新宿の影④(終)
■
「なんてこった…」
妙にズキズキするこめかみを抑えながら、歳三は呟いた。余りにも凄惨に過ぎる殺人事件の現場が広がっていたからだ。歳三の視線の先にあるもの…それは人間の下半身であった。
上半身は無い。
ただ下半身だけがその場に転がっていた。
男か女かは分からないものの、歳三は脱がして確認する気にもならない。
──バラバラ殺人事件
歳三の脳裏にそんな言葉が過ぎる。
根が遵法主義者気質にできている歳三はただちに警察へ電話をしようとして…まてよ、と思いとどまった。
今更ながらに自身の恰好に気付いたからである。
まるで赤ペンキを頭から被ったかのような有様…それが真実赤ペンキである事を歳三は祈ったが、流石に臭いで分かる。
「…ひでぇ話だ。テロか?通り魔?…俺は助かった様だが…とにかく、警察に連絡しなきゃな」
歳三は自分が下手人だとはこれっぽっちも思っていない。
覚えていないのだから当然なのだが。
しかしここで警察に電話してしまうと、歳三は間違いなく逮捕される。勿論後日釈放される事は間違いない。
だが、歳三の柔らかいアルマジロの様な精神は酷く傷つき、社会復帰には暫く時間を要するだろう。
しかし天はまだ歳三を見放していなかった。
歳三が110番にかける直前、端末から通信要求が入ったのだ。
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同時刻。
歳三のいるビルから数十メートル離れた別のビルの屋上で、乱れた茶髪を風に靡かせながら女が1人、遠眼鏡で歳三を監視していた。ややあって呟いた声色には、多分な諦念が混じる。
『嗰位佢對我來說太過份困難喇…』(ありゃあちょっと勝てないわ…)
茶髪女としては、もしつけ入る隙がありそうならば "仇" を討ってやるつもりだったがとんでもない。
──覚醒者、それも最上位の。あんなのがいるんじゃあ、さっさと逃げた方が良さそうね
茶髪女は首を振り、その場を立ち去った。
■
『佐古さん!佐古さん!ご無事ですかッ!』
必死に呼びかけてくる声は、どこかで聞いた事があるようなないような。歳三はやや考え込み、やがて自信なさげに答えた。
「もしかして…獅子喰さん、ですか」
『そうです!そちらは…ご無事の様ですねッ…よかった…こちらは襲撃がありまして、一名が殉職しました…撃退は…どうにか、こうにか…。しかし恐らくは同時多発的に襲撃が行われているはずです、佐古さんの方にも…?』
「襲撃…?じゅんしょく?よくわかりませんが…こっちは大丈夫です。ところで、大変な事が起きたんです。その、死体が…殺人事件だと思うのですが…警察に連絡すべきかなとは思うんですが、どう思いますか」
ボキャブラリー貧民である所の歳三は "殉職" の意味がちょっと良く分からなかった。いや、言葉自体は知っているのだが、襲撃というものを想像の埒外に置いていたため、咄嗟に思い至らなかったのだ。というより、歳三はそもそも現在の状況が非常に厄いものである事それ自体を知らない。
歳三の中では今日は銃を撃ちに来て、まあ自分には合わないなということがわかったから帰ろうとしたら、何がなんだか分からないうちにいつのまにかビルの屋上にいて、しかも人間の下半身が…というような状況なのだ。
協会関係者が襲撃されるような状況だと知っていたら "殉職" という言葉の意味にもたどり着いただろうが、想像すらしていない為に察しがつかない。
だが察しの悪い歳三のそんな態度が誤解を生んでしまう。
人死にが出ているというのにどこか他人事の様な態度が獅子喰を怯ませた。獅子喰は佐古歳三という男に恐ろしい程の冷徹さを感じ取った。勿論思い込みである。
獅子喰は思い込みが激しい男なのだ。
──冷徹、冷酷!そんな男という事か…金城の親父の駒だけはあるな。つまり、こうか。刺客は全て始末した。ただし死体が残っている、このままでは警察が介入してくるから人員を寄越せ、という事か。妙に迂遠な言い方は…あとは我々の仕事だという事を念押ししているという事なのだろうな
獅子喰は絶妙な勘違いをして、素早くその場に集まってきた職員達に指示を飛ばす。
──しかし念のためにと武器の補充場所になる様な地点を護っていたが、襲撃を強行してくるとは。そうか、連中からすれば騒ぎを起こせればそれでいいのだものな。そして協会職員なり、協会所属の探索者なりを殺傷出来れば良いという事か…。一般市民に手を出さなかったのは、この国の方針自体がラディカルな方向へ振れるのを避ける為だとみていいのだろうな
やりづらい相手だ、と獅子喰は首を振る。
脳裏には先程の襲撃が想起された…
§
「ししー。あのおっさんは何なの?援軍?」
射撃場の受付チンピラ・ガール、"モモカ" が獅子喰達に尋ねた。
彼女も一応協会職員なのだが、柄が悪いのだ。しかし希少なPSI能力保持者であるため許されている。
──糞アマが! Sissyだと? それは女装した男って意味だぞクソッタレ!
獅子喰は内心で罵る。しかし何度注意してもモモカは獅子喰のいう事をきかないのだ。だが、だからといって脅そうとしたりしてはならない。なぜならばモモカは…
「あれあれあれ?何なに?今クソッタレって言った?色んな事暴露しちゃうけどいいの?」
獅子喰はぐっと呻いて、顔面の筋肉をびくびくと震わせた。
二人の同僚…島田と能登はこの世界の謎のすべてが銃器カタログに詰まっているとでもいう様に、カタログ確認に余念がない。要するにモモカと獅子喰に関わりたくないのだ。特に読心能力を持つモモカには。まあモモカの力も無制限に読めるわけではなく、数メートル離れれば読めなくなるものではあるが。
「あ、客だ」
獅子喰がちらと入口を見ると…
──日本人、か
どうにもちゃらい感じの金髪の青年と、茶髪の女が腕を組んで入ってくる。二人は日本語で、浮気がどうだのとか、探索デートがどうだのとかアマな事を話している。イントネーションも不自然な所はなく、獅子喰も二人の同僚もやや警戒を緩めた時だった。
「いらっしゃー……ししー!」
モモカが叫ぶと同時に獅子喰と二人の同僚は弾かれる様に動き、中央を獅子喰、左から島田、右から能登とフォーメーションを組んで金髪の青年、そして茶髪の女へ襲い掛かった。
──男からだ
獅子喰は左側面を並走する島田に目だけで合図する。
能登に対しては拳を握り、親指で横を指し示すような仕草で向かって右、つまり女の方を抑えろと指示。
どうあれこの射撃場には探索者しか入場が出来ない。
だから畢竟男も女も探索者である事は間違いないのだが、一般的に見て男性探索者の方が身体能力は優越している。
勿論女性探索者が劣っているというわけではなく、女性の方はPSI能力方面の能力開花をする場合が多い。
なぜならば、極一部の女性を除いて、女性の大半は自身の肉体を筋肉の鎧で覆いたいだとか逞しくなりたいだとかは思わないからだ。
だから獅子喰は、単純膂力に優れている可能性が高い金髪青年の排除を優先した。
ともあれこの僅かなやり取りの間に、後方のモモカは既に銃を構えていた。西部劇で良く見るアレそっくりな…つまり骨とう品である所のコルトSAA、通称 "ピースメーカー" である。ただ、骨とう品なのはガワだけだ。そもそもサイズ自体もハンドキャノン級という様な代物である。
銃本体に使われている素材は "鉄騎" や "鉄衛" にも使われている"黒桜鋼" で、銃弾も対モンスター用のものなので、これはちょっと非人道的に過ぎる。
アンチマテリアルライフルを使う方がややマシというレベルである為、こんなものを一般人に向ければ当然人道面から見ても逮捕は免れないだろう。
ただし、敵対的外国勢力なんていうものは人間ではなく有害鳥獣の類であるので問題はない。
──男の方にはししーと島田。ならあたしの狙いは女
モモカの瞳が絞り込まれ、銃のハンマーが右手の親指で起された。黒いマニキュアが不吉を示唆しているようだ。
人差し指がトリガーを引き、最初の銃弾が発射される。
そしてトリガーは引いたままに、ハンマーを左手の親指で引っ掛け、2発目。
更にそのまま繊手が流れ小指でハンマーをひっかけ、3発目。
所謂トリプルショット、手動式の三点バーストであった。
ちなみにモモカも探索者としての顔があり、仮に一般人がこんな真似をすれば腕が引き千切れる。
§
モモカの考えでは先手を取って一人を殺すか行動不能にするはずだったのだが、茶髪女の取った行動はモモカの想像の斜め上であった。
茶髪女の左拳が甲を向けるように掲げられ、3発の対モンスター用の銃弾を全て防いでしまったのである。ただ流石に無傷とはいかないようで、甲からは血が流れている。茶髪女の表情が歪み、口からは悪罵が飛び出した。
「ッ…!我要殺你!」(ぶっ殺す!)
茶髪女に向かっていた能登は、探索者用の銃器から放たれた対モンスター用の銃弾を素手で防ぐという滅茶苦茶ムーブに僅かに動きを鈍らせてしまった。
これを見逃す茶髪女ではない。左手を鋭く振り、血液を能登の目に飛ばすと身を屈め、血による目潰しで隙を見せた能登の腹に手刀を突き入れた。
「能登!クソが!」
島田が激昂し、しかし暴走する事なくまずは金髪青年を始末しようと懐からコンバットナイフを取り出す。
しかし目と鼻の距離まで肉薄しても金髪青年は一切動こうとしない。そればかりか、目には怯えさえも浮かんでいる。
──そのままビビってろ!
島田はナイフを金髪青年の喉へ突きこもうとするが
「そいつは違う!」
モモカが叫び、獅子喰が島田の腕を抑えた。
「餌か?」
獅子喰の問いにモモカは頷く。
獅子喰も流石に察しがついた。
──あのアマ、男の方はどこぞで咥えこんできたか。恐らくは盾…いや、社会的な爆弾として。協会職員が協会所属の罪なき探索者を傷つけるなど笑い話にもならん…
みれば既に茶髪女は逃げ去ったようで、獅子喰は斃れ付す能登にむかってかがみ込むが、やがて首を振った。
「…くそっ…とにかく、支部に連絡をしなければ。…ま、まて、佐古さんは無事か!?」
──まずは連絡、いや、救援を呼ぶのが先か
八つ当たりだとは分かっていても獅子喰は床にへたり込んでいる金髪青年を睨みつけてしまう。
ひっと聞こえる怯えたような声が更に獅子喰の怒りをボルテージを高めていく。しかしここで激発しても何にもならず、更にいえば金髪青年は何も悪い事をしていない。
獅子喰もそれは重々承知しており、結局深い深いため息をついた。
「一応聞いておくが、モモカ。弾は何を使った?」
獅子喰の問いにモモカが答える。
「DEマグナム弾。一発8000円。象さんでも一発で吹き飛ばせるよ」
一口に銃弾といっても、対人用か競技用かで値段が異なるが、例えば有名な44マグナムの銃弾ならば一発あたりせいぜい120円かそこらだ。しかしながら探索者用の銃から放たれる探索者用の銃弾ともなると、今回モモカが使用した対人用のDE(ディープインパクト)マグナム弾は8000円にものぼる。
単純に約70倍近い性能差があるという話でもないが、探索者用の銃器の滅茶苦茶さ加減、そして、そんなものを取り扱う探索者連中というものの超人さ加減は推して知るべしといった所だろう。
「完全に殺しに行ってるじゃないか…一応確保が優先の筈だが…まぁそれでも対応としてはぬるかったという事か。素手で受け止めるとは、甲級相当と見ていいかもしれないな」
獅子喰がぼやき、ややあって慌てたように電話を掛けた。
頼むから出てくれよ、と必死に願いながら…。
「佐古さん!佐古さん!ご無事ですかッ!…」
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そして現在に至り、歳三の前では数名の協会職員、そして獅子喰が戦慄していた。
「こ、これは…」
余りにも無惨な惨殺死体。
そしてビルの下に散らばるバラバラの人体パーツに、獅子喰たちは恐怖を禁じ得ない。
この時幸運だったのは黑百花の術の影響で、周辺住人が捌けているという事だった。黑百花が死に、人払いの効果は解けたものの、周辺を立ち去った人々が戻るまでにはまだ若干の猶予がある。
獅子喰は兎にも角にも周辺に規制線を敷く事を決めて素早く手配をした。思い込みが激しいという欠点はあるが、その点を差し引いても獅子喰は有能なのだ。
──この、人は…
獅子喰は極度に緊張をしながら歳三へと話しかける。
「その、佐古さん。この後はどうされますか…」
「帰りますが…すみません、服はないですか。ほら、なんだか汚れてしまって…ちょっと良く分からないんですが。血塗れで、これじゃあ電車に乗れないでしょうし」
この時獅子喰の心の耳には別の声が聞こえた。
『俺はもう帰る。それにしても服くらい用意しておけ、使えない連中だ。このまま電車に乗れば騒ぎになるだろう。送迎しろ』
「少々お待ちください!すぐに手配します!」
獅子喰の声の、僅かな恐慌の響き。
勿論歳三はそんな事は思っていないのだが、如何せんファッション悟り体質である所の獅子喰なので、速やかに送迎の手配を進める。
歳三はハァとすっとぼけた返事をして、ふと黑百花の下半身だけの遺体を見た。
──良く分からんが、成仏しろよ
来世は幸せでありますように…と黑百花を悼む歳三。
そんな彼を獅子喰たちは強い恐怖と共に見つめるのであった。
ここまで惨く殺しておいてその仕草というのは、控えめにいっても狂っている為。
■
結局歳三は新宿支部の者達に自宅まで送られる。
更に汚れた私服は協会持ちでクリーニングをしてくれるとの事で、困惑しながらも喜んで服を渡した。
ちなみに替えの服はその場で協会職員が脱衣して、サイズの合わないスーツを着る事となった。162センチの歳三ではちょっとみっともない事になるのだが、歳三としても血まみれの服装のままは嫌だったので承諾したのだ。
──良く分からん、何で送ってもらえたんだ。さらに服をいきなり脱いだり、クリーニングしてくれたり。やっぱり頑張ってればだんだんと立場ってモンが出来上がってくるんだな。乙級のオはオウサマのオってか!
自室でパンツ一丁のまま、歳三はスパスパとタバコを吸いながらそんな事を思う。根が調子コキに出来ている歳三の表情は緩みに緩み切っている。
──そうだ、さっそく金城さんに自慢しよう
歳三は端末を取り出し、メッセージで簡単な顛末を権太へと送る。
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ダンジョン探索者協会池袋本部。
規定では休憩時間なのだが、この日は誰も休憩をとってはいなかった。そればかりか、諸々の事情でほぼ全職員が詰めている。
職員たちはピリピリとした態度を隠さず、事情を知らない探索者達は困惑していた。
そんな中、権太の端末に届いたメッセージは精神がごん太(ごんぶと)な権太を安堵させ、そして苛立たせる。
安堵した理由は、歳三が無事であった事。
苛立った理由は、新宿をはじめとする都内各所が襲撃に遭った事。
某国がいやらしいのは、自国へ繋がる特殊部隊を派遣しているとかではなく、あくまでも犯罪組織が勝手にやらかしているというていを装っている点である。
──池袋での銃撃事件もその繋がりなんでしょうな
ふん、と権太は鼻息を荒くした。
各所では警戒を厳にしているが、協会職員に死傷者もちらほら出ている。
──これ以上被害が広がるなら、それこそ全探索者を巻き込んだ戦争になるが…
この時点まで限られた探索者にしか事情が伝えられていないのは、ラディカルな対応をすればその分相手も同様の反応を示し、ひいてはのっぴきならない事態へと進展してしまうからである。
しかし、このまま手をこまねいて被害を拡大させるくらいならば、協会も政府も腹をくくるだろう。
つまり、有事の時だ。
しかし皮肉な事に、その日を境に襲撃は止むのである。
会談の妨害こそならなかったものの、警戒させ腰を重くさせたという成果があるからだ。
また、某国としては協会、ひいては日本政府に対して暗黙のメッセージを送る事も出来た。
"その話を進めるならば、分かっているな"
そんな警告を協会や日本国政府がどう捉えるのか…
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歳三は自宅で "模試の子" を見ていた。
これは偏差値30の女の子が東大を目指して頑張るというアニメだ。家庭教師のイケメンとの恋愛や、急に勉強を始めた主人公に対して距離感を感じてしまう親友少女との人間関係など、なんとも甘なアレコレが売りなのだが、歳三の豚鼻はそこに青春の幻香をかぎ取っていた。
ぷかぷかとタバコをふかしてアニメを見る歳三。
彼が色々な意味で稀有な探索者であるのは事実だが、どうにもその姿はしょうもなさを禁じ得ない。
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新宿の影は終わりです。キリがいいのでクレクレします!
クレクレクレー!
モモカの画像は近況にあげます
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