色の炎

 ◆


 渡り廊下の先は、漆喰めいた壁に囲まれた小部屋だった。


 古臭いデザインのテーブル、いくつかのパイプ椅子。


「僕が覚えている限りでは、そこの……」


 蒼島が左手に見えるドアを指さす。


「向こう側に、僕らが最初に閉じ込められた空間が広がっていると思います」


 あの箱か、と歳三は頷く。


 ムショ用語で言うところの「びっくり箱」だ。


 囚人たちは私語を交わせないようにそこに閉じ込められ、身体検査の順番を待つ。


 そして身体検査で身ぐるみ剥がされて、受刑者用の舎房着に着替えるのだ。


 つまり装備品などもその周辺にある可能性が高い。


「捨てられてないといいんだけどな」


 これでいて物を大切にするタチの歳三が不安そうに言う。


「歳三さんは装備があってもなくても、そこまで戦闘能力に変わりはないように思えますけど、僕はやっぱり素手だとあまり力になれなくて」


 蒼島が申し訳なさそうに言った。


「いや、俺も装備は大事で……なんていうか、気分が違うんだ」


 歳三の戦闘能力からすれば、装備品などあろうがなかろうがどうでもいいように思えるが、意外なことに歳三もちゃんとした装備を身につければ、その分戦闘能力は向上する。


 サラリーマンがスーツを着るのと同じようなノリで、探索するならするなりの恰好じゃないと気分が乗らない。


 色々と感情に左右されるタチの歳三には、その辺はとても大事なことだった。


 歳三は別にそこまで深く考えて言ったわけではないが、蒼島は例によって深読みをしてしまう。


 ──肉体は既に錬磨されきっていて……鍛錬を残す余地があるのはもはや精神のみということか


 別に間違ってはいないかもしれないが、どうにもシリアスに考えがちになってしまうのは、歳三の強さに影響されたものの常であろう。


「そうですか……じゃあ無理に付き合わせている、ということじゃないんですね。少しだけ安心しました」


 蒼島にも矜持はある。


 というより、人よりはるかにプライドが高い彼であるから、憐れみをかけられることを特に嫌悪する。


 しかし彼自身にも計り知れない理由で、歳三からかけられるそれは蒼島の心を色づかせ、彼は心中ほの温かい思いを覚えるのだった。


 ◆


 今度はドアが開かないということはなかった。


 開けてみれば、そこは広い空間で、数多くの受刑者とおぼしき男女が力なくうつむいていくつもの行列を作っている。


 広間の奥には縦2.5m、横1mほどの棺桶めいた木箱がずらっと並んでおり、箱の中からは苦悶、怨嗟、慟哭のうめき声が広間中に響き渡っていた。


「これは……何というか、すごいですね」


 蒼島が眉を顰めながら言った。


 部屋中に広がる陰気な負のオーラは、根が陽キャサンライズ気質にできている蒼島には耐えがたい。


 ──なんだか超都会みたいだな、落ち着くぜ


『超都会』とは池袋北口を出てすぐの所にある24時間営業の居酒屋だ。


 元探索者の親父が経営しており、安く、そして時間を気にせずにまずくて薄い酒が飲める。


 まあ大枚をはたけば高級で美味い酒も飲めるが、そういう酒が飲みたい者は別の店に行くだろう。


 犯罪者、金がない低級探索者、住所不定、無職が集うスラムのオアシス──客層が良いとは言えないかもしれないが、日の当たらない場所でしか生きられないジメッとした人種というのもたくさんいるのだ。


「なあ蒼島さんよ、俺たちどうも視られてるみたいだけど」


 歳三の言葉通り、何体もの看守が二人をじっと観察していた。


 まあやる気はないみたいだけどな、と歳三は言うが、蒼島からしたらたまったものではない。


 ある程度冷静に相手を観察できるようになって初めてわかることだが、看守の一体一体から感じる圧は、蒼島がこれまで対峙してきた乙級相当のモンスターを遥かに凌駕するものだった。


 ◆


 ──もし戦闘になれば、歳三さんでも……


 冷たい汗が蒼島の頬を伝った。


 次の瞬間、自身の怯懦に憎悪にも近い黒い感情が湧き、精悍な相貌に餓狼の気配が漂う。


 そんな蒼島の戦気を感じ取ったか、看守たちも傍観の姿勢を崩し、圧をより強く二人へと注ぎ始めた。


 そんな臨戦の風吹き荒ぶ場を搔き乱したのは、歳三の一言である。


「なァ、俺たちの持ち物はどこにあるのかな。仕事の邪魔をするつもりはないよ」


 臆した様子はなく、自然体だ。


 歳三の中には──この黒いもやもやは確かに戦いは強いかもしれない。強いやつと戦えば自分の男がピカピカに磨かれるだろう。だから戦うんだったら戦うんでそれでいい。でもさっきあった黒いもやもやは自分たちを敵ではなく邪魔者のように見ていた気がする。確かに仕事の邪魔をすれば邪魔だからな……といった思いがあった。


 まともな社会人になるという夢を諦めてない歳三だ。他人様の仕事の邪魔をするという行為に強い罪悪感を覚えるタチなのだ。


 そんな歳三の思いが看守に通じたのか、看守たちは圧を僅かに弱め、次の瞬間には広間の一角にある扉が軋んだ音を立てて開いた。


 錆まみれの金属製の扉だ。


「あっちか。悪いね」


 歳三は言うなり、蒼島を見て「行きましょうぜ」と声をかけた。


 ・

 ・

 ・


「蒼島さんは結構、その、戦いが好きだったりするのかな」


 意外だなと思いながら歳三が尋ねた。その声色は恐る恐るというか、どこか遠慮がちだ。


 蒼島は歳三の意図がよくわからなかった。


「好き、ではないと思います。でも戦いを避けては強くなれないと知りました」


 確かに、と歳三は思う。


 だがそれはどうにも危うい様にも思えるのだ。


「俺も昔、蒼島さんみたいなカンジだったんだけども……まあなんていうか、それで大きな失敗をしたことが、うん、あってね。やばい時は全然逃げてもいいと思うんだ、その……俺みたいなのにこんなことを言われると嫌かもしれないけど……」


 バトルジャンキーにも2種類ある。


 戦るべき時は戦る者。


 戦るべき時でなくても戦る者。


 今の歳三は前者だ。


 しかし過去の歳三は後者であった。


 ◆◆◆


 ──なあ佐古ちゃんよ、あんたもうウチから出ていってくれよ


 チームのリーダーがそんなことを言った。


 歳三が戌級の依頼をいくつかこなした時、彼のポテンシャルに気付いてスカウトをした男だ。


 見た目はチンピラだが仲間思いで堅実な探索を旨とする男だった。


 ──な、なんでだ? 


 当時25歳だった歳三が狼狽しながら尋ねる。


 ──先週の探索だけどよ、佐古ちゃんなんでタケのやつを見捨てなかった? モンスターの群れに飛び込んでいったよな。俺は逃げろっていったぜ。タケだって自分がトチったのを分かってた。だからあいつも助けてくれとは言わなかっただろ。


 ──それは、タケくんを助けたいと思って……


 ──違うな、佐古ちゃん、滅茶苦茶笑ってたじゃねえか。自分だってあの犬コロにガブガブ噛みつかれてよ、傷だらけになってたってのに大笑いしながら戦ってたよな。タケの事なんて見向きもしなかったぜ


 男はなおも続ける。


 ──多分、佐古ちゃんは戦う事が大好きっていうより、戦う事に存在意義を感じてるんだな。普段はしみったれてるくせに、あの時はイキイキしてたもんな。佐古ちゃんはもっともっと強くなるよ。間違いねぇ。探索者ってそういうモンだからな。俺だって男だ、探索者だ、強くはなりてぇ、が。佐古ちゃんと一緒にいると、俺たちは死んじまうだろうなあ。佐古ちゃんはあの時、タケの事も俺たちのことも一切見ずに、あの犬コロ共だけを見ていた。今回は生き残る事ができたけどよ、いつか佐古ちゃんは俺たちじゃとても勝てないモンスターにも挑んでよ、俺たちはそれに振り回されて死んじまうんだろうなあ。でも俺は死にたくない。だから佐古ちゃんよ、出て行ってくれ


 ◆


 ぐう、っと歳三は俯いた。


 ひどく意気消沈しているようだ。


 いわゆる思い出し落ち込みというやつである。


 過去の辛い出来事を思い出して勝手に落ち込む──ひどく迷惑な行為。


 似たような行為に思い出し怒りがあるが、こちらも人からとても嫌われる。


 単に先輩探索者として一社会人として極々当然の忠告をしただけ──と歳三は考えていたのだが、その際にうかつにも負のメモリーを思い出してしまったせいで悲しい気持ちになってしまった。


 歳三にとっては蒼島はたまたまダンジョンの中で会った顔見知りくらいの存在で、別に蒼島に対して特別な感慨を抱いているわけではない。


 むしろ顔が良くて陽キャめいている蒼島みたいな者は苦手とすらしていた。


「歳三さん、僕の事をそんなに……」


 だが、蒼島は酷く感じ入った。


 ──この人は、強いだけじゃなくて優しいんだ


 同時に、ふ、と世の中ままならないものだなとも思う。


 ──もし僕がこの体となる前にあなたと知り合っていたら


 あるいは何もかもを捧げていたかもしれない、と蒼島が思った時。


 蒼島の下腹部が、ボウと熱を孕んだ。








-------------------------

彼は元々女性なので、つまりそれはホモではないということです。

看守は条件満たすと攻撃してくるスタンドみたいな感じです。そういうのって結構強いイメージですよね。

 

 

 ◆


 黒猿から奇襲を受けた時、片倉の心はその凶手を甘んじて受けようとしていた。


 宙を割き迫りくる鋭い爪に飛び込み、命の源泉である血をこれでもかと流し切ってしまいたかった。


 しかし片倉の体はその意に反して、黒猿の強靭な生命をその一片に至るまで削り切ろうと的確に動いた。


 齢30を過ぎて片倉は戦闘者としての全盛期を迎え、その肉体に刻み込まれた戦闘経験値は、片倉が死を意識すればするほど力強く彼の生を躍動させる。


 片倉には凶方が分かる。


 どこからどう "死" が近づいてくるのかが分かる。


 それを認識した瞬間、彼の肉体は死を拒もうと適切に動く。


 希死の念と探索者としての戦闘本能が絶妙に合わさった時、残るのは己の本懐(自殺願望)の成就ではなく敵の骸のみであった。


 ◆


⇒⇒⇒【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】作:NIWA~ネオページにて独占連載中!~

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る