日常35(歳三他)

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 時刻はまだ午前7時といった所だが歳三はすでに外出の準備を全て整えてしまった。着ていく服も用意してある。朝食は缶コーヒーとタバコ、鯖の水煮の缶詰に白米というワイルドっぷりであった。歳三という男はワイルドと雑を勘違いしている節がある。


 紙皿を取り出し、鯖の水煮を豪快にぶちまけるとそこにラー油を垂らし、暫時悩んだ素振りをしたかと思えば生しょうがチューブから僅かにしょうがをひねり出す。


 ちなみに米は炊飯器で炊いたものではなく、パックライスであった。歳三も歳三なりに自炊くらいは出来なければいけないと思ってはいるのだが、思うだけで結局20年以上の年月が経過してしまった。


 というのも、探索者となってからの歳三は食生活がどれほど酷くとも体調を崩したりはしないし、ここ10年以上は節約しなければならない程金に困った事もないからだ。3食全て高級レストランで食事をしても経済的に全く問題ないほど金がうなっている。まあ現在は可能なかぎり節約し、鉄騎と鉄衛買取の資金を貯めねばならないのだが、それでも金には余裕がある。


 それでもこんなしょうもない飯を食ってるのは歳三の根が貧民体質にできているからなのだが…ともかくもそんなしょうもない飯をカッこんで、それでも時刻はまだ7時半にもなっていない。


 メッセージ着信の通知音がなり、端末を見てみればそれはティアラと飯島比呂からであった。いずれも今日はよろしくというような事が書いてある。歳三は頭をぺこりとさげる風のリアクションスタンプを送り、よろしくお願いします、とだけ短く返信した。


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 そして昼。


 歳三は背広を着こんでレザーのアタッシュケースを持って自宅を出発した。ケースの中にはStermやバッテリー、応急キットや大振りのタクティカルナイフなどが入っている。


 なぜ応急キットなどが必要かと言えばそれはもう物騒な世の中だからである。ここ最近の歳三はいろいろと巻き込まれる事が多く、それを自身でも自覚していた。新宿然り、秋葉原然りである。敵はモンスターばかりではない。ゆえの備えという事だ。


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 空は日差しが強く、根がヒッキーに出来ている歳三は空をみあげてもう少し曇ってくれればいいのになと思わざるを得なかった。暑さはともかく、ここまでさわやかに晴れ渡っていると人通りが多くなってしまうからだ。


 特に歳三の部屋は大学の近くにあるという事もあり、大学生の往来が多い。若い男、若い女…歳三には彼等が自分と同じ生物だとはとても思えなかった。モンスターなどよりよほどわけのわからない存在であり、そして未知とは恐怖の源泉であるがゆえに恐ろしい。


 もっとも、生死を共にした間柄であるとか、同じ組織に属しているだとか、そういう関係であるなら忌避感情も大分薄まるが。


 ──入道雲。積乱雲だ。あれが他人様の人生。そこら辺を歩いている学生連中の人生なのかも。そして俺の人生は…あの横っちょの小便みたいな細い雲かな


 歳三が何とはなしにそう思うと、ふと夏の日の思い出が脳裏をよぎった…


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『佐古君、どうしたの?浮かない顔をして。ああ、施設の子にいじめられたのか…。額が少し腫れているね。冷やした方が良い。…え?なんで自分だけ?…そうだなぁ、確かに佐古君は少しツイていないね。教室を見回してごらん。皆がみんな、両の親が揃っている。佐古君の様にお父さんが借金を抱えて逃げ出して、お母さんが自殺して、施設にいれられた子なんて一人もいない。おっと、凄い目で睨むね。ごめんよ。でもね、あそこの井上さんを見てごらんよ。彼女は裕福な家庭に生まれ、何不自由なく過ごしている。着ている服だってブランド物さ。毎日おいしいものを食べて、友達もたくさんいるだろう。幸せいっぱいなんだろうね。不幸を知らないんだ。だから不幸な佐古君のことも平気でいじってくる。だけどね、来年の春。彼女は家族ともどもこの世にはいないよ。事故だ。春休み、旅行中…かな?多分。とにかく、彼女は家族と一緒に死ぬんだ』


 望月は恐ろしく不穏な事を言った。だがその瞳には一抹の悪意、害意は宿っていない。


 まるで硝子みたいな目だ、と当時の歳三は思った。

 しかしなぜそんな事がわかるのか?歳三は当然の疑問を抱くが、なぜだか聞いてはいけないような気がした。


『空を見てごらんよ。広いだろう?ここは田舎だからね。高い建物もない。都会は空が狭いらしいよ。まあそれはともかく、あの広い空は "世界" さ。広い意味での世界だ。概念的な意味かもしれない。そしてあの大きくて綺麗で力強い雲…積乱雲は、あれは佐古君の目からみた他人の人生だ。佐古君の人生はどれだろうね。あの小さい雲かな? それともあの林檎に似た雲かな? いずれにしても、佐古君からみたら積乱雲はうらやましく見えるだろう。だけどあの雲の中は酷いものだよ。暴風が吹き乱れ、雷が荒れ狂っている事もある。他人の人生なんてそんなものだよ。うらやましいと思っていたものが、実はとんでもない代物だったなんてザラにある』


 そういうと望月は掌で軽く目をおさえた。その様子がどうにもつらそうにみえ、歳三は思わず望月の肩に触れる。だがそこまでだ。触れたからといって何ができるわけでもない。


 だが望月はふ、と笑い、礼をいってその場を立ち去ろうとし、ややあってから向き直って歳三の目を見ながら言った。


「僕の言葉が全て当たったとして、井上さんは幸せだと思うかい?」


 望月の言葉に、歳三は首を振った。

 家族ともども死んでしまう、それも来年に。そんなものが幸せなわけはない。


「そうだね、だから比べない事だ。意味がないからね。幸せと不幸は表裏一体だ。すぐに入れ替わってしまう。ただただ、自分の人生のかじ取りに終始することだよ。まぁ、佐古君も大変な目にあうかもしれないけれど、いずれは落ち着くさ。最終的に幸せであるなら、それまでの経緯は必要経費だとすら言える。そう思わないかい?…ああ、経費っていうのはコスト…まぁそうだね、お金みたいなものだよ」


 歳三は考える。

 最後は幸せになるなら、確かにそれはそれで良いのかもしれない。それまでが大変でも、最後が幸せなら良いのかもしれない、と。


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 ──まぁ、ぼちぼちやっていくしかねぇよなァ


 歳三はそんな事を思い、池袋駅に歩いて行…こうとして、あわてて背後から暴走してくる何かを避けた。


 !?


「おうッ、どけやおっさんッ!」


 探索者である。急いでいるのだろうか?

 車なみの速さで疾走している。それは良いが、問題が一つあった。


 その探索者はあろうことか歩道を走っていたのだ。

 探索者がなんらかの手段で一定速度以上で移動する場合、その扱いは車両扱いとなる。勿論制限速度も守らなければならない。


 違反の際には探索者用の法が適用され、程度によって適切に裁かれる。これは協会所属の探索者だけではなく、ダンジョンによって身体能力を向上させたとみられる全ての者に適用される。


 大学生たちはあわてて道の端に避けた。衝突してしまえば大怪我は免れない。歳三はきょろきょろと周囲を見渡すと、すぐに何台かの監視カメラを見つける。


 カメラのレンズは疾走する探索者の背を追っていた。

 おそらく件の探索者は後日協会からペナルティを受ける事になるだろう。


 探索者は夏場だというのに白革のジャケットを着こみ、その背には "魔怒麗鵺・紫崎" などと刺繍されていた。頭部は何というか一昔前の暴走族といった感じで、例えていうならばシュッとしたブロッコリーの様な髪型をしている。片手にはバールらしき工具を握り、いかにもワルといった風情だ。顔つきは案外にも甘いマスクをしており、薄く笑えばそれだけで股を濡らす女もいるだろう。


 とはいえ、本当の意味でワルならば処理されてしまっている筈なので、見た目は怖くとも粛清対象という程には逸脱はしていないのだろうが。


 ちなみにこういった違法行為の場合には刑事訴訟法213条に基づいて現行犯逮捕ができるが、歳三は自身が件の探索者を取り押さえようとは思わない。


 戦闘にでもなってしまったら規模によっては歳三も罪に問われるし、それにそれは自分の仕事ではなく別の者の仕事だからだ。よほど緊急性が高いものでないかぎりはでしゃばることはない。


 ■


 ともかくも池袋駅に到着した歳三は首尾よく電車に乗り込み、新宿を目指す。車内は平和なものだった。


 全身に全身鎧を纏い、特大剣を背負った探索者らしき者がつり革につかまって立っている。鎧の左胸部分にはZの刻印。飯島比呂の契約企業でもあるZephyr Innovationsゼファー・イノベーションズ製だ。中世騎士風の武装に衝撃分散機構や各種近代的なシステムを仕込んだ製品を多く販売する人気企業であった。少なくとも桜花征機よりはよほど真っ当なモノを出す。


 体の線がくっきりでている妖艶な紫色のボディスーツを纏ったくのいちめいた女が一般人老女に席を譲っていた。ニンジャ・スタイルという事は桜花征機をひいきにしているのかもしれない。


 肩にドでかい蜘蛛を這わせている眼鏡女子もいる。こういうのは大体数少ない如月工業のマニアだ。


 この時代、一般人はもはや多少奇抜な恰好をしている者を見ても驚いたりはしない程度に調教されているが、蜘蛛女子のことだけは避けていた。やはりヴィジュアルが強烈過ぎたのだ。


 蜘蛛女子は少し寂しそうな表情で蜘蛛を撫でている。


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 そして新宿。


 歳三は東南口へと向かった。東南口には少し開けた広場のような場所があり、大きな木の周囲に金属製の円環状の座席が設置されていて待ち合わせ場所としてしばしば利用される。歌舞伎町方面にも近く、また、東口交番前程には混みあってもいない。


「佐古さん!」


 やや高めの飯島比呂の声。

 歳三は "こんな声だったかな" などと思いつつ会釈を返した。


 待ち合わせ場所にはすでに3人そろっている。

 歳三は素早く端末で時間を確認するが、待ち合わせの10分前だった。もう少し早くくればよかったかななどと思いつつ、歳三は歩調を速め、3人の元へと向かった。

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