日常34(歳三)
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【探索者端末Stermの最新アップデートについて】
親愛なる探索者の皆様へ
探索者端末Stermの新バージョンが配信されることをお知らせいたします。本アップデートにより、以下の改善と強化が実施されました
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①通信速度の向上
既存の速度から3.7%上昇し、迅速な情報交換が可能になりました
②通話の安定性強化
通話の安定性が1.5%上昇し、よりクリアなコミュニケーションが期待できます
③仮想記憶領域の拡張
各端末に割り当てられた仮想記憶領域を5%拡張し、データの保存と管理がより容易になります
④セキュリティ機能の強化
昨今の国内不穏因子の増加を鑑みて、セキュリティ機能を一層強化しました。ダンジョン内外での通信は、これまで以上に安全かつセキュアに行えるようになります
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このアップデートにより、探索者の皆様の任務がより円滑に、そして安全に進行することを確信しております。最新版へのアップデートを、どうぞお早めにお願い申し上げます。
敬具
ダンジョン探索者協会 Sterm開発チーム
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8月12日の午前6時。
協会から所属の探索者のSterm端末にアップデートのお知らせが一斉送信された。
ダンジョン入場中の探索者、ダンジョンの外にいる探索者に分け隔てなくお知らせが送信されたのだ。
Stermは異界であるダンジョン空間でも通信可能な端末である。量子エンタングルメントの原理を基盤とした通信システムを利用しているため、電波に頼らない通信が可能となっている。
エンタングルメントとは2つの粒子が互いに関連付けられる現象で、一方の粒子の状態が変化するともう一方の粒子の状態も即座に変化する。そして異界のダンジョン内でもこの関連付けは維持される。
メッセージを送信する際、端末はエンタングルメントされた粒子の状態を変化させる。これによりもう一方の粒子も同時に変化し、受信端末に情報が伝達される。この情報がデジタル信号に変換されてメッセージとして解読されるという仕組みだ。
この量子エンタングルメントの原理はこれまで通信にのみ活用されてきたが、桜花征機の技術者が量子エンタングルメントの原理を利用したより高度な認証システムを開発したのだ。
『原理は簡単です!猿でも理解できるッ!!要するに個人の生体情報…脳波でもなんでもいいですが、そこから一意の量子プロファイルを生成します!生体情報なら既に端末にシコタマ記録されているでしょう!そのプロファイルと端末の量子をペアとし、エンタングルメント関係を形成します!ここまで言えば犬でも分かるでしょう!端末アクセスの際にエンタングルメントされた量子ペアを比較するわけです!一致すれば端末にアクセスできるわけですね!!分かりますよね!?!?鳥でも分かるように説明したのです!これで分からなければ線虫以下という事になるッ!!』
これはコミュニケーションにやや難がある件の技術者の言である。とはいえ、"私は線虫以下です" と宣言して更に分かりやすく説明する事を求めれば、それはそれでちゃんと説明してくれる男でもあった。
量子で粒子な技術は前時代からあったが、このダンジョン時代では既に実用化の段階にはいっている。しかしそれはあくまでも特定の界隈に限った話で、残念ながら一般にまでは広まっていない。
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「朝か」
歳三は枕に顔面を深々と埋めたまま、モゴと呟いた。時刻は午前6時だ。普段なら歳三はまだ眠っている時間だが、アップデートの通知音で目覚めてしまったのだ。
「セキュリテーは大事だな…。鍵みたいなものだからな、助かるぜ、これからもよろしくお願いします…」
歳三はそういって端末に向けて頭を下げた。ちなみに歳三はティーのことをテー、ディーの事をデーと言う。
Stermのアップデートは数秒で終わり、歳三は寝起きの一服をするべくタバコを取り出した。寝起きにタバコ、寝る前にタバコ、探索前にタバコで探索後にタバコ、食前にタバコで食後にもタバコだ。歳三はその全身と全霊がヤニに汚染されていた。健康に良いわけがないが、ダンジョンの干渉力が歳三の肉体をヤニ負けする事を許さない。
歳三は灰皿に吸い殻をぐりぐりと押し付けてシャワールームへと歩いて行った。
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今日の歳三には午後からティアラ、ハマオ、比呂と飯を食事会の予定がある。場所は新宿だ。新宿なら良いか、と歳三は思う。渋谷だったら考えていた所だった。歳三は渋谷が苦手なのだ。なんだか浮いてしまっている気がして。
食事会の名目としては先の秋葉原ダンジョンでのティアラからの礼という事だった。かしこまった店ではなく、探索者向けのビュッフェスタイルの店だ。
探索者向けの店の特色として、武器などの持ち込みが可能、更に馬鹿みたいに食べたとしてもほぼほぼ無くならないという安心感があげられる。
客層はほぼほぼ探索者であり、これには協会所属以外の探索者も含まれる。現在、探索者団体の最大手は協会だが、他にも大小さまざまなグループ…クランが存在する。なぜ協会に所属しないのかといえば、やはりピンハネを嫌っての事だ。そういった集団は企業に直接素材を売り捌いている。ただ、協会からの様々なサポートがないため探索は当然より困難なものとなる。
話は戻るが、歳三としてもドレスコードがあるような店は非常に苦手で、その辺りが心配になって尋ねた所、ティアラはそういった歳三の小市民マインドを理解していたようでカジュアルな店を予約しておいたとの事だった。
クローゼットの前で歳三は腕を組む。
ドレスコードはなく、どんな服装でも問題はない。なんだったら板金鎧を着こんでも良いのだ。歳三にも桜花征機から提供されている軽量のボディアーマーがある。
だが、と歳三は思う。戦闘に適した恰好で会いに行くというのはなにか警戒心の発露のようなものを意味しないだろうか?
歳三はその辺りが心配であった。無論考えすぎなのだろうが、ダンジョンにいくわけでもないのに戦闘服を着ていくというのはどう考えてもおかしい。歳三にすらその辺りの理屈は分かるというものだった。
結局歳三はどこかしなしなになった灰色の背広を取り出す。
よれてヘタっているような、なんだか頼りなさげな背広は大分前に歳三が購入した吊るしのものである。上下で12000円。根が私服貧民に出来ている歳三は、探索用の衣服以外は安い吊るしのスーツと喪服、それとなんだか将もない感じのシャツやジーンズしか持っていない。
ちなみに探索者なら大体喪服を持っているものだ。昨日まで元気だった仲間が明日死んでいるなんて話は珍しいものではなく、通夜やら葬儀にも頻繁に出席するからである。歳三とて少し仲良くなれそうだなとおもった相手の葬儀に何度か出席している。
ちらと何本かのネクタイを見る。ちなみにどれもヒマムラで購入した安物だ。
──ネクタイは…不要か
カジュアルな食事会という事になっているため、ネクタイの類は不要だろうと歳三は判断した。
だが何を思ったか、その内の一本を手にとって、軽く首に巻き付けて上に引いてみる。首吊りのスタンダードスタイルをとった歳三は、ふ、と笑った。
昔の事を思い出して、ついやってしまったのだ。というのも、ずっと昔…歳三は今の様にネクタイを首に巻き付けた事がある。あの時と比べて今はどうだろうか?食事に誘われて、後輩?からは一緒につれていってくれと頼まれて。
あの時と比べて随分状況が変わったじゃないかと歳三は思った。だからこそ、油断をしてはいけないのだとも思う。
唐突な首吊りスタイルは歳三なりの臥薪嘗胆ムーブであった。薪の上に臥せ苦い肝を舐める代わりに、あの時と同じ様に首にネクタイを巻き付けるのだ。
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