雑司ヶ谷ダンジョン⑤

 ■


 ──津波!?


 飯島比呂は目をぱちくりとさせ、そしてすぐに足元の違和感に気付く。拘束が解けていた。


 足元には千切れた毛髪が落ちている。

 恐らくは、と歳三の背を見て戦慄した。


 飯島比呂は天才であり、天才とは大体なんでも良い感じで出来るのだが、その彼の目から見て歳三はまるで鍛錬という概念を人型に押し込めた異形の様に見えたのだ。


 彼の見立ては正しい。

 佐古歳三はまさしく鍛錬の鬼である。

 ただし、動機は些かみっともないのだが。


 20代にせよ30代にせよ、そして現在の40代にせよ。

 歳三はあらゆる欲求を死闘という名の鍛錬で解消した。

 マラをしごきあげたくなっても手淫は行わなず、マラの代わりに業を磨いた。


 歳三がストイックな訳ではなく、野生の勘で直感したのである。

 マラをしごき、性欲という眠れる獅子を起こしてしまえば次は女体へ興味が向かってしまうと。しかし歳三にとって女体とは、一時の快楽と引き換えに破滅を齎す邪神像に等しい。


 歳三はこれでいてまともになりたい、まともに行きたい、世間様からしっかり認知され、承認されたいという願望を持っている。

 破滅すると分かるモノに手を出す訳にはいかなかった。


 ともかくも歳三はダンジョンに延々と潜り続け、実戦という名の鍛錬を積み続けたのだ。これは先述したことだが、怪物は至極全うな論理…正論棒でガンガンに殴りつけてこない。


 中卒で、多汗症で、低身長で、体毛が濃く、なぜか鼻毛だけが異様に早く伸び、足は臭く、脇も臭く、更に前科もある自分を蔑んだりしない。


 魔物はピュアなのだ。

 まっすぐに、本気で、一切の裏もなく人間を殺そうと純粋な感情を向ける。魔物たちからに叩かれ、斬られ、突き刺される度に汚い汚い汚い自身の血が流される。


 歳三は自身をピュアとは真逆の存在であると考えている。

 ピュアの真逆とはすなわち汚物だ。


 そんな汚物の自身だからこそ、ピュアな魔物に惹かれるのだろうなと、そして最後の最期、自身の肉体を巡る血の一滴残らずまでが抜けきった時、自分がまともな人間に更生出来るのでは…などと歳三は考えている。


 ■


 "それ" は全身を強く殴りつけられた様に感じた。


 先ほど食い散らそうとした三匹の餌がじゃれてきた時とは違い、明確な痛みを感じる。意識を向ければ折角 "餌" を捕える為に広げた網が全て破られている。自身の肉体ともいうべき毛髪を引き千切られれば痛みを感じて当然であった。


 陸津波の破壊力はたかが知れており、まともに放たれれば "それ" を傷つける事などとても出来ないが、攻めや守りといった明確な意思が含まれていない箇所にならば痛打くらいは浴びせられる。


 仮に "それ" が毛髪に意識を集中し、盾として自身の前方に展開でもしてようものならば、歳三の陸津波はその防御を突破できなかったであろう。


 だが、罠として展開していたならば話は別だ。

 "それ" が久しく覚えていなかった感情が全身の神経回路を流れ、焼き焦がす。


 その感情とは "怒り" である。


 怒気、怒気、怒気!

 怒りの念はたちまち極点に達し、殺気という名の輻射熱が周囲に放射された。


 飯島比呂はまるで心臓を鷲掴みにされた様に感じ、その場から一歩も動けなくなる。一秒でも早くこの場から離れて応急キットを持っていかなければならないというのに、体が動いてくれない。


 歳三もまた動かない。


 "それ" は自身の殺気で首尾よく獲物を縛り付けたと見たか、舌なめずりをしながら太く束ねた自身のカラダを幾つも作り出した。毛髪を束ね、縒り合わせて作られた超硬質の黒槍である。これまでにも殺意で縛り付けて、動けなくなった獲物を嬲り殺しにした事はある。獲物の恐怖と絶望は "それ" にとっては甘露に等しかった。


 放たれる死の槍!


 戦車にも使われている圧延防弾装甲をもぶち抜く貫通力は、受け止める事は勿論、弾き飛ばす事も出来ないだろう。

 だがしかし、宙空に描かれた望月はこれらを全て斬り飛ばした。


 無論歳三は動けなかったのではなく、動かなかったのだ。


 怒気、殺気…こういったものは歳三の心に慰めを与える。

 軽蔑や侮蔑、失望といったチクチク感情ではなく、情けない自身に真正面からぶつかってきてくれる "それ" に歳三は心中で感謝を捧げ、完殺の決意を固めた。命を懸けた闘争に於ける最大の礼儀とは、敵手を容赦なく殺害する事に他ならない…なお、この考えの出所はとある格闘漫画である。


 ならば、と "それ" の形状が紙縒りの様に変形していく。

 全身を使った、謂わば衝角突撃。

 先ほどの黒槍の比ではない貫通力と殺害力が籠められている事は一目瞭然だ。


 必殺の気配を感じた歳三は莞爾と笑う。

 混りっ気無しの殺意の風が頬を撫でるのを感じつつ、歳三はかつての友人の言葉を思い出していた。


 ・

 ・

 ・


 そう、あれは中学生時代。


「いいかい?君は鰐になりなよ」


 ある日、望月は歳三に言った。

 望月という同級生を歳三は尊敬していた。


 なぜなら頭が良く背が高く、運動神経もよければ喧嘩も強い。

 更に家も金持ちで、ついでに顔も良いからだ。

 そしてこれが一番大事なのだが、歳三を見下さないのだ。

 事あるごとに何やら重要な、人生の教訓ともいうべき言葉を与えてくれる望月を、歳三は本当に心底尊敬していたのだ。


「鰐?」


 歳三は首を傾げる。


「そう、鰐だ」


 望月は微笑んだ。

 歳三はどきりとする。


「鰐は強く、獰猛な生物だ。彼らは自然界でもトップクラスのハンター。自分たちが何者であるかを知り、それを全うする姿は我々人間が見習うべきだ」


「鰐は獰猛なだけじゃない。静かな水面の下に潜んで獲物を待つ…その姿は、高い集中力と計算力を持つ証だ」


「それに鰐はブレない。進化の流れに飲み込まれることなく、彼らは我々の時代まで生き残った。その姿は不屈の意思を象徴している」


 望月は歳三の目を見つめた。


「だから君は鰐になれ。強く、獰猛に、そして誇り高く生きていけ。逆境にも負けず、困難にもくじけず、自分の生き方を貫き通せ。それが真の男の生き方だよ」



※※※

14時にもう一度予約しています。

それで雑司ヶ谷ダンジョン編は了です。

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