事後

 ■


 ──大変だ! 爆弾テロだ! 


 ──ガス爆発か!? 


 ──まさか、戦争!? 


 周囲からそんな声があがる。

 まさしくパニック状態だ。


 戦争、爆弾テロなどというワード。こういった言葉が出てしまうのは国際情勢が悪化しているから……ではない。


 力こそが正義! とでもいうような価値観が蔓延している昨今ではあるが、意外にも戦争への拒否感情はいまだ強い。特に無用な破壊をもたらす従来の戦争は駄目だ。この価値観については日本国民に限った話ではなく、現在の世界各国共通の認識となっている。


 というのも、通常兵器の応酬による最後の戦争と目される戦争によって、中東が地図から消滅してしまったからである。


『中東事変』とよばれるその戦争は、ミサイルだのロケットだの航空爆撃、あるいは爆弾テロというようなまあよくある形で始まった。しかしその行為によって現地の幾つかの高難易度ダンジョンを傷つけてしまったのだ。


 そしてダンジョンから現れた超常的存在が出現する。その外見はいかにも悪魔といった風情で、中東は盟主国であるサウジアラビアを中心にあらゆる通常兵器を使用し、熱核兵器すらも使用して悪魔の軍勢を退けようとしたが失敗。最終的に中東は放射能とダンジョンから現れた悪魔達によって文字通り死の大地と化してしまった。


 中東一帯の生命活動を全て停止させた悪魔達はその破壊規模を更に広げようとしたが、各国は熱核兵器の乱打によって悪魔達を弱体化させ、核ミサイル一発では効かない? ならば10発、100発でどうだ、という力業極まる発想である。


 だがそんな脳筋作戦は一定の効果をあげ、最終的には探索者戦力を投入してこれを退ける事に成功した。特筆すべきはこの危機に対して、バチカンが動いた事であろう。ダンジョンの干渉によって超人と化したマルタ騎士団が出撃し、最後の聖戦と称して悪魔の軍勢と衝突した光景は多くの宗教家を感動させた。


 ちなみにこれは探索者が大規模破壊兵器より強大な破壊力を有しているというわけではない。


 どういうわけか、そういった大規模破壊兵器よりも人の手による方がダンジョンのモンスターには所謂"特効"となるのだ。勿論通常兵器でも効き目が全くないわけではないのだが、命を削り切る事は出来ない。


 皮肉なのは、この『中東事変』によって世界中から大変異前では一般的だった通常兵器による戦争が消失した事だ。現代の戦争は次代を逆行したような形で、個人戦力同士が潰し合うという形が一般的なものになっている。


 周囲にダンジョンが存在しない地域で、限定された火力を有する歩兵戦力同士が衝突……これが現代の戦争のスタンダードな姿だ。過剰な破壊をもたらす様な事は厳禁とされている。


 通常、その様な国際的な取り決めが成されても、そんな事は知った事じゃねえよと意に介さない国が出てくるものなのだが、この取り決めに関してはどれほど行状が悪い国であっても遵守した。


 どれ程野心に満ちた国であっても、地球という星を滅ぼしたいわけではないのだ。中東事変で出現した悪魔の群れがそれだけ衝撃的だったという事である。


 ちなみに同時期、日本国内でも北見市の消失という似たような事件が発生しており、そういった事件によってダンジョンに通常兵器を持ち込んだり、使用したりというのが禁忌ではないのかという説が唱えられ、現在に至る。


 ・

 ・

 ・


 ──もしかしたら、まずいか? 道路を壊したり汚したりすると……駄目だった気がする……


 穴の底から青い空を見上げ、歳三はそんな事を思ってた。季節は盛夏、気持ちの良い碧空が広がっている。しかし彼の心は快晴からは程遠い。歳三の精神世界には黒いもやもやが広がっていた。


 どうにもまずい事をしてしまった気がするが、それが具体的にどの様にまずく、自身にどんな不利益をもたらすかという現実的な事からは目を逸らしたい……そんな心境の時に胸に生じる不穏の黒雲である。


 空手大会を前にちょっと体を動かしておくか、よし、瓦割りでもいっちょやってやるぜ……そんな勢いで放った技が想定外の破壊を齎したからだ。


 しかし、そもそもなぜ歳三は深さ3メートル、直径10メートルもの着弾孔クレーターを生じさせる戦術兵器……兵技を放ったのか。爆心地にたむろしていた"覚兵"は文字通り木っ端微塵となってしまった。


 だが、歳三は"覚兵"を殺めた事については心に何ら痛痒を抱いていない。なぜならば立ち合いの最中に死ぬというのは、これはもう仕方がない事だからだ。武に生きるというような人種は往々にしてこの様な思想を持つケースが珍しくはない。とはいえ、歳三は武人かというと怪しい所だが。


 ともかく、立ち合いの際の殺人は問題ないとしている彼にとって何が不味いのかというと、地面を破壊してしまった事だ。これは道路法を始め、幾つかの罪に問われる可能性が高い。


 これから逮捕されるのだ、前科二犯になるのだ。そんな思いが不可視の酸と化し、歳三の精神をドロドロと溶かす。


 最後の足掻きに、両眼をぐっと閉じ、そして見開いた。0.000001%の確率で、現在の状況が夢かなにかではないかと期待したのだ。


 当然夢ではない。


 歳三は黑 百蓮によって触れられた箇所を見た。すると少し皮膚が擦り向けている事に気付くが……


 ──これじゃあ、足りねぇ


 歳三はそう思う。足りないというのは怪我の程度だ。そして咄嗟に自分の横腹に拳打を放つなりして大怪我を負おうかとも考えた。なぜならばそうする事によって正当防衛だかなんだかを主張して責任を回避できるかもしれないからだ。


 ──戦いで怪我をしたと言えば……


 しかしそこで歳三は初心を思い出した。

 真っ当な社会人になりたいのではないのか、お天道さまに堂々と顔向けできる人生を送りたいのではないのか……


 歳三は沈痛な面持ちで穴から這い上がり、その場に正座をする。


 もはや逃げも隠れもしない、法の裁きに従うという意思表示であった。歳三のそんな様子からはある種の潔さを感じさせたが、困惑したのはそれを見ていた者達である。


 陰キャ、スポーツ女、意識を取り戻した李。そして黑 百蓮でさえも歳三の様子に戸惑っている。平然としているのは陽キャだけであった。


「なぁ、佐古……さんだっけ? おっさんは何で正座してるんだ? それにしても……メチャクチャやるなぁ! 何がなんだかよくわからねぇけど、尊敬に値するぜ!」


 うおお、と陽キャはおもむろに地面を殴りつけると、アスファルトにビシィ、と罅がはいり、拳が当たった辺りには小さなくぼみが出来た。拳の半ばまでアスファルトに埋まっている。陽キャの拳は当然の様に無傷だ。


「ふん、駄目だな。鍛え方が足りねえ。腑抜けた拳だぜ」


 陽キャの自嘲の言葉に"確かに"と思いつつも、歳三は彼の事をうらやましいと思わざるを得ない。なんといっても陽キャは無罪が確定しているのだ。


 サイレンの音が段々近づいてくる。

 歳三の耳にはそれは死刑執行の合図に思えて仕方が無かった。


 ■


 探索者協会池袋本部で、金城権太はひゅっと息を吸い込んだ。全身の神経網に驚愕と狼狽の化合物が流れる。


 静岡支部からの緊急連絡は、彼の呼吸を暫時妨害するほどの衝撃を与えたのだ。


 静岡SAで爆弾テロ発生。


 高速警察隊が現地へ向かうと、原型を留めない複数の遺体と静岡SAのパーキングエリアにあけられた爆発孔が見つかったとのこと。


 探索者協会所属の乙級探索者、佐古 歳三を始め、複数の探索者の身柄が確保されたとのこと。


 その際、探索者達は大人しく、抵抗する様子を見せなかったという事。


 ただし、その場に居た探索者達の証言によって爆弾テロ事件ではなく、襲撃から身を守った結果である可能性が高いということ。また、"某国"の工作員と思しき者が一人生存しており、事情を聴取した所、佐古 歳三らの潔白がある程度は保証されたということ。


 ・

 ・

 ・


 それを聞いて権太はほっとした。


 世を儚んでブッ千切れて大暴れしたわけじゃなさそうだと分かったからだ。


 歳三が発狂して暴れればマンハント隊を出さざるを得ないし、被害も大きくなってしまうだろう。それでもだめなら甲級を向かわせる事になる。


 マンハント隊とは所謂粛清部隊の事だ。様々な要因でいわゆる無敵の人化してしまう者は探索者にも少数だが存在する。そういったものを殺害、あるいは無力化する為にこの部隊は編成されている。


 それにしても、と権太は腕を組み歳三達の事を考えた。


 ──まさか彼らがあれほどの騒動を起こすとは。一人一人の品行は方正そのもの。これまで問題行動を起こした事はなかった。だが今回は起こさざるを得なかったということか? 余程強力な刺客でも送られたか? 佐古さんをはじめ実力者が揃っていた筈だが……


 ここ最近の中国の動向は益々ラディカルなものになってきており、軍事的な増長著しい。人、物に関係なく行われる露骨な破壊工作や、違法薬物の拡散……協会も警戒を強めてはいるが、実行者をいくら捕えても上には繋がらないのだ。


 尋問しようと拷問しようと、タチの悪いチャイニーズマフィアのシノギの一環……という線で捜査がとまってしまう。政府も協会も中国政府が糸を引いている事は理解しているのだが、明確な証拠がなければ大きな動きを取りづらい。


 だがそれが権太にはややもどかしい。証拠などと、という思いがどこかにある。マンハント部隊のとりまとめという立場もあってか、彼の思考は対処療法的だ。


「佐古さんたちの迎えを……ああ、もう大会云々という感じではなくなってしまったかな。まあ元より見栄を張るためだけの下らない大会だ。だが、京都支部長は難色を示すかもしれないな……」


 権太の脳裏に痩せた狐のような中年男性の姿が想起された。


 ──それは良いにしても、佐古さんが滅茶苦茶落ち込むだろうから、カウンセラーを用意、いや、飲み会をセットしておこうか……


 またぞろ質量を増大させた腹の肉を揺らしながら、権太は嘆息した。


 ■


 取り調べ官・石井 順次は困惑した。目の前に座る佐古 歳三の様子が余りにも哀れな様子だったからだ。


 おい、どうする、という意をこめて隣に座るもう一人の取り調べ官・村井 広を見るも、村井は突如として自分の下唇に世界で一番関心があるような風情でムニムニと唇を指で揉んでいる。


 村井の眉は顰められ、深刻そうな様子だが、石井には村井がこの件にはこれっぽっちも関わりたがっていない事がありありと分かった。


 石井は視線を歳三に戻す。


 乙級探索者という超人にはとても思えない。歳三の目は下を向き、ことある事にどもり散らしていた。


 しかし県警が探索者協会へ紹介した所、佐古 歳三は間違いなく乙級探索者であり、今回の件に落ち度はなく、更に付け加えれば決して無下に扱ってはならないとお達しがきたのだ。


「あの、えっと、私、はその、駐車場を、えー、壊してしまって、本当に、す、すみませんでした」


 石井は歳三の様子に心が痛めた。石井にはこの哀れな男が何らかの犯罪を犯したとはどうしても思えなかったのだ。まるで自分が弱いもの虐めをしている気分になってしまう。


「佐古さん、まず落ち着いてください。今回の件はあくまで情報収集のための取り調べです。あなた達を犯人として扱っているわけではありません。探索者協会とも連絡を取っており、近く先方から迎えの者が来るそうです。その間にある程度の情報を取りまとめておくようにとの事でして……。勿論他の人たちについても事情は尋ねていますよ。あ、ところで喉は乾いていませんか? ええと、アイスコーヒーでも大丈夫ですか? お腹がすいていたら店屋物でよければ何か注文しますが」


「は、はい、そうなんですね。でも、でも、俺が~……私が、その、地面を破壊してしまったことには変わりないので、その、罪は、えー、償わないといけないと、思っています。のみものはありがとうございます、ええと、珈琲でだいじょうぶです……お腹は空いていません……」


「ええと、それは素手です……よね?」


「はい」


 石井がちらと端末に目を向けると、そこには駐車場に空いた大穴が映っていた。


 ──これを、素手で? 爆弾でも落としたように見えるが


 化け物かよ、とおもいつつも、石井は重々しく二度、三度と頷いた。


「佐古さん、今回の件は確かに問題ですが、あなたがどのような状況で行動したのか、それが重要です。つまりその……襲撃があったわけですよね。どういった経緯で襲撃をされたのか……」


 石井がそこまで言うと、すすり泣きのような音がする。歳三がベソをかきそうになっているのだ。


「そ、それは、その、自分でもよくわからないんです。ただ、その、力を、えー、使いすぎた感じがして、その、後悔しています。その、空手大会に出場するつもりでして、それで、立ち合いになったならついでに瓦割りのつもりで……」


 ──空手大会に出場するから、ちょっと体を動かしておこうと思って瓦割りのつもりで地面をぶち割って、ついでに襲撃者とやらを8人皆殺しにしたってのか? 彼は乙級だという話らしいが……


 石井は戦慄した。石井に歳三に対する非難の気持ちはない。襲撃者というのがデマではないことは襲撃者の唯一の生存者からの証言で分かっている。他の者達の証言もある。設備の破壊は問題だが、正当防衛……と言えるだろう。


「わかりました、佐古さん。この件については、さらに詳しく調査を行います。大丈夫です、協会は、えー……襲撃そのものを問題視しているようで、佐古さんに対してどうこうとう事は無いようです。えー……ですから、そうですね、取り合えず今夜の事情聴取はこの辺で、ま、ま、あとはお部屋へお戻りくださって構いませんよ」


 歳三達は警察署近くのビジネスホテルに宿泊し、事情聴取の際は警察が別にとった部屋で事情を聞く事になっていた。留置場にぶちこんでおくわけにもいかないが、事態は一般人なども目にしているわけで、更にいえば人死にも出ていて破壊行為も行われている。警察としても事情を聴くことなしに解放とはいかなかった。


 歳三は再び頭を下げ、別の階にある部屋へと戻っていく。その足取りは悄然としているが、石井の言葉で多少は元気を取り戻したようだ。


 石井は歳三を送り出した後、一人で部屋に残った。そして、ひとつ深く息を吸い込んでから、報告書の作成に取り掛かる。


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