人間失格

 ◆


 お の れ


 憎悪を屈辱を火種とした粘着質でドス黒い炎が燃え上がり、旭ドウムを舐め回す。


 勿論それは比喩だが、単なる殺気だとか怒気だとかで済ませるには余りに剣呑だった。


 殺気、怒気、敵意、害意……こういったものは、その濃度が極端に高まれば物理的に人を害する。


 道元が発したこの負の精神波動の放射たるや凄まじく、歳三を除くほぼ全員(蟲も含めて)が身を硬直させた。


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 ──怪物め


 蛮は表情を歪め、心中吐き捨てた。


 この罵言の矛先は道元……ではなく、歳三だ。


 道元の威嚇を受けた時、蛮ですら死を覚悟した。


『千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす』


 かの宮本武蔵はこんな言を遺したが、そんな鍛錬とやらも役立つのは人間相手に限り、本当の意味での化け物には全く意味がないのではないか……そんな思いが蛮の胸中を僅かに過ぎる。


 だが……


「アンタはモンスターらしくないな。俺が悪者みたいな目で見てくる。戦いなんだ、仕方ないじゃないか」


 歳三は別だった。


 やや残念そうに、しかし腕におぞましいまでのリキを込める。


 そして道元の腹に食い込ませた拳をそのまま力任せに振り回し、拳の先が天を向き、次いで地に突き刺さった。


 つまり道元の腹に拳をぶち込んだまま腕を振り上げて、そのまま地面を殴りつけたのだ。


 拳は当然道元の腹を貫通し、そのまま地を砕く。


 ミサイルが着弾したかのような爆発音が轟き、ドス黒い血が舞い散り、耳をつんざく悲鳴があがる。


 ついでに旭ドウム全体が鳴動するような局所的な地震も起きる。


 拳の着弾地点からはビキビキとひび割れが伸び、広がってゆく。


 もしも旭ドウムがダンジョン化せず、平時の広さであったならば罅割れによる破壊の伝播は観客席とリングを隔てる壁にまで及んでいた筈だ。


 ◆


 結局の所、歳三の肉体強度の所以は "停滞期" が存在しない事にあるだろう。


 長くダンジョンを探索していればその干渉が失われるか極端に鈍る事が何度もある、それが普通なのだ。


 例えば隆とした肉体、男らしい肉体を欲する者が居たとして、その想いを胸にダンジョンに何度も何度も向かうとする。やがて想いは結実し、その者は望んでいた肉体に近づいたとする。


 すると、多くの者は考えるのだ。


 ──いいぞ、この調子だぞ


 と。


 こういった想いは前向きだが、飢えがない。


 そして、心根がこの様な心境に至ると干渉は鈍る。


 ダンジョンの干渉を促すモノは、言ってしまえば "飽きたりなさ" だ。


 今の自分自身への忸怩たる思い、もっと前へと進みたいという想いがダンジョンの干渉を促す。


 もしダンジョンからの干渉を常に最大限受けていたいのならば、その者はどれだけ自身の願いが満たされていようと、自身に不満を抱き続けていなければならない。


 簡単かもしれないが、これは案外難しい事だ。


 しかし歳三はごく自然にそれをやってのけた。これは独特のねじくれた精神構造を持っていないと出来ない事だ。


 PTSD、重度の鬱病、不安障害、適応障害…協会のカウンセラーが歳三に下した診断だが、このへんのあれこれが現在の独特の精神構造を形作る為に一役買ったのかもしれない。


 はっきり言って、25年も前の痴漢事件など一体誰が覚えているというのか。


 事件は略式起訴による罰金刑となり、歳三がそれを支払った事で事件は終わったのだ。激昂して暴れ倒したり、逆恨みして被害者女性へお礼参りをしたりすれば話は別だろうがそんな事は起こらなかった。


 だが根がメンヘラであるところの歳三は、10年たっても20年たっても世間から責められていると感じている。


 日本国民、いや世界中の人間が佐古 歳三という恐るべき性犯罪者を許すなと怒り狂っている様に感じている。


 だから彼は常に飽きたりない。


 どれだけ強くなり、協会…というか国に貢献し、乙級探索者という立場を得ても飽きたりない。


 もっと強くなり、もっと探索者協会かいしゃの為に働き、出世して立場を得て、社会に居場所を作りたい。ダンジョンから沢山素材を持ち帰る事は日本の為になるという、それは人の役に立っているという事だ、だからダンジョンに潜る、この年になって今更他の仕事なんて出来ない、だから潜る、潜る…


 だからダンジョンはまだ足りないのか、まだ満足しないのか、と際限なく歳三に構い倒して干渉してしまう。


 ◆


 文字通り虫の息の道元ではあるが、歳三は "やったか!?" などとは思わない。


 モンスターに痛打を与えて形成有利とみた時、油断の挙句に反撃を喰らって死ぬか重傷を負う探索者は少なくない。具体的にいえば年間5500人の探索者が死傷者としてカウントされている。


 ちなみに死傷者とは、死亡者と負傷者を合わせて表現した言葉だ。この数は林業のそれと比べても2倍強で、探索者という仕事が群を抜いて危険であることを示す。


 ──『いいですか、佐古さん。モンスターってのはおっかないんです、首だけ、上半身だけになっても中々死なないなんてのはザラですわな。"やった!" と思ったその瞬間こそが一番危ないんですよ。モンスターを倒してね、倒したかな?と思っても、暫く戦闘態勢を解いてはいけない。それを残心と言う。佐古さんが探索者としてやっていきたいなら、これを忘れない事ですよ。いいですか?残心です』


 かつて歳三の飲み友達兼上司である金城 権太が、新米探索者であった頃の歳三に言った言葉である。歳三はこれをただの一時も忘れた事はない。


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 歳三はドス黒い血の泥濘に斃れ伏す道元をみて、ここからが本番だぞと奮い立った。


 近寄り、ストンピングで頭部を叩き潰すか、それとも飛び道具で少しずつ残りの生命力を削るか。


 これは残心ではなくどちらかと言えば惨心なのだが、歳三はもう20年以上勘違いしたままだ。


 結論が出るまでには1秒もかからなかった。


 近寄って追撃するのはうまくない。足を掴まれて反撃される恐れがある。飛び道具もいまいちだ、相手には強力な回復能力があり、弱々しい児戯にも等しい飛び道具ではダメージが回復力を下回る可能性がある。


 ならば、と歳三は両脚に力を込め、天高く飛び上がった。


 よだかが再び舞う(『よだかの星』参照)


 ──よだか・逆打ち


 己が出来損ないである……と歳三は思い、絶望感に身を苛まされた事もある。まあその被害感情の殆どは自業自得の所業から生じたものだし、歳三の考えすぎな部分が多々あるのだが、ともかくもそこまで絶望していても歳三は自殺などはしなかった。


 なぜならば、自分を案じてくれている者達がいると言う事はちゃんと理解していたからだ。


 これでいて根が(日常生活では)非暴力主義の歳三だが、真の暴力とは自殺であると考えている。自殺する事で友人知人、家族へ与える精神的衝撃ははかりしれず、これは往々にして物理的な暴力よりも質が悪い事がままある。


 だからどれだけ自分が嫌いでも、空の彼方へ飛び去るなどできないのだ。辛くとも地に足をつけて、しっかりと生きる。


 よだか・逆打ちとは、歳三のそんな決意表明めいた技だ。


 想い出を技に乗せる、強い決意を技に籠める、だからこそダンジョン空間では歳三の技は馬鹿げた威力と化すのだが、今の歳三がそんな事をすればどうなるのか。


 想像力失調気質である歳三は、そこの所がよく分かっていなかった。


 ◆


「非常口近くの者は緊急退避!!!!離れている者は電磁装甲展開!被救護者は!?……ならばよし、彼らを扉の奥に叩き込みなさい!逃げられる者は逃げ、それ以外の者はとにかく身を護りなさい!」


 西方月 仁よもつき じんは常の余裕をかなぐり捨てて絶叫した。


 天高く飛び上がった歳三から、極めて濃密な厄を嗅ぎ取ったからだ。先程道元が放った鬼気からは不定形のドロドロとした黒いモノが自身の肉体を貪り喰うような怖気を感じた。


 しかし、仁は歳三には別のイメージを抱く。


 それは、星である。


 大きな彗星がこちらへ向けて落ちてくるような、なんだかもうどうしようもないような諦念を感じたのだ。


 彗星に悪意はない、しかしひとたび落ちれば多くの犠牲者を生むだろう。


 そんな事になったら誰を恨めばいいのか?憎めばいいのか?


 泣き寝入りしかあるまい、仕方ないのだ……相手は自然現象なのだから。


 奇しくもこのイメージは、探索者協会会長である望月 柳丞もちづき りゅうすけが幻視した予知のそれと一致していた。


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 電磁装甲とは大変異前からイギリスの国防科学技術研究所が開発していた防御シールドの一種である。


 電荷を蓄積する装置であるスーパーキャパシタを用いて、ミサイル攻撃に対する防御シールドを展開するというものだ。


 スーパーキャパシタによって強力な電磁場を作り出し、それを爆発させて衝撃などを相殺するそのシールドは、大変異以後暫くして個人兵装として普及し、各企業も似たような商品を売り出した。


 結句、現在では高価ながらも個人入手可能な代物となっている。


 この時協会の面々が使用したのは岩戸重工製の使い捨てシールドで、名称は神話にちなんで『天岩戸あまのいわと』と名付けられていた。


 この防御力は馬鹿にならない。


 例えば冷たい海水中においては5分も生きられないか弱い生命力の子猫ですら、このシールドを使えばパトリオットミサイルの直撃に耐えられるだろう。


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 大気との摩擦により全身を燃え盛らせて、歳三が拳を叩きつける。


 光が、弾けた。


 ◆


 拳と拳で語り合うなどという言葉がある。


 これは多くの場合、言葉で語り合えない低能の戯言に終始するのだが、極々限られた状況でのみ成立する事がある。その状況下でのみ、両者は言葉無くして分かり合う事が出来る。


 その限られた状況の一つが、まさに "今" であった。


 道元は小型の戦術核にも匹敵する破壊をその身に受けて、急速に肉体を崩壊させていった。賦活のチャクラは回せない。なぜならばチャクラが存在する身体部位の大半が吹き飛んでしまっているからだ。


 しかし道元の精神は死を前に加速し、歳三の精神に触れ、歳三もまた道元の精神に触れた。


 同じダンジョンから強力な干渉を受けた者同士というのが関係するのか、二人は瞬間の断片の中で互いの人生を理解する。


 そして歳三は、道元が抱いていた強烈な死恐怖症タナトフォビアを自分なりに理解した。


 ──爺さん、気持ちは分かるぜ。俺も47だ。年を取りたくないってのは分かる。年とればその分寿命が短くなるもんな!でも爺さんはモンスターになりたかったわけじゃないだろうに。爺さんはお偉いさんで、爺さんを認めてくれる人もいっぱい居たじゃないか。俺からしたらうらやましいとしか言えねぇよ、俺なんてどうだ。俺は中卒だし、こんなナリだ。それにぜ、ぜ、前科もある…爺さんみたいな立派な社会人になれたらって思うよ。大丈夫だ爺さん!若くなくたって何とかなるぜ!大人には大人の魅力ってのがあるもんだ!


 これに対して道元からは何の応えもなかった。


 ただ激烈な怒り、呆れ、そして諦念が歳三に伝わってくる。


 怒った理由は歳三の甚だしい無理解に対して。道元の恐れの核心を知りつつも、その恐れを誘発するような言葉は挑発としか思えない。


 呆れた理由はそれが挑発ではなく、本気で道元を慮って声をかけたことを感得して。本気で相手の心情に寄り添おうとして自分語りなどするだろうか?いや、しない。恐るべきコミュニケーション能力の欠如であった。


 諦めた理由は歳三という人間を知った事によって。歳三という男のコミュニケーション能力は絶望的だが、話して分からない男ではない。その身に宿す破壊的な暴力にも興味があったし、人のままモンスターに至った歳三の姿にこそ、自身の願いの真なる成就への鍵があるのではないかと考えたのだ。しかし諦めた。


 なぜなら、もう道元には時間が無いからだ。


 だから一言だけ言い遺した。


 ──人間、失格じゃな……お主は


 そして道元の意識は完全に暗転した。


 死んだのだ。


 拳を以てして、相互理解に至らない人種というものは居る。


 ◆


 "着弾" 前に摩風を抱えてその場を離れていた凶津 蛮だが、この一件をきっかけに歳三を強く警戒する事になった。


 歳三が道元もろとも自身をぶち殺そうとしたのではないか、という疑念が湧いたからだ。


 ──でなければ、俺たちがまだ残っているっていうのにあんなモン使うはずがねぇ。あの野郎…なぜ俺を狙う?いや、俺はそこかしこで怨みを買っているからいいが、なぜ摩風の爺さんをも巻き込む?……探る必要があるな


 などと考える蛮だが、実際は単なるケアレスミスである。


 歳三は同じ失敗を繰り返すタチの無能ではなく、きちんと説明すればそれを熟す賢さがあるのだが、多くの者が歳三にちゃんと説明をしてくれないし、歳三とちゃんと話してくれない。


 この辺の周囲とのズレが解消される日が来るかどうかは……微妙であった。



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旭真大館編はこれで終わりで、あとは日常編中で後日談なども交えて説明する感じです。長くなりましたが、沢山戦闘かけて楽しかったのでまあいいかと思ってます。


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PVもPVでうれしいのでフォロー、評価めんどくせえなって人も全然おっけーです


そういえばカクコンにも出してます。

作風が作風なのでまず無理なんですが、健闘は出来ててアドスコア増えて最高です。タバコ代にします

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