魔胎③~胎動~

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 蟲!


 蟲!!


 蟲!!!


 広いドウムの内部は端的に言って地獄であった。

 無数の蟲が跋扈している。

 ただの蟲ではない、悍ましい人面人頭の怪蟲である。


 宙を飛ぶ蟲、地を這う蟲、壁に張り付く蟲。


 この蟲の群れも、元は人である。


 彼らはダンジョン化現象によって巻き込まれ、人でいられなくなってしまったのだ。


 だが、皆が皆モンスターに変貌してしまったというわけではない。旭 道元によって噴霧されたナノ・ポイゾナスミストによってその命を落とさなかった者達は全員ではないものの、一定数は人の姿を保つことができていた。


 そういった者達の殆どがダンジョンでの探索経験がある者達だ。こういった者達は一般人に比べて当然体力があるし、体力があれば毒によって死ぬ可能性も減る。


 とはいえ、毒物そのものに対する耐性があるというわけではないのだが。身体能力に於いて一般人を超越する探索者などであっても、薬物の類は影響を及ぼす。


 逆に、毒で命を落とさずともモンスターへと変貌してしまった者もいる。


 生き残ったにも関わらず変貌した者、していない者。

 この両者の間に何か違いはあるのだろうか。


 勿論ある。しかし少なくとも今現在、この場に居る者にはその理由は分からない事であった。


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 歳三が周囲へ目をやると、様々な形態の蟲が視界に入る。


 どれもこれもが悍ましい。

 不気味だ。

 怪物である。


 しかし、歳三が注目したのは蟲の姿形ではなかった。


 ある蟲は別の蟲と手を繋いでいた。


 ある蟲はママ、ママ、と甲高い声で泣き叫ぶ。


 ある蟲は、ある蟲は…


 蟲たちは元は人で、それぞれの人生があったに違いない。愛する恋人や家族がいた者もあっただろう。


 しかし今はその姿を変えられ、不気味なモンスターと化している。


 そして意識もモンスターとしてのそれに侵食され、もはや正気とは言えまい。


 彼らは悪夢に捉えられ、その住人となってしまったのだ。


 もはや彼らからは、人としてのあらゆる自由が奪われた。


 歳三はそんな彼らを無言で見つめ、ふと何かを思い出した。


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 国木田独歩の作品に「星」という作品がある。


 学生時代の歳三は歳三は「星」が好きであった。


「星」は郊外に住む若い詩人、その彼の庭を訪れた天上の恋人たちについての物語だ。


 詩人は四季折々の自然の美しさに囲まれた庭で日々を過ごす。


 冬には彼と老僕が七日間に渡って落ち葉を燃やし、その炎と煙は、冷えた夜に天から降りてきた星人たちに温もりを与える。


 最終夜に星人たちは、詩人に感謝の意を示し、彼が眠る間に彼の枕元を訪れる。そして、詩人の枕元に刺繍を見つける。


 ──我が心、高原ハイランドにあり


 星人の乙女は感動して涙を流す。そして詩人に何かを囁き、優しく別れを告げて去っていく。


 翌朝、詩人は夢の中での出来事を思い出した。夢の中で星人の乙女はこういったのだ。


 ──恋を望むか、自由を願うか


 詩人は答える。


 ──自由の血は恋、恋の翼は自由なれば、われその一を欠く事を願わず


 星の乙女は優しく微笑み、西の空を指差した。


 詩人は早朝、丘に登る。西の空に求めるものを見る事ができる、そう思ったからだ。


 果たして詩人は丘上で、二つの小さな星を見た。


 やがて東の空が金色に染まり、星の光は消えていく。


 朝日が昇り、遠く連山が姿を見せた。


 山々は雪を纏う。その淡さは夢よりも儚い、まるで夢の残り香であるように詩人には思えた。


 それに対して詩人は涙し、まるで恋する様に、そして憤ったかのように声を張り上げ、「わが心高原にあり」を謳い、「いざ去らば雪をいただく高峰」と句を継いだ。


 現実に生きていては望むべくもない美しい恋、それに憧れる気持ちもある。しかし、現実もまた自身にとって失う事の出来ない大切なものなのだ。


 詩人の憤りにも見える様子は、あるいは共に掌中に出来ないもどかしさが所以なのだろうか?


 だが思いとはそれを果たせなくとも、どこまでも無限に広げる事ができる。


 夢、現実、そして恋、自由。


 その全てに思いを馳せる詩人の姿がやがて朝日に照らされ黄金に輝く。


 蒼空の下にみる詩人の姿こそ、まさに「自由」の姿であった。



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 この話を思い出したのだ。


 なぜ思い出したかは歳三自身にも分からない。


 しかし、地獄の悪夢に捕らえられ、家族への、恋人への、友への愛を歪められてしまった元観客達が狭苦しく窮屈で、苦しそうに見えた。


 にたりと邪悪に嗤う口元を見ても、本当の彼らは殺戮欲に浸るモンスターなどではないのだ。


 彼らを悪夢から解き放ち、自由にする…現実へと導いてやらねばならない


 そんな思いが歳三の胸を去来する。


 歳三は前髪に手を伸ばし、暫時何かを思案してから手を後頭部へ回した。


 そしておもむろに襟足の毛を何本かむしりとって、ガイアンツの名投手、尾郷 流星を彷彿とさせるダイナミックでアグレッシブな投球フォームを取る。


 尾郷 流星。右投げ右打ち、最大球速172キロ、最大落差107センチの恐るべきフォークを武器にする怪物投手である。歳三は彼を推しており、だからこそ貧打貧打ド貧打のガイアンツに歯がゆい思いを抱いている。


 それはともかくとして、歳三は握りしめた毛髪の一房を凄まじい腕の振りと共に投球…投髪した。


 歳三の髪の毛は何だかパサパサしていて白髪混じりで、いまいち清潔ではない印象を受けるが、その強度は歳三の肉体強度に準拠している。


 アラミド繊維など話にならない強度と硬度を持つ馬鹿みたいな髪の毛だ。これを馬鹿みたいな速度で投擲するとどうなるか?


 勿論、髪の毛のような軽量なものはF=ma…ニュートンの運動の法則によってその運動エネルギーは著しく減衰する。


 例えば先に述べた尾郷投手が172キロの速球を投げる要領で髪の毛を放っても、こんなものは味噌っぱのようなものだろう。


 しかしそれが172キロではなく、12350キロならどうであろうか?凡そ音速の10倍である。


 こうなると、例え髪の毛の様な軽量な物体であっても……


 ──投法・星打ち


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「な、なんなの…」


 生き残りの一人、内部破壊を旨とする印伝流の拳士にして旭真大館東京支部所属、黒峰 しゑ7段は慄く。彼女の左腕はちぎれかけている。


 羽虫・モンスターの群れに襲われ、これを辛うじて撃退したが不覚を取ったのだ。


 そして、しゑに寄り添うにように死角を守っていた旭真大館東京支部所属、高橋 一真6段も無言で小爆発の連弾を見つめていた。


 大挙して襲い掛かってくる蟲群…まるで死の黒霧に見えるそれの中心部で、いくつもの閃光が弾けていく。


 数百、数千の爆竹を同時に鳴らしたような音が響き、小規模な爆発が宙空で何度も発生した。


 歳三の髪の毛が空気抵抗によって熱され、急激に温度を上昇させて次々爆裂している。


 歳三はこの技を余り好まない。


 というのも、髪の毛が減る事によって禿げてしまうかもしれない為である。


 しかし今回は事情が違う。


 強力なモンスターが数の暴力を以て襲い掛かってくる…さらに、被救護者までいるとなっては手段を選んではいられなかった。


 果たして歳三が忌避するほどの飛び技は、歴戦の大会参加者を嬲り殺し寸前にするほどの恐るべきモンスター相手にも功を奏した。


 星が弾ける。

 モンスターも弾ける。


 星が爆砕する。

 モンスターも爆砕する。


 カッ飛ばした髪の毛が炎の軌跡を描いてモンスターを貫き、爆死させていく…。


 そんな事が何度も続き、鳴動。


 どくん、という低く、肚に響いてくるような重い音。


 いや、音というより胎動だろうか。


 大挙して襲い掛かってきていたモンスター達がここで動きを止める。


 蟲たちの注意がドウムの一点に向けられる。


 そこには大きな黒い繭…のようなものが鎮座していた。





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今に始まった事ではないですが、本作のあらゆる解釈、とんでも説明は全部適当です。いきなりどうでもいい事を書くのも意図的なものです。

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