日常9(佐古歳三、佐々波清四郎、海野千鶴、 "鉄騎" 、 "鉄衛" )

 ■


 桜花征機本社の馬鹿みたいに広いエントランスホールで、歳三はどうにも場違いなのではないかという思いが拭えなかった。

 自身のスーツは酷くやすっぽく見える。なんというか、いかにもスーツに着られていますという感じだ。


 歳三は今後も桜花征機との付き合いが増えそうなら、もう少し自分に合った、まともなものを買おうかと決めた。


 ──俺もいい年だ、レンタルスーツじゃどうにも恰好が付かねぇ



 歳三は今後も桜花征機との付き合いが増えそうなら、もう少しまともなものを買おうかと決めた。


 ──俺もいい年だ、吊るしの安スーツじゃどうにも恰好が付かねぇ


 内心でそんな事を思ったものの、これでいて根が内弁慶気質にも出来ている歳三は、心の中では威勢が良くても現実ではたちまちしょぼくれてしまう。いつだったか、紳士服店の店員がにこやか&爽やかに声をかけてきた時などは、その陽の気配に押しに押されて自己退店にまで追い込まれた事もあった。要するにビビって逃げたのである。


「佐古様、こちらです」


 海野の案内に従って、エレベーターに乗り込む。

 それはいいのだが、歳三は海野の視線に妙なモノ感得し、落ち着かない気持ちとなっていた。

 得体の知れない緊張感が上昇中のエレベーター内に充満し、歳三の額にはまたぞろ汗がじわりと滲む。


 歳三のコミュニケーション能力には致命的な弱点が二つある。

 一つはべしゃりが弱い事だ。

 歳三は自分から話題を振ってカジュアルに会話が継げるタイプではない。どちらかと言えば相槌などを得意とする。


 もう一つは沈黙に弱い事だ。

 無言の空間は歳三の精神を苛む。


 つまり、喋ってもダメだし黙っててもダメという事だ。

 歳三と相性がいいのは金城権太の様に自分の話をワァーっとまくし立てるタイプである。


 歳三の汗がぽたり、と床に落ち、その場に何かが拡散する。

 瞬間、妖気の様なものを感得した歳三は反射的に拳打で "それ" を撃ち抜こうとした。それとは海野の頭部だ。


 海野がいつのまにか歳三の傍に立っており、見れば紫色のハンカチを歳三に差し出している。


「そろそろ初夏ですから。暑いですよね、どうぞお拭い下さい」


 歳三から言わせれば海野の方が余程暑そうだった。

 まるで発熱でもしたかのような火照りを頬に宿し、目を爛々と輝かせている。海野は薄く紅を引いた唇の端をぺろりと舐め、ぬらついた舌の先…妙に生々しい肉色が歳三の表情を歪めさせた。

 見れば、やけに距離感が近いではないか。

 さらに徐々に距離を縮めてきている始末だ。


 歳三は察しが悪いが、ここまで露骨にピンクでムーディな雰囲気を出されれば流石に察しがついた。だからこそ異常だとも思う。

 過日の痴漢事件以降、モラリストとして生きている歳三としては、これはちょっと許容できない状況であった。


 ──助けてくれ、金城さん。俺は性犯罪の被害者になろうとしている


 そんなモラリスティックな事を思いつつ、歳三は海野のハンカチを見つめた。受け取れば終わる。そんな予感。


 ハンカチを差し出す海野、固まる歳三。

 まるで時を切り取ったかのように両者は同じ姿勢で見つめ合い、やがてエレベーターが88Fに辿り着く。


 あら、と海野が小さく呟き、ふるふると首を振る。

 すると先程までエレベーター内に充満していた妙な緊張感は霧散し、海野は何か腑に落ちないような表情を浮かべつつも歳三を応接室へと先導していった。歳三も先程までの異常事態はなんだったのかと疑問を覚えていたが、勘違いだったのかもしれないと思いなおす。よくよく考えてみればハンカチを差し出されただけなのだ。


「こちらです」


 海野が短く言い、ノックをする。

 応えはすぐに返り、海野はドアをあけて歳三に入室を促した。

 歳三の入室を見送った海野は、閉じられたドアを暫く見つめていたがやがて踵を返す。


 この時、海野の精神世界は疑問の陸地と困惑の海、そして焦燥の空の三界で構成されていた。


 あの時、エレベーター内の短い時間で、海野は歳三に襲いかかるつもりでいたのだ。殺意を伴う襲撃ではなく、性愛を伴う襲撃を仕掛けるつもりだった。だがエレベーターのドアが空いた瞬間、まるで夢から覚めた様にそんな気は失せた。


 海野は歳三が何かしらの精神汚染系のPSI能力を使ったのではないかと一瞬考えたものの、それはないと思いなおす。

 PSI能力者はPSI能力者を知るという言葉があるが、なんとなく分かるのだ、使えるか使えないかというのは。


 海野は自身が歳三の強さに強い関心を持っている事を認めてはいるものの、時と場所を弁えない所か、同意すらも求めない卑劣なセクシャル・アサルトを仕掛ける程のモノではない事も自覚していた。


 そこでふと思い立った事がある。

 甲級の探索者の多くに見られる現象だ。


 とある甲級探索者はその場にいるだけで周囲の者達を恐懼させるという。


 また、別の甲級探索者は犬猫、はては鳥…鹿だろうが熊だろうが羊だろうが、動物なら如何なる種類でもその者に心を許してしまうという。


 ──狂気的なまでの情熱を以てダンジョンに向き合ってきた者は、その精神の在り様が周囲に強い影響を及ぼすっていう話を聞いた事があるけれど…



 海野はぶるりと震える。

 佐古歳三という男が恐ろしい探索者だった事が分かったからだ。

 女を弄び、狂わせる魔性の男。


 関わってはいけない、と強く思う。

 自分が自分ではない何かに変わってしまうから…。


 海野はそんな事を思いながら、歳三とは極力関わらないようにしようと決意した。歳三が余りにも哀れではあるが、しかし必ずしも的を外しているわけでもないというのがまた何とも言えない。


 ・

 ・

 ・


 88F、応接室。

 そこには佐々波と、歳三もよく知る二機が待っていた。


 そして…


「はあ、なるほど」


「なるほど」


「はあ」


「確かに…」


  これが桜花征機本社ビルに辿り着いて、歳三が発した言葉の全てだ。なるほど率が高いが、これは金城権太が "とりあえずなるほどって言っておけば会話は成立しますよ" などと言っていたからだ。会話のキャッチボールを得手としない歳三にとっては金言である。


 だが佐々波の説明がうまかったからか、何となく事情が分かった。


 先だっての蒲田西口商店街ダンジョンで、歳三は二機に対して仮のマスター登録をしたが、本来ならばその登録は稼働テストの完了後に自動的に解除される筈だった。


 しかし結果として解除はされず、歳三は今でも二機のマスター登録者のままだ。だから桜花征機は直接解除を試みようとしたものの、二機の頑強な抵抗に遭う。


 もし解除するならば、歳三に直接解除の命令を出されてからというのが二機の主張であった。


「…という事なのです。ですから、佐古様につきましては大変お手数おかけして恐縮なのですが、マスター登録者としての登録を解除していただけないでしょうか」


 佐々波の言葉に歳三は頷くが、そもそも登録を解除とは何をどうすればいいのだろうかと困惑する。


 ──ボタンでもあるのだろうか


 歳三は "鉄騎" に近づき、頭のてっぺんからつま先までくまなく確認するが、作りが複雑すぎてそもそもよくわからない。


 そんな歳三に、佐々波が声を掛けた。


「いえ、口頭で…そうですね、マスター登録者解除に同意するよう伝えていただけませんか?」


 歳三は首肯し、その通りに伝えようとしたが…。

  "鉄騎" と "鉄衛" が無言で歳三を見つめてくるのだ。

 ただひたすら無言で歳三を見つめている。


 しかし分かるのだ。

  "鉄騎" が、 "鉄衛" が何かを伝えたがっている事を。

 しかしそれを言う事が何かしらの原因で出来ない。

 だから己が機構の内で許されている挙動を精一杯に行使しているのだ。


 歳三はそれを頭ではなく心で感じていた。


 ■


 歳三はゆっくり佐々波の方を見る。

 すると佐々波も歳三を見つめていた。

 親父と親父、中年と中年。

 視線が絡み合い、互いに何かを感得しあっているように思える。


「もし、良ければ。二人に話しかけてもいいですか。伝えたい事があるのではないか、と」


 歳三はたどたどしく佐々波に尋ねる。

 佐々波の心中では打算のハンマーが何度も振り下ろされ、火花が散り、何某かの塊が成形されていく。


 やがて "それ" が一つの形を成した時、佐々波は自身の考えがあるいは "桜花征機" に大きな利益をもたらすかもしれないと考えた。


「ええ、どうぞ」


 佐々波は二機が何を言い出すかを半ば予想して、歳三を促す。


 歳三は軽く会釈し、二機に向かい合った。


「やあ、久しぶり。それでな、いきなり聞いて悪いんだが、君達は…なんていうか、どうしたいんだ?俺に、何か言いたい事があるなら言ってほしいんだが。ああ、ええと…これは、そう、マスタァとして聞いているんだが」


 歳三がそう言うと、 "鉄騎" のモノアイが一際明るく赤光を放ち、無機質でありながらどこか切実さを感じさせる電子音声が響いた。


『分析対象:マスター。リクエスト:リンク保持。意図:支援継続。目標:存在価値確認。要約:当機、いえ我々はこのリンクの継続と、今後もマスターの支援を続け、我々の存在価値を示すことを望んでいます』


 歳三は大きく頷き、佐々波を見た。

 何を言っているかよくわからなかったからだ。

 佐々波も頷く。

 歳三が何を言いたいのか、佐々波も分かったらしい。


「なるほど、佐古様も同じ気持ちですか。ふむ、色々検討をしたのですが…佐古様。そういう事でしたら、この二機の正式なオーナーとなりませんか?勿論支払うべきものは支払っていただきます。ただし、継続的なデータ提供を条件に、分割での支払いを認めます。ただしこの二機はかなり高額ですよ。試作機とはいえ、 "桜花征機" の技術の粋をつぎ込んでいます。更には希少なダンジョン素材も。価額は億を覚悟してください。勿論1億や2億ではありませんよ。それでも構わないというのですね?」


 歳三が何を言いたいのか、佐々波は全く分かっていなかった。伝えていないのだから当然である。

 佐々波の言葉に、歳三は何かがどんどん進んでいっているのを感じた。自分の理解の早さより、物事が進む速度のほうが何倍も早い。


 ──待て、俺は、ええと。借金をするのか?いくらだ?借金はだめだろう、しかしあの二人が…ええい、なんだ!どうなっているんだ!


『マスター』


『ギギギギ!マスタ!マスタ!』


  "鉄騎" と "鉄衛" の声。

 歳三は自分が追い詰められた事を知る。というより、勝手に袋小路に飛び込んでいったのだが。


 ここで何も知らない、俺は知らないと逃げ出せば、何か後悔しそうな気がしてならない。


 歳三はまるでがっくりと項垂れるように頷き…

 その日、歳三は極めて、そう極めて多額の借金を負い、二機のロボットの正式なマスターとなった。


 これは要するに、少なくとも借金を返すまでは歳三は "桜花征機" の囲われ探索者となった事を意味する。歳三はこの超多額の借金を返す為に、これまで以上にダンジョンを探索しなければならなくなったのだ。

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