日常25(歳三、権太)
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夜。
靴洗いをすませた歳三は、もうずう~っとダラダラゴロゴロと過ごしていた。タバコを吸うかテレビを見るか、あとは屁でもこいているかくらいしかしていない。
しかし夕方頃、金城権太から呑みの誘いを受けたのでそれに応じた。
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「やあ、どうもこうして呑むのも久しぶりという気がしますなァ」
鷹揚に権太が言うと、歳三は頷いてビールを飲み乾した。
季節は夏、8月だ。8月9日と夏本番はまさにこれからで、ここ最近は猛暑日も連続しており非常に暑い。
そんな暑い日なのだから当然喉が乾く。
そして乾いた喉にビールが流し込まれれば、思うのだ。
──心は頭でもなく、胸でもなく、喉に宿るんだ。だってこんなにも沁みるじゃねえか
男二人で呑みともなれば別に雰囲気がどうこうと考える必要はなく、店は結局池袋北口の『超都会』であった。今日び珍しい24時間営業の安居酒屋である。
食券で酒や料理を買い、店内は分煙などしったこっちゃないとばかりにタバコの煙が立ち込め、客層はと言えば半グレや浮浪者やシャブ中、あるいは不良外人…とにかくろくでもない連中ばかりである。共通しているのは皆金がないという事だ。この店がなぜ食券制などという前時代的な決済方式を取っているかというのも、食い逃げ防止の為である。
また、この店は半地下となっており、その構造がまたどうにも辛気臭さというか、陰気臭さを倍増させている。
上の階には『珈琲公爵』という喫茶店が入っており、こちらはいつでも胡散臭い連中が胡散臭い話をしていたりする。店名こそお貴族様だが、モーニングでせいぜい700円そこそこという庶民向けの価格設定だ。ただ、内装は貴族のサロンのパチ物といった所で、上っ面だけは落ち着いている。
「ところで先日の、秋葉原の一件ですけどね。被害者の人らは命には問題なさそうですが、皆重度の薬物中毒でしてね、まあ入院ですわな。ま、治療といっても薬が抜けるまで拘束しておくくらいなものですが」
歳三はフゥン、と興味無さげに薄っぺらいマグロの刺身を口に入れた。
「ま、ま、そんなのはどうでも良いですわな。問題は下手人ですよ。これがね、皆死んでしまってね。佐古さん~、やってしまいましたなぁ。どうせあれでしょ?聞き取りの事なんて何も考えず好き放題殺っちゃったんでしょ?」
権太がそういうと、無関心そうだった歳三の様子が途端に落ち着かないものとなった。
「…てッ…手強い相手だった…。なにか、拳法のようなものを使ってきたんです。只者じゃなかったッ…!」
歳三が重々しく言う。手強かったから仕方ないというていで誤魔化すつもりなのだ。姑息な男、歳三。
「新宿の時も同じような事を言っていたような気が…ああ、あの時は気付いていたらみんな死んでいた、でしたか…。まあいいですが、ダンジョンをああいう風に使われるとどうにも後手後手になってしまいますねぇ…」
権太はボヤく。
実際それはその通りだった。秋葉原の時は、THE・カラテという人格がこの先に闇がいるだのなんだの妄想じみた事を口走り、それが的中していたからこそ奇跡的にチャイナヤクザ達の元へ辿り着けた。しかし、他の探索者チームが探索にあたっていた場合は最上階に行っても何も発見できなかっただろう。
ダンジョンの中には並行世界が幾つも存在している、という説は界隈では有名な話だ。ダンジョンとは物理的な三次元空間を超えた多次元的な空間であり、探索者はその中で自身の意志と認識によってそれぞれ異なる空間に飛ばされるのだ。
「佐古さんはもう知ってるとおもいますけど…ダンジョンとは厚さ数mmのガラス板を幾重にも重ねたものなんです。1枚1枚のガラス板こそがダンジョン領域ですよ。しかしそれほど世界が重なっているというのに、正面から見ればただ1枚のガラスしか認識できない。でもね、何かしらの目的意識をもって探索に臨む事で、この重なったガラス板を横から見る事が出来るンです。それが何を意味するかといえば、幾重にも重なったガラス板の一枚を任意で選ぶことを意味するわけで、このへんのカラクリが分かってないと、国内の調査は中々難しいですよ」
歳三もその辺の話は聞いた事があったので軽く頷いた。
複雑な話ではあるし、この辺を理解するには歳三の知能では中々難しいのだが、事はいかんせん仕事にも関わるのだ。歳三も歳三なりに話を理解しようと努力してはいた。
例えば救援依頼などは救援する側が救援対象を強く認識していないとまず失敗する。なぜならば同じ空間に行けないからである。
「かといって、探索者に周知するわけにもいかんのです。意識してしまうい事それ自体が毒となる案件ですからこれは。話を聞く限り、下級の探索者さん方に対応はできないでしょうねぇ…。犠牲がもりもり増えちゃうでしょうね。ならといって上級の探索者に公開範囲を限定したとしてもね、こういう話は広がるもんですよ。ま、調査部あたりで潰していくしかないですか…佐古さんも他言無用ですからね。そういえば、あの…DETVでしたか?彼等にも口止めはしましたが、やはりちょっと心配です。まあでも女性は賢そうだったということですし、命は惜しいでしょうから滅多な事はないと思いますが…」
歳三はそこまで深刻な話をこんな場所でしていいのかと不安になり、素早く周囲を見渡したが、幸いにも客は誰もこちらには注目していないようだった。
「ああ、範囲を絞っていますから。私の声は佐古さんにしか聞こえていないでしょうな」
何でもなさそうに権太が言うと、歳三は器用だなァと感嘆する。歳三本人も秋葉原のダンジョンで似たような事を中華ヤクザにやって、声どころか死を届けてしまっているのだが、その辺には気付いていなかった。
「さて、もう一杯頼みますかねぇ…佐古さんも呑みますか?」
歳三は頷き、権太に金を渡した。
食券制なので追加の酒も一々券売機までいかねばならないのである。
権太が席を離れると歳三は何とは無しに天井を見た。
配管が剥き出し、ヤニで変色した汚い天井だ。
そんな汚い天井を一匹のゴキブリが這っている。
歳三は手筒を作って口内に空気を含ませた。
中年オヤジがリスの様にぷくりと頬を膨らませても滑稽なだけなのだが、これは攻撃に必要な準備動作だ。
ポゥッ、というような声を出す要領で空気の弾丸を発射。
狙いはあやまたず天井のゴキブリに命中し、ぱぁんと弾けて散った。ゴキブリクズがぱらぱらと下に落ちていく。
一寸の虫にも~…などといった言葉は歳三も知っているが、飲食店に出たゴキブリは虫ではなく敵である。
そして、敵には容赦しないのが歳三という男であった。
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