新宿歌舞伎町Mダンジョン⑤
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ダンジョンはどこも大抵そうだが、外から見た姿とはまるっきり異なる姿を見せる。このMダンジョンも同様で、外の歩道から見れば12階建ての一棟のマンションに過ぎないのだが、一歩中に踏み入れてみれば全くの別世界が広がる。
だだっ広いエントランス、エレベーターは二基ともドアに×字に板が貼りつけられており、これは剥がそうとしても剥がれない。
強く打ち付けられているという訳ではなく、それはそういうものとしてその場に在るのだ。
歳三達はエントランス奥の非常扉を指さしながら言った。
「あそこから中庭へ抜けられるんだ。このダンジョンは一旦中庭へ抜けて、それから別の棟へ移動しなきゃあならねえ。そこのエレベーターは動かねえし、階段もねえからな…。それとよ、中庭はいいぜ、芝生が広がっててよ。お月さんの柔らかい光がよ、パァーってな、シャワーみたいに降り注いでいるんだ。てっことてっぺーもきっと気に入ってくれると思うんだが…」
『フーン シャシン トルカ?』
鉄衛が言うと、歳三はそれだ!と言わんばかりにバァンと柏手を打った。流石に発火はしなかったが、ビリビリと空気が震える。
『ヤメロォッ!アブナイダロ!』
鉄衛がワァワァ怒ると、歳三はすまねぇと頭を下げた。
ちなみにエントランスを抜ければ、先程歳三が言及した大きな中庭があり、その中庭を取り囲む様に長方形の棟が正方形にマンションを取り囲んでいる。
更に、時間もどうにも歪んでいるのか、あるいは空に擬態したダンジョン空間なのか、外では太陽がカンカンに照っているにも関わらず、ダンジョン内ではとっぷりと日が暮れて、まん丸い月が顔を覗かせているのだ。
「よし、じゃあ開けるぜ…撮影の準備をしておいてな」
ウンと鉄衛が頷き、歳三が扉を開ける。
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歳三が言う所の中庭は、まるで悪夢の中の世界の様だった。
確かに空にはまん丸い満月が輝いている。
だが美しい満月…とはとても言えない。
まるで血の様に赤い紅い月だった。
不気味で、不穏で、限りない危険を示唆してくるような、そんな月だ。
そんな赤月に照らされた中庭も、何というかポーランドの現代画家、ズジスワフ・ベクシンスキーの描く世界の様だった。
なお、ベクシンスキーは死、絶望、破損、廃退、廃墟、終焉あたりをモチーフに扱う為、その画風は非常に陰鬱だ。
ただ、滅びならぬ滅美の様なモノが籠められており、彼のファンは案外に多い。
『マスター、こういう光景が好きなのですか?』
鉄騎が歳三に言う。
鉄騎が収集した所の情報によれば、こういった景色は一般的には忌避されるものだったからである。鉄騎としては大切な主人である歳三が一般人とは異なる感性を有しているとすれば、これはしっかりと覚えて置かなければならないという思いがあった。
「い、いや、余り好きじゃない…。それにしても赤いお月さんか。前に来た時は普通のお月さんだったのにな。注意したほうがいいかもしれないな。いつもと違う所があったら気をつけろって金城のおやっさんが言ってたんだけどよ、これまでの事を思い出してみても確かにその通りだと思うぜ。そういう時って大体強い奴が出てくるんだ」
歳三の言を聞いた鉄騎は警戒のレベルを更にいくつか上げた。
鉄騎は、鉄衛もそうなのだが、歳三の戦闘能力が一般的な乙級をかなり逸脱している事に既に気付いている。
その歳三をして強いと言わしめるモンスターというのは、鉄騎にとって十分警戒に値すると思わざるを得ないのだ。
『サイゾ、ドースルノ?』
鉄衛が尋ねると、歳三は端末を見せながら指でぐるりとディスプレイをなぞっていく。
「ここを…こう、ぐるっとな。四方のマンションを一蹴するように…こう、分かるか?ぐるぐるぐると…ええ、となんといったらいいのか…アレだよ。ほら、ズレたぐるぐる…」
『螺旋ですか』
鉄騎が口を挟む。
歳三は頷き、語を継いだ。
「ああ、それだそれ。下からぐるぐる~っと上へ向かっていく。東西南北の棟は全部繋がっているんだよ」
歳三は人差し指と親指をくっつけて〇を作り、のぞき込む様なジェスチャーを取る。
「余裕があればいくつか部屋も調べよう。もしかしたらお宝があるかもしれないからな。ただ、注意はしてくれな。ダンジョンでは色んな事が起こるんだ。何もない場所からどこからともなくモンスターが湧いてくる事もあるし…」
『ヒライブツ カクニン』
『軌道観測…測定。衝突コースからは外れています』
歳三達の前方…つまり、中庭の中心部あたりに何かが落ちた。
一つ、二つ、三つ…沢山だ。衝突の際に、ドチャだとかグチャだとか、そんな湿った音が響く。
『人体ですね。生体ではありません。複数体の死体です。ダンジョンではこういう事もあるのですね』
「あ、ああ、死体が落ちてくる事もよく……」
歳三が厭そうな顔で言う。
『あるのですか?本当に?』
鉄騎が聞くと、歳三は "あまりないかもな…" と答えた。
『コレハ チョウハツダゾ ユルセンヨナッ』
鉄衛の言葉に、歳三は頷く。
正面の棟の屋上に誰かが立っている。
『カイセキッ!…ヴヴヴ…データニアリマセン…データニアリマセン…』
『鉄衛は、ダンジョン探索者協会が保有するデータバンクへアクセスをしましたが、外見と一致するモンスターのデータは存在しなかった…と言っています。つまりあの存在はモンスターであるなら最近発生したか、そうでなければそもそもモンスターではない可能性もありま…ッ』
『アイツ…オレ ヨリ ツヨクネ?』
鉄騎と鉄衛が歳三の前へ出た。
向かいの棟の屋上と歳三達の立っている場所は距離がある。
しかし歳三達は、自分達に向けて切っ先を向けている数多の刃物を幻視した。空一杯に浮かんでいるそれらは、混じりっけ無しの純粋で兇気的な殺気が想起させたものである。
瞬間、歳三の手からナイフが放たれた。
ダンジョン素材で作られた桜花征機謹製の高級ナイフは、いつかの大磯海水浴場ダンジョンの時に試みたしょうもな投石とは訳が違う。
宙空で燃え尽きる事もなく、凄まじい勢いで屋上の人物へ向かっていく。歳三が本気でナイフを投擲した場合、これはもうとても危ない。厚さ30cmあるタングステンの合金板を貫いてなお余りある貫通力を有する。この合金のモース硬度は9、ダイヤモンドに次ぐ硬度だが、ダイヤモンドと違ってタングステン合金板は大ハンマーでぶっ叩いても割れる事はない。
『ヤッタカ!…モクヒョウ、ボウギョコウドウ ヲ カクニン…ヤッテマセン…』
『所持する武器で弾かれました。形状から見て刀か、それに準じたものだと思われます。また、目標は逃走した様です』
千手を打っての攻撃が防がれた事に対し、まあ、そうだろうなと歳三は思う。歳三には "奴" が飛び道具なんかで仕留められそうな相手には思えなかった。だがもしまかり間違って一撃必殺出来ればそれはそれで良いなとも思っていた。
「色々助かるよ。他にも気付いた事があったら教えてくれよな。多分あのモンスターは…モンスターだと思うんだけど、とりあえずアイツはそうだな…ヤクザだと思うんだよな。だってここはヤクザマンションだし。だとすると、組長…組長ヤクザを守ろうとする筈だ、多分。奴は強そうだが、弱みがありそうならつけ込んでいこうな」
そんな事をいいながら、歳三はズボンのポケットから煙草を取り出し一本咥える。
恒例のバチン。
日常生活ではどこまでもしょうもない歳三なのだが、こと戦闘になれば先手必勝、見敵必殺、基本的には手段を選ばない。
相手が油断をしていればそれにつけ込む案外にシビアな性格をしている。
コイの様に口をぱくぱくとさせ、煙の輪をいくつも吐き出す。
煙輪の一つが赤い月を囲う様にして空へ昇っていく。
赤い月光に照らされながら煙草を吸う歳三からは、余りにもデンジャラスなオーラが迸っている。
『サイゾ、イイネエ シャシン トッタゾ』
鉄衛のモノアイが明滅している。
「さ、晒さないでくれよ…頼むから」
歳三の眉尾がへにゃりと下がる。
再炎上を恐れているのだ。
20数年前の痴漢事件で燃えた一件が再燃する事を恐れている。
探索者協会が手間暇かけて歳三のデジタルタトゥーを消した以上、再炎上など100%ないというのに。
勿論歳三が再び性欲に頭を支配されれば話は別だが、もはや過去と同じ過ちは犯さないだろう。合法非合法にかかわらず、性的なアプローチを歳三がする事はない。
心配があるとすれば、アプローチをされる場合だ。
歳三の0-100の極端なメンタルが、そういったアプローチを性的な攻撃だと判断してしまえば、これはちょっと大変な事になってしまう可能性がある。歳三は基本察しが悪いのでちょっと胸をおしつけるくらいじゃそれがアプローチだと気づく事はないが、手を掴んで無理やり触らせるなどという非人道的な手段を取る肉食系女子もいないでもない。
歳三の暴力と金稼ぎパワーを狙い、順序を踏まずに手っ取り早く性的アプローチなどをしてしまうと、めでたく元女のミンチ肉が出来上がってしまう可能性がある。
かつて久我善弥が飯島比呂らに、歳三は女に話しかけられると怒りだすなどとデマカセをぶっこいたのは、そういった事情も鑑みての事だ。
歳三のメンタルの不安定ぶりや、暴発させた際の危険性について探索者協会は歳三自身よりもよく知っている。
なんといってもママなので。
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