雑司ヶ谷ダンジョン④

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 浮遊する毛髪の毛玉、そして塊の中心には大きな眼球。魔の物と書いて魔物だが、名に違わぬ悍ましさだと言える。


 察しの悪い歳三ならともかく、飯島比呂、四宮真衣、鶴見翔子らの様な者達は、その魔物を構成している毛髪の一本一本の根本から毛先に至るまで、はちきれん程の力が余す所なく充満しているのを感得していた。


 飯島比呂は自身が着込んでいるボディアーマーを見下ろした。各所に穴が開き、罅割れも散見される。


 彼のボディアーマーは"Aegis Exo-Suit ZR-500"という製品名で、Zephyr Innovations(ゼファー・イノヴェーションズ)というアメリカの企業が製造・販売しているものだ。この企業の特色としては、AIやロボティクスを駆使している点が挙げられる。


 例えば、この製品にはAIを用いた衝撃分散システムが採用されており、これは被ダメージ時に発生する衝撃力を全体に分散させることで、重傷を負う可能性を大幅に低減する。


 価額は日本円にして150万円程で、中古ならば100万円程度で購入できる。中古の軍用ボディアーマーがインターネットを介して数千円…高くても精々10万円程で購入できる事を考えると、探索者向けのものはやや高額だ。その辺りはダンジョン産出の素材を使用しているので仕方がない。ダンジョン産出の素材は加工が難しいものも多々あるからだ。


 そのお高いボディアーマーが今やズタボロであった。

 そんじょそこらのパチ物ならともかく、純正品がこれである。


(確か…対物ライフルに狙撃されても被着用者を生存させる代物だって聞いていたけれど。つまりアイツは対物ライフル以上の攻撃をバンバンしてくるってわけか)


 飯島比呂の神経回路に不安という名の不純物が混じり、全身を巡ってゆく。そして、横目で鶴見翔子の容態を確認した時、不安は焦燥へと化学変化を起こした。


 鶴見翔子は遠からず死ぬだろう。

 全身から血の気が引き、腹部からは夥しい出血が確認できる。

 1秒でも早く治療を施さねばならなかった。


 飯島比呂の視線の先に小さい影がある。

 バックパックだ。

 奇襲の際、戦闘の邪魔になるからと路傍で放り出したその中には応急手当のキットが入っていた。是が非でも取りに行く必要がある。


 しかしその為には、魔物の恐らくは感知圏内であろう領域を横切らなければならない。見つかれば今度こそ殺られる。

 しかし彼は迷わなかった。


「真衣、あの木が見えるか?」


 飯島比呂が指す方向には何本かの枯れた木がたっていた。


 霊園は坂と谷を巧みに利用した起伏に富んだ地形に広がっており、墓地区画はその地形に沿って配置されている。


 そのため、霊園内は複雑な曲線を描く歩行路が縦横に走っており、どの区画でも比較的容易にアクセスすることが可能だ。


 中央部には大きな池があり、その周囲には桜やツツジなど四季折々の木々や花々が植えられ、四季の折々には墓参客の目を楽しませてくれるだろう。


 飯島比呂は、その中央の池付近にたっている桜の木の事を言っていた。四宮真衣は無言で頷く


「分かりやすいもんな。いいか?あそこまで翔子を連れていくんだ。墓石に身を隠しながら…」


「比呂は、どうするの?」


 四宮真衣が恐る恐る尋ねると、飯島比呂はニヤリと笑って言った。


「バックパックを取ってくる。多分アイツは追ってくるだろう。でも逃げに徹するなら俺の方が足が速い。さっきの戦闘でそれが分かったよ。アイツはきっと奇襲とか待ち伏せとかが得意なタイプだ。最初に俺たちが襲われたのも奇襲だったろ?なんで奇襲する必要があるのかなって思ってたんだ。アイツはあんなに強いのに。強い奴っていうのは大体堂々と真正面から襲ってくる。他のダンジョンでもそうだったろ?アイツが奇襲をかけて来るのは、きっと逃げられたら追いきれないからだ」


 飯島比呂は自信満々でそう言う。

 四宮真衣はじっと彼の瞳を見つめ、やがて頷いた。

 頷くまでの半秒程の間に、どれ程の思考が巡らされたかは察するに余りある。


 飯島比呂の論理はまるでチーズの様に穴だらけだ。

 敵が追ってくるという過程は根拠が薄いし、たった一度の奇襲でそれが得意なタイプだと結論づけるのも早計である。

 強い奴が堂々と正面から来るとは限らない。

 強さと戦略は必ずしも相関しない。

 逃げられたら追いきれないから奇襲をする、という理屈も突っ込みに暇がないほどに穴だらだけだった。


 そして、そんなことは飯島比呂にも四宮真衣にも分かっている。

 彼等はそれがどれだけか細い糸でも、それに縋りたかったのだ。


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 飯島比呂は弾丸の様に墓石の陰から飛び出した。

 彼が全力で身体能力を行使した場合、その最高速度は時速65キロに達する。トップスピードまでかかる時間は凡そ4秒。


 大変異前のオリンピック陸上競技、短距離走の某金メダリストの最高速度は時速44.6キロで考えると、かつての世界を基準にすれば飯島比呂は人類最高峰の身体能力を持つと言える。


 同時に四宮真衣は鶴見翔子を背負ってその場を離れた。

 内心は忸怩たる思いで一杯だった。

 飯島比呂が受け持ったのは極めて危険な役割だ。

 自分も一緒に行く、だとか、私が代わりにいく、だとか、そんな言葉を四宮真衣は全てのみ込んだ。

 飯島比呂が三人の中でもっとも高い身体能力を誇る事は確かだったからだ。


 得物を用いた近接戦闘技術で四宮真衣は飯島比呂に勝るが、単純な身体能力ならば飯島比呂に軍配があがる。


 それまでふわふわと周囲を浮遊していた魔物が、ぞわりと髪の毛を逆立てる。


 ──来るか


 覚悟した飯島比呂だったが、意外にも攻撃が行われない。

 気付かれていないのか?と思うものの、すぐにその甘っちょろい考えを振り捨てた。

 

 髪のかたまりの奥から覗いてるではないか。

 不気味で大きな一つ眼が!


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 飯島比呂は素早くバックパックを拾い上げ、駆け出そうとしたが足が地面から離れない。

 事ここに及んで恐怖で身を強張らせる程、彼は甘い性格をしていない。で、あるならば…


 ──足がっ…!


 そう、魔物から伸びた毛髪が飯島比呂の右足首に絡みついていたのだ。魔物の挙動がどこか鈍かったのは、自身の "網" を張り巡らせようとしていたが故だったのだ。


 しかしここで恐るべきは魔物の狡猾さではなく、ほかならぬ飯島比呂の腹の据わり具合であった。


 魔物の触手めいた毛髪が刃物を通さぬ強靭なモノであるという事を先の戦闘で理解していた彼は、事もあろうに足首を切断して自由になろうとしたのである。


 両の手と片脚、その三本の足があれば多少なり逃げられるだろうという肚であった。この場合の "逃げられるだろう" というのは自身が生存して逃げ切る事を意味しない。


 自身が足掻けば、四宮真衣が逃げる時間を多少なりとも稼げるだろう、という意味だ。


 足掻くためには動きを封殺されていては具合が良くない

 例え "三本足" であろうと身体が自由であった方が逃げる時間がより多く稼げる…飯島比呂はそう考えていた。


 腰に佩いていた刃渡り15cmの振動刃を取り出す。

 魔物から素材を剥ぎ取る際に使う切れ味の鋭いナイフで、人間の肉を裂き骨を断つ事も容易に出来る。


「…頼むから逃げ切ってくれよ」


 じりじりと近づいてくる魔物を睨みつけながら、飯島比呂は自身の身の安全ではなく親友たちの身を案じ、ナイフを足首に当てた。


 ■


 飯島比呂は足首からやや上の部分にナイフを当て、歯を食いしばって一気に刃を押し込む…事が出来なかった。


 何かが物凄い勢いでその場へ突っ込んできたからだ。

 黒いボディアーマーを着こんだ中肉中背の男、白髪混じりの短髪からするとかなりの年配だろうか?しかしその外見はともかく、探索者であることは間違いないだろう。


「だめだ!ソイツはやばい!俺はいいから、向こうに行った仲間達を連れてここを出てください!こ、このバックパックを持って…中に応急キットが入っているんだ。仲間が、仲間が危ないんだ、助けてやってほしい…俺は動けない。だから貴方に頼みたい!」


 飯島比呂は叫ぶ。

 その発現は自己犠牲の精神というより、冷徹なまでの合理的思考の発露だろう。


 たった一人の中年探索者が勝てる相手ではない、そう思ったのだ。

 それならむざむざ犠牲者をあと一人増やすより、大切な仲間達の生存率を上げるために動いてもらった方が良いというのは確かに合理的である。


 しかし応えはない。

 いや、妙な音なら聞こえた。

 それはグゥとかアァとかそういう呻き声の様なものだ。


 ──まさか既に負傷を!?


 ハッとした飯島比呂は、バックパックを開いて応急キットを取り出す。応急キットは3つある。

 そしてそのうちの一つを取り出すと、眼前で魔物と対峙している男の背に声をかけた。


「怪我をしているならこれを使ってください!応急キットです!」


 しかしまたもや男…佐古歳三からの応えはない。


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 歳三は無視をしていた訳ではなかった。

 ただ、目を離せなかったのだ。


 今は歳三がどっしり山の様に構えている為に手が出せないようだが、眼前の魔物から目を離せば、途端に仕掛けてくるだろう。

 自身に仕掛けてくるならばともかく、現在は要救助者がいる。

 人質にでも取られれば厄介だった。魔物が人質を、と思うかもしれないが、そういった知能を有する個体は案外にいる。


 歳三としてはこのまま睨みあっていても構わなかった。

 だが時間を掛けられない理由もある。

 先ほど、飯島比呂は怪我人がいると言ってはいなかったか?


 この時歳三は、無意味に慎重であった。

 それは対峙する魔物がオツムを使ってくるタイプ…つまり、策や仕掛けを得意としているタイプだと看破したからだ。


 歳三は強いが、これまで対峙した魔物に対して圧倒的完勝を収めたわけではない。中には返り討ちにあい命からがら逃げだしたり、苦戦を余儀なくされた相手もいる。

 そして、そういった個体というのは例外なくオツムタイプである。

 というのも、歳三の身体能力は驚異的だが、頭と察しがいまいちなので悉くトラップやフェイクやらに引っかかるのだ。


 だから歳三は慎重になっているのだが、これは全くの無駄である。

 なぜなら歳三が出来る事など、正面からの戦闘以外にはないのだから。悩んだり慎重になったりというのは、選択肢があってこそ初めて活きるのだ。


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 歳三の脳裏に在りし日の情景が蘇る。


「いや、いや、いや。一人で何もかもやっちまうっていうのは大変でしょうねえ」


 それはいつだったか権太と呑んだ時の事だ。

 権太はいまでは見る影もないが、かつては自身も探索者であったようで、度々歳三へ助言を寄越してくれる。


 その日は歳三がチームを組まずにソロでダンジョン探索をしているのは何故かという話にはじまり、"まあそういう事情なら" と理解を示した権太は "それでもソロ探索は大変でしょうねえ" と労ってくれたのだ。


「チームっていうのはほら、役割分担が出来ますからね。その分一人当たりの負担が減りますわな。こいつは前でガンガンやる役、こいつは中距離から援護する役、こいつは荷物持ち…ある者は右腕、ある者は左腕、ある者は両の脚っていうようにね、良いパーティは一つで一人の人間の様に振る舞うモンです」


「役割分担ってのは大事ですよ佐古さん。それはソロであっても同じことが言えるんです。迷宮探索で困ったらね佐古さん、バラして考える事ですな。よーするにですよ、頭捻って出来るかどうか、だめなら手を使ってできるかどうか。それでもだめなら脚って事ですわな」


「ああ、つまりね、どうにも斃せない魔物がいるとするでしょ?そしたら良く観察するンですわ。特定の部位を守ってはいないかとかね。それが頭を使うって事ですな。手はほら、暴力でどうにかできないかって事ですわ。殴ればいいのか、手刀でスパッとやっちゃうのか、それとも掌でね、衝撃を徹す奴。ああいうのをつかわなきゃいけないのかとかね。脚は逃げたりとかですよ。」


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 バラして考える?

 歳三は何かを感得した様に頷き、ブルブルブルリと歳三が震えだす。背後から見ていた飯島比呂はぎょっとするが、当然恐怖の為ではない。技の準備動作だ。


 全身に発生させた震え…振動を右脚に集めていく。

 寒さのために自然発生的に発生する震えとは違い、任意で発生させている為にそのような真似も出来る

 勿論一般人は出来ないが、歳三なら出来るのだ。

 努力をしたので。


 そして激しく震える右脚をそのまま地面にかすらせるようにして前蹴りを放った。


 ──陸津波おかつなみ


 歳三は脚を以てこの状況を脱却する事に決めた。

 これはかつて歳三がテレビで見た震災の映像からインスピレーションを得た技である。


 歳三にとってそれはとてつもない映像であった。

 大自然の恐ろしさ、その比類なきパワー!

 歳三はそうなりたいと思ったものだ。

 これは、あらゆる逆境を圧倒的なパワーでねじ伏せる雄大な存在になりたいと願った、歳三の憧憬を形にした技である。


 超振動前蹴りを地面に打ち付けることにより、周辺の地盤を粉砕し、前蹴りのパワーが振動を前方へ伝播させる。

 結句、歳三の前方の地面はめくれ上がり、まるで土の津波の様な衝撃波混じりの土砂が敵を襲う事となる。


 この技は準備動作が必要な割りに、物理的な破壊力自体は然程ない。精々が一般成人男性の膝から下の骨を粉砕する程度だ。


 しかし例えば、地面に張り巡らされたトラップを破壊するといった目的があるなら一度は使っておくべきだ。

 例えば地面にワイヤートラップの様なものが張り巡らされていたとするなら…この陸津波の一発でバラバラに引き千切られてしまうだろう。


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