日常48(権太、歳三他)
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──あれ?やる気はあるのか
歳三からのメッセージを見て権太は思う。
──しかし、大した自信だ。必要以上に相手を傷つけてしまわないか、とは
佐古歳三は強い。それを権太は知っている。歳三が成し遂げてきた多くの実績がそれを物語っている。しかし、あくまでも依頼達成率などから理解しているだけで、それがどの程度の強さなのかを具体的に知っているわけではなかった。
第三買い取りカウンターで、権太は足を組んでソーセージの様な太い指でくるくると小器用にボールペンを回していた。
この時代、紙とペンというのは廃れて久しいが、権太はいまだにそれらを愛用していた。
ちなみにこの時代の端末はそのほとんどがマインドデスクトップが利用可能である。マインドデスクトップとは脳波によって端末を遠隔操作するというもので、ニューヨーク大学の博士研究員とイスラエルのベン=グリオン大学の研究者たちによって開発され、現在ではユーザーインターフェースのデファクトスタンダードとなっている。
「あの」
小さい声が権太の耳に届いた。
見ればカウンターの向こうに青年が一人立っている。知らない顔ではなかった。最近探索者となった戌級だ。青年の背後には3名の男女がいた。仲間なのだろう。
権太は眉を上げ、どうもどうも、と返事を返す。
「依頼を幾つか受けたンですけど、ちょっと…」
「ちょっと?」
「状態が良くないモンがあって、どうかなと」
ああ、と権太は頷き、まずは素材を見せてくれるように青年に言った。荷袋からは一見すればガラクタにしか見えない物品がゴロゴロと出てくる。
例えば薄汚れたフェイスタオル大の布切れ
例えば壊れかけた写真立て
例えば先が折れた果物ナイフ
例えば表面に黴が生えた木切れ
これらは傍目には何の価値もない様に見えるのだが、布切れは実際にはただの布切れではない。布に使われている繊維はケブラー繊維より遥かに強靭だ。
写真立てに使われている汚い木材も普通のものではない。これを焼く事で発生する煙を吸い込むと、皮膚感覚と粘膜感覚が増大する。何に使われるのかといえば、ナニに使われるのだ。
当然ながら果物ナイフもただのナイフではない。至近距離から一般人用の銃器で刃の腹を銃撃しても圧し折れることはないだろう。
木切れはただの木切れだが、この黴は生物に長時間触れる事で同化し、肉体の一部となる。医療現場で重宝される素材だ。
薄手の手袋をはめ、青年が広げた素材を検分していく。他の仲間達もそれぞれ荷袋があるようで、権太へと渡していく。権太はそれらの素材を素早く検分していき、最終的にコンビニのバーコードリーダーのようなものを取り出して素材へ当てていく。もう何百回、何千回と繰り返してきた行為であった。
「まあ、問題はないでしょう。ええと、はい…はい。依頼達成ですね。功績値を加算して…はい、報酬は依頼達成報酬と素材買い取り金と合算して…102万円ですね。どうしますか?振込か手渡しかを選べます。金額的にどちらが得だとかそういう事はありませんが、手渡しだと数分待ってもらう事になります」
おお、と声が響く。
戌級探索者にとってこの額は大きい。
4人で朝から午後まで7時間程探索して、実入りは102万円。一人当たりの時給は約36400円だ。戌級ダンジョンといっても死ぬ時は死ぬ。この時給が良いと見るか悪いとみるか…。といっても戌級ダンジョンの死亡率は林業のそれよりやや高い程度なので問題はないだろう…というのは協会上層部、ひいては政府のダンジョン筋の見解である。
ちなみに権太はこの時、青年探索者達に特に何も嫌味ったらしい事は言わなかった。権太は嫌われているというか、どこか避けられている部分がある。それは如何にも悪役ハゲデブ親父めいた外見もそうだが、彼はとにかく細かいのだ。
素材が損傷していると見るやガンガンと減額をしてくる。探索者となるメリットもデメリットも大きいが、金というのは大きなメリットの一つである。その金をガンガンと減額してくる権太は探索者にとって疎ましい存在であることは間違いない。更に言えば、雑な仕事…例えばもっと丁寧に採取できた筈なのに、そうしなかったという場合などは説教が始まるのだ。
どれ程強気な探索者であろうと、職員に無体な真似は出来ない。もし権太のシャツの襟首でもつかもうものなら、たちまち武装職員が駆けこんできて取り押さえられてしまうだろう。
殺されるという事はないが、研修を受ける義務が発生する。研修をすっぽかしてしまった場合、報酬振込口座が差し押さえられ、更に各種身分証明書の効力が失効し、Stermの機能も停止する。更に更に更にこれまで探索者割りという事で格安で受ける事が出来ていた治療費用や各種割引などというものが、過去に遡及して請求されたりもする。
ちなみに協会職員が探索者に無体な振る舞いをしても
「じゃあ、て、手渡しで!」
青年が言う。青年にしても権太の噂は聞いていたが、他のカウンターは混みあっていた。整理番号を見れば、1時間か、2時間か、それ以上待つ可能性もある。ゆえに苦渋の決断なのだ。
青年、そして仲間達は疲弊している。戌級ダンジョンを戌級探索者が探索する難易度というのは、しっかり身を守れる防護服を着こんで金属バットを携えて、気が狂った様に暴れるピットブルを撲殺した事のある者には分かる事だが、大体その程度の疲労感を心身にもたらす。
池袋本部は人が多いのだ。時間帯によっては数時間は平気で待つ。この辺の事については、慣れた探索者ならば敢えて別の支部へ持っていくこともある。特に都内なら都心西側には新宿渋谷と協会支部があり、東側にも当然いくつかあるため、移動時間を考えれば別の支部へもっていくほうが時間が掛からない事もままある。
ちなみに権太のカウンターはスカスカであり、並んでいても数人だ。
手渡しと聞いた権太は手元の端末に何事かを打ち込む。
すると数分後、スーツ姿の男性職員が奥の部屋から現れた。手には封筒を持っている。
封筒は権太に渡され
「どうぞ」
権太はどこか芝居がかった仕草で恭し気に青年に手渡された。
素材は特に減額などをされることもなく、適正な価格で買い取られた。戌級だからとおまけしてあげたわけではなく、無機物系ならばこのようなものだ。有機物系だとちょっとしたことですぐ減額されてしまうが。
朝一番から昼過ぎまで働いて一人頭約25万円が貰える!
この事実に4人の戌級探索者達は表情を綻ばせた。
探索者ってもしかして最高の仕事?と思っているのだろう、と権太は思う。だが1年後、かなりの高確率でこの4人は3人、もしくは2人、あるいは1人だけとなり、最悪全員がいないという事もありえると知っている権太は…
──そろそろ保険を勧めておかないといけませんね
などと考えていた。
探索者向けの保険である。
医療費は協会所属の探索者というだけである程度減額されるが、それでも負傷の程度が酷いと支払い能力を超える可能性がある。そのための保険であった。
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一通り仕事も済み、権太は歳三へ返事を返した。
『お相手もダンジョンで鍛錬を積んでいるそうですから、余程の事がない限り死んだりしませんよ。現地には協会からも医療班を出していますしね。それに万が一亡くなってしまったとしても、刑法第35条の正当業務行為に該当しますので罪には問われません。この辺はボクシングとかと一緒ですね』
心配性だなと思いつつも、権太は歳三の事を考える。
──彼は優しい。優しすぎる。そして優しいゆえに心が脆い。それがいずれ彼の首を締める事にならないといいのだが
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──お、金城さんから返事がきたか
電車の中で歳三は端末のディスプレイを見て、そして安心した。
──なんだ、相手もかなり鍛えてるから平気なのか。それに死んでも大丈夫なんだな。助かる!警察沙汰だけは二度と御免だぜ
などと、割り切る歳三。
歳三は別に優しいわけではない。歳三は白黒思考なのだ。概ね良いか悪いかでしか物事を考えられない。ASDだとか発達障害だとかによく見られる特性だ。勿論そういった障害ではないにも関わらず白黒思考の者もいる。だが、歳三については協会のカウンセラーが発達障害のケがあると診断していた。
歳三は調子がいい時は鬱陶しい調子コキ麻呂といった風情なのだが、何かトラブル、失敗が続くと延々とそれを引きずる。自分がまるで世界で一番の役立たずの糞雑魚ナメクジのような気持ちになってしまう。そんなネガティブ沼に陥った歳三は、誰が励ました所で無駄なのだ。歳三本人が納得して克服しなければならない。歳三にとって納得とは、精神の色合い全体に関わる極めて重要な事なのである。
そんな歳三にとって、赤の他人というのは生きようが死のうがどうでもいい存在だ。傷つけてしまわないか、殺傷してしまわないかを心配するのは、相手の身を案じているわけではなくて刑事事件にならないかを心配しているだけである。
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※探索者の住まい事情※
探索者は超人であり、その暮らしぶりも豪勢なものだ。
しかし、戌級は勿論、丁級の下位あたりになると一般人と大して変わらない。築40年、風呂無し月3万円の安アパートで生活している戌級探索者も珍しくはない。流石に丁級ともなるとマンション暮らしになるが。ちなみに丁級でも上澄みとなればタワマン暮らしもいないでもない。
丙級ともなると、賃貸というのは珍しくなってくる。大体が持ち物件だ。
乙級ならば国内各地に拠点となるセカンドハウス、サードハウス…と複数持っている者がほとんどだし、甲級はその範囲が世界各地に広がってくる。
ちなみに乙級探索者の歳三はオンボロマンションだ。内装は手を入れているが、外見は酷い。歳三は各種の契約事がおっくうだし、別に不便なわけでもないから引っ越すつもりがないのである。
また、これは歳三に限った事ではないのだが、世の中には現実的な行動が出来ない者という者も存在する。
現実的な行動とは要するに、税金の申告だとか各種の契約事だとか、冠婚葬祭のあれこれだとか…そういうことだ。社会人として心得ていなければならないアレコレを、歳三という男は酷く苦手とする。彼の戦闘能力と社会への適応能力は反比例しているのだ。
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