えば、Aは海野を囮として逃亡した。

 海野は奮戦し、なんと単独でこれを撃破するに至ったが、その時には全身を焼け爛れさせて自慢の髪の毛も焼け焦げ、そればかりか頭皮も酷い火傷を負ってしまった。顔は言わずもがなである。


 ダンジョン探索者協会所属が探索者がもっとも多い理由としては、こういった場合に手厚い治療を受けられるからである。医療技術も協会は厳重に管理されており、外部に漏れる事はなかった。

 勿論スパイめいた連中が送り込まれる事は日常茶飯事だったのだが、日本政府はこれらの行為に対してかなり厳しい姿勢を見せている。具体的に言えばそういった者達は全員殺されている。


 親方日の丸を良い事に各地にドカドカと関連施設を建設し、探索者の保護と囲い込みに余念がない。


 だが、それでも外部団体に所属する探索者はいるにはいる。

 それは報酬面での魅力が大きいからだ。

 探索者協会は報酬面で大分しみったれている…というか、探索者達からピンハネした分を福利厚生にドカドカ費やしているので、実際にはしみったれてはいないのだが、まあ手元に残る現金は外部団体よりは大分少ない。


 当時の海野も、もし協会所属であったならばスーパー・バイオなんちゃらだとかナノ・ブーストなんちゃらだとかの治療措置を受ける事が出来たはずなのだが…。


 全身火傷で、とりあえず民間の医療センターに運び込まれた海野だが、余りにも重傷過ぎて手の施しようがなかった。

 というより、一般人なら既に死んでいるはずなのだ。

 だが兎にも角にも彼女は焼石に水という様な措置を施される。

 とはいえここまでなら屑エピソードナンバー1はゲットできなかっただろう。それにしたって酷い話ではあるが。


 海野は所属していた組織から切り捨てられた。

 彼女の治療を支えるだけの金など無かったし、組織の幹部であったAも彼女との関係を潮時だと判断したからだ。


 海野は死んでいてもおかしくはなかったが、怨みと憎悪、そして探索者としての生命力でなんとか日常生活ができる程度には回復する事ができた。しかし代償は大きい。まずは財産。

 探索者としての稼ぎは殆ど治療費で消えた。

 だがなによりも容姿である。


 控えめにいってもモンスターか何かであった。

 自殺か、復讐か。

 海野は悩み、結論を下す。

 だが、彼女の結論が現実のものとなる事はなかった。


  "桜花征機" が彼女を拾ったのだ。

 社に尽くすなら、容姿も何もかも、元通りにしてくれるという。

 財産を失って生活ができないというのなら、当座の生活は支えてやるという。


 海野は一も二もなく承諾した。


 ちなみに探索者協会も彼女に食指を伸ばしたのだが、これは拒否された。海野はもう探索者なんてやりたくなかったからだ。


 そして彼女は "桜花征機" の様々な "強化拡張手術" を受けるに至った。


 現在の海野は "桜花征機" 本社、警備部所属。

 年収は額面で約2000万円。

 社への忠誠心は人一倍高い。


 所でAはどうなったのか?

 少なくとも、現在時点ではAはこの世界の何処にもいない。


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