雑司ヶ谷ダンジョン②

 ◆


 歳三がダンジョン入場口のリーダーに端末を翳すと、入場を許可する旨の機械的なアナウンスが流れる。


 入退場の際には端末を読み込ませなくてはならない。


 ただし、退場の際には端末が破損している場合もあるため、この場合は事後報告で構わない。


 ダンジョン新法と呼ばれる探索者を対象にした法律でそう決められているのだ。新法では他にも様々な法律が探索者向けに調整され、施行されている。探索者は常人と比べて身体能力が非常に高く、既存の法律を適用するのはやや具合が悪いといった所だろう。


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 雑司ヶ谷ダンジョンに足を踏み入れると、それまで気持ちよく晴れていた空から一変し、周辺の明度が瞬く間に落ちた。


 歳三の眼前に広がるのは暗く昏い広大な墓地だ。


 ダンジョンの恐ろしい所は、外見からそうとは分からない点にある。


 "領域" に足を踏み入れて初めて分かるのだ。


 故に大変異初期は思わぬ事故が絶えなかった。


 しかし現在では技術も進歩し、ある程度は予測がつけられる様になっている。


 墓地を見回し、Stermを取り出す。


 信号が消失したのは北西に300m。


 ただし、方角はともかく距離はあてにならない。


 ダンジョン内では時空が歪んでいる場合もままある。


 つまり、このダンジョンの領域面積は10万平方メートルだが、内部では100万平方メートルに及ぶといった事も考えられるという事だ。


 とりあえず北西へ向かおうと歩を進める歳三。


 しかし歩き始めて数分で耳元で何かが囁きかけてくる。


 何を言っているのかは分からない。


 ただ、その声色には多分な怨みつらみが籠められている様にも思える。これはただの囁き声ではない。


 聴覚毒とも言う様なもので、長く聞いていると精神に異常を来たす。


 歳三はおもむろに髪の毛を引き抜いた。


 それを丁寧に掌へ並べる。


 気が狂ったと思われるかもしれないが、きちんと意味がある。


 歳三の上腕二頭筋がもりりと膨れ上がるやいなや、彼は両の掌を打ち合わせた。


 ──爆手


 拍手ならぬ爆手……だが、この場合は柏手(かしわで)だ。


 幽霊っぽい何かに対応しようと繰り出した技であるので。


 主に神社での参拝に使用されるその所作は、魔除けの意味合いも持つという。しかし歳三から繰り出される柏手は、魔除けなどという甘っちょろいモノではない。


 高速で撃ち合わされた歳三の掌内で、圧縮された空気の温度が161℃にまで上昇し、掌に付着させていた髪の毛に着火して爆発を起こした。


 爆風が声諸共周囲を吹き飛ばす。


 だが、至近で爆撃を浴びた筈の歳三は平気の平左であった。


 歳三はこの程度の爆発事故では傷一つ負わない。


 鍛え上げられているからだ。


 それどころか、腹筋を固めれば戦車砲の一撃にも余裕しゃくしゃくで耐え抜くだろう。


 いや、目覚まし時計の代わりに戦車砲をぶっぱなされても歳三には傷一つつけられないかもしれない。


 これが25年間、ただだたダンジョン探索に人生を捧げてきた男の肉体の強さである。


 気体圧縮に伴う爆発の原理など中卒の歳三には全く分からない事だが、空気を圧縮すると爆発するという現象を彼はアニメで見た事がある。歳三の技の大部分は漫画やアニメ、小説、特撮といったものから発想を得ている。


 ダンジョン探索者という生物は探索を繰り返すうちに、その身体能力を飛躍的に向上させていくという性質を持つ。


 ダンジョン内部の特殊な気体が作用しているのだとか、人間という種の真骨頂がこの窮場において発揮されたのだとか色々な説があるが、真相は定かではない。


 ◆


 ところで、ダンジョン探索者になれば生物として強くなるというのなら、それこそ人類皆探索者を志してもおかしくはないようにも思える。


 だが現実としてそうはなっていない。


 その理由は異常なまでの死亡率にあった。


 例えば2019年度におけるアメリカでもっとも死亡率が高い仕事は伐採作業員だ。労働者10万人あたり、70人の死亡事故が発生している。


 しかしダンジョン探索者に至っては、探索者10万人あたり、3万人の死亡事故が発生している。


 素人がダンジョンに飛び込めば大体死ぬのだ。


 しかしそれでも高額報酬につられて飛び込む者はいる。


 何せダンジョンから産出されるものときたら、既存の物理法則を引っ繰り返すようなものが珍しくもないのだから。


 協会がまだ設立されていない時代、ダンジョンからよく分からない古びた刀を拾ってきた自称探索者が、自宅で戯れに素振りをしたところ、室内で強度の放電現象が発生してその探索者は感電死。それどころかアパート一棟が焼け焦げてしまったという事例もある。こういったものを売ればン千万は愚か、億に届く事も珍しくはない。


 政府は慌ててダンジョンの立ち入りを禁止したが、警戒線を掻い潜って侵入するものは後を立たなかった。


 だがとある政治家の一言が状況を激変させた。


『規制したって法律で罰則を定めたってダンジョンに潜る奴は潜るのだ、死にたい奴は死なせておけ。それよりもいっそ国で支援してしまった方が良いのではないか。その結果、ダンジョン産の希少な物品が流通する可能性もあるし、探索者とやらが死んでしまってもそれはそれで日本国内のダニが一匹消えただけの事』


 この政治家の発言は賛否両論であったが、最終的に政府のスタンスもその様なものとなっていく。


 政府はダンジョンの危険性を認識しているが、同時にダンジョンから得られる希少な物品の価値を理解し、それが経済に対しても影響を与える可能性を見据えていた。


 経済的利益を最優先とする現実主義の一種とも言えるだろう。

 ダンジョン協会はそういった流れで設立されたのだ。

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