日常56(歳三、飯島 比呂、その他)

 ◆


 立ち話も何だし、近くの喫茶店で話でも……とはならない。顔見せは済んだのだからと歳三が辞去を告げると、比呂としては "もう少し話しましょうよ" とはちょっと言えない。


 比呂からすれば歳三は先輩探索者であり、命の恩人であり、大変な事に巻き込まれた帰りの事であるから、如何に根が歳三第一根性に出来ている比呂と言えども引き留める事は出来なかった。


 今度はゆっくりお茶でもしましょう、などと比呂が言い、歳三は頷いて踵を返し去っていく。


 ハァ、と大きくため息をついた比呂は、なんだかメランコリックな気分になっていた。歳三と自分との間に厳然と立ちはだかる壁のようなものを壊せる気がしないのだ。


 比呂としては歳三とより親しくなり、あわよくばその師事を受けたいと考えている。勿論自分だけではなく、真衣も翔子もだ。そう、自分だけじゃなく3人が良い、比呂はそう思う。


 ──本当に?


 そんな心の奥底の声は努めて無視をして。


 ともかく、超高難度とされている富士樹海ダンジョンは、現在では挑む者すらいないという。もし挑むとしても甲級でなくてはならない。そのためには更に強くならなければならないのだが……


 ──なんだか煮詰まってるなぁ


 もう一度ハァとため息を付く比呂だが、不意に後ろを振り返る。


 そこには女受けしそうな顔立ちをした二人組の青年が立っていた。清潔感もあって印象は悪くない。服装もチャラついておらず、かといって陰にこもった感じでもない。


「なに?」


 しかし、短く用向きを問う比呂の声は情緒を欠いていた。


「いや、なんだか元気なさそうだったからさ。どうしたのかなって声かけてみたんだよ。それにしても君可愛いね、もしかしてモデルさんとか…」


 ぺらぺらとべしゃるイケメンAを見る比呂の目は乾いている。


「どうも。それじゃあちょっと用事があるから」


「ちょ、待ちなって!そんな急ぐことないじゃ、うっ!?」


 歳三ばりの素っ気なさで去ろうとする比呂。その右肩にイケメンAの手が乗せられる前に、比呂は右肩で強く跳ね除けた。


 するとイケメンAの手が激しく弾き飛ばされ、それどころかバランスさえも崩してたたらを踏む。そして、ついには尻もちをついたイケメンAを見下ろして、比呂は静かに先と同じ事を言う。


「どうも。それじゃあちょっと用事があるから」


 冷たくも温かくもない目だった。人がこういう無機質な色の目を浮かべる時があるとするなら、例えば路上に転がる空き缶や石ころを見る時の目の色がそれに近いだろう。


 今度はイケメンズも納得して比呂をナンパするのを諦めたようだった。


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「おい、手、大丈夫か?」


「やばいって。まだ痺れてる。ありゃあ探索者だなぁ。失敗したわ。連中っていつも武器もってたりするからさぁ」


「じゃああのおっさんも探索者?あの子と話してた……」


「まさか!あんなしょぼくれたおっさんが……いや、どうかわかんねぇけど、父親、じゃねえよな。遺伝って概念が否定されちまう」


 ◆


 ところで、ドライにも程がある歳三の去り際だが、ここだけ切り取ればストイックだとも言える。しかし本人の胸中はストイックとはかけ離れたものだった。


 ホテルでのだらけた生活が身に沁み込んでしまったのか、今この瞬間歳三がもっともヤリたい事はただ一つ。


 ビールとつまみを買い込んで、ネットサーフィンをしつつ野球をみたりしたいという、まあ悪い事ではないのだが俗っぽいアレコレであった。


 勿論全くやるべき事がないわけではない。桜花征機に連絡して鉄騎、鉄衛らの様子を伺いたいと思っているし、協会の池袋本部に顔だしをしなければいけないとも思っている。


 ──でも、金城さんからは京都支部から話を聞いているから、顔出すのは落ち着いてからいいと言われてるしなァ


 歳三は東口近くの喫煙所へ向かい、紙巻煙草専用のスペースへ入る。


 そこには鋭い目つきのいかつい探索者共が、こぞってスパスパと有害な気体を大気中へ吹き散らしていた。


 東口は駅からすぐの所に手頃なダンジョン(新宿歌舞伎町Mダンジョン③参照)があるためだろう、この喫煙所にはことさら探索者が多い。


 ──ダックダンジョンは俺も若い頃世話になったもんだ


 丁級指定 "池袋東口旧ダックカメラダンジョン" 。


 駅から徒歩3分。


 家電が禍々しい感じの殺戮ロボと化したようなモンスターが多数出没し、それらの素材が丁級ダンジョンにしてはやけに高く買い取られる。


 難度的には大した事はない。


 ロボ系のモンスターは総じて弱点がはっきりしている。そしてPSI能力の類も使ってこない。罠を張り巡らせることもないし、多種多様な攻撃手段を有する探索者連中からしてみれば鴨だ。


 もっとも、毎年10人20人とそれくらいは丁級探索者が殉職する程度には危険なのだが。


 とはいえ余程油断しなければ問題はない。


 どの階層にどのタイプのモンスターが出現するか、その弱点部位はどこかなどという情報は全て公開されているのだから、銃なりなんなりで撃ち抜いてしまえば良いだけだ。だから駆け出しにとっては良い稼ぎ場となっている。


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 というわけで歳三は煙草を取り出してライターで火をつけた。指を擦るのは目立つし、ええかっこしいで恥ずかしいという感情がある。


 煙を吸い込み、そして吐く──…とても良い。


 ややあって、耳になんだかオオだのワァッ…だのそんな歓声めいたものが届いた。


 ──ん?


 みれば喫煙スペースの中央に顔中傷だらけの強面中年男性が腕組みをしながら陣取っており、その周囲をやはり中年男性たち数名が取り囲んでいる。


 強面中年はどうやら腕組みをしているようだ。


 紺染めの着流しを着た大男であった。


 腰に大刀を差し、総髪がやけにキマっている。


 余りに存在感が無さすぎて比較にもならないが、京都でよく話しかけてきた黒髪のデカいオヤジに雰囲気だけは似ているかもな、などと歳三は思う。


 ──まぁあのおっさんの方が……暑苦しかったけどな


 とにかく歳三が気になるのは、強面中年が腕組みをしている点であった。


 あれでどうやって灰を落とすのか。


 まさか地面に?などと歳三が思っていると、答えはすぐにでた。


 煙草が宙に浮いているではないか。


 つまり、強面中年はPSI能力の保持者なのだ。


 強面中年男性の煙草は宙を浮遊し、そして吸気と同時に唇を離れる。


 そのたびにエェッ!?とか声があがる。


「流石ですね、源獣郎のアニキ!!もうすっかりモノにしたんですかい」


「おう……楽じゃァなかったけどな。だが、オイラもついに "能力者" になったってワケだ」


 眼鏡をかけて口髭を蓄えた中年が強面中年に賛辞を送ると、源獣郎と呼ばれた男は不敵な笑みを浮かべてそれに答える。


 それからしばらく中年男たちは談笑していたが、不意に源獣郎が歳三の方を向いた。流石に視線を注ぎすぎたようだ。


「よう、そこのおっさん。オイラの方をずっと見ているな。何か用かい?」


 と、源獣郎が歳三の方を向いて言う。


「ああ、煙草が浮いていて凄いと思ったんだよ」


 お世辞ではなく本音である。


 歳三にはPSI能力には興味がない。無いが、念動の類は自分には出来ない為に凄いとは思っている。例えるならば、けん玉に全く興味がない者がいたとして、その者がけん玉の絶技を目にした時、心の底からそれをマスターしたいと思えるか……というような話だ。凄いとは思うが別に覚えたいとは思わない、そんな感覚である。


「へえ、オイラにビビらず返事を返すかよ。おっさんも探索者か?何級だ?オイラは丙級の源獣郎だ。だがいずれ頂点に行く。眠っていた才能が目覚めたからな」


「俺は佐古……」


「あぁーん?ザコ?雑魚ってか?」


 などと唐突に歳三を侮辱したのは源獣郎ではなく、取り巻きの一人である。


 髪の毛が薄く、全体的に膨らんだ目つきが悪い男だ。この辺の外見的特徴は金城 権太に似ていなくもないが、発する雰囲気が全く違った。


「佐古だよ……」


 歳三は昔の事を思い出し、少しうんざりしながら訂正する。


 すると、返ってきたのは更なる中傷……ではなく、源獣郎の怒声であった。


「てめっ!!」


 見た目とは裏腹に、シャープな動きでハゲに肉薄し、足を踏んづけて回避を封じてから重そうなボディブローを放った。


 それを見た歳三はPSI能力を使ってる時より余程存在感があるな、などという感想を抱く。勿論、インパクトの瞬間に源獣郎が勢いを殆ど抑え込んだことも見て取っていた。


 しかし、いくら手加減しようとも(少なくともハゲにとっては)重いブローにハゲは耐えかね、蹲ってゲロゲロと饐えた匂いのするアレを吐き出す。


 周囲の者達はおそるおそるといった様子で、あるいはしょうもない事してるなという呆れの目で源獣郎たちを見ていた。


 歳三はそんな視線の雨にうんざりしてしまい、余り目立たないでくれよと心の中で願ったが願いは届かず。


 源獣郎がハゲの前で仁王立ちとなって再度怒鳴りつける。


「万田ァ!オイラに恥をかかせる気かァッ!このアホンだらぁ!」


 ガンガンと蹴りをくれる源獣郎にあっけに取られていた歳三だが、流石に傍観しているわけにもいかないので……


「ま、まぁまぁ。俺は気にしてねぇから。アンタが怒ってくれたし、もうやめよう。声が漏れちまって、警察が来るかもしれねぇ。俺は警察がちょっと苦手なんだよ」


 などと言いながら、源獣郎を万田から引きはがす。


「お、ちょっ、なんだお前ッ!力が、うおっ……ま、まぁそうだな。オイラもカッとなっちまった。おう、万田。そういうことだからテメーはしっかり謝れよ。……気絶しやがったか、バカヤロウめ。まあおっさん、あー、佐古、だったか?佐古ちゃんよう、すまなかったなオイラの舎弟が舐めた真似して。しっかりヤキいれておいたから勘弁してやってくれや」


 と、源獣郎は煙草を一本取り出し、歳三へ渡した。


 詫びのつもりらしい。


 銘柄が違うんだけどなどと思う歳三だが、ありがたくいただいて火をつける。すると源獣郎はなんだか友達面ともだちづらしながら歳三にあれこれ自分語りをするのであった……


 ──佐古ちゃんよ、アンタも失業して探索者になったクチかい?オイラも実はそうなんだ。こいつらはオイラのトコの元社員でな、まあ配送業をやってたんだけどよ、競合他社が増えすぎちまってなぁ、ほら、今はロボコンが運んだりするだろ?ったくよ、ロボコンなんぞに運ばせて何かあったら誰が責任を取るんだろうな。佐古ちゃんよ、アンタもそう思うだろ?まあオイラもな、責任感ってやつには一家言がある。だからなんとかして食わせてやりたいって思ってな、まあ探索者の仕事に目をつけたってやつよ。こいつら全員くわせてやれるような力が欲しいってな。え?ああ。こいつらは一般人さ。とてもダンジョンに潜れる柄じゃねえや、それでな……


 といった調子で延々と話が続き、歳三は壊れた赤べこのようにウンウンと頷きっぱなしというていたらくだ。歳三にはべらべらとしゃべり狂う相手の話を途中で遮って、さらにその場を辞去するという難しい真似はできない。


 そして全てが終わった時、歳三はなぜか源獣郎と連絡先を交換して帰路についていた。高難度のダンジョンでも感じない類の、変な話だが新鮮な疲れに顔を顰める歳三。


 ハァとかフゥとかため息をつきながら、しょぼくれた様子で明治通りを歩くその背はいつもより小さく見えた。

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