魔を宿す①
◆
ダンジョンのモンスターと
──そんな時、俺は嬉しくなる
歳三はそんな事を思いながら、魔蟲・道元から放たれた上段蹴り、中段蹴り、下段蹴りの三連脚……体感的にはほぼ同時にしか感じられないそれを、歳三は短足に月輪を乗せて一払いに捌き切った。
宙空に描かれた
しかし道元はそれを見てほくそ笑む。確かに人間風情にああも美事に防がれたのは不快だが、代償は……
──それなり、じゃな。儂も無傷とはいかなんだがしかし、儂にはチャクラによる賦活がある
歳三の脚は膝から下の皮膚が所々破れ、赤々とした肉が見える。明らかに戦闘機動に支障が出る程の傷だ。
しかし歳三には協会謹製のアレがある…が、道元もそれは一度見ていた。
地を蹴り、歳三から距離を取った道元は五指と五指を触れ合わせる。
そう、両掌が丁度円を描く様に。
そして二本の長い触角がうねったかとみるや、バチリと電気を帯び、両掌の周辺に磁界を発生させた。
──旭真大館空手道・日輪、気風殺
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蛮のこめかみに青筋が浮かぶ。
怒りを覚えたのだ。
怒りの矛先が誰に向けられているのか。
歳三にではない、道元にでもない。
ほかならぬ、自分自身にそれは向けられていた。
先程の攻防、電光石火の三連脚を歳三の代わりに自身が受けていたらどうなるかは用意に想像が出来る。
──ただの一撃でも防げるかどうか怪しい所だ
怒りつつも現実から目を逸らすことはしない。蛮もまたダンジョンで鍛錬を積む事でその身を鍛え上げた猛者だが、その力の根源は "不退転"。自身の心を裏切った時、ダンジョンはその者を見放すだろう。
かつて若返りの願いを抱いていた道元が、それまでの業の積み重ねが喪われるのを惜しんで次善の願いに甘んじた時、ダンジョンによる干渉が停止した様に。
もしこの時道元が真の願いに準じていたならば、ダンジョンはその意気を佳しとして、積み重ねてきた業はそのままに道元の身に絡みつく時の重しを多少なり取り除いてくれていただろう。
ちなみに歳三に対しての干渉が喪われるとするならば、彼が真っ当な社会人となる、一般社会に居場所を作るという思いを捨て去って、得た力を我欲のままに振るったその時である。
ただ、その危惧は今の所存在しない。それだけの欲を外に向かって発するほどに歳三のコミュニケーション能力は高くない。
◆
道元はコォ、と音をたてて吸気する。
吸気は体内で化学反応を起こし、特殊なガス状の気体へ変じる。そのガスをさらに体内で高圧縮し、極度に加熱することでプラズマ状態に変える。プラズマとは物質の第四の状態で、原子の電子が剥がれ落ち、正のイオンと自由電子が混在する高エネルギー状態の事だ。
道元の両掌は砲口の役割を果たす。
また、触角から発せられる電気は両掌の周囲に磁界を発生させ、プラズマのエネルギーが空中に逃げないようにするための蓋の役割を果たす。
ここでプラズマのエネルギーを拡散させてしまうと、業の威力は大きく減じてしまう。道元は感覚的にこの精密作業をやってのけた。
そして自身の掌で形作った "日輪" に息を吹き込む事で、軌道上のあらゆる物体を薙ぎ払う恐るべき白銀の一閃を放つ──…それこそが旭真大館空手道・日輪、気風殺。
これも元はと言えば空気の塊を飛ばして相手の出鼻をくじく程度の技なのだが、魔に転じた道元が使えばこの様な事になる。
◆
道元の口元に生じた "光" を見て、蛮は反射的に脳裏にとあるイメージを描いた。
白銀の衣を纏った死神が邪悪に嗤い、宙を駆ける姿だ。。死の具現、恐怖の象徴。およそ人が抗える存在ではない事を蛮は本能的に理解した。
ハッと歳三を見やれば、当の歳三はどうやら道元の業を迎え撃つ構えの様だった。
馬鹿な!躱せ!あれを受ければ貴様でも死ぬぞ!……とは蛮は言わない。説得や警告をする時間はない。傍らの摩風をみれば、その禿頭に大量の汗を浮かべて何やら唱えていた。
蛮は即座にこれが死に対する諦めの念仏ではなく、いわゆる難局を打破しようという攻めの念仏であることを看破する。
まあ実際は真言なのだが。
若かりし頃の蛮は今よりもっと調子コキであった為、国内の猛者にかたっぱしから果たしあいを挑んだのだが、そのうちの一人が摩風である。それから色々あって、摩風とは交流を持つ様になったのだが、蛮が知る限り摩風という老僧は極めて諦めの悪い老人だ。
恐らくは何かを仕掛けるのだろうと蛮は考え、そうであるなら何を仕掛けるのか、その仕掛けが成った時、一体状況がどのように変わるのか、そして自身はどのように介入すべきかと思案する。
蛮という男の何が優れているかと言えば、強靭な肉体や臨機応変の戦術、各界につながるコネクションよりもなによりも、この戦術思考の早さだろう。
──アレだな。飛び道具…それがエネルギー状だっていうなら、アレでなけりゃ受けられねぇ。あの男が死ねば道元をぶち殺す事はできん。奴を護り、立て直す。頼むぜぇ、爺さんッ!
蛮は駆けだす。初速から全速への移行までコンマ数秒、チーターのそれを凌駕する加速を見せ、蛮は歳三の眼前に躍り出た。
両掌を見せつける様にして、腕を交差。つまり×の形だ。そして腰を落とし、スタンスを大きく取る。
これこそが凶津 蛮が使うもっとも受け技、対エネルギー攻撃に特化した "真空受け" の前段階、"空構え" であった。
両掌で "空" を掴み、毟り取り、局所的な真空地帯を作り出し、エネルギー攻撃をそこへ誘導して被弾を防ぐという絶技だ。これと同じ事が出来るものはそうはいないだろう。
──だが、俺もそれなりのダメージは覚悟する必要がある。しかし、負傷はあの男が持つ治療キッドを使ってどうにかする。あの男も俺が死ぬ事は望むまい。奴からすれば俺も救護対象らしいからな…舐めた話だが
蛮は自分が被弾してもなお生きている前提でものを考えているが、不運が重なり敢え無く死んでしまう可能性も十分考慮に入れている。
◆
旭真大館空手道・日輪、気風殺を放つ際に注意しなければならないことは、電気を帯びた触角よって磁界を形成し、プラズマのエネルギー拡散を防ぐ事だ。
これには多大な集中力を要し、それが "溜めの時間" となって隙となるのだが、歳三にはその隙をつくことができなかった。
歳三が負った傷もまた深く、本来の機動力を発揮すれば傷が開き、最悪の場合脚がちぎれ飛ぶ恐れがある。
とはいえ一切移動ができないというわけでもなく、回避行動を取るくらいは当然できた。しかし、その背の先には観客席。しかも怪我人と思しき人間たちがいる。彼等も歳三たちの戦闘を見ており、その場を離れようとはしているのだが、ままならない。
蟲たちが移動を許さないような立ち回りを見せていたからだ。退路を塞ぐような蟲たちに指示を下しているのはもちろん道元であった。
歳三はそれを卑劣だとは思わない。歳三も同じ立場なら似たようなことをするだろう。
「躱したくても躱せまい!そのまま儂の業を受けるがいいッ……な、にッ?」
道元の口元が眩く光り、一条の閃光が走った。
しかしそれは道元が考えていたほどに太くはなく、心無しか内包されているエネルギーも本来予想されていた規模からは随分と過小に見える。
原因は明らかであった。
エネルギーの拡散だ。
道元は自身が失態を犯した事を知ったが、理由にまでは思い至らなかった。しかし、理由は分からないがとにかく気が散ったのだ。
道元の集中を妨げたのは摩風である。
地に倒れ伏し、両の耳の穴から血を流す老僧であった。
精神への干渉に長ける高野坊主といえども、異形のモンスターの精神に干渉するというのは相当な無理があったようだ。更にいえば、干渉できたとしても僅かに気を逸らす程度である。しかし、いまはその "僅かに気を逸らす程度" が求められていた。
──やったか、爺さん!
蛮は内心で賛辞を送り、両の掌を交差する様に振り切る。それこそ、後の戦闘に支障をきたすような
蛮の眼前の大気が攪拌される間もなく引き裂かれ、掴み取られる。それにより瞬間的に形成された小型の真空地帯が銀閃を受け止めた。
プラズマは周囲の空気や他の物質による抵抗がないため、より自由に拡散する。これはプラズマが広がりやすくなることを意味し、その結果、特定の方向に集中したエネルギーが減少しやすくなるのだ。
まあ良い事ばかりではなく、真空中では指向性がよりブレにくくなり、狙いを外すというラッキーは起こりづらくなるのだが。
◆
蛮は自身が無音の爆風を浴びたかのように錯覚した。摩風によってその威力を大きく減じられ、真空受けによって更に威力を減衰した気風殺はしかし、蛮の予測を超えたエネルギーを内包したまま蛮に襲い掛かる。
一秒を何十何百何千にも分割したような刹那の瞬間に、蛮は銀閃を自身の肉で受け止める事を決めた。
悲壮感でコーティングされた辛気臭い守りの自己犠牲ではなく、勝率をより高めるために自身を駒と数える攻めの自己犠牲である。
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しかしそんな蛮の戦術思考を無駄にする中年がいた。
歳三である。
当初歳三は銀閃の威力をそのまま自身で受けるつもりであったが、蛮がどうにかしたそうだったので邪魔をせず大人しくしていたのだ。
だが見ればなんとかなりそうにもなかったので、蛮を横に押しのけ、左腕を掬い上げるようにして大気をかっぱいだ。ちなみにかっぱぐとは茨城県西部、栃木県南部で使われる方言で、『物をかき集める仕草』を意味する。
歳三の眼前に蛮が形成した真空地帯よりも長く、太い真空のベルトが形成させ、銀閃のエネルギーはより激しく減衰する。
「しゃあっ!!!!」
更に、それでもまだ残る破壊の残滓を気合一声でかき消した。これは先だって道元が放った旭真大館空手道、破旭風のオマージュである。
目の前でこれを見て、そしてその身で受けた歳三はこの業の原理について "納得" したのである。
◆
道元は目を見開いた。
そして馬鹿にされているように感じた。
──儂が人の見を捨て去ってまで得た力を、こやつらはッ…!
道元の瞳が怒りと屈辱に澱み、その精神はより深く魔に堕ちていく。
そして観客席に目を向けて、ニタリと嗤った。
「やるの……。だが、儂はもう飽きた。そこの冴えない中年親父よ、貴様はもう動くな。そのまま儂に殺されよ。さもなければ、生き残った連中を殺す。貴様は連中を助けにきたのだろう?もし貴様が儂に大人しく殺されるのならば、生き残りの連中は外に帰してやろう。貴様に出来る事はただ儂に殺される事のみよ。ああ、蛮の小僧めは好きにして構わんぞ。抗うもよし…自裁するもよし」
道元の言葉に愕然としたのは蛮である。そこまで堕ちたか、と。蛮が知る道元は、少なくとも自身の力で事を成そうという気概があった。モンスターとなっても、周囲を群がる蟲を使わずに自身の力を振るってきたではないか。
──それを、人質だと?
灼熱した怒気が吹き上がり、口元はなぜか笑みが浮かぶ。人は余りに
しかし──…
「そうかな」
低く、地味でぱっとしない声が小さくその場に響く。
歳三の声だ。歳三の声は長年の喫煙と飲酒でちょっとしょうもない親父めいた声色をしていた。
なに、と歳三をにらみつける道元を、歳三は静かに見返した。その様子には動揺もなければ困惑もない。全ては流れる水の如しマインドを感じさせる落ち着いた佇まいだ。
「今、なんと言った」
道元の問いに歳三は答える。
「そうかな、と言った。もう少しだと思うんだが」
歳三が言うなり、生き残りを取り囲んでいた蟲たちが次々と奇声をあげて弾け飛び、撃ち落され、切り裂かれていく。
道元がそちらに目を向ければ、そこには黒いボディアーマーに身を包んだ一団と探索者らしき風貌の者達がドウム観客席に雪崩れ込んでいた。
人数はそこまで多いわけでもないが闖入者は一人一人が手練れで、少なくとも旭真祭参加者の水準は超えているように見えた。
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「流石に雑魚とはいえ推定甲級ダンジョンのモンスターです。速く、硬く、狂暴ですね。しかし、乙級探索者が金に物を言わせてフル装備をすれば、雑魚掃除くらいならば訳はないですし…それに今回は支部長も参戦していますから」
桜花征機製の黒いボディスーツに身を包んだ小柄な中年男が言う。髪の毛も薄く、妙に貧相で、ちんまりしょんぼりとした覇気のないおじさんだ。
「石田、油断をせずに。望月会長の秘蔵っ子だとかいうあの汚い中年が敗れれば、我々があの黒いモンスターと対峙しなければいけません。それは流石に手に余る。だから速やかに生き残りを救出し、いつでもここを脱する事ができるようにするのです。最悪、あの中年を見捨てますがあくまでそれは最終手段。中年が敗れそうになれば戦闘に介入し、何とか身柄を攫います。それは私がやりましょう」
どこか爬虫類を思わせる中年男性が石田と呼ばれた中年男性にこたえる。
石田とはダンジョン探索者協会京都支部.外部調査部部長の
中年男性ばかりでぱっとしない絵面だが、石田は外部調査部部長だ。外部調査部、通称 "外調" は言ってしまえば協会の暴の象徴で、そこの高位役職者ともなればただの親父に務まるわけがない。
支部長はまた別の基準があり、必ずしも暴に長けるというわけではないが。
「さて、キリキリ働きなさい。全員生還でボーナスを出しましょう」
仁が言うと、石田は『助かります、島ビジネスが破綻して負債が膨らんでしまって…』などと言い、みるみる内に存在感を希薄にしていく。やがて仁にも石田の姿が見えなくなると、少し離れた所で蟲の頭が二つ、ポンと同時に飛んだ。
(二人については『日常51(歳三他)』参照)
◆
歳三の "そうかな" には二つの意味があった。
一つはじっとしていなければ観客を殺す、じっとしていればお前を殺すという道元の脅迫に対して、単純な疑問を抱いたという意味での "そうかな" 。
時間的にもいつ協会からの援軍がたどり着いてもおかしくないと歳三は考えていた。これでいて根が忠犬気質にできている歳三は、協会が仕事を怠るなどとかけらもおもっていない。ピュアおじなのだ。
もう一つは先程から心というか頭に響く声のような意思のようなナニカに対しての "そうかな" である。
自身の可能性、未来を "力" に変えれば救われる、想いが報われる…というような囁きに、歳三は疑問を抱いていた。
かつて歳三は占い詐欺に騙され大金を失った事があるが(『日常28(歳三、飯島比呂)』参照)、そこで学んだ教訓が生きている。
すなわち、世の中うまい話はない、という教訓だ。
それなら何のためにダンジョンに行くのか、何を求めているのか、力ではないのか、願いをかなえるためではないのか
そんな
──俺は別に力が欲しくてダンジョンに行くわけじゃない。ちゃんと仕事をして、更生して、きちんとした社会人になる為にダンジョンに通っている。そしてダンジョンのおかげで少しはマトモになれた気がする。
──ダンジョンがなければ俺はただの性犯罪者で終わっていただろう。それに、ダンジョンに救われた部分もある。モンスターの連中と戦っていると外の厭な事を忘れる事が出来たからな。でも俺はまだまだだ。外を歩いていると人の目が気になる。俺の事をまだ覚えている連中がいるんじゃないかと気になっちまう。
──それは俺に自信がないからだ。ちゃんとした社会人になれてないって証拠だよ。だからこれからも俺はダンジョンに行き続けるだろう。ダンジョンが俺の人生なんだ
面と向かって話さなければ多弁な歳三だが、この時自身の中に何かが流れ込んでくるのを感じた。
何か、である。
それが何かは歳三にも分からない。
しかし……
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・
・
「聞いておるのか貴様ッ!」
道元が怒り狂い、瞬きのうちに歳三に肉薄して突きを放った。
音を置き去りした轟拳はしかし、歳三の手の甲によって容易く跳ね除けられ、同時に道元の腹に歳三の拳が突き刺さる。
手首まで、深々と突き刺さる。
恐るべき硬度を誇る甲殻をぶち抜いた拳を道元は茫然と見つめ、吐血した。
「き、さまも…魔を宿した、か」
道元の言葉に歳三は答えない。
道元が言っている意味が良く分からなかったからだ。
物事の流れを汲んで状況を把握するという事が歳三にはできない。きちんと説明をしてくれればわかるが、結論だけ言われてもさっぱりなのだ。
──マオヤドス…?
この時、歳三の脳裏を過ったのは可愛くデフォルメされたモンスターであった。歳三の好みではないが、とある国民的人気を博すゲームがある。
マオヤドスという単語はそのゲームに出てくるモンスターに響きが少し似ている。
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ここまで追ってきてくださっている読者さんたちには言うまでもない事だと思うのですが、この作品で説明されているあらゆる科学的な説明とかそういうものは全部適当です。〇肉マンみたいな感じです。
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