日常55(歳三、飯島 比呂)

 ◆


 東京へ帰る当日。


 ホテルの前に少し大きめのミニバンが停められていた。


 まず風格が違う。


 車に詳しくない歳三をしてはっきり感得できるほどの強烈な高級感が、車体からムワムワと立ち込めている。


 車の前にはスーツ姿の中年男性が立っており、友好的な笑みを湛えて歳三を見ていた。


 その警戒心を誘発しないナチュラルな笑みには、根が人見知りに出来ている歳三も安心感を覚えざるを得なかった。


 外見も良い。


 体型はややふくよかながらも健康的な印象を与え、なにより存在感がない。


 これが美女だのなんだのと揃えられてしまえば、歳三は酷く居心地悪く東京までの帰路を耐え忍ばねばならなかっただろう。


 勿論、望月の指示であった。


「運転を務めさせていただきます蓮田と申します。東京までの短い間になりますが、どうぞごゆっくりとお過ごしください。車内には各種アルコールや、簡単なものになってしまいますがおつまみになるものも取り揃えてあります」


 歳三はハイと素直に答え、ドアを開く蓮田の促しに従って車内に足を踏み入れる。


 しかし一歩足を中に踏み入れると、足裏に感じるのは沈み込む様な絨毯の感触。


 ──土足禁止だったのか!?


 大失態だと慌てる歳三に、蓮田から声がかかる。


「いえ、靴のままで大丈夫ですよ。車内の敷物は特別製でして、例え泥水をぶちまけても汚れる事はありません。内装の革張りもこれまた特別製で、煙草の煙なども吸い込んで分解してしまうんですよ。だから喫煙も大丈夫です」


 それを聞いた歳三は、ヤニで黄色くなってしまった自室の壁紙を思い出す。


 ──壁紙を "特別製" に替えれば綺麗になるんだろうか


 と思う歳三だが、 "いや、でも別に俺は気にならないし" とすぐに考えを打ち消してしまう。


 もしかしたら誰かを家に呼ぶこともあるのかも、とは欠片も思わない。


 これでいて根がパーソナルエリア尊重主義者に出来ている歳三なので、自分の縄張りである自室に誰かが足を踏み入れる事を想像するだけで気分が悪くなるのだ。


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 車内は全くと言っていい程会話が無かったが、歳三にとってはその方が良かったため非常に助かった。


 赤の他人と長々べしゃれるほど、歳三のコミュニケーション能力は高くない。


 ただ、全くの無音空間だったというわけではなく、極々小さい音量でジャズだかなんだかが流れている。


 これもまた良かった。


 適当にBGMとして流すなら洋楽に限ると歳三は思っている。


 邦楽はメリハリがしっかりしすぎていて、意識が曲に向いてしまうのだ。


 するとなんだか落ち着かなくなるというか、尻の座りが悪くなる。


 理由は歳三にもわからない。


 邦楽が嫌いなのではなく、なんだかぼーっとしたい時には向いていないという事だ。


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 ほどなくして池袋へ到着する。


 行きと違って襲撃はなく、歳三もウトウトしたりビールを呑んだりとゴキゲンであった。


 根が安上がり根性にできている歳三は、煙草とビールがあればもうなんだっていいのだ。


 ちなみに歳三は気付かなかったが、周辺を数台の車が取り囲んで護衛していた。


 車内にはそれぞれ京都支部の外調武装職員が乗り込み、総勢12名。


 頼りがいがあるかといえばやや疑問だが、数はいるので威嚇にはなる。


 個々の戦力は一般人基準で言えば、一人一人がボクシングの世界ヘヴィ級チャンピオン5名と素手で喧嘩して勝てるくらいだろう。


 探索者基準ならば丁級下位かそこらだ。


 京都支部長の西方月 仁曰く、『護衛の質は不問。空いている者を選びなさい。万が一襲撃があっても、死ぬのは襲撃者です』とのこと。


「駅前で宜しかったので?」


 蓮田の言葉に歳三はハイと答えた。部屋の冷蔵庫には何もなく、買い物をして帰ろうかと思っていたのもあるし、ちょっとした用事もある。


 ややあって車は池袋駅前に辿り着き……


「それでは私はここで失礼いたします。佐古様、お仕事お疲れ様でした」


 蓮田はそういって車に乗って去っていった。


 歳三のしたことを考えればもっと仰々しくてもおかしくはないが、この辺のあっさり具合も望月に指示されていたのだ。


 ◆


 JR池袋駅東口から歩いて1分程の場所に、SHIMADA電機日本総本店という大きめの複合商業施設が建っている。


 大変異前はそれこそ何の変哲もない家電量販店だったのだが、大変異後はいの一番に探索者向けの武装開発メーカーと契約を結び、現在では関東を中心に広範囲で各社の商品を販売していた。


 世界規模での認識の上書きがなければこの早さは出せないだろう。


『それまで家電を売っていましたが、ダンジョンも生えてくるようになりましたし、今度からは武器とかも売り捌きます!』……とは普通はならない。


 国民から激烈な反発があって然るべきだ。


 しかしそうはならなかったのは、ダンジョンによる干渉があるいは既に外界へ及んでいるのか、それとも。


 ・

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 SHIMADA電機日本総本店は8階建てで、1階から6階まで余すところなく物騒な物が販売されている。


 ちなみに7階と8階は一般家電売り場だ。


 そしてこの1階エントランス部分が待ち合わせのスポットとしてはそこそこ有名で、これはすぐ近くにちょっと小洒落た喫茶店があるからかもしれない。


 待ち合わせ場所を提案したのは先方で、歳三としてはそれに否やはなかった。


 もう着いています、という連絡に歳三はやや小走りになってSHIMADA電機へと向かい、周囲を見渡す。


 しかし誰もいない。


 ──まさか場所を間違えたか?


 やらかしてしまったかと歳三は焦るが、次瞬間、背に声が掛けられる。


 知った声だった。


 ある時からやけに高くなった比呂の声。


 ◆


「歳三さんッ!」


 しかし顔は知らなかった。


 やや明るめの茶髪は記憶にある比呂のそれと同一だ。


 少し垂れた目尻、優し気な面立ちもまた同一である。


 背はやや縮んだか?依然歳三より背が高い事は間違いない。ちなみに歳三は162cmだ。


 しかし


 唇はこの様な色であったか?


 やや天然パーマ気味のくしゃっとした髪はストレートに矯正されている。毛先はややカールしているか。


 不安気に潤む目が一回り大きく見え、頬はチークだろうか、薄っすらと色づいていた。


 そして、なんだか若く見える。


 よくよく見れば、比呂はメイクまでしていた。


「え、ええと。心配かけて悪いね……」


 歳三はいまだ眼前の "女性" が飯島 比呂であるかどうか確信が持てないため、飯島君、と口に出す事は控えた。


 さり気無く観察をする歳三だが、流石に露骨な視線だったらしく比呂の頬の赤味がやや濃くなる。

 

「そんなに見ないでください…いえ、真衣と翔子がなんていうか、これからはもう女として生きるんだから、メイク位は出来るようになれって。服装、とかもその……二人が……」


 比呂は自信無さげに言う。


 ここで歳三は眼前の女性が飯島 比呂本人であることを理解する。


 まあ理解はしても納得はしてないが。


 通行人、主に男性が比呂の方を見て不躾な視線を向けるが、これでいて比呂は丙級の上位が見えてきたかといった所。つまり、特別な素材が使われていない普通車両くらいならば素手で引き千切る事が出来る猛獣だということだ。


「それより、歳三さんは大丈夫ですか?怪我をされたって聞きましたけどッ……」


「うん、強い奴がいてね。俺もこの年だからしんどかったよ」


 口からビームを吐くんだぞ、などと言いながら、歳三は早速会話を持て余す。


 比呂が先程言った言葉が気になっていた。


 ──これからは女として生きる?つまりそれは、女になったって事か?それとも最初から女だったけどワケ合って男として生きてて、ああ、もうわからねぇなこれは


 訳があって女としての性を隠して生きる、と言う事に対して歳三は理解があった。


 そういう設定のアニメや漫画は腐るほどあるのだ。


 だがそんな思考は、比呂のやけに切羽詰まった声によって遮られた。


「無理は、しないでください」


「無理っていうのは例えば、飯島君たちが雑司ヶ谷霊園のダンジョンから帰ってこられなくなった時みたいな事かい?」


 歳三がらしくもなく比呂をからかうと、比呂は「うっ」と言葉につまって、突如として左手親指の爪の表面を右手のそれでかりかりとかきむしりつつ俯いた。


「その、あの時は改めてありがとうございました……」


 形成不利になると焦りが所作に出る者も少なくない。


 比呂もその類であるのだろう。


「いや、別にあれはし、シノミヤ…?さんのお姉さんの依頼だったからっ」


 と、今度は歳三が焦る番だ。


 四宮 真衣の姓をつっかえたのは、忘れかけていた為である。


「それより、最近調子はどうだ?まあその、随分細くなっちまったけど……」


 存在感は増している──…歳三は胸中でそう続けた。


 つまり、強くなっていると歳三は断じた。


 この見立ては正しい。


 一見女の細腕に見える比呂の腕の筋肉。


 これはその実、細い針金が束になったかのような剛筋から成るモンスター・マッスルであった。


「はい、歳三さんがいない間、三人で浅草の丙級ダンジョンへ行きました。無傷とはいきませんでしたけど、探索も順調に進んでいます。でもこれは三人で話した事なんですけど、順調じゃあだめなんだろうなって……もっと命を削るような過酷な状況を乗り越えないと、僕らの目的には届かないんだろうなって」


 比呂の言葉にはどこか悲壮感の苦い味が滲んでいる。


 こういった想いは歩みをはやくさせるがしかし、行きつく先は崖の先だ。


 そこで立ち止まれるかどうかが生死を分かつ。


 ただ、歳三イズムとしてはやや違う解釈があるようだった。


「そうだな。何度も何度も死にかけるといい。本当に死んじゃだめだけどな。俺も20代の頃は何度も死にかけたよ。でもそれを乗り越えるたびになんだか自分が成長できた気がしてね。もしそれで飯島君たちが死んじゃったら、俺がずっと覚えていてやるよ」


 ──飯島君たちとの思い出を技にして


 目がくもりにくもってる比呂から見ても、歳三という男はしばしばしょぼくれている。


 しかしこの時ばかりは、比呂は歳三から妙な迫力を感じた。


 歳三を見ると肌が粟立つ。嫌悪ではないが、恐怖にやや近い感情を覚える。


 しかし目を離せない妖しい引力のようなものが放射されており、比呂はしょぼくれた中年男から目が離せない…





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近況ノートに画像のせときます、比呂子ちゃん

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