きょくしんまつり⑥~春風~

 ■


 李は血で染まり、斃れ伏して動かない。

 ただ、胸部は荒く上下している事から死んではいない様だった。しかし怪我は酷い。


 特に左腕部だ。左前腕部から首元にかけての皮膚、肉がズタズタに引き裂かれていた。


 歳三はそんな李に向かって小走りに駆け寄り、ほっと一息ついた。腕が千切れていなかった為である。


 歳三は腰のポーチから治療キットを取り出した。同時に飛来するクナイみたいなヤツが歳三の手の甲に当たり、金属音を立てながら地面に落ちる。


 む、とでも言いたげに黑 百蓮の眉が顰められた。


 協会謹製の治療キットは注射器によって患部へナノマシンを注入し、傷を癒す。効果に応じて幾つかの種類が販売されているが、歳三が取り出したものは上から三番目のものだ。値段も張る。その治癒能力は大したもので、部位そのものが無くなってしまっていない限りは概ね治ると思って良い。


 勿論これほどの治癒能力と引き換えにするものがあるにはあるが、常用さえしなければ問題はない。


「しっかしまァ……なんでこんな事に……」


 そう言った歳三は次瞬、にやりと不敵な笑みを浮かべた。悪辣で狡猾なウルフを思わせる(と本人は思ってる)表情である。


「ははぁん……立ち合いですかい? 随分酷くやられちまいましたね、武道家……武術家? ともなると……あるんでしょうがね、色々と。でも李の旦那も考えなきゃあ駄目だぜ。2日後に大会なんだからよ、大怪我なんてのはだめだよ」


 若者三人……いや、二人組はそんな事をべしゃる歳三の事を宇宙人を見る目でみていた。陽キャだけは"ああなるほど"というツラをしている。彼の知能レベルは歳三とどっこいなのかも知れない。


 ドス、ドス、と2箇所。歳三は雑に李の首元と腕に注射器をぶちこみ、ナノマシンを注入していった。


「まあこのくらいならすぐ元気になりますぜ。この薬は結構高くてね、あんまり使いたくはなかったんですが、李の旦那とは一緒に呑んだ仲だからなァ」


 その時、"あの"というか細い声が歳三の傍らから聞こえた。顔を向けると、そこにはスポーツ女が立っていた。顔色は青く、明らかに血流不全なその様子に根がニブチンである歳三も心配になる。


「どうした……ましたか、ええと……」


音斑おとむらひびきです」


 ひびきさんね、と歳三が記憶しようとすると、発砲音。歳三の頭がかくんと後方へ軽く傾ぐ。


 弾かれた様に響が音の方向を見ると、自分達を取り囲む襲撃者の一人が銃を構えていた。


 大きく、太い。

 明らかに人に向けるものではなかった。


「さっ……!!」


 スポーツ女こと音斑おとむらひびきが声をあげると、歳三は頭の位置を元へ戻して黑 百蓮達を見る。


 ぎょっとしたのは歳三と黑 百蓮以外の全ての者達だ。インド象を一撃で殺す大口径弾を頭部に受けて、傷一つ負わないというのは尋常な事ではない。


 黑 百蓮は思う。

 妹を殺した男が銃如きで死んでは興冷めだ、と。


 真に手強い相手は飛び道具などというアマヤワなモノでは斃せない。


 それを彼女も良く知っていた。



 ・

 ・

 ・


 ──もしかして


 と歳三は思う。


 ──もしかして、この人たちは


 ──もしかして、は"敵"なのか? 


 ──"これ"は武術家同士の果たし合いとかではなくて……俺たちは襲われてるのか? 


 ・

 ・

 ・


 そう、歳三は今の今まで、黑 百蓮らが"襲撃者"だと認識していなかった。これは歳三がIQ5以下のド低能だからという訳ではない。歳三も常ならばもう少し早く気付く。


 しかし空手大会に向けて学びを得る為、多くの漫画、アニメを見たのがいけなかった。


 彼の見た作品の多くでは、格闘家、武術家達はそこかしこで"果し合い"みたいなことをしていたのだ。それは殺し合いとかそういうものではなく、もっとこう尊い……陳腐な言い方をすれば"武を競う"というようなものだった。


 だから李と黑 百蓮の戦闘ももっとピュアな動機で行われているとおもったのだ。"果し合い"であるなら、場合によっては敗者は死亡することもあるだろう、しかしそれはそれで仕方ない……歳三はそう理解している。


 だから李の敗北が決定的となった今、襲撃者たちは健闘を讃えて去っていく筈……少なくとも歳三はそう考えていた。


 無論これは完璧に狂った価値観なのだが、モンスターとの殺し合いを"粗っぽいながらも純粋な意志と意志の交歓"というように捉えている彼の中では極々普通の価値観である。


 ■


 悪い事をしたな、と歳三は思った。


 もし敵であるなら、随分失礼な事をしてしまったと反省した。彼にとって戦闘とはある種尊いものだったので、ふざけた態度で臨戦するというのは食事中に屁をこくようなものだ。


「音斑さん。李さんを頼む……みます。あー……やあ! 敵かい?」


 響が頷くのを待たず、歳三は唐突に襲撃者たちに声をかけた。カジュアルで溌剌とした声だ。彼にとって人間関係とは同僚とのそれよりも敵とのそれの方が気軽なのだ。


 これは一応確認を取ろうという歳三の配慮である。キャンピングカーを破壊されてるのだから当然敵なのだが……


 ──間違いで殺したくないし、殺されたくもねぇよな


 歳三の問いかけが通じたかどうか。

 だが答えに似たものは返ってきた。


 幽麗な顔つきの黑 百蓮が伸ばす、白く細い繊手という形で。


 ゆらり、ゆるりとした動きはまるで早春に吹く柔らかい春風に似ている。殺気は欠片も籠められていない。


 これが肝で、達人であればあるほどに彼女の遅々とした動きに危機感を抱く事が出来ないのだ。なぜならば達人は"意"を察知し、対応するものだからである。


 彼女の所作は自然体に過ぎた。


 春、柔らかくあたたかい微風が肌を撫でるのを防ごうと思う者がいるだろうか? 風の羽が頬に触れても気にも留めないであろう。


 害する事を目的とした行動に、肝心の意を籠めない。これはまさしく達人の所業である。


 ・

 ・

 ・


 歳三は中年男性のくせに小首を傾げた。それが攻撃かどうかよくわからなかったのだ。


 例えるならば、拳が飛んでくるかと思えば風船が飛んできたに等しい。そして人間は誰にしもよくわからないモノが差し出されたらそれを確認しようとしてしまう。


 歳三の腕に黑 百蓮の指がツ、と触れた。


『抓到你了』

(つかまえた)


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