作業所エリア③終

 ◆


 この時、歳三の中には迷いが生じていた。


 簡単に言えば、手助けをすべきかしないべきかという迷いである。


 多くの者は相手との関係がよほど悪くなければ、特に迷うことなく前者を選ぶだろう。


 然るに、歳三と蒼島の関係は悪いものではない。


 しかし、歳三は迷った。なぜなら……。


 ──さて、どうしたもんか。蒼島さん、危ねェ! とあの腕を蹴とばしてやるか。でもなァ、難しいんだよ、こういうのは……


 歳三の脳裏にとある日の思い出が蘇る。


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 小学生の頃の話だ。


 学校で文化祭が催されたのだが、歳三のクラスはお化け屋敷をすることになった。


 教室1つを使って暗幕をかけたり、ちょっとしたドッキリグッズを仕掛けたり、段ボールやパーテーションを使ってミニ迷路のようなものを作ったりした。


 案外やることは多い。


 歳三のクラスは20人そこそこだったが、みんなが自分の仕事に専念したとしても手が足りないほどだった。


 そういった状況で、歳三を含む一部の生徒は何もさせてもらえなかった。


「佐古、野比ィ! お前ら何もするなよな!」


 クラスのガキ大将からそんなことを言われた。


 このような非人道的なハブ行為は通常いじめに分類されるが、理不尽と言えない部分もあった。


 世の中には良かれと思って状況を悪化させる類の人間がいるからだ。


 皿を洗おうとして割ってしまう、掃除をしようとして余計に散らかしてしまう、自分の経験からアドバイスをしようとして結局自分語りで終わってしまう……。


 歳三や一部の生徒たちは、そういった類の不器用さがあった。


 そうした者たちも毎回失敗するわけではないというのが厄介なところだ。


 ──ちゃんと出来るのに


 そう思いつつも、手伝わせてもらえないやるせなさときたら、味わった者でないとわからないだろう。


 そうした経験もあって、歳三は蒼島を手助けするのを躊躇してしまった。


 ちなみにここまでの思考は圧縮された時間の中で瞬時に行われた。


 歳三ほどの業前ともなると、極上の集中力で体感時間を圧縮することなど造作もないのだ。


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 蒼島は自分の腕に伸びてくる襲撃者の手を、肘を小さく半円を描くようにしてはじき飛ばした。


 しかし内心で顔をしかめる。


 肘から伝わる感触は硬く、 力強い。


 自我を失ったようでいて、 力まで失ったわけではないようだった。


 蒼島は歳三に注意を促すべく声を出そうとするが、すでに歳三がこちらを振り返り注視していることに気づく。


 ──なるほど、僕が自分で火の粉を振り払える男かどうかを確認しているんだ


 無視されたわけでも見捨てられたわけでもないことに、蒼島はわずかに安堵し奮起する。


 瞬間、蒼島の目がぎょろりと見開かれ、瞳の奥で青い炎がめらりと揺れた。


 ◆


 蒼島を襲った襲撃者──かつてはフリーの探索者であった男、オガミは優しい男であった。


 三重県出身のこの男は、武断主義が跋扈するこの時代には珍しく慈悲の心を持ち合わせている。


 相手がたとえモンスターであろうとも専守防衛に努め、自分から仕掛けることはなかったのだ。


 だからといって俗に言う末成り瓢箪うらなりびょうたんというわけでもなく、いざ戦うとなればその戦闘力、指揮能力はなかなかのもので、自身が率いるチームと日常的に丙級指定のダンジョン、時には乙級指定のダンジョンを探索していた。


 チームのメンバーもオガミの探索者らしからぬポリシーに思うところはあったが、それを除けば探索計画も無理なく立て、報酬もしっかり分配してくれるオガミをリーダーとして認めていた。


 そんなある日、森林地帯に展開されたダンジョン領域を探索中のオガミのチームはとある人型モンスターに遭遇する。


「子供か?」


「いや、こんなところに子供がいるわけがない。子供の探索者もいないわけじゃないが、それにしたって裸っていうのはな」


 チームの前に佇むのは白い髪の少女だった。


 それも裸の。


 少女はうなだれ、元気がなさそうに見える。


 そんな少女を見てこれ幸いと、チームの一人が銃を構えた。


「リョウ、待ってくれ」


 それを止めたのがオガミだ。


「オガミ、あれはどう見たってモンスターだ。しかも人型の。連中がどうやって探索者を殺すか知ってるだろ? 大抵は騙し討ちさ。重度のロリコン野郎だったらまんまと騙されてたかもな。あんなナリで強いわけない、うまくやれば一発ヤれるってな。でも俺はロリコンじゃないし、チームの誰もロリコンなんかじゃない。なら何かされる前に先制攻撃するのが賢いってもんだ」


 リョウと呼ばれた男は銃を下ろさない。


「それは分かってる。だがあの子を見ろよ、戦意を感じられない。俺も分かってはいるんだ、先に攻撃しないなんてバカのやることだって。でもダメなんだよ。知ってるだろ? 俺は昔、ダンジョンで行き倒れた時にモンスターに助けてもらったんだ。雪山のダンジョンで重傷を負って、一歩も動けなくなって……そんな俺に近づいてきたのは一人の女だった。着物を着た真っ白い女だよ。それで……」


「もう何度も聞いたよ。雪女だろ? 気付いた時にはダンジョンの入口に寝かされていたんだっけか。確かにモンスターの中には意思疎通ができるやつもいる。友好的な奴もな。でもあいつがその雪女と同じ様に友好的なモンスターだとは限らないじゃないか」


 それでもオガミはリョウの説得を続け、やがてリョウも折れた。


「分かったよ、じゃあルートを別に取る。その間、あいつからは目を離さない。何かしたらぶっぱなす」


 これで、とリョウは銃をオガミに見せつける。


 オガミもそれで良いと頷き、チームの他のメンバーも異論はない様だった。


 そして歩き去るオガミたち。


 結果として、オガミたちはオガミを残して全滅することになる。


 というのもオガミたちが認識していた少女の姿は、例えるならばチョウチンアンコウでいうチョウチンの部分だったからだ。


 本体はキノコ型のモンスターで、地中深くに潜って安全圏から探索者を騙そうとしてくる。


 オガミたちがべらべらと喋っている間に、少女の体から胞子が放たれていたことにオガミたちは気付かなかった。


 オガミが助かったのは単純に肉体性能が他の者たちより高かったからだ。


 雪女の様な著名な怪異を模したモンスターが出没するようなダンジョンは、少なくとも丙級上位から乙級指定程度はある。


 そんなダンジョンを道中不覚を取ったとはいえソロで探索できるオガミは探索者としては上澄みの部類だった。


 だまし討ちに特化しているようなモンスターは、言い換えれば直接の戦闘力は大した事がないといえる。


 要するに弱いのだ。


 ゆえにオガミの中に入り込んだ胞子は、すべてオガミ自身の免疫によって排除された。


 しかしそれで済まないのはオガミである。


 自分の甘さのせいでメンバーが死んだのだ。


 以後オガミは強い罪悪感を抱くようになり、地元にもいられなくなった。


 地元のどこを歩いていてもメンバーとの思い出が蘇ってしまうからだ。


 以後、オガミは強い罪悪感を抱くようになり、地元にもいられなくなった。


 そうしてオガミは地元を離れ、東京を訪れた。


 自分という存在が疫病神だと自覚してしまった以上、いろいろな意味で孤独になりたかったからだ。


 東京は確かに人が多いが、人の数だけ孤独が存在する。


 だから「自分は確かに孤独で寂しいが、それはみんな同じだ」という気になる。


 負け犬同士の傷の舐めあいみたいなものだが、誰も傷を舐めてくれず痛み続けるよりはまだマシだった。


 そんなオガミは、肉体的にはともかく精神的には弱者といえる。


 そしてそんな弱者を、自身のポリシーに殉じることができずキャンキャンと啼く負け犬を、巣鴨プリズンダンジョンの力場が絡め取った。


 ◆


 襲撃者──オガミの左手が手刀の形を取り、長く伸びた爪の先に力が満ちていく。


 ──あれで突かれれば防ぎ切れないな


 そう感じた蒼島が取った手段は、フィジカルによる対抗ではなく、己の最も得意とする武器を使うことだった。


 蒼島の目が見開かれると同時に、傍観していた歳三は蒼島の体からゆらめくオーラのようなものが青い蝶を形どる様を幻視する。


 次の瞬間。


 オガミの茫とした精神の荒野に、ぴちゃりと一滴の冷たい水滴が落ちた。


 オガミの精神は既に罪悪感という刃でズタズタに切り裂かれてしまっていたが、バラバラになったピースがまるで誘蛾灯に集まる蛾のように水滴が落ちた部分へと集まる。


 バラバラになった精神のピースはそれ単体では何ら自発的な活動ができないが、数が集まれば話は別だ。


 狂犬病に罹った犬がちょっとした刺激で暴れ狂うように、外の空気を持ち込んできた歳三と蒼島に対して反射的に襲いかかったオガミだが、代償は大きかった。


 オガミは不思議とその鋭く尖ったナイフのような爪を自分の耳に突き刺して、脳みそをかき回したくなった。


 もし邪魔が入らなければ確実にそうしていただろう。


 オガミの手首に何かが巻き付き、自殺を妨害している。


「看守……」


 蒼島が呟いた。


 壇上にいたはずの看守が、いつの間にか蒼島とオガミの傍に佇んでいたのだ。


 姿は牢獄に現れた個体に酷似しており、影が集まり人の形を取っているように見える。


 蒼島は看守に何らアクションをかけることをしなかった。


 いや、できなかった。


 戦いを恐れないからといって、無駄死にしてもいいと思っているわけではない。


 蒼島の頬に冷たい汗がツウと伝うが──……。


「あんたがやるのかい」


 そんな歳三の言葉に冷たい汗が揮発したように思えた。少なくとも、頬の温度は上がっているだろう。


 看守と歳三が向かい合う。


 ──歳三さんはやる気だ


 蒼島がそう思った瞬間、歳三が力を緩めた。


「え?」


 蒼島は思わず疑問の声をあげるが、看守がオガミの襟をつかんでどこかへ歩き去っていくのを見て、看守のほうから交戦を回避したことを理解した。


やらない──って言われたような気がしたなァ、まあ多分……。良く分からないですがね」


 歳三は蒼島にそう言って、「じゃあ行きましょうぜ」と促す先には作業所エリアの出口となる扉がある。


「は、はい。ええと……ここを抜けたらすぐだと思います」


 蒼島はそう答えて、扉に手をかけた。



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活動報告/近況ノートなどに直近の状況を書いてます。よかったらよろしくです。

それと、「廃病院の噂」というホラー短編も最近あげているので、暇な時読んでください。

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