新宿歌舞伎町Mダンジョン⑪

 ■


 ──西棟5F、514号室前


「この部屋も良さそうだな。514号室だ。"来いよ" だってよ。まるで誘ってる様な部屋番号じゃねえか。きっと中には強敵が待っていて、更にはお宝もあるにちげぇねぇや!」


 歳三が再び下らない事を言いながらドアを指さすと、鉄騎は無表情なロボットヘッドにも関わらず困惑しているという事が分かるような "????????オーラ" を放射した。


『???』


 軽く小首を傾げる事までする。

 これでいて過剰羞恥心体質にできている歳三はにわかに恥ずかしくなり、いや、と小声でいいつつドアノブを掴み、捩じり開けようとしたが…


 いや、と思いとどまる。

 或いは先刻の様に、ドア裏で待ち伏せされているのではないかという考えが歳三の頭を過ぎった。


 ──裏に何かいたらコトだ。ドアごと吹き飛ばす


「邪ァッ!」


 歳三が裂帛の気合を籠めてドアに左掌で張り手を叩き込むと、ドアはくの字にひしゃげ室内にぶっ飛んでいった。


 この時の衝撃力は当たり前だが通常の張り手のパワーを超越している。具体的に言えば、車体総重量3500kgの車両が時速36kmで衝突した時のそれに等しい。


 勿論全力で殴ればこんなものでは済まないが、そこは力自慢の自慢の歳三であるので、完璧に制御された一撃が叩き込まれている。力自慢とは制御も込みでの事を言うのだ。


 ・

 ・

 ・


 果たして室内にはやはりヤクザモンスターが居た。

 ただし、ドア裏で待ち構えるなどという三下めいた真似はせず、リビングで堂々と待ち構えていた。


 ヤクザモンスターは背広のポケットに手を突っ込んだまま立ち上がり、飛来するドア・ミサイルを蹴りあげる。


「ンだらァッ!!カチコミかァ!?」


 ヤクザモンスターは怒声をあげ、傍らに犬の様な風情で蹲っていた全裸の女の襟首を掴み、今度は逆に女体ミサイルを歳三達に投げ放った。


 ──しゃらくせぇッ!


 歳三は飛来してくる女を血霧にしてやろうとリキが籠った右掌の張り手を叩き込もうとするが──…


『ニンゲン!』


 鉄衛の声があがる。


「なにっ」


 歳三は思わず声をあげ


 ──引潮ひきしお


 女の肉体を木っ端微塵に粉砕するはずであった掌で宙空を鷲掴みにする。この技は歳三が超速で大気を掴み取る事で、瞬間的な真空地帯を形成するというものだ。


 そうなれば当然周辺の大気は真空地帯を埋めようとし、強力な吸引力が発生する。名前の由来は潮が引く様に周辺のモノが引き寄せられる事から。


 女の肉体も突如発生した真空に引き寄せられ、その勢いを減衰させる。そこを上からはたき落とすと、女は呻き声をあげながら床で悶絶していた。


 女を一瞥した歳三は、女の肢体が傷だらけである事に気付く。

 だが彼はそれに対して何かを思う事はなかった。

 歳三の視線は冷たくも温かくもない。義憤も憐憫も同情もなく、敢えて例えるならば木石を見る様な視線だ。


 歳三が女を救おうとしたのは仕事だからである。

 探索者が別の探索者とダンジョン内で遭遇し、それが救助を要するような状況であり、なおかつ探索者協会所属の探索者であるなら可能な範囲の救助活動が推奨されている。


 歳三は視線を切ってリビングへと向かっていき、ヤクザモンスターの真正面に立つ。


 白スーツを着たイケメンである。

 浅黒く焼けた肌に甘いマスク、年の頃は30代後半あたりといった所だろうか?


 しかし人間ではない。

 顔の面積の半分以上を占める巨大な右目が、彼が人間ではない事を強烈に主張していた。


 女衒ヤクザモンスターだ。

 右目の瞳孔が激しく収縮を繰り返す。

 余計な事はさせるかとばかりに歳三は掌打を放つが、それは女衒ヤクザモンスターに当たる事はなかった。


 極めて強力なPSI能力がその場の全員を束縛したからだ。

 鉄騎も鉄衛も自身を縛り付ける不可視の念動に抗う術をもたなかった。先程投げつけられた女性もそうだ。指一本動かす事ができない。


 彼女は先日このダンジョンを訪れた探索者である。

 無念にも散った乙級探索者、榊 大吾の仲間ではなく別口の探索者だが。ただし協会所属の探索者ではない。

 外部団体の探索者だ。


 その団体は協会とは余り良い関係になく、それゆえか当該団体では協会が指定する難度指定を撤廃し、独自の難度制度を設けていた。結句、どうにも甘な難度指定のせいでナメてかかった探索者が犠牲になったというだけの話ではある。


 彼女は5人一組のチームで挑んだが、他の4人は無惨に殺され、紅一点であった彼女は女衒ヤクザの玩具となった。

 男が女にやる非人道的な事はほとんどされたと思って良い。


 まあそれはともかく、歳三がその事実を先に知っていたなら、彼女を助ける事はしなかっただろう。酷い事をされていたという事実をしってもなお見捨てていた。なぜならば助ける理由がないからだ


 モンスターとの戦いにある種の美学を見出している彼にとって、敗死するならばそれはそれで仕方がないという思いすらもある彼にとって、他組織の赤の他人がモンスターに返り討ちにあった所で、だからなんだという話である。


 冷たいというよりも極端なのだ。

 0-100思考、あるいは白黒思考。


 そういった極端な性格の人間は大変異前から散見されており、もう随分前から前頭葉に異常があるのではないかとか、やれアスペルガーではないかとか、発達障害の可能性もあるだとかまことしやかに囁かれて来たが、このダンジョン時代になってもその辺りの事情はまだ判然とはしていなかった。


 だが、鉄騎と鉄衛に対しても女と同じ態度では居られなかった。歳三の中では二機はすでに身内である。

 身動きできない歳三は束縛を解き、二機を守りたがったが…


 ──ぐ、ぬ


 どうにも不動の縛鎖を引き千切る事が出来なかった。

 女衒ヤクザから放射される不動の力場…これは丙級探索者である鶴見翔子と同種の念動のPSI能力である。

 ただしその出力は鶴見翔子とは比にもならない。


 彼女が制止した軽自動車を宙に浮かせてそのままスクラップに出来るのならば、女衒ヤクザは走行中の八両編成の電車を無理やり制止させて、そのまま宙に浮かせてスクラップにできる。


 だが、歳三の動きを束縛するのはその程度の力では足りない。足りないが、それでもなお歳三は動く事ができなかった。それは知らないからだ。念動による束縛を破る方法を。

 モンスターもPSI能力に似た事をしてくるものは数多くいるが、不動金縛りの様な甘な事をしてくる様なものは非常に少ない。基本的にはもっと単純で、岩を浮かせてぶっとばしてくるとかそういう真似をしてくる。


 念動による束縛を破るには精神力が必要だ。

 それも強靭な精神力が。


 金縛りを解こう、などという漠然とした甘な素人考えではなく、もっと強固な目的意識が必要なのだ。

 強靭な精神力は強固な意志にこそ宿る。


 ■


「殺りな」


 女衒ヤクザが誰かに向かって言う。

 すると金縛られて動けない歳三の背後から物音がする。

 それも複数。


「不細工なおっさん、何が起こっているか教えてやろうか?おっさんが助けたあの女、そしておっさんのお仲間によ、おっさんを殺させようとしてるんだ。嫌か?でも体を動かせないよなァ。俺の力だ。俺はココで生まれ変わった!デカい力を手に入れた!ふ、ふ、ふ、やっとここまで来たぞッ!」


 女衒ヤクザは哄笑し、懐からドスを取り出して歳三の背後へと放り投げる。


「てめェら!それでこのおっさんを刺し殺せ。いいや、刺すだけじゃねえ、内臓を抉り、ほじくりだしてやれ!…いや、その前に話だけでも聞いておいてやるか」


 女衒ヤクザは完全に歳三を舐めくさり、歳三の首から上の束縛を解除した。ちなみに鉄騎と鉄衛は発声を声帯に頼っていないので言葉は話せるのだが、逃げてだの体が勝手にだのと無駄な事を言っても仕方ない事は二機にはよく分かっていた。それに歳三相手に切ったり撃ったりした所で、それで殺せるものかという思いもあった。


「おっさん、死ぬ前に聞いておいてやる。仲間に殺されるのはどんな気持ちだ?」


 これでいて根が素直ボーイ体質に出来ている歳三は、女衒ヤクザの質問に対して純粋な疑問をぶつけた。


「もし、俺が死んだら…俺の仲間は助けてくれるのかい。逃がしてくれるのかい」


 ここで女衒ヤクザがYESと言えば、あるいは歳三はここで死を選んでいたかもしれない。なぜならば当座の所、自身に対しての縛りは解けないし、しかし縛りを解かないでも仲間…鉄騎と鉄衛が助かるというのならばそれはそれでアリだと納得していたかもしれない。まあ刃物なりで歳三を殺せたかは別の問題だ。あくまで気持ちの上では、という意味である。


 だが折角歳三が諦めかけてたのに、ここで女衒ヤクザはミスをおかしてしまった。


「そんなワケねぇーだろ!ブハハハハ!おっさんの仲間は俺がしっかり駒としてつかってやるよ。丁度いくつか戦える駒が欲しかったところなんだ。駒を集めてよ、それで "アイツ" をぶっ殺して俺がここの王になる!…なあおっさん、蠱毒って知っているか?ダンジョンっていうのはな、まさにその…」


 女衒ヤクザは最後まで言う事ができなかった。


然様さよか」


 ぽつりと呟いた歳三の顎がバキバキと広がり…といっても、人間の顎の可動域を逸脱しない程度だが、ともかくあんぐりあいたデカ口が、ガジリ、と女衒ヤクザの鼻付近の肉を齧り取ってしまったからだ。鼻を齧り取ったのではなく、鼻付近の肉も骨もがぶりといった。


 女衒ヤクザの脳内は主に2つの色に支配された。

 すなわち、痛みと驚愕である。

 色合いとしては後者の方がやや濃いか。


 慌てて念動をかけるも、確固たる目的意識を持ってしまった歳三を押しとどめるには出力不足と言わざるを得なかった。


 "鉄騎と鉄衛を助けたい" では駄目なのだ。

 そんなフワッとした甘な意思に強靭な精神力は宿らない。

 "鉄騎と鉄衛を助ける為に、目の前のコイツを抹殺する" ならば良い。確固たる殺意には強靭な精神が宿る。


 激しく動揺した女衒ヤクザの頭に、歳三は掌を乗せた。

 身長差が20cm近くあるので、どうにも恰好がつかない。

 まるで老いてチビた父が背の高い息子に、いい子いい子とでもするような風情だ。


「かぺ」


 女衒ヤクザの最期の言葉である。

 床の染みとなったのだ。

 染みにしては肉片なども散っているため、やや汚いが。

 女衒ヤクザは死んだ。


 180cmほどの身長が瞬時に0cmになってしまったのだから、これはもう死亡もやむを得ないだろう。


「手強い相手だった。力だけじゃあ駄目な相手もいるってことか。学びがあった、そんな気がするぜ。戦いっていうのはよ、社会と同じなんだな。力任せじゃうまくいかねえんだ。俺も今のままじゃ駄目だな。この探索が終わったら…少し鍛えてみるか。いや、その前にまずはここの探索からだ。あぶねぇ、またぞろ気が散っていたみたいだ」


 床の血肉に語り掛ける歳三を、一人と二機は黙ってみつめていた。窓から差し込んでくる赤月の光に照らされる歳三の姿は如何にも禍々しい。


 ただ、黙っている理由はそれぞれ違っていた。

 全裸女のほうは単純に恐怖により言葉がだせず、二機の方は忸怩たる思いで声が出せなかった。


「敵か」


 歳三が呟く。


「ち、違います!違いますちがいます!敵じゃないです!私はダイバーで…」


 歳三が構え、跳ね飛ぶ。

 同時に天井に幾つもの剣閃が走り、斬り開かれ、白フンドシを占めた半裸の男が降ってきた。


 ──望月


 ギャリン、と金属同士がカチ合う音。

 若頭・ヤクザモンスターが奇襲を仕掛けてきたのだ。

 しかし歳三に防がれた。


 だがそれは逆に、歳三の技が若頭・ヤクザモンスターに防がれた事にもなる。


 若頭・ヤクザモンスター、シシド。

 イレギュラーとして研鑽を積み、遂には存在を固定するに至った存在である。


 白フンドシ半裸男ことシシドの肉体は、細身でありながらもまるで芸術品の様に見事な筋肉で覆われていた。

 頭部は男らしく角刈りに、眉はごんぶとで強靭な意思の強さを感じさせる。


 得物は一本、妖気の様なモノを感じさせる刀のみ。


「殺るつもりだったが…今ので殺れるとは思っていなかった」


 シシドがぼそりと言う。

 低く、掠れた声だ。


「俺もだ」

 歳三が答える。


「シシドだ。それしか

 再びシシドが言った。


「佐古 歳三」

 再び歳三が答える。

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