よだかの星
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陽キャこと
「あれを思い出すね。武道家対ゴリラ。"トリビアの滝"でやってたやつ」
陽キャの隣から声がした。
陰キャこと
ああ、あれね、と陽キャは思い出す。
とある高名な一般人武道家が、人間の可能性だとか磨かれた技のなんたらだとかいうお題目を並べ、事もあろうにゴリラとの異種格闘技戦をぶちあげたのだ。
『ダンジョン・ドーピングなどに頼らなくても技を磨けば人は化け物に勝てる。それを証明しよう』
そう宣った武道家は、一般人向けの格闘大会をいくつも勝利してきた達人である。
ちなみにマウンテンゴリラは二足歩行の哺乳類では地上最強とも言われており、仮に戦うという事であれば探索者であっても丙級以下は危うい。"丁稚"だとか"犬野郎"だとか馬鹿にされがちな丁級や戌級ならば敗北は必至だ。勿論PSI能力無し&徒手空拳ならば、という条件が付くが。
結果はもちろん無惨なものだった。無惨すぎて、生物的な強度が美徳の第一というような野蛮な価値観が広まっていた昨今に於いてもテレビ局へ批判がよせられた程だ。
だがインターネットではやや様子が違った。死者も出た悲劇でありながらも喜劇としてSNSなどで散々に扱き下ろされ、その後しばらくの間馬鹿にされまくった挙句に、遺族が中傷した者を訴えた。悪趣味なバッシングはそこでようやく収束した。
「圧倒的な力の前で技は無力とは言わない。言わないが、それでも「大変だったよなアレはさ。ゴールデンタイムに流す映像じゃねえぜ。お袋なんて吐いちゃって大変だったよ」
陰キャの言葉に陽キャはガツンと被せて、やれやれといった様子でかぶりを振った。
「
陽キャがちらと陰キャを見ると、その横顔は険しく、こめかみには冷や汗が滲んでいた。そんな陰キャの背をバンバンと陽キャが打ったたき、その実力の構成が"力"よりは"技"によっている陰キャは少なからぬダメージを受けてしまった。
「す、すまねぇ…つい。心配するなよ、あのおっさんは仲間だろ、って言いたかったんだ」
「だったら口で言ってよ。それにしても連中は気味が悪いな。女の人じゃなくてその仲間っぽい連中のことだよ」
陰キャは不審者の一団を指さした。
「まるで人形みたいだ。生気を感じない。それに立ち位置が妙だ。最初は僕らを取り囲む様子だったけれど、今は違う。あの女の人の退路を断っている様に見える」
その言葉を聞いて、陽キャは目を細めて陣容を眺めた。
「言われてみればそうかもな。なぁーんか嫌な感じだぜ。負けそうだからって裏切って…みたいな感じ?ちょっとダサいかもな。晒されたら炎上しちまうよ…っておいおい、なんで連中はあの姉ちゃんに銃を向けてるんだ?」
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構える歳三に黑 百蓮が躍り掛かる事はなかった。勿論降伏した訳でも自害した訳でもない。
彼女の連れてきた部下達、通称"覚兵"が黑 百蓮に一斉に銃を向けたのだ。
"覚兵"とは中国政府が提唱する人民総覚醒計画『大覚』(きょくしんまつり⑤~血薔薇~参照)による広義の意味での成功作、そして狭義の意味での失敗作である。
彼らは人為的に覚醒…すなわち、探索者としての超人的な肉体強度を得たが、感情というものが希薄なものになってしまった。
なぜその様な仕儀になってしまったのか、原因は未だに完全には解明されていない。だが、"深度"を一気に進めようとすると失敗する事だけは分かっていた。
"深度"とは『大覚』計画で使われる用語で、施術の達成度合いを表す。
身体に取り込むダンジョンの物質、或いは生体の分量が多くなればなるほど、術後の"深度"は高くなる。"深度"が進めば当然生物的な意味での強度は増強するが、リスクもそれに応じて高くなる。
"覚兵"が『大覚』計画の成功作と失敗作を兼ねるというのは、施術自体には成功し、身体能力の強化には成功したものの、意志や感情といったものが希薄となってしまったため、覚醒者としてそれ以上の成長は見込めなくなってしまった者達の事だ。広義の意味での成功作、そして狭義の意味での失敗作とは、つまりこのような事情によるものだった。
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部下達が突然反旗を翻した事を、黑 百蓮はある種の納得感と共に了解した。
恐らくは、と彼女は思う。
──恐らく、最初から私を処分するつもりでしたか。私が"使い物にならなくなった"時に牙を剥く様に仕込んでいたわけですね
"覚兵"は意志が希薄だ。感情もまた。
それは覚醒者としてのそれ以上の成長が見込めない事を意味する。故の"失敗作"。
だが、消耗品の駒としては悪くはなかった。
洗脳技術に関して中共中央統ー戦線工作部(UFWD)には一日の長がある。
然るべき思想を仕込み、然るべき指令を仕込めば簡単に覚醒者戦力が作り出せる。洗脳が強力であればある程に被洗脳者の人格に瑕が付き、場合によっては"使いモノにならなくなる"リスクが増大するが、そもそも人格などはないか希薄であるならリスクもないのと同じだ。
──元より、解放する積りはなかったという事ですか。李 宋文は運が良かった様ですね
彼女の胸を満たすのは諦念の苦い味であった。
彼女は中国という国を愛していたが、中国政府という支配者には真逆の感情を向けている。
『大覚』の施術を受けてなお意志を残す覚醒者は中国政府にとって貴重な存在だ。しかしそれは政府に従順である者に限る、という条件がつく。
なぜ馬鹿正直に希望に縋ったのか?
彼女は自身が白痴か何かの様に思えて仕方がなかった。政府への忠誠が無い覚醒者などという危険な存在を、タダで解放するわけが無いというのに。
"覚兵"は政府にとってていの良い駒であると同時に、反政府的覚醒者に対してのカウンターであった。"反政府的覚醒者"に分類されたものは荒事専門の部隊へ配属され、そして危険な任務ばかりを任される。そこで命の危険を迎えたならば今の様に"処分"される。
ちなみに李が逃げ延びる事が出来たのは、日本の外諜が手を貸したからだ。中国が中国で好き勝手やっている様に、日本も日本で好き勝手やっているのである。具体的には他国の探索者戦力を引き抜いたりしている。
口さがない日本政府高官などはこれを"
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『
黑 百蓮の両眼が鋭いナイフの様にギラつき、首の僅かな動作で黒く艶のある長髪を円形に振り乱した。これは攻撃の為ではなく、攪乱の為である。
次瞬、数発の銃撃音が同時に鳴り響く。
黑 百蓮の肉体は銃弾でさえも容易に徹さないが、それも種類による。対覚醒者用の銃火器ならば話は別だ。
だが、銃弾が貫いたのは彼女の肉体ではなく、ゆったりした彼女の上衣だ。黑 百蓮は急激な下方への動きと同時に上衣を脱ぎ捨てた。所謂変わり身の術であった。ちなみに上衣の下には肌着を着ているため、セクシャルな視界侵犯は発生していない。
この技の肝は、敵手の注意が僅かな間宙空に存在する上衣へ集中する事にある。
単に回避しただけでは敵手の注意は速やかに回避先へ向かうだろう。しかし上衣を宙に脱ぎ捨てる事によって、注意が回避先へ向かうのをコンマ数秒遅らせる事ができる。
黑 百蓮は姿勢を低くし、まるで蛇が獲物に襲い掛かるように手近な"覚兵"へと肉薄した。そして彼女の白い指がツと伸ばされ、一人の足首に触れるなり、鋭く腕を薙ぎ払う。
直立した人体の足首を鋭く払えばどうなるか。
急激にバランスを崩した"覚兵"、その側頭部に彼女のすくい上げる様にして放たれた痛烈な掌打が叩き込まれた。受けた"覚兵"は頭部の七穴から脳を含む血肉を逆流させ、息絶える。
この間、歳三はやはり構えたまま微動だにしていなかった。それは何をしていいか分からなかったからである。
立ち合いではないのか?
立ち合いじゃなく、戦闘だったとして、他の者達がかかってくるならともかくなぜいきなり仲間割れをしているのか?
何より悲しいのは、歳三本人にも自身の機転の利かなさが理解出来てしまうという点だ。
不測の事態がつきもののダンジョン探索を何十年もやってきたにもかかわらず、少し状況が変わると何もかもが良く分からなくなってしまう。しかしこの時はいつもとはやや状況が違っていた。
歳三の脳裏に幻想の稲妻が落ちたのだ。
閃きである。
──ははぁん、これは乱取り…
歳三はこの時大きな勘違いをしていた。
乱取りとはお互いが自由に技を掛けあう事であり、決して乱闘の様に多人数が入り乱れての稽古ではない。
ないのだが、勘違いしてしまったからには仕方ないとばかりに歳三は歩を殺陣に向かって歩をすすめていく。
──そうだ、あの女の人は構えてたからな。まだ終わりじゃないってことだ。なのに俺はまるで自分の勝ちの様に考えてた。なんて嫌な野郎なんだ。自分で自分にウンザリするぜ。でもよ、俺も少しずつ進歩していっている。少し前までの俺は人と話す事さえまともにできなかった。でもいまは少しならちゃんと話せる。年が近い人となら、だけどよ…若い奴はちょっと怖いな、何考えてるのかわからねえ所がある。すぐキレたりするって20年くらい前にニュースでやってたしな…
ギチ、と握り込まれる拳は見るものがみれば顔を蒼褪めるだろう。
パンパンの太腿にはパワーが撓んでいる。
歳三はぐん、と両脚に力をこめ、高く飛び上がった。
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うわ、と陰キャが嫌そうな顔をして呻いた。
目から口から鼻から耳から色々なモノを噴き出しているグロテスクなシーンを見てしまえば、誰だっていい気分にはならない。
──何がなんだか分からないな。こういう時は…
陰キャは端末を取り出して、どこぞへと連絡をした。
「…ええ、そうなんです。京都へ移動中、襲撃がありまして。状況は…よくわかりませんが襲撃者間で仲間割れが起きているみたいです。場所は静岡SAです。いえ、不思議な事に周りの人は僕らに気付いてもいません…あ、そうなんですか?PSI能力が…あ、わかりました。それじゃあ待っていれば良いんですね。はい、怪我人は今の所は一名…あれ?佐古さんが…いえ、仲間割れしている襲撃者たちの方に向かっていって…え、飛んだ?」
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黑 百蓮がいくら達人と言っても、重傷を負った状況で相手は多数、しかも覚醒者では苦戦は免れない。
彼女の"深度"は3。
これは『大覚』計画に於いては最高深度であり、それだけダンジョン干渉による生物的強度を短期間に高めているという事だ。
更にいえば彼女は"覚兵"とは違って意志を残しており、成長の余地もある。『大覚』に於いて"成功作"とは、深度3でありながらも意志を残し、国家へ絶対服従する人材を意味する。そういった意味で、黑 百蓮もまた"失敗作"なのであった。
だからこうして処分されかかっているのだが…
黑 百蓮の背筋に氷柱が差し込まれた
死気だ。殺気ではない。彼女を取り囲む肉人形は殺気を発しない。彼女が感じたのは自分が死ぬという気配である。
黑 百蓮は思い切り前方へ飛んだ。
次瞬、数名の"覚兵"を炎の塊が押し潰した。
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簡単な原理である。歳三は空高く飛び上がり、音速で空中を殴りつけたのだ。空気に力を加えれば、空気もまた等しく逆方向へ力を加える。
これはニュートンの第三運動則による。
そして炎。これは歳三の馬鹿みたいなパンチで周囲の空気の温度が急速に上昇して発生したものである。前方に衝撃波を形成することで勢いを得たのだ。
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周囲のみなから嫌われる、醜いみにくいよだか。そんな醜い身であっても、生きていくためには他の命を奪わなければならない。
果たしてこの地上で生きている意味はあるのだろうか?誰からも求められていないのに。
だったらいっそ空へと飛び去ろう。嗚呼、でも醜いみにくいよだか、可哀そうに太陽や星々ですらも彼を拒絶する。
ならば、と命を懸けて空を駆け、気付けば美しく燃え上がる"よだかの星"となり…
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歳三はよだかの星が好きだが嫌いであった。
好きな理由は自分に重ね合わせてしまうからだ。そして嫌いな理由はなんだか悲しいからである。
そんなフクザツな話からインスピレーションを得た技こそが
──よだか・逆打ち
歳三も金城権太をはじめ、自身を案じてくれる人々がいることを理解している。だからどれだけ自分が嫌いでも、空の彼方へ飛び去るなどできない。だから空ではなく逆に地に向かうのだ。辛くとも地に足をつけて、しっかりと生きる。この技は歳三のそんな決意表明めいた技であった。
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ずん、どどん、という爆発音。
爆炎の鞭がひとしきり振り回され、"覚兵"だ
ったもの…というか人体の欠片のようなものが散らばっている。
彼らは全員死んだ。
周囲を漂うのは焼けた肉の臭いだ。
焼肉などという上等なものではなく、もっと嫌な嫌な臭いである。
舗装された地面に大きく空いた穴。
陽キャも陰キャも、スポーツ女も爆音で目が覚めた李も、なんだかんだで生き延びた黑 百蓮でさえも、表情が死に、呆然と歳三を見ていた。
黑 百蓮の認識阻害のPSI能力も流石に解除され、周囲では人々が騒めきだす。
酷い話であった。
何もかもが、色々と酷い話であった。
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