きょくしんまつり⑦~続行~

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 歳三は自身の腕に触れる細い指をどこか散文的に眺めていた。本来纏っているべき闘争の緊張が、今の歳三には無い。


 歳三の感性は人間よりもケモノのそれに寄っているので、自身に向けられるネガティブな感情には敏感なのだが、その指からは悪意、敵意、害意、殺意のいずれも感じない。


 彼が特定の行動ぶっ殺死を取る為には、幾つかの条件を満たさなければならないが、黑 百蓮の動作はその条件をまだ満たしてはいなかったのだ。


 車は事故かもしれないし、銃撃は貧弱である。これでは相手の敵意を認定するには行かない。


 だが、李 宋文の治療の妨害が敵意認定の階の初段を踏み込んだ。


 歳三の考える"果し合い"の末に瀕死の重傷を負うのは彼にとっては許容の範疇だ。だから李が敗北し、死にかけてる事に特に思う所はなかった。だが勝敗が決したにも関わらず治療を妨害するというのは、それは"果し合い"ではなく、"殺し合い"なのではないだろうか、という思いが歳三にはある。


 ちなみにこの考え方の基礎は武人としての美学とかそういうモノではなく、歳三が嗜んできた数多のサブカルから摂取した成分によって構成されている。


 いずれにせよ、抹殺の決意を固めるには後一押しといった所であろうか。


 また、これでいて根が素直キッズめいた気質に出来ている歳三なので、"返答"を聞くまでは……という思いが歳三に迎撃を躊躇わせた。勿論触れた瞬間に黑 百蓮が呟いた中国語は、歳三には理解できない。


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 ノーガードで自身に身体を触れさせた歳三に対して、黑 百蓮の胸中を満たしたものがある。


 やり場の無い怒りだ。


 妹を殺害した歳三の不甲斐なさに怒りを覚えたのだ。大切な妹を奪った相手ならば、それ相応の敵手であって欲しいという思いが黑 百蓮にはある。自身の業がどの様なものかを彼女は十二分に理解していたが、それでもなお打ち破って欲しかった。


 しかしそれは傲慢な考えだ。凶手などという碌でもない仕事をしてきたのだから、その末路も大方は碌でもないものになるというのは世の摂理。全てが全て当てはまるわけではないが、死という帰結の品質を左右する最大要因は運、次いで生き様である。


 だが、それは理解していても黑 百蓮は"もう少しだったのに"という思いを消す事が出来ない。


 ──『もう少し、もう少しで妹と二人で普通の生活を送る事ができたのに』


 "上"からの命令がないにもかかわらず、黑 百蓮が部下達を率いて復讐戦に挑んだ理由は、もはや自分一人ではこの先の人生を生きるつもりはないという意志と、妹である黑 百花の仇である佐古 歳三を抹殺するという覚悟の顕れである。


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 探索者協会、ひいては日本政府が最も警戒するモノがある。


 それは中国共産党中央委員会傘下の情報機関、"中共中央統ー戦線工作部(UFWD)"という。


 この組織は1942年に発足され、その初代部長は後の首相周恩喜であった。


 時が経つにつれ、その重要性が低下し、廃止されたとさえ言われたUFWDではあるがその真実は違った。2022年、米FBIのクリスチアン・レイザー長官と英MI5のドワイト・マッケイン長官が初めての合同記者会見で、世界に向けて警戒を促したのだ。


 ──中共中央統ー戦線工作部、ひいては彼らの戦略である『千粒の砂』に注意せよ


 これは従来の様に外交官を偽装する工作員を使うわけではなく、簡単に言えば多方面から情報を集めるというものだ。


 老若男女、あらゆる性別、年代の中国人が『砂』となって世界中に散らばり、探索者協会にすら混入している。『千粒の砂』戦略は大変異後も依然として継続されていた。


『千粒の砂』戦略は多種多様な戦略を内包するが、中には非常に破壊的なものもある。例えば非合法組織を使った単純破壊工作である。


 黑 百蓮の妹、黑 百花がかつて所属していた非合法組織もUFWDが背後で操っており、黑 百花はその命令で動いていた。


 UFWDは覚醒者が齎す益を理解しつつも、その危険性も理解しているため、所属する覚醒者達は比喩的な意味での"鎖"によって繋がれている。


 だがその一方で、覚醒者は決して無下に扱われているわけではない。組織からの離脱も貢献を積めば認められる……とされている。


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 重大な命令違反によって確実に党から"処分"されるだろうと思いつつも、黑 百蓮は仇討ちを思い留める事ができなかった。妹の"仕事"がどういうものかを彼女はよくよく理解しており、命を落とす事があったとしてもそれでも余りに無惨な死であった。


 探索者協会にも紛れ込む"砂"から送られてきたデータには、協会に回収された黑 百花の遺体の映像データと下手人の情報が添付されていた。


 ──妹は、人の形をしていなかった


 その人間が如何に非道、外道に手を染めていたからといって、果たしてここまで無惨に辱められてもいいものであろうか? そう思わざるを得ない程に徹底的に損壊されたその姿。


 肉体を動かす電気信号に憎悪が混じり、生み出された常軌を逸した出力が黑 百蓮の指先に集中する。


 めり、と音を立てて歳三の腕に細い指が食い込み、信じられない事に僅かに血が滲んだ。


 これは驚くべき事だ。


 全長179センチ、重量26キログラム。"大変異前"には世界最大級を誇った対物狙撃銃、ダネルNTM-20アンチマテリアルライフルの直撃を受けても"少し痛いかもしれない"で済ませてしまう歳三の薄皮一枚を、文字通り破ったのである。|


 超人的なピンチ指の力が黑 百蓮の"鉄手"の異名の由来であった。


 相手の腕を捕え、十指を敵手の肉体に食い込ませたまま螺旋の回転運動を行い、敵手の重要な攻撃起点である腕部を破壊しながら急所の首を引き裂く。上方へ向かう螺旋の力流によって血が巻き上げられ、重力に従って降りしきる血の雨によって、敵手は血薔薇を幻視するだろう。


 血華シュエファ・翻身ファンシェンとはその様な攻防一体の技だ。


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 ──やっぱり立ち合いだったか


 自身の腕に食い込む黑 百蓮の美しい指を見て、歳三は心中で彼女に対して成形しつつあった敵意の認定を打ち消した。


 というのも、黑 百蓮の放った技には見覚えがあったからだ。正確には体覚えがあるとでもいうべきか。


 ──『いいかい? 君は鰐になりなよ』(雑司ヶ谷ダンジョン⑤参照)


 歳三が尊敬する望月 柳丞りゅうすけの言葉が脳裏にエコーする。


 技と技の比べあい……つまり比武という事であればそれは殺し合いではない。立ち合いの結果死んでしまっても、それはそれである。


 ここでようやく歳三の心が定まった。


 彼は単純な様でいてどこか理屈っぽい所があり、行動を起こす際にはその過程を重視する。理由、目的が明確でないとまともに機能しないのだ。歳三にとって納得とは全てに優先するモノであった。


 ──どっちの鰐真似が上手いかってやつだな


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 黑 百蓮の伸ばされた腕を、歳三が空いた方の手でガシリと握り込む。


 だが歳三によって破滅的圧力を加えられた百蓮の腕は皮膚の穿破、肉の断裂、骨の破砕という三種の破壊を同時に受けた。


 端的に言えば、引き千切れた。


 本来は歳三も彼女の様に腕を捕らえてとある技を放つつもりだったのだが、腕の強度が足りなさすぎたのだ。


 彼女の腕は白く、いかにもヤワな女の細腕に見えるが、それは見た目だけである。内部には鍛え抜かれた筋骨が秘められており、刃物はおろか銃弾をも容易には徹さないのだが、歳三には余り意味はない。


 歳三の握力は誇張抜きで原子力潜水艦の外装を握りつぶす事が出来る。ただ、全体を握りつぶすというのは流石の歳三にもできない。手のサイズがずんぐりむっくりしてて小さいので。


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 腕に高圧の電流が流れたような感覚がしたかとおもえば、黑 百蓮は血薔薇を幻視……いや、直視した。


 その光景はイメージングによるものではなく、文字通り乱れ飛ぶ彼女の血肉、骨の乱舞であった。


 しかし黑 百蓮は戦傷によって呆然とするようなド素人ではない。表情を歪め、頭を思い切り後方へ逸らす。同時に歳三が放ったショートアッパーが彼女の顎の先端を僅かに千切り飛ばした。


 僅かな接触で支払ったコストは膨大。しかし不幸中の幸いにも、発生したソニック・ブームによって黑 百蓮は大きく後方へ吹き飛んだ。つまり、歳三の抹殺圏内から距離を取る事に成功した……とは言えなかった。


 歳三の爪先が足元のアスファルトに抉り込み、そのまま大きく前方へ蹴りを放つ。


 衝撃波を伝播させる陸津波おかつなみではない。範囲は兎も角として、陸津波おかつなみには伝播が相手に届くまでやや時間が掛かってしまうという欠点がある。


 アスファルトが無数の飛礫となって不審者の一団に襲い掛かる。


 一発一発が軽自動車を半壊させるような中途半端な破壊力を持ち、追撃の一手としてはややぬるい。だが態勢が崩れた所へ浴びせかけるには悪くはないし、なにより歳三は強力な遠距離攻撃手段を持たない。


 勿論遠距離攻撃が苦手なら追い足鋭く距離を潰してしまえば良いのだが、意外にも歳三はこと戦闘に限っては慎重な部分がある。もっともフィクションによって得た知見ではあるのだが。


 歳三が読んだり観たりしてきた数々の漫画や小説、アニメでは、逃げる相手を追う場合にこそ危険が存在したりしたものである。歳三もその辺を意識しているのか幾らか安全を担保できる手段での追撃策を採った。


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 石弾の一発一発を不審者たちは体で受け、あるいは拳足で弾き飛ばす。無傷で、とはいかないが常人には出来ない事である。彼らもまた素人ではないのだ。


 黑 百蓮も残った腕を掲げて掌を広げた。コンクリの破片を掌で受けると引くと同時に角度を変えて別の方向へと受け流す。これは"転掌"といい、ボクシングでいうパリングのような技術だ。


 石弾をいなした黑 百蓮はちらと同胞達をみやった。彼らの目は虚ろで、意志を感じない。


 ──"こう"はなりたくないものです


 と彼女は思う。


 "ああ"なる前に解放の施術を受け、妹と一緒に人並の生活を取り戻す。それが黑 百蓮のもう二度とは叶わぬ願いであった。


 黑 百蓮は筋肉の操作によって血流を操作し、腕からの出血を留める。脳神経がスパークするほどの凄まじい痛みを、彼女は"無いものとして扱った"。


 痛覚は無意味な感覚ではなく、むしろ生物にとっては必要な感覚だ。しかし時にはそれが戦闘続行の邪魔となる事もある。ゆえに卓越した武術家は、痛覚を意図的に無視するという技術を編み出した。痛みを俯瞰的に捉えるという難易度が高い技術である。


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『あなたは強い。妹が敗れたのは当然でしたね。しかしそれだけ強ければ妹など鎧袖一触でしょう。あそこまで徹底的に辱める必要があったのですか……』


 黑 百蓮はそこまで言って口を閉じ、自分の傷口を見て再び口を開いた。


『……と、思っていましたが。もしかしたら単に腕で払っただけの事なのかもしれませんね、あなたにとっては』


 歳三は無表情で彼女を見つめていた。

 何を言っているかさっぱり分からなかったからだ。


『……どの道、戻るべき場所はありません。ここで終わらせます』


 立ち合いは終わりかな、と歳三が思った瞬間、黑 百蓮が構えを取った。


 彼女が言う戻るべき場所、そして何を終わらせるのか……それらにはそれぞれダブルミーニングがある。


 悲壮な覚悟を固めた彼女に対し、歳三は特に何かを思う事はなく、至極基本的な空手でいう中段構えを取った。

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