一方その頃

 ◆


 ここ最近、飯島比呂は胸がざわついて仕方がなかった。


 というのも、彼女の意中の相手が連日姿を見せないのだ。


 最後に探索者協会本部を訪れたのはもう2週間も前になるという。


 ──まさかあの人に限って。


 そんな思いが彼女の精神をかき乱す。


 半ば忘我の内にありながら、比呂は手槍を前方へ勢いよく投擲した。その初速は秒速にして120m前後。


 時速360kmの投げ槍の直撃を受ければ、人ならぬモンスターといえどもたまったものではない。


 現に、彼女の槍を受けた子供型のモンスターは、上半身を吹き飛ばされ「ぎにゃああ」と断末魔の悲鳴を上げて息絶えた。


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「なんだか比呂、ぼーっとしてるよね。それにしてもキリがないなぁ。怪異型のダンジョンならもっと順序を踏んでほしいなあ! このモンスター、私らが入った瞬間から殺しに来てるじゃん! それに切れば切るほど腕が重くなるというか。データにあった“呪い”ってやつ?」


 四宮真衣が桜花征機プレゼンツの「高強度ナノ合金製 姫鶴一文字ブレイド 2xxx年冬モデル」を振って、壁から伸びる白い手の群れを次々と切り払いながら言う。


 これは結構お高い近接武装で、探索者としてそれなりに稼いでいるはずの真衣も購入を一瞬躊躇したほどである。


 複数のダンジョン素材をナノスケールで組み合わせることで造形された刃はバカみたいに切れ味が良く、何百回と振り回しても疲れないほどに軽い。


 ただしやはり桜花征機製というか所詮桜花征機製というか、耐久力に難がある。雑な切り方をすればポッキリ折れてしまうともありえるとのことだった。


「比呂のは恋煩いでしょ、いっちょ噛みしても馬鹿を見そうだし、放っておこうよ。あと、うん、そうだね。“呪い”だと思う。全然念動の出力が上がらないし。集中すると頭の中で虫の羽音みたいな音がして能力の起動が妨害されるんだよね」


 鶴見翔子がドライに答えた。


 もちろん彼女もただおしゃべりしているわけではなく、ちゃんと仕事をしている。


 四方八方から飛んでくる何十本もの包丁だとかフォークだとかを精神の網で絡めとり宙にとどめ、切っ先を反転させて飛んできた方向へそのまま返したりだとか。


 そう、3人は埼玉県所沢市のH町にある丙級ダンジョンに来ているのだ。


 協会本部のある池袋からダンジョンの最寄り駅である所沢駅までは西武池袋線で20数分といったところだが、今回は鶴見翔子が所有する車で来ている。


 運転は翔子だ。


 根がひどく神経質にできている彼女は、たとえ親友であろうとも自分の車のハンドルを握らせたくないという何と言うか、こだわりのようなものがあった。


 まあPSI能力者の多くは神経が繊細な部分があるのだが。


 このダンジョンはとあるホラー映画のロケ地として使われたレンタルハウスがダンジョン化したもので、そのホラー映画の国民的知名度のせいか丙級でもそれなりに歯ごたえがある難易度となっている。


 怪異型のダンジョンとしてはかなり精神にくるタイプなので、探索者といえども好んではこのダンジョンを訪れようとはしない。


 ではなぜ3人が訪れることになったかといえば、真衣の発案である。某映画をお気に召した彼女がもっと刺激を、さらにスリルをとダダをこねた結果、まあ適正等級だし、そこまで遠くないしということでチャレンジすることになったのだ。


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 件のダンジョンは外面はごく普通の一軒家だ。


 2階建て、庭にはやや背の高い木々が生い茂り、外からの視線を遮るものとなっている。


 鉄製の外門を押し開け、一歩敷地内に足を踏み入れればそこはもうダンジョン領域となる。


 多くのダンジョンが出入り自由であるという点に対して、このダンジョンはとある目的を達成しない限り脱出が叶わない。


 それが厄介な点といえるだろう。


 目的というのは“日記”の物理的な破壊だ。


 ここにはいわゆるボスめいた存在のモンスターがいるのだが、そのモンスターが守る日記がこのダンジョンの言ってみれば根源的なエネルギー源となっている。


 その日記は家の内部のどこかにあり、探索者、もしくは不幸にもこのダンジョンに迷い込んでしまった一般人はそれを探し出さなければ生きて出ることは叶わない。


 所詮は一軒家だと油断はできない。ダンジョンは多くの場合、見た目と内部の広さが大きく異なっているからだ。


 このダンジョンも例に漏れず、内部はダンジョン作法に従って拡張されている。


 リビングを抜ければ再びリビングへ出て、2階に上がろうと階段を登れば何百段も登らされる。


 探索者協会の調べによれば、このダンジョンは何十何百という“一軒家”が複合した多層構造をしているとのことだった。


 家の中は全体的に薄暗く、どこからともなく囁き声が聞こえてくる。


 壁や床は湿気で腐食しており、時折奇妙なシミや黒ずみが見られる。


 家具や物が無造作に散乱し、この家に潜む何者かに怯える様にカタカタと震えて──……


 ◆


 比呂の動きのキレは増すばかりであった。


 いわゆる無念無想の境地というやつである。


 果たして男の事で思い悩む事が無念で無想なのかは疑問だが、とにかく頭で考えず体に染みついた戦闘所作に従って行動しているために、変に無駄がない。


 頭の中は件の中年探索者の事でいっぱいだ。


 真衣も翔子もこのダンジョン領域にあっては本領を発揮できないでいるというのに、比呂だけはまるで影響を受けていないようであった。


 これはこのダンジョン特有の悪性の精神干渉が、比呂が余りにもダンジョンを意識してないためにはじかれてしまっているのである。


 幽霊は自分から招かなければやってこないだとか、声をかけられても返事をしてはいけないとか、そういうアレコレにも通じる部分がある。


 だがやはり人間である以上限界はあった。


 特に大きな負傷をしたというわけではないが、比呂の動きがだんだんと鈍っていったのだ。


 といっても、これは単純な肉体疲労によるものだが。


 そして気が抜けたその瞬間、背に全身白塗りの小学生男子と思しき怨霊型モンスターが飛び乗り、その小さい両手を比呂の顎に掛けるやそのまま捻り殺そうとした。


 瞬間、翔子が念動で比呂の首を固定してねじ切られないように妨害する。


 同時に真衣が先ほどの比呂の様に刀を投擲し──……刀は勢いよくモンスターの口内へ飛び込み、後頭部を突き破った。


 ◆


「大丈夫だった? 狙いミスって比呂の顔突き刺したりしなくてよかったよ」


 真衣があっけらかんと言う。


「あの子供が鬱陶しいね。斃しても斃しても出てくる。それにただ出てくるんじゃなくて、さっきみたいに隙を突こうとしてくるからタチが悪いなぁ」


 ハァと疲れた様に言う翔子。


「ごめんね、ちょっと油断しちゃった。それに思ったより攻勢が激しくて……」


 比呂は辺りを見回しながら言う。


 3人がいるのは洋風のリビングだ。


 このダンジョンを脱出するためのキーアイテムである“日記”を探していたら、モンスターたちの襲撃を受けた。


 こういった怪異型のダンジョンでの襲撃は、ホラー映画の恐怖シーンをなぞるような手順で行われるのが一般的だが、なぜか今回はかなりアグレッシブに攻め立ててきた。


「とりあえずウェーブは防いだってことで! 少しは休めそうだし、休憩しよ。……って、そういえばさ、聞いた話なんだけどここ最近どこのダンジョンも様変わりしているというか、殺気が強くなっているというか、そんな感じなんだって。私も聞いた時はダンジョンなんてどこも危険だし、殺気が強くなるも何も、モンスターは全力で私たちのことを殺そうとしてくるから何を今更って思ったんだけどさ」


 真衣が珍しく深刻そうな顔をして言う。


「あんまり難化はやめてほしいなあ。強くなるにはうってつけかもしれないけど」


 翔子の脳裏に過日の雑司ヶ谷霊園の事がよみがえる。


 富士樹海の探索という目的を忘れたわけではないが、犬死にをするつもりもない──……そんな事を考えている翔子としてはあまり無茶苦茶な探索をしたくはなかった。


 ──確かにダンジョンの中は時間も距離も歪められて、ダンジョンで1日過ごしただけだというのに、外では3日も4日も経っていたみたいなことは珍しくない。だからもしかしたら、本当にもしかしたらまだパパとママが生きているっていう可能性もないわけじゃないと思う。


 だからこそ、と翔子は思うのだ。


 もしチャンスがあるならばそれは決して無駄にしてはいけないと。


 ダンジョンに挑めば挑むほど、体と心がダンジョンに適応していく。


 つまり強くなるということだ。


 富士樹海に挑むのは、この“強さ”を積み重ねてからでいい──……そう翔子は考えている。“強さ”を積み重ねている最中に死んでしまっては何の意味もないのだ。


 これはあくまで翔子の考えで、真衣も比呂も目的は同じだが、目的達成に至るまでのアプローチは各々異なる。


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「ねえ、どうする~? 探索続ける? 私は結構くたびれたしこのまま日記っていうのをサクッとアレしたいんだけど。確か日記を最後まで読むとやばいのが出てくるんだっけ?」


 真衣がソファに腰掛け、脚を組みながらけだるそうに言った。


 真衣の言う通り、このダンジョンから出るためには日記を物理的に破壊する必要がある。


 しかし最後までその日記を読むと、このダンジョンのボスとも言うべき非常に強力な女の怨霊と戦うことができる。


 怨霊の位置づけとしては、丙級上位のモンスターと言った所だ。


 どうもゲームめいているシステムではあるが、ゲームと違って死んでもコンティニューなどは出来ない。


「私は撤退に1票」


 メガネの曇りを拭き取りながら翔子が言った。


 こちらはリビングのドアを少し気にしながら、立って休憩をしていた。


「翔子、座らないの?」


 真衣の言葉に「そのソファ埃だらけじゃん」と返し、比呂の方を見た。


 このチームのリーダーは比呂だ。


 彼女が下した決断は──……


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「良かったぁ、比呂が帰るって決めてくれて。やっぱりさぁ、私はああいうネチネチ~! みたいなトコは好きくないよ。いつか戦った熊のモンスターみたいな、わかりやすいのがいいね」


 後部座席の真衣がほっとしたように言う。


 あれから比呂はそう長く迷うことなく撤退を決めた。


 余力が全くないわけではなかったが、比呂もどこか集中しきれない部分を自覚していたからだ。


 集中できない理由は件の中年探索者の事が頭から離れなかったためである。


 彼女も探索者という立場に身を置いている以上、場合によっては力及ばず未帰還者となる覚悟はできている。しかし死力を尽くして斃れるならばともかく、集中しきれなかったせいで隙を突かれて死ぬというのは抵抗があった。


 ──歳三さんはどうしているんだろう。


 2週間姿を見せないというのは、どうしても考えたくない可能性を考えてしまう。


 そんなことをつらつらと考えているうちに瞼が重くなってくる。


 後先考えずに暴れ倒したからだ。


「比呂、眠ければ寝ちゃっていいよ」


 運転席の翔子が前を向きながら言った。


「ごめん、少しだけ休むね」


 比呂はそう言って瞼を閉じた。

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