日常46(歳三他)
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歳三は混乱していた。自分で考えてもよく分からなかった。
なぜ空手の大会に?
なぜ1試合だけ?
口元をごにょつかせて困惑する歳三にティアラが話しかける。傍から見ても困っていそうに見えたのだ。この点、比呂もそうなのだが、比呂はティアラと違って慎みというものを備えているため、興味ある事に対して何でもかんでも構わずに食いついたりはしない。それは比呂がオスであった時も同様で、メスになった現在でもその善性は保持されていた。
「あらー?どうしたの?呼び出し?」
ティアラの問いに歳三は答えた。
「いや、これこれこういう理由で…こんな感じなんだ」
それを聞いたティアラはフゥンと余り興味無さそうな表情で頷いた。
「まあ怪我か何かでもしちゃったんじゃない?本来出場すべき人が。それで空手が得意な佐古さんに…って感じじゃないのかしら」
なるほどな、と歳三はうなずく。
だが内心では精神世界の空は黒雲が立ちこめ、大海原は激しく荒れていた。
──俺は、空手が得意なんかじゃない
そう、歳三は別に空手家というわけではないのだ。
空手っぽい技を使う事はできる。
だがそれはすべて創作物からパクったものであって、断じて空手の技ではない。
例えば空手にも下段蹴りはあるが、歳三の下段蹴りは脚に振動を纏って大地を打ち付け、陸の津波ともいうべき範囲攻撃をしかけ、行動を阻害し、同時に敵対者の脚に振動によるダメージを与えるというものである。威力こそ成人した一般人男性の両脚の骨を木っ端微塵に粉砕する程度と控えめであるが、空手の技にはそんなものはない。
「歳三さん!凄いですよ!旭真っていったら世界最大の格闘団体じゃないですか!何年か前、旭真の館長が5階建てのビル割りに成功したらしいです。僕は瓦割りもビル割りもしたことはないですけど、きっと瓦よりはビルのほうが割るのが難しいですよね?」
比呂がキラキラした恋する乙女の視線で歳三を見つめる。
尊敬のまなざしだ。本来であるならばそのような視線は歳三の精神を苛むだけなのだが、今回ばかりは違った。
──なにっ。ビルを割ったりするのも空手なのか?なるほどな。それなら俺でも出来そうだ
歳三は少し自信が湧いてきた。
空手の大会…旭真祭は京都で行われ、開催日はいまから2週間後だ。
──"予習" をしておく必要があるな。空手ってやつをもう一度洗いなおすんだ
歳三の脳裏に数々の教本が思い浮かべられていく。
要するに創作物の類なのだが、歳三はそこからインスピレーションを得て技を編み出すのだ。
技はどうにかなる。しかし歳三には一つ懸念があった。
それは自身が殺人をおかしてしまわないかという懸念だ。
歳三は自身の肉体のスペックをある程度は理解している。そして大会なのだから当然試合という事にもなる。
死合ではなく試合なのだから殺害してはいけないのは当然だ。つまり、人道的な空手アーツでなければならない。
「少し金城さん…協会の職員の気のいいおっさんなんだが、その人に相談しなきゃあならないことができた。悪いんだが先にお暇させてもらっても構わないか」
歳三が言うと、ティアラたちは惜しみながらも快諾してくれた。
最後に一杯、と歳三はテーブルの上のグラスを取った。赤い液体がまだ半分ほど残っており、歳三は一気にグラスを煽る。この赤い液体はモーラルという特殊な飲料だ。モラル…つまり倫理、道徳という意味を持つこの液体だが、微量の鎮静剤系の向精神薬が含まれており、ダンジョン探索で昂った精神を慰撫してくれる。ただし、一般人は飲む事を禁止されている。一般人にとってモーラルはヘロインやアヘンやモルヒネといったオピオイド系の薬物などと同等であるからだ。味はアセロラドリンクっぽく、女性探索者からは人気がある。
頭がいい感じに冷えた歳三は軽く手を振りながら店を出て行った。なんだか変だな、と思いながら歩を進める。
変だと感じたのは他でもない、自分自身の気の持ち様であった。
本来の自分は大会なんていう人前に出るようなことは毛嫌いしていたのではなかっただろうか。
あるいは、と歳三は思う。
これまで切っ掛けがなかったが、もしやこれが友達というものなのではないのか、と。友達ができることで心が前向きになってきている…成長しているのではないか。だからできない事、苦手な事にもチャレンジ精神をもって挑めるのではないか。──そう、歳三は思った。
ちなみに権太などについてだが、歳三にとって友達というより、凄く世話になっている親戚のおじさんといった感じである。友達に上下はない、そう歳三は思っている。だからもし権太が友達であるなら歳三と権太の間に上下関係はない事になる。しかし、どうもそれは気が引ける歳三なのであった。
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